夏休み 7月16日 宴の後
中天を過ぎた満月に照らされて、山も谷も銀色に照り返っていた。
結界を抜け出した大小二つの白い影は寝入る20人程の間を音も無く通り抜け、ナンジャモンジャの木の下に立ち止まった。
「ラハトとルキアはここで待っていて」
そう言い残すと、クリスは二頭の子狼を小脇に抱えた。ヴィリーは左手に木刀袋を持ち右脇に子狼を一頭抱える。
「セシル、先導をお願い」
そうひと言発すると後は無言で三つの影が鈍く光る峰道を走り抜けていった。
山の民が龍神の山と呼びクリス達が星屑の湖と呼ぶその湖畔に立つと子狼を下ろし、クリスとヴィリーは貫頭衣を脱ぎすて全裸となり木刀一本を持って湖の中に入る。
ヴィリーが木刀を上段に構えた。
鏡面のような水面に映る満月を一閃する。
月が割れその中にヴィリーが進み入る。クリスがそれに続き瞬く間に二人の姿は水中に消えた。
どれほどの深さを潜ったのか、ヴィリーがそっと腕をあげて停止の合図を送ってきた。
二人は水中に漂い、湖底に目を凝らす。白銀の光に照らされて湖底には、龍が眠っていた。
塒を巻き龍が眠っていた。
暫くその姿を見ていた二人だが、どちらからともなく互いに向き合うと一つ小さく頷いてゆっくりと浮かびあがり始めた。
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セシルは子供たちにおとなしく待つようにと伏せさせて待っていた。
湖面の中央に音もなく二つの頭が浮かび上がり、月影を割りながら岸に近づいて来る。
セシルはホッとした感じで四つ足で立ち上がると子供たちをひと舐めし湖水を飲むように即した。
湖から上がった二人が貫頭衣を着込み濡れた髪を絞る。
二人と四頭はゆっくりと湖畔を歩き峰道に出ると、来た時と同じように子狼を抱え無言で走り始めた。
いつの間にか月は西に傾き、ルキアとラハトの待つナンジャモンジャの木に帰りついたころには夏の早い曙光が東の空を薄緑に変えていた。
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祖霊祭の祭場に戻ると流石にルイ、アンドレ、ラフォスの三人は起きていた。
「ルイ様、アンドレさん達とひと汗かいたら昨日の残りの湖の水でよく体をお洗い下さい。そして、湖には立ち寄らず水汲み場でもう一度沐浴してから水を汲んできてください。姫様と私は馬車で着替えてから少し眠ります。アンドレさんとラフォスさんは山の民が起きたら宴会の後かたずけをお願いします。それでは巳刻の朝餉の時間に会いましょう。」
そうヴィリーが言うと皆が一斉に動きだした。
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「さあ、皆さんルイ様が今朝の若水を汲んできてくださいました。この水で口を漱ぎ顔を洗い、喉を潤してください。その後、朝餉を頂きましょう」
クリスの言葉に山人達が戸惑いながらも二つの水桶の前に集まりだす。アンドレとラフォスが水を汲み与え、ヴィリーとクリスが晒の手巾を手渡してゆく。
朝の身支度が整い、全員そろって朝餉を取り始める。パンとスープと昨夜の残りを温めた簡単な朝餉を済ませると、お茶が供された。
「さて、山の民の皆様。改めて自己紹介をさせて頂きます。私はルイ₌シモン騎士爵の学友でクリス₌フラクシヌスと申します。昨夜は祖霊祭の巫女として、祖霊神に相伴するため皆さまとは宴を共にすることが出来ませんでしたが、改めて皆様と誼を交わしたいと思っております。」
クリスが言葉を切って皆を見渡す。
「ルイ₌シモン騎士爵は学院の夏休みを利用して騎士修行の為、オディ川の上流を探検することを計画されました。その旅の成功を祈念して皆様の月光山で山の神、森の神、祖霊神に祀りを執り行う準備をしていたところ、山の民の皆様とお会いすることが出来ました。」
一同がどうしたものかと言った表情で話を聞いている。
「まずは、皆様に祖霊神の託宣をお伝えします。」
一同が居住まいを正したのを見て
「懐かしき作法に乗っ取った供養を受けてうれしく思う。それを記してこの地に粗庵を設け雪の無い間は毎夜、灯明と神水を供せよ。」
此処で一息つき
「次に、龍神山には神官以外の入山を禁ずる。守護として蒼狼を使わす。委細は騎士禰宜に従え。」
そう言うと、クリスは気絶して崩れ落ちた。ヴィリーがクリスを介抱しながら合図の視線をルイに送る。
内心戸惑いながらルイは思考を巡らし、
「山の民の皆さんとよく話し合いたいと思います。まずはお茶を飲み干し帰り支度を整えてください」
そう言って何とか時間を稼いだ。
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「大工仕事の得意なのは黄砂のジェロさんですね。では、ジェロさんと黒谷のベルさんとアンドレとヴィリーで庵の計画を纏めてください。あとの方はしばらくお待ちください。」
と言うとルイはナンジャモンジャの木へと走り去った。暫くしてルイはセシルとルキアとラハトを連れてきて皆に紹介をする。
「皆さん、私達の友、狼使いのラハトと灰色狼のルキアです。そして蒼色狼のセシルです。」
山の民の人々は初めて見る灰色の大型狼と蒼色狼を見てどよめいた。
「シモン騎士様、友と仰いましたが狼を友と仰るのですか」
「そうです。山に修行に入るにあたってラハトとその友である灰色狼のルキアと蒼色狼のセシルには同行をお願いしていたのですが、祖霊神のご宣託によってセシルとその子供たちは龍神山の麓に残ることになりました。ラハトとルキアは夏の間は私達と行動を共にしますが、ルキアは時々セシルたちの様子を見に来るかもしれませんので皆さんに引き合わせることにしました。」
そう言うとルイは二頭の頭を撫でた。そこへラハトが何か耳打ちをする。
「ラハトが言うには、狼たちは野生の鹿などを獲って集落には近づかないようにするが、野生の山羊と皆さんの家畜の山羊の見分けがつかないと言っております。」
山の民たちが成る程それは困ったと顔を寄せ合った。
「すべての山羊にベルをつけるわけではないので、何か目印になる物はないかと考えました。」
そう言うとルイは自分の鎖帷子の左袖と肩口の繋ぎ目の革紐を解き左袖を引き抜いた。
「七つの集落でこの鎖帷子の袖を分けてください。分けた鎖を牧童の杖にまきつけて放牧をして下さい。そうすればこの鎖の匂いのする放牧地にはルキア達は近づかないと言っております。」
「そうですか。夏の間はそれぞれの集落が山羊を纏めて放牧します。多くて50頭ほどの群れですので鎖一つで守られるのなら助かります。ところでシモン騎士様は狼と話ができるので」
「私が出来のではありません。このラハトが狼の言葉を解します。もし、何か問題がある時はこのラハトと灰色狼のルキアを使わすこたがあるかもしれません。どうかお見知りおきを」
そう言うとラハトの背を押し一歩前に押し出した。ラハトはお辞儀をすると、
「ラハトと申します。よろしくお願いします。」
と大きな声で挨拶をした。
「そろそろ、祖霊庵の話が纏まったようです。アンドレ説明を」
「はい、ルイ様それではご説明申し上げます。まず、方丈の祖霊庵を建てます。山の上の風雪に耐える頑丈な板造りにします。庵の中は祭壇と礼拝用の板の間にします。今年は祭壇のお世話をする巫女の庵は苫造りとして簡易に作ります。来年は本格的に作ろうという事になりました。今年はヴィリーさんが冬ごもりまでの3か月程を巫女として過ごされるという事でそれでよいとのことです。」
「成る程、それで祖霊庵に使う木材は如何しますか」
「それは、主要な柱などは大工仕事が得意な黄砂のジェロ殿に心当たりがあるそうです。その他の板などはクリス様が第五中隊と交渉して用意してくださる算段です。」
「なるほど、それで作業の段取りは」
「材料をここに運び込んでもらえればジェロ殿がこの地で鉋掛けや鑿入れなどをして下さるそうです。」
「建材の選定と荷揚げは如何しますか。」
「シモン騎士様」
「どうしました、黒谷のベルさん」
「恐れ入ります。主要な建材の運び込みなどは私達山の民が黄砂のジェロを手伝って行います。どうか、シモン騎士様は修行にお戻りください。」
「お気遣いありがとうございます。そういうこ事でしたら、そうですね。ジェロさん、作業日程などはどのようにお考えですか。」
「はい、騎士様。ひと月あれば棟上げが出来ると思います。」
「では、ひと月後の満月の日に棟上げ式を行いましょう。必要なものがあれば用意しますのでそうですね。ジェロさんこの後、第五中隊宿舎までご一緒下さい。」
「畏まりました。シモン騎士様。それではこれで一度それぞれの家に戻り、家族や集落の者に話をし、道具などを揃えましょう」
「では、皆さんひと月後またお会いしましょう。」
そう告げると山の民は月光山を下りて行った。
「ジェロさん、私達も参りましょう。ラフォスとヴィリーは後始末をしたら馬車で来てください。私達は先に中隊宿舎まで駆け下ります。」
そう告げると、ルイはロングソードを背に担ぎ短靴に十字脚絆を締め直し、ケトルハットのヘルメットを被ると滑るように山を駆け下りていった。
人気のなくなった祭場にヴィリーが一人立ち、木刀を構えている。
呼吸を図り、真横に木刀を振るうと木刀袋に納刀する。
ヴィリーは祭場中央の依り石に歩み寄るとそっと石の上部を掴み上げる。
まるで茶碗の蓋を持ち上げるように手のひらほどの石片が持ち上がる。
後には、磨き上げた様に滑らかで水平な石面が光っていた。