夏休み 7月23日
朝の三勤行が終わる頃、ヴィリーが呼びに来て6人で朝食を取る。
「ラフォス、今日はルイに鍛冶仕事の手解きと聞いているけど鍛冶場の了解とかは取れている?」
クリスが問いかける。
「姫様。抜かりなく。宿の主人の許しを得て、鍛冶場のウルカ親方には知己を得ました。費用は使った材料分のみで良いという事です。」
「あら、気前がいい親方ね。」
「今日一日は親方を手伝うという事で」
「ラフォスには世話を掛けるわね。」
「いえ、ウルカ親方にはいろいろ教えてもらう事も多いので互いに得な仕事です。」
「そう、それは幸運ね。大人になると教えをうける機会がなくなるものね。アンドレは今日は?」
「ラハトとこの先の道を見てきます。馬車は通れませんが、人が引く荷車ほどの道が続きますので馬で行ってみようと思います。」
「宿の亭主が言っていた森の奥への道ね。分かりました。報告を楽しみにしています。ところでラハト、ルキアはセシルの処に帰したの?」
「はい。クリス様。ヴィリーと相談してアンドレさんの許しを得て、昨日セシルのもとに帰しました。」
「そう、ちょと寂しいわね。どうして返したのかしら、」
「はい。当分は敵対するものが無いだろうという事とセシル一頭では子育てが大変だろうという事です。それと、龍の山と大岩村の間の様子を見ておくように言いました。」
「それはよく考えましたね。いい判断です。セシルがいくら優秀でも食べ盛りの子供を三頭も抱えて一人で狩りは大変よね。そうねラハト。今度セシルに龍神山を中心に出来るだけ広く見て於く様、お願いしておいて。」
「はい。畏まりました。」
「で、ヴィリーはヴィリーで動くのよね。それでヴィリー、私は今日は如何すればいいのかしら。」
「はい、姫様。姫様はこの後、大岩村の隣の集落に住むミヅリ様の処で機織りを習って頂きます。」
「え~。やっぱりそういうことをするのね。」
「これも、修行でございます。姫様。」
「花嫁修業も大変だね。行く当てもないのに」
ルイの言葉に全員が鋭い視線を向けるのであった。
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今では、定期馬車の馬屋兼宿屋としてしか使われていないが、その昔は大隊規模の兵站基地として切り開かれた経緯のある場所である。厩舎に併設する形で馬具や農具などの為に鍛冶場が生きていた。ラフォスに連れられるようにルイがやってくると、
「ラフォスさん、おはよう。その人が昨日言っていた騎士様かい。」
「おはようございます。ウルカ親方。こちらはルイ₌シモン騎士爵です。」
「あんたの主かい?」
「いえ、主からお預かりしている、大切なお客様です。」
「お客様だがあんたの弟子として扱っていいんだな。」
「左様です。昨日お話しした通り、お気遣いは無用です。」
「あんたがそう言うなら、信用するよ。でも後で面倒なことになるのは嫌だからな。」
「その点はご心配なく、ご安心ください。」
「それじゃ騎士様、手を見せてくれ。」
そうルイに体を向けると手を差し出してきた。言われるままに右手を差し出す。
「どれ。騎士様という割には剣胼胝がないな。古い跡があるが、それにこの新し胼胝は弓をやるのか?」
「この五日ほど始めたばかりです。」
「これじゃ全然当たらないな。」
「そうです。お判りになるので」
「騎士様にそうご丁寧に聞かれちゃこそばゆいが、土地柄、猟師や剣術使いの武者修行とやらに時々出会うさ。年季の入った猟師や生きて帰ってくる剣術使いなんかの手を見せてもらうとまあ大体の事は分かるようになった。あんた、本当に剣術出来るのかい?」
「始めたばかりです。」
「そうかい。まあラフォスさんの客人だ、老婆心でいうが森に修行に入るなら剣術の前に手裏剣と弓の稽古がいるな。近間なら手裏剣、遠間なら弓で先ずは食糧調達だな。持ち込める食い物も森で拾える木の実なんかもたかが知れてる。体力が落ちて熊や狼の餌食になるか、運よく生き延びても痩せ過ぎて鳥跨ぎになって野垂れ死にするのが落ちだからな」
「そんなに苦しいものなのでしょうか」
「まあ、金があるならそんなに深くない所で修行をして、時々ここに買い出しにきて修行を終えたと拍を付けて帰る剣術使いもいるが、貧乏修行者で意気込んで森に入って迷ってくたばったか、それとも山越えで向こうの国にでも出たのか分からないが十中八九は帰ってこないね。脅かすようで悪いが、」
「そうなんですか、そんなに大変なものなのですか」
「まあ、良く考えることだな。ところで、自分で武具の修理が出来るようになりたいんなら、まずは金槌と金床、鞴と炉の扱いになれる必要があるか。おい、トバル。騎士様に道具の扱い方をひと取り教えて差し上げな。それから中間飯までお前の杭金床で鉢を割り板金から作るのを見せてお上げくださいませだ。ラフォスさんはそれまで大鋸の目立てを手伝ってくれ。」
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大岩村から林道を騎行するクリスとヴィリーの姿があった。
「姫様、帝都で見つけたその馬はお気に召したでしょうか。」
「シルバーと名付けたわ」
「姫様、栗毛のシャンパンですがシルバーですか。」
「国に残してきたシルバーも忘れられないけど馬の名前はやっぱりシルバーよ。」
「そう言うものですか」
「軍馬としは小型だからコーサータイプかしら」
「帝国の南東の国エスパーニャ産の馬でホビータイプと聞き及んでいます。」
「ああ、ホブラーの。私にピッタリね。あしが長くて速い。ところでヴィリーが乗っている馬はたしか・・」
「グラ二と名付けました。」
「そう。国から馬車を引かせてきた馬車馬は歳だからね。引退させて、マレンゴだけを残したのね。」
「はい、マレンゴは現役を引退させましたが立派な軍馬です。」
「ほら、青毛なのにマレンゴよ。私のシルバーだってそれでいいのよ。まあ、あなたのグラ二?立派な銀の鬣ね。青鹿毛だけどほとんど黒ね。知らないと勘違いする人が出てきそう。」
「マレンゴには若い三頭の手本になってもらおうと思います。」
「そうね、マレンゴは賢いし落ち着きがあるし、まだまだ体力も充実しているから。ところで、マレンゴだけが宿に残されたことになるわね。」
「はい、宿の主人に頼まれまして」
「あ~あれね。大人の事情で大人のお仕事に駆り出されたのね。」
「姫様、そろそろ着きます。」
「やっぱり楽しい時間はあっという間に過ぎ去るのね。」
「姫様、そう言わず今日と明日しっかりと機織りを学んでください。」
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大岩村からクリス達とは反対方向へ駆け出した二騎が常歩に落としながら鞍を並べる。
「ラハト、鐙の具合とか大丈夫か?」
「はい、アンドレさん。鐙も轡の具合も良いそうです。」
「お前、馬語も分かるのか、」
「何となくですが。」
「そうか、ところで、このグルファとお前のグルトは兄弟馬か?」
「いえ。出身地は同じ北の方の国だそうですが、一応違う家族だそうです。」
「同じ栗毛で鬣と尾は金色だがな。」
「そうですね。もとは同じ血族かもしれません。」
「まあよく見ると、グルファは栗毛でグルトは少し色が濃くて栃栗毛になるか。鬣が金色となるとどちらも尾花栗毛という分類になるのかな。」
「アンドレさんは馬にも詳しいのですね。」
「まあ、必要に迫られて少し調べたことがある。」
「ラフォスさんも馬の扱いが上手ですね。」
「実際の扱い、馬医や馬鍛冶、蹄鉄師のようなことはラフォスに任せてある。」
「アンドレさんは?」
「俺か?俺は運用だな。」
「運用?」
「ああ、姫様が軍を率いるようなことがあれば俺が厩役をすることになると思って少し勉強した。」
「うまややくとは何ですか?」
「まあ、騎馬隊を作るために軍馬を集めたり、荷馬隊を組織して輜重を差配する役目かな。」
「結構大変そうですね。」
「国ぐらいの規模なら伯爵様がやる仕事だな。」
「アンドレさんは伯爵さまですか。」
「姫様が学院生になったお陰で気楽な従者でよかったよ。」
「僕も気軽に話ができるアンドレさんで良かったです。」
「そうか、それはよかった。それじゃ、またひと駆けするか。」
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馬の世話を終え身ぎれいにしたアンドレとラハトが食堂に入ると、
「これでみんな揃ったわね。夕食を頂きましょ。早く座って、」
とクリスが二人を席に着かせ、食事の始まりの礼式を行う。
「さて食べながら今日の報告よ。先ずは私から。蚕さんから糸紡ぎを一通り体験しました。繭を煮て屑箒で糸口を取って糸車に巻き取る。五個取りくらいなら何とかこなせてもニ十個取りを一人でこなせませんでした。午後は練習用のちいさな絹機を使って機織りをしました。午後一杯使って手幅程度で根気が尽きてしまいました。以上です。」
「クリス、だいぶ疲れたようだね。」
「ルイ、そう言うあんたはどうなの。」
「同じく疲れた。鉄の板を金槌一本で鉢に変えてしまうなんて僕には出来ないね。そう言ったら親方にこっぴどく叱られた。あたりまえだってね。午後はリングの作り方を習ってリングをつないで鎖にしてロウ付けして僕も手幅ほどの大きさになった。鎖帷子一着鋼材作りからなんてとてもできません。」
「ルイ様、明日のご予定は。」
「鋳掛の練習でもしろとウルカ親方が穴の開いた鍋をたくさん用意してくれた。」
「明日は聖曜日。親方たちもお休みなのですね。」
「トルカが、えっと、トルカと言うのはウルカ親方の弟子で、今日一日僕にいろいろ教えてくれたんだけど、帰り際に明日は鋳掛屋か、羨ましいねってニヤリとして行ったな。」
「ルイ様、そう言うときは、僕にはティンカー・ベルが付いているからとおっしゃってください。」
「ティンカーベル?僕にはベルなんか作れないよ。時々、ヴィリーはおかしなことを言うね。」
「ところで、ヴィリーは今日は何していたの。」
「はい、姫様。大岩を見てまいりました。」
「そう。それで、」
「明後日からの事をアンドレ、ラフォスと相談して決めたいと思います。」
「それはよろしくお願いね。ところで、ラハトは今日はどうっだったの。確かアンドレと馬で遠出したのよね。」
「はい、クリス様。アンドレさんに教えてもらいながら初めて乗馬をしました。楽しかったです。」
「それはよかったです。狼に乗るのと違うかしら?」
「鞍と鐙があるので非常に楽ですが、一日乗るとお尻の皮が剝けそうに痛いです。」
「それは仕方がないですね。誰もが通る道ですから。明日は乗馬はお休みにしてもらいなさい。」
「姫様。明日はラハトは私と一緒に森に入ります。」
「森で何をするの?」
「姫様の為にあるものを採集してきます。」
「なら、私も行っていいかしら。」
「姫様はミヅリ様の処で機織り修行です。」
宿の食堂に土地の人々が酒を飲みに入って来たのを契機に食事終わりの礼式をしてクリス達一行はそれぞれの部屋に引き上げることにした。
日は落ちたが、下弦の月が姿を現すにはまだ、二刻以上はかかるそんな時刻であった。