夏休み 7月22日
寝台の軋む音に僅かに覚醒する。
深い眠りの奥から意識を引き揚げながら何かを思い出そうとしたが、朦朧とする意識はすぐさま眠りの奥に引きずり込まれる。
そんなことを何度か繰り返し、
「ここは・・・、」
ルイはハッとして寝具を跳ね飛ばすと寝台の上に飛び起きた。肌着姿で敷布の上に座って部屋を見渡す。
薄明かりの中に見えるのは、寝台の反対側に作り付けの衣類納戸と机に椅子。机の上には水差しと洗面器。窓の下の床には鎧櫃が置かれていた。それだけの一人部屋であった。
取り敢えずカーテンを開け、ガラス窓と鎧窓を開く。夏の日差しが眩しかった。水差しから洗面器に水を移し顔を洗い口を漱ぐ。納戸からチョッキとシャツとズボンを取り出し、脛に脚絆を巻いて靴を履く。
「ルイ様、ヴィリーです」
と声が掛かるので、
「はい。・・どうぞ、」
と答えると、ヴィリーが入ってくる。
「直ぐに朝餉の時間です。洗顔はお済ですね。では、食堂にご案内します。」
そう言うと、洗面器の水を窓から捨てカーテンを閉め、
「剣は常にお持ちください。騎士爵様ですので」
そう言うと、ルイを先導して階下の食堂へと向かった。
・・・・・・・
「ぐっすりと眠れたようね。おはよう、ルイ」
クリスが朝の挨拶をする。
「おはようございます。クリス・・。」
「学院の同期。学友なんだから対等の関係で‥いいわよね。」
「ああ、もちろんだけど。そうは言っても師匠だからな」
「形だけよ。実際教えているのはヴィリーやアンドレだから。気にしないで」
「ところで、アンドレとラフォスとラハトは?」
「もう10時よ。村では遅い朝食と言いうより、中間飯の時間よ。みんなは村の時間に合わせて外に出ていろいろ様子を見て回っているわ。郷に入りては郷に従へよ」
「分かった。軽い食事という事で。俺‥僕はこのあと如何すれば?」
「そうね。ヴィリーとも話し合ったのだけど。今週はつまり今日22日、23日、24日の金、水、聖曜日の三日間は休養日に当てようという事になったの」
「この、一週間は随分ゆっくりとした旅程だったのにか?」
「確かに、移動距離としては荷馬車並みの移動日程だったわ。でも、内容が濃かったでしょ。それにルイは学院入学から三ヶ月半、突っ走ってきた感があるわ。」
「それは、クリスも同じだろう。それに、16日は思わぬ手続きに手間取って中途半端な時間に出発したせいで、荷馬車用に設けられた馬屋宿に泊まれず、ずっと野宿が続いた。それについては申し訳なく思っている。」
「別に責任を感じなくてもよくてよ。わざとそうしたのだから」
「わざと?」
「そうよ。荷馬車で五日の距離なら私達の馬車ならそうね、乗馬馬には些か遅れを取るとしても、三日あればここまで来れる道程よ。」
「三日の処を五日半掛けたというのか?何故に?」
「其のおかげで良い訓練が出来たでしょ。」
「訓練?剣の一人稽古にはそこそこ時間を取ってもらったが」
「そのほかに、短弓で兎やら野生の山羊や鹿を狩らされたでしょ」
「確かに狩はしたが、一匹も取れなかった。結局、ルキアやアンドレ達に仕留めてもらった」
「でしょ。如何に武者修行が難しいか分かったと思うけど。」
「武者修行だったのか」
「馬車で武者修行という事は無いけど、一人で修行に出るならば食糧調達と寝場所の確保がいかに難しいか、大変かが分かったでしょ。」
「確かにそうだが」
「それに、今でこそ山賊の類は出ないけど襲撃されそうな地形、その回避の仕方、物見の仕方、馬車の走らせ方、馬の乗り方、馬の調子の見方、それに短弓の扱い方、野営の場所の選定から設営、結界の張り方、夜警の仕方から焚火の管理、獲物の捌き方から食事の作り方、残飯の処理etc、etcと一通りの事は体験したと思うけど。いかがかしら?」
「俺の為の道程だったのか。」
「そうね。いい体験だったと思うけど」
「たくさんあり過ぎて、どれ一つ満足に出来ないが。」
「当然よ。でも、見たことが有るのと無いのでは進歩、成長に大きな差が生じるわ。だから、基本的な事は大まかには経験してもらった心算よ。まだ、足りないけど。」
「まだあるのか。」
「そう、その為には体と頭を一度リフレッシュする必要があるの。それとこの三日間でラフォスに付いて鍛冶仕事の基本を習って。」
「鍛冶もやるのか」
「簡単な修理くらいは出来ないと、武者修行には出れないわよ。」
「そうか」
「といういう事で、五業拳は人に見られないように練習してね。いい審アーサになるわ。それからロングソードの練習は村人の見える所で工夫をしてね。」
「何故だ?」
「先ずは。五業拳は秘伝の技という事でお願い。素人が見てどうという事はないけど、才能があるものに見取られるとそれはそれで問題が大きいでしょ。」
「敵に見られるデメリットは分かるが、素人に見取られても真似が出来るもんじゃないだろ。」
「いいえ。武術は基本殺人技術よ。五業拳は一手でも十分危険な技術よ。」
「分かった。人に見られないようにする。それなのに、剣の練習は村人に見せるのか?」
「デモンストレーションよ。騎士にはある程度の名声、評判と言ったものが大切なの。ルイ。あなたこのオディ川大岩村林道沿いではちょっとした有名人なのよ。」
「俺が有名人。何もしていないぞ。」
「私達が仕込んでおいたわ。」
「何時だ。」
「思い出して。朝餉は馬車宿で必ず取ったでしょ。」
「ああ、ゆっくり時間をかけていた。先を急ぐ旅ではないからだと思っていたが。」
「それに、途中に小さな集落があれば必ず寄っていたでしょ。」
「何か、ちょっとした食糧や物を買っていたようだが。」
「ルイには休んでもらっていたけど、買い忘れがあったからではないのよ。」
「そうなのか。」
「噂というか、情報の収集と流布に勤めていたの。」
「ヴィリー達がそんなことをやっていたのか」
「土地の人の生活ぶりや特産品、必要としているものなどさりげなく聞き出しながら、値切り過ぎることなく適正価格を探る世間話は高度な能力なのよ。」
「俺には出来ないな」
「まあ~、それなりの人生経験が必要ね。」
「ヴィリーにそんな経験があるようには見えないが、」
「見た目があれだから、ご老人なんかがいろいろ世話してくれるわ」
「アンドレは?」
「アンドレはああ見えてイケメンなのよ。おばさん達がほっとかないわ」
「ラフォスは?」
「ラフォスは朗らかで手先が器用だからちょっとしたおもちゃを作ったりして慣れれば子供たちが纏まりついてるの」
「それじゃクリスはどうなんだ」
「私?そうね、私は出ない方が無難かな。」
「どうしてだ」
「だって、世間知らずで向こう見ずな若者がのぼせて面倒なことになるから。ルイだって剣を持っているから村人は近づかないけど、変に打ち解けて村娘がお慕いしていますなんてなったらそれはそれで面倒なことになるわ。」
「そんなこと、なったことが無いぞ」
「まあ、中隊じゃクレマがいたからネ」
「・・・・」
「なに顔を赤くしてるの。クレマに伝説級の騎士にしてくれと頼まれているのよ。まずは帝国の直轄領とはいえ、この辺鄙な森にあなたの令名を広めるところから始めましょ」
「なんだ、計画的なのか」
「用意周到はクレマのおはこヨ。」
・・・・・・・・・
食後の散歩に村の中を見て歩いていた。鎖帷子の背にロングソードを斜めに担ぎながら。建国当初から2,30年前まではこの村が最前線であったという事で道や建物にその名残りがある。今では杣人の村であるが開拓兵の子孫という事で尚武の気運が漂っている。そんな気配を感じながら村の北外れにやってきた。
「大岩と言うよりも岩山だな。」
村の北外れにある空き地の様な開けた場所に立って岩山を見上げる。天辺も左右の端も視界には収まらない。右手の遠く藪が切れたあたりからオディ川に突き出しているという事で微かに渓流の音が風に乗ってくる気がした。
ルイは右肩の上にある柄に手をやりゆっくりと剣を引き揚げる。スッと柄から剣身に手を移し再び剣を抜き揚げる。両手正眼に剣を構えゆっくりと一息する。吐納を終え、右手で剣身を持ち左手で鞘尻を抑え納刀を行う。何度か同じ動作を行った後、肩掛けの剣帯から鞘ごと剣を外すと腰ベルトに付け替える。
左腰の収まり具合を確認しながら、剣の抜きをいろいろ試す。
「ほぼ垂直に下げると一手で剣は抜けるが・・・」
そう独り言ちると剣を構え表の型を一通り振ってみる。
「鞘の縦釣りなら一手で抜けるが抜き終わりに隙ができるし、鞘が邪魔になる・・・・」
あきらめ顔で沈考したあとは、剣帯を外し素振りに汗を流した。
・・・・・・・・
食堂ではルイ達だけが夕食を取っていた。他の客はいない。村の人々はルイ達に遠慮したのか各々の家で食事をして飲みに集まって来ないようだ。
「ルイ、今日はどうだった?」
とクリスが話を振ってくる。
「昨日の午後は、馬車馬の配列を変えて若い灰色鬣に乗馬して馬車を引いてみた。」
「グラ二ね。若い牡馬は元気があって大変だったでしょ。」
「初めて先頭を任されて張り切ったのか少してこずった。」
「馬も騎馭する騎士も新米。なかなかお疲れ様ね。」
「で、初めての山道で時間が掛かってしまい暗闇の中を走ることになった」
「山の夕暮れは瞬く間に暗くなるでしょ。早め早めの対応が必要なのが身に染みたわよね。」
「ラフォスやアンドレがいると言っても緊張したし、焦った。どうにか宿にたどり着いて寝台に倒れ込んで、気が付いたら昼だった。」
「これも、伝説の騎士になるための試練という事で、午後は如何したの?」
「大岩の方の村の外れの野原でロングソードの練習をした。」
「型稽古?」
「ほとんど素振りだったが、剣の抜き方でちょっと落ち込んだ」
「どんな事?」
「僕の身体身長では左腰に縦に剣を佩くとどうにか一手で剣を抜くことは出来るんだけど、どうも抜き終わりに無防備な隙が出来る。」
「成る程、ルイはほとんど私と身長、変わらないものね。」
「クリスはどうだった?」
「そうね、私のナイトソードは二尺八寸でルイのロングソードに比べると細身で二寸も短いからそう言う悩みはなかったわね。」
「二寸は大きいな、それで鞘は邪魔にならなかったのか。」
「ナイトソードは片手長剣だから、邪魔になりそうなときは左手で鞘を操作するし、騎乗時は鞍に付けるから」
「成る程、そうなんだ。」
「とに角、今の剣に慣れるしかないはね。それに、ルイはこれから身長も伸びるしそしたら、今の剣はミドルソードにクラス替えね。」
「まあ、今の剣で工夫するよ。」
「明日は何をするの?」
「ラフォスに付いて鍛冶仕事の手解きを受ける。」
「ヴィリーが鎖帷子の繕いぐらいは出来ないとと言ってるからね。」
「クリスもやったのか」
「私?アハ!私はお姫様だからそこまでは」
「う~ん。それでいいのか。ヴィリー?」
ヴィリーがゆっくりとフォークを置いて答える。
「はい。姫様には刺繍や機織り布染めなどを習って頂きます。」
それを聞いてクリスは顔を顰め、ルイは笑いを堪えるのだった。