夏休み 7月15日 祖霊祭
山が目覚める気配に、ルイは朦朧としながらも 意識をあたりに向ける。
「起きたか」
ラフォスが埋火を熾しながら声を掛けてきた。力の乗らない声で、はいと返事をしながらどうにか身体を起こす。
「直に明るくなる、少し体を動かそうか」
とラフォスが立ち上がる様子に、ルイも冷えた体をなんとか引き揚げる。
顔を洗い終えたところにヴィリーがやってきて
「ルイ様。今日は一日これをお召し下さい」
そう言うと鎖帷子と二巻きの布を差し出した。
「これは?鎖帷子は分かりますが包帯ですか?」
「黄麻で織ったこの布を脚絆として巻いてください。」
「レギンスのようなものですか」
「そうです。ラフォスに巻き方を習ってください。それから今日から剣の一人稽古をして頂きます。」
「剣と言われましても、我流のダガーとクリスに許された木刀しか知りませんが」
「姫様から伺っております。そこで、ロングソードをご用意しました。
今様の物ではなく、古いものですのでが、ルイ様の身長に見合ったものだと思います。」
「あ、ありがとうございます。しかし俺・・僕はほとんどロングソードを見たこともありません。使い方など分からないのですが、」
「承知しております。その他の剣は追々親しんでいただきますが、騎士爵と言えばロングソードです。しかし、実際には儀礼式にて目にするのみ。全身金属鎧着用時の実戦時のみ、使われると思いますが、何事も日頃の心掛けが大切です。身体づくりも兼ねて、今日からご精進ください。」
そう言い残すと、ヴィリーはラフォスに一振りの剣を預けて去って行った。
・・・・・・
「これが、ロングソードですか」
「ちょっと、抜いてみろ」
そう気安く言うとラフォスが鞘ごと渡してきた。
「意外と重いです」
「そうだな。今様の細長い剣ではなく、随分古い造りだな。どれ、かしてみろ」
そう言うと、抜身の剣を受け取りラフォスは丹念に剣を見つめる。
「剣身は三尺か。今様のロングソードと比べるとやや短いが、重ね厚く、身幅も広い。切っ先は単純な正三角にして菱形断面だが掻き流し樋が鍔元8寸ほどに入っている。鍛造づくりの柾目が美しい。重量も三斤に近い。古いが豪壮な造りだな。グリップ中央にくびれはないので、布か革を巻いて握りを工夫する必要があるか。成る程、鍔元樋の長さだけ刃引きにしてあるのはルイの体格に合わせてか」
そう独り言のように呟くと
「良いものだ。古いが頑丈な造りだ。切れ味鋭いから気を付けて使えよ。」
切っ先を返し柄を向けて剣を返してくれた。
「ちょっと振ってみろ」
ラフォスに促されて構えてみる。
中段から引き揚げ振り下ろす。
「以外に振りやすいだろう。重さがあるのでバランスが手元に寄せてある。身長が伸びて身体が出来上がってきたら好みに合わせて柄頭や十字鍔を変えて、重心を移動させることも出来るが、今はひとまずヴィリーが合わせてくれたままで使え。振り抜き感が甘いので剣先の制御が難しい。上手くいかなくて当たり前だが手先や腕で細工するな。五業拳の体捌きで使え。表刃と裏刃を持つのが剣だ。その事をよく考えて工夫することだな。クリス様に五業拳を叩きこまれているから俺からいう事は無い。あ~、剣の手入れの仕方は飯の後にでも教えるよ。」
そう言うと馬車の方に歩きながら振り返って、
「今は裸足の下着姿で野天の稽古場で剣を振れ。一刻ほどしたら見に来る」
そう言い残すと歩き去って行った。
・・・・・・
方丈ほどの野天の稽古場は草や小石が丁寧に取り除かれ耕されていた。その中央に立ち、ルイはロングソードを振る。丁寧に五業拳の運足、体捌きを忠実に行いながら長剣の振りを工夫していた。
「剣には剣の事情というものがある。相手の了承も得ずに振り回しても得心の行く振りが出現するものではない」
そう言いながらラフォスが声を掛けてきた。
「もっとも、いつも俺が言われていることだがな、試しにこれを振ってみろ」
そう言うと、ラフォスの木刀大薙刀を指し示した。ルイはゆっくりと剣を鞘に納めると方丈の外の草の上に丁寧に置き、薙刀を受け取った。
「五斤はある。木材で五斤の重さを得るために薙刀部分は大ぶりに作られている柄も若干太めだ。」
そう言いながら手渡してくれた薙刀を構えてみる。重い。そして長柄が邪魔だ。身体に当たる。
「どうだ、剣に比べ振りにくいだろう。それがこの薙刀の事情と言うものだ。」
成る程とルイは、思う。剣には剣の事情があるのか。
「剣の事情を邪魔せずに素直に振れ。ただし、五業拳の体捌きでだ。」
暫く、ルイの一人稽古を見ていたラフォスが、
「今日はここまでとしておこう。こっちにきて汗を拭け」
そう言うと手巾を投げてよこした。
「今日は暑くなりそうだ。その下着に鎖帷子とこの十字脚絆で水を汲んできたら飯にしよう。」
ラフォスに鎖帷子と脚絆を巻いてもらい天秤桶を担いで峰の道を行く。ふと立ち止まる。天は秋に入ったが地上はこれからが暑さの盛りだと思う。蒼緑滴る山々を見やり一つ深く息を吐くと、再びルイは星屑の湖へと歩き出した。
・・・・・・
朝餉のあとの食休み、紅茶を飲みながらルイは何気なく疑問を口にした。
「・・ロングソードがあるならショートソードもあるはず・・・」
それを聞いたアンドレとラフォスが茶器を下ろした。ヴィリーが顔をあげ
「ルイ様、原初、剣しかございませんでした。それは石でできた諸刃の握り拳ほどのものであったろうと伝えられております。時が経ち何時しか金属で剣が作られるようになりました。更に時が流れ今の様に鋼から様々な剣や刀、武器が作られるようになりました。悠久の時の流れの中で剣に己の人生を託すものが現れました。武人と呼ばれています。」
ヴィリーは、ひと口紅茶を啜り息を吐いた。
「武人にとって、自分の為に創造られたと言える剣に巡り合うことは稀有な出来事です。まず、在り得ないことです。ならばどうすればよいのでしょう。ルイ様お判りになりますか?」
そう問われて、ルイは困惑した。単にロングならショートだろうと思っただけなのに、
「ルイ様、無いならしょうがありません。ならば、剣に自分を合わせるだけです」
「・・・・」
ルイは無言でいるしかなかった。
「そうは言っても、すべての人が武人である訳ではございません。そこでロングとは、ひと手では鞘から抜くことが出来ない長さの刀を大刀・野太刀と呼びます。因みに2尺以上で一手で抜くことが出来る刀の事を中太刀、1尺から2尺を小太刀、1尺以下を短刀、剣ならばダガードと便宜上言い倣わされています。古法での骨度法に基づく注文造りの慣習が帝国風に改変されて1尺は30㌢と今様ではなっております。」
そうヴィリーが言い終えると、アンドレとラフォスは食器を片付け始めた。
「ルイ様、今日は十五夜です。夏至のあとの最初の満月です。夕刻から祖霊祭を執り行いますので、ルイ様は湖から水を汲んで来て下さい。その水で野天の稽古場を祭場として清めます。」
日中、黙々と湖と野天の稽古場とを行き交うルイの姿があった。
・・・・・・・・・・
帝国時間ならば16時は回ったなと、思いながらルイは天秤桶から祭事場脇の水瓶に水を移し終えた。野宿場の方から声が掛かる。
「ルイ、ご苦労様です。遅くなりましたがお茶にしましょう。」
クリスの声だ。と、声のする方を見やれば人だかりがあった。
訝しく思いながらも、被っていた鎖帷子のフードを脱ぎ背に垂らしながら歩き始めると、人だかりの一団の中の一人が地に両膝を付き合掌した。近づいてみると老人が涙を流している。
「クリス、これはどういう事だろう」
戸惑いながらルイは問いかけてみる。
「それは分からいけど、いつまでもご老人を跪かせているわけにはいかないでしょう。」
「それもそうだ。ご老人どうかお立ち下さい。さあ、こちらの椅子にお座りください。」
と、近くにあった簡易椅子を引き寄せると老人の肩を抱きかかえながら座らせる。ヴィリーが淹れた紅茶のカップを差し渡し、飲むようにと勧める。
「クリス、この方たちは?」
「この山々で暮らされている方々です。この方たちは自分たちの事を単に山の民と仰っていますが詳しい事はまだ聞いていない。ここへ来る途中の山道で一緒になっただけなので、」
その話を聞いてか、一人の壮年の男がルイの前に歩み出て一揖する。
「貴き騎士様、私どもはこの奥山の山々で暮らす山の民です。」
「杣人ですか?」
「いいえ、遠い昔よりこの山々に住み着いた一族です。杣仕事も手伝いますが、主に薬草取りや山羊の飼育、狩猟をしております。」
「そうですか、その山の民の方々がここにいらしたのは、どういうわけですか」
「はい、貴き騎士様。・・・」
「あの、あなたのお名前をお聞きしてよろしいですか」
「はい。私は黒谷のベルともうします。」
「ベルさんとお呼びしていいですか」
「もちろんです。」
「それでは、ベルさん。私はルイ₌シモンと言います。」
「はい。貴い騎士様」
「それで、お願いがあるのですが。貴い騎士様と呼ぶのはやめてていただけませんか」
「はい。騎士様。それでは偉大なる騎士様。」
「それもやめてください。」
「では、なんとお呼びすればよろしいのですか。崇高なる騎士様」
「ルイとお呼びください。」
「それは・・・。恐れ多い。」
「いえ、ルイでお願いします。」
「しかし、とてもそのような不遜な事は」
横からクリスが、目で(話が進まないから)と
「ルイ₌シモン騎士でお願いします」と助け船をだす。
「で、では、シモン騎士様でお許しください。これ以上は譲れません。」
「分かりました。ベルさんそれでお願します。」
「はい。シモン騎士様。私ども山の民は、夏至の後の最初の満月の夜にこの月光山の上で龍神山の神に贄を捧げて祭るのです。」
「満月の夜に月を祭るならばわかりますが、何故に隣の山、龍神山ですか?その山の神を祭るのですか。何故、直接、龍神山で祭り事を行わないのですか」
「それは、龍神山には何人たりとも立ち入ってはいけないという掟があるからです。」
「それは困りました。」
「如何なされたので」
「ベルさん、私は今日5回ほど龍神山に入って、湖の水を汲んでしまいました」
山人たちは突然、地にひれ伏してしまった。
「皆さんどうかしたのですか」
「神なる騎士様」
「ルイ₌シモンです。」
「シモン騎士様それで、龍神は龍神の祟りは・・・」
「う~ん、まだ何も起きてませんね」
と言いながらルイはヴィリーを見た。ヴィリーはメイドらしく慎ましやかに目を伏せている。アンドレとラフォスは従者らしく神妙に立っている。クリスだけが面白さをこらえるように目を輝かせてこちらを見ていた。
「これから何かあるかあるかもしれませんね。どうしたものでしょうか?クリス。」
「まあ、神罰が下ったらしょうがありません。その時はその時ですが、何故高貴なる騎士様は龍神の湖へ水を汲みに行ったのかしら?」
「それは、今夜、祖霊祭を行うための準備の為です。」
「祖霊祭。成る程、今夜は夏至祭の後の初めての満月でしたね。アンドレ、準備は出来ていますか」
「はい。姫様。順調に進んでおりましたが、この事態で些か遅れが予想されます。」
「そうですか。ヴィリー、どうすれば間に合いますか」
「山の民の方々に手伝ってもらえれば十分間に合います。」
「偉大なる騎士様から山の民の皆様にお手伝い、いいえ、ご一緒に祭事を執り行えないかご下問くださいませんか。」
クリスは楽しんでいるなと思いながら、
「では、ベルさん。いかがでしょう。私達と一緒に満月の祭りを行っていただけませんか。」
「恐れ入ります。私どもは山羊を一匹屠って、酒を飲むだけで、これといった行事は無いのですが、シモン騎士様のお邪魔にはならないでしょうか」
「その点は、大丈夫でしょう。アンドレさんの指示に従ってください。今夜は皆さんとご一緒に満月の夜の祖霊祭を執り行いましょう」
・・・・・・
湖の水が撒かれ湿った方丈の土を男たちが踏み固める。十分に踏み固められた方丈の中央でラフォスが四股を踏む。それを見てルイがクリスに小声で聞く。
「ラフォスは何をやっているんですか?」
「四股を踏んでいるんですよ。」
「何のために?」
「邪気を払い、天と地の気を通しているんですよ。」
「踏み固めているんですか?」
「踏み下ろし踏みしめているように見えて、そうではないのです。いずれ震脚を伝授されれば理解できます。それよりも次はルイの出番ですよ。」
「えっ?何をするのですか?」
「大剣をもって妖を切り払って下さい。」
「ロングソードでですか?」
「そうです。」
「どうすればいいのか分かりませんが」
「五業剣の型を一通り披露してください。」
ルイは覚悟を決め、剣を抜き鞘をラフォスに渡すと方丈の中入っていった。
・・・・・・・
山の民によって踏み固められ、ラフォスとルイの剣によって祓い清められた方丈の中央に一抱え程の岩が据え置かれ、方丈の土地の四隅には長い木の枝が差し立てられいた。
「クリス、四隅に立てた木の枝に細縄を張って、ぐるりと四角く耕した土地を囲ったのには何か訳があるのか」
ルイが小声できいてきた。
「祖霊神が依る岩の周りに他の者が迷い込まないようにしているのです。」
「本当に祖霊神がやってくるのか。」
「古い言い伝えですが、信じているものは多いです。」
「クリスも信じているのか」
「見えない者は信じるしかないですが、見える者は信じる必要がないでしょう。」
「・・・つまりどういうことだ。」
「信じているか、信じていないかと問われれば、信じていないと答えるという事です。そんなことより依り岩と四隅の枝に湖の水を掛けるのは貴い騎士様の役目です。」
洗い清められているので水を掛けるだけの所作をしてルイが結界の外に出るとアンドレ達が入れ代わりに白木の食机や台子を運び込む。いつの間にか白い貫頭衣に着替えたクリスとヴィリーが台子の上に貫頭衣を置き食机の上に酒や料理を並べ終えた頃には酉の刻を過ぎていた。
「満月も出ました。祭事も滞りなく終わりましたので皆さん祖霊神と共にご馳走を頂きましょう」
ルイの挨拶で宴が始まった。
山の民たちはルイに頻りに酒を勧めてきたが、修行中という事で酒は断った。ならば奥方様にとクリスにも酒を勧めてきたが、巫女なので奥方ではないと丁寧にお断りをした。ならば、従者の方にと言うのでアンドレとラフォスがルイの許しを得て主人の代わりにと酒を受けた。
ルイは山の民の用意した山羊の料理を堪能した。
ヴィリーとクリスは祖霊神のお側にと結界の中に入り食事は口にせず山の民とルイ達の宴の様子を見守っていた。
何時しか、月も中天を過ぎ、飲み疲れ、食べ疲れ、歌い疲れ、踊りつかれた人々は深い眠りについていた。
久々の投稿ですが、投稿の仕方が分からなくて手間取りました。