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星に少女を想う死神  作者: 実
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 海へ彼女と同行することの許可を彼女の母親から得てから二日後、僕は彼女について行きながら海を目指した。話が決まってから彼女は外出許可を病院からすぐに得た。僕はその日のうちにでも海に行きたかったけれど、彼女は準備が必要だと言って、結局この日まで僕は待つことになった。彼女は彼女の母親と一緒に服を買いに出かけたりしていて、彼女は気付いていなかったのだろうけれど、僕はずっと彼女について回っていた。いや、ついて回らざるを得なかったのだ。死神に課せられた決まりによって。

 今日は病院から海を目指すことになった。彼女は病院で着ている服とはかなり違ったものを身に纏っていた。彼女はやたら人間が蠢く空間に僕を連れて行き、一体何をさせるつもりなのかと思っていたけれど、どうやら電車という乗り物に僕を乗せたいようだった。乗り物など、物理的な物体に接触するためには具現化する必要がある。僕は可視化に上乗せして具現化まで行った。

「はい、ここの券売機で切符を買って」

 彼女は人間の文字が浮かぶパネルに僕を誘導し上方を指差して、やたらと文字の並んだ長方形の板に視線を巡らせた。

「なるほど、それくらいの値段なんだー」

 彼女は僕を導きながらパネルを押させた。

「死神さんだと、高校生料金かな」

「ねぇ、今だけ僕が姿を消せば君がお金を支払う必要はなくなると思うんだけれど。人間にとって生活に必須なお金は手元に置いておきたいものなんじゃないの?」

「ありがとう。でも、それだとズルになっちゃうから」

「ズル……?」

「よくないって意味だよ」

 彼女は説明しながらも覚束ない僕の手に自分のを重ねて補助した。なんとも器用だ。そして、彼女の手は暖かい。

「……あれ? 私、今死神さんに触れてる?」

「……あぁ、そうだった。君にはこのことも説明していなかったね。僕は生き物や物に触れることができるんだけれど、僕が何かに触れようとしたり触れたりしている際、僕は人間にとって具現化した存在になる。つまり、人間も僕に触れることが可能になるんだ」

「……私、死神さんについてまだ何にも知らないね」

 彼女はパネル操作を終えて券売機から出てきた切符を僕に渡した。それから彼女は見慣れない機械が並んでいる間を通って行った。僕は切符を手に握りしめたままその機械を通り過ぎようとした。

 ピコン!

 けれど、何故か突然現れた二枚の板に道を阻まれた。

「死神さん、切符! 改札に入れないと!」

「どうやって?」

「……すみません、あの子に改札を通らせてあげていいですか?」

 彼女はこの空間における職員らしき人物、のちに駅員さんというのだと教わった、に話しかけ、僕が改札を通る手助けをするように懇願していた。そして、その駅員さんのおかげで僕は無事に改札を抜けることが出来た。

「ほら、お礼!」

「お礼? ありがとう?」

「ありがとうございました、でしょ!」

「ありがとう、ございました」

 彼女が駅員さんに向かって腰を折るのを見て、僕もそれに倣った。駅員さんは笑顔で「どういたしまして」と言った。

 僕と彼女はしばらくの間、駅のホームなるところで電車が来るのを待っていた。僕は彼女が何故自分ではなく駅員さんに僕が改札を通るのを手伝わせたのか訊ねると、彼女は一度改札を抜けるともう戻れないのだと教えてくれた。僕はまた彼女から新しく学んだ。

 しばらくすると電車が耳を貫くような音を鳴らしながらすごい勢いでやって来た。こんなにも速い乗り物の中で、まばらに人が座っていた。誰もが平然としている。

「今日は平日だから、人が少ないね」

 彼女はそう言って、いくつもの扉が開いたうちの一つをくぐって電車に乗り込んだ。僕も後に続いた。僕たちは隣り合って座席に座った。再び電車が動き出すと、窓の向こうの景色が流れて行った。外から電車を見たときのスピード感が嘘のように、車内では多少揺れるくらいで基本的に平穏だった。しばらくの間僕は窓の外の風景を眺めていた。すると、彼女は僕に訊いてきた。

「ねぇ、そういえば死神さんって、私が眠った後、どうしてるの?」

「君が眠った後は、病院の屋上で星を見上げながら眠っているよ」

「死神さんでも眠るんだ」

「うん」

「星を見上げるのはどうして?」

「綺麗だと思うからだよ」

「……」

 彼女は少し驚いたような表情を浮かべた。

「何?」

「あ、いや、死神さんって……やっぱりなんでもない」

 彼女は何を躊躇ったのか、言葉の続きを切り上げた。

「そういえば、死神さんって私と話していない間、どこかに行かないの? 今日の海だって死神さんなら一人でも行けたんじゃ……」

 彼女が疑問を呈した。

「海のある場所を知らないし、そもそも君と契約した時点で僕は君の側にしかいられないんだ」

「え……」

 僕が答えると、彼女はまたも驚いた様子で僕を見つめた。

「ごめんなさい。私、知らなくて……」

「どうして君が謝るの? 僕はそのことを理解した上で君と契約したよ?」

「そう、だけれど……」

 彼女は今日初めて見せる表情をした。

「どのくらいの範囲で、死神さんは活動できるの?」

「うーん……正確には分からないけれど、ちょうど病院の敷地くらいかな」

「そんなに、狭いんだ……」

「確かに窮屈ではあるけれど、君から何かを教わるのを面白く感じているから、あまり気にしていないよ」

 僕がそう言うと、彼女は僕を見つめた。

「……そう言ってもらえて、嬉しい」

 また、嬉しいという言葉を耳にした。僕もいつか、嬉しいという気持ちがどういったものなのか分かるときが来るのだろうか。


 僕と彼女は電車を数回乗り換えた。何故か途中から人が雪崩のように電車に乗り込んできた。しかも、そのどれもが彼女と同年代に見えた。彼女に訊くと、夏休みは彼女と同じ学生が色々なところに遊びに行くために電車を利用する人も多いのだと答えた。では何故最初に乗った電車のときに車内が空いていることに納得したのかを訊くと、彼女は顔を赤くしながら「今が夏休みなのを忘れてたから」と小さく言った。僕には散々夏休みだから毎日お見舞いに来ている小学生時代の同級生だと叩き込んでいたはずだったが。

最後に降りた駅から数十分歩いた。歩いている途中で海が見えてきて彼女ははしゃいだ。僕は雑誌で見たよりも大きくて広くて迫力のある海にしばしの間言葉を失った。僕は海に見惚れながらも彼女に続くと、いつのまにかアスファルトだった地面が砂地に変わっていた。非常に歩きにくい。それにしても、ここでは人間の数が計り知れない。

「砂浜に到着!」

「砂浜……」

「やっぱり人がいっぱいだなぁ。流石、夏休みだね!」

「さっきは夏休みのことを忘れていたけれどね」

「……死神さんって、ちょっといじわる」

 彼女は頬を膨らませて僕から顔を背けた。

「あの、その表情をするときって、どういう感情なの?」

「……ふふ。悪気がなくてそういうことを言うの、どうかと思うよ。今のはちょっとムッとしただけ」

「ムッとした?」

「ちょっと怒ったって意味。はい! もう楽しくない話題は終わり! 早く海に」

「ごめんなさい」

「……え?」

 僕が謝罪すると、彼女の周辺だけ時が止まったかのように彼女の動きが静止した。その反応からするに、僕は間違った作法を施してしまったらしい。

「……あれ? 他人を不快にさせたときに使う言葉って、ごめんなさいじゃなかったっけ?」

「……いや、合ってる、けれど。ちょっとびっくりしちゃって」

「君が急に止まっちゃったから、僕が間違えたのかと思ったよ」

 彼女は「ごめんごめん」と頭を掻いた。人間には実に様々な仕草がある。

「さて、じゃあ、波打ち際まで行こっか!」

「そうだね」

 人間の波をかき分けて、僕と彼女は無限に広がっているように見える青い海に近づいて行った。所々海の表面で光っているものは何かと彼女に訊くと、それは海が反射している太陽の光だと言った。なんて綺麗なんだろうか。まるで現実感のない、幻想的な光景だ。

 波打ち際まで来ると、砂と海水が領地を争うように各々が押し合っているように見えた。

「ねぇ、海に足をつけてみなよ」

「足を? そういえば、周りの人間は裸になって海に潜っているね。自分たちが口に入れる塩が自分たちの垢で汚れることを気にしないのかな?」

「……死神さん、すっごくデリカシーがない」

「デリカシー?」

「おりゃっ!」

「わっ、ちょっと……」

 僕は突然彼女に背中を押された。バランスを保とうと右足を海の方へ踏み出したことで、僕の右足は海水に浸かった。

「うわぁ、冷たい……冷たいよ、これ。それに、グラグラする……」

 僕が海水の冷たさと力強さに驚いていると、彼女は海に浸からずに砂浜でケタケタとお腹を抱えて笑っていた。

「死神さんの顔……焦ってる、初めて見た! きゃははは!」

 よくわからないけれど、何だかムカムカしてきた。もしかして、彼女が先程口にした怒りという感情に僕は今陥っているのだろうか。

「……あ、死神さん。もしかして、怒った?」

 彼女の表情は笑顔から真顔に変わった。

「……もしかしたら、ね」

「ごめんなさい。そういうつもりじゃ……」

「いや。僕もさっき君を怒らせてしまったみたいだし、この場合おあいこなんじゃないのかな?」

「……死神さん、紳士だね」

 彼女は微笑んだ。なんとなく、先程の真顔より、笑顔の方が彼女に似合う気がした。

「それより、君も海に浸かったら?」

「……うん」

 彼女は恐る恐るといった様子で足を海水に浸した。彼女は過去に海に入ったらしいけれど、そんな彼女でさえ海に入るときには未だにある程度心の準備がいるらしい。それほど、海は偉大であることを人間は理解しているのだろう。

「きゃーっ! 冷たい!」

「うん。君のリアクションはいつも大げさだと思っていたけれど、そうでもないらしいことが今分かったよ」

「……死神さんは一言多いよね」

 彼女は目を細めながらこちらを凝視した。もしかすると、これを睨んでいると表現するのかもしれない。

 バシャッ。彼女の方から海水が飛び散ってきた。

「……濡れたんだけれど」

「すでに濡れてるじゃん」

「じゃなくて、顔にも海水が。わざとだよね?」

 彼女が手で海水を押し上げて僕に飛ばしてきたのをこの目でしっかりと見ていた。確実に故意だった。

「お返ししようか?」

「うわぁ、死神さんは私の死期を早めようとしてるの? 私が濡れて風邪引いて早く命を奪い取っていく気なんだぁ。それってズルなんじゃないのぉ?」

 彼女は妙にトーンの上がった声を発しながら首を傾げた。

「君の方こそ、僕に反撃させないように御託を並べて、ズルなんじゃないの?」

 バシャッ、バシャッ。彼女は容赦なく僕に海水をばら撒いてくる。

「あははは」

「全く。僕はいつだって海水がかからないようにできるんだからね」

 今具現化の状態を解けば、足元に広がる海水も、彼女からの攻撃も全て透けた僕の脅威となることはなくなるのだ。

「ごめんごめん。ちょっとはしゃいじゃった。ねぇ、ちょっと休憩しない? あそこにかき氷屋さんがあるから、食べようよ」

 彼女が指を指した方向には何人か並んでいる屋台があった。僕は彼女の言葉に頷いて、海を出た。数分屋台に並んだ後、僕たちはかき氷を入手した。僕は彼女がメジャーだと言った苺のシロップとやらをかけたかき氷を選び、彼女はブルーハワイのシロップなるものがトッピングされたかき氷を店員さんに頼んだ。

 屋台前にいくつかの椅子で囲まれたパラソル付きのテーブルが並べられてあったけれど、すでに何人もの人間によって占拠されていた。代わりとして、彼女が持参していたレジャーシートを砂浜の上に広げて、僕と彼女はそこに座ってかき氷を食べることにした。

「うーん! やっぱり美味しい!」

「食事制限とかはないんだね」

「今のところはね。でも、もうすぐしたら病院が用意したものしか食べれなくなると思う」

「そうなんだ」

「それより、早く食べなよ。美味しいよ!」

 僕は氷の欠片が積もった頂上がピンクで染まっているのを見て、正直あまり食欲がわかなかった。けれど、折角彼女がお金を出して買ったものだから、食べることにした。

「こういうときは、いただきますって言うんだよ」

「……いただきます」

 僕はスプーンで氷を掬って口に運んだ。

「……美味しい」

「でしょー?」

 彼女は自分が作ったわけでもないのに胸を張った。得意げになる、という言葉がこの場合彼女に合っているのだろう。

 引き続きかき氷を食べていると、彼女は僕に言った。

「新しいことを体験したり知るって、楽しいでしょ?」

 楽しい、か。

「あ、楽しいって、よくわからないんだっけ?」

「いいや。今、分かったよ。多分、僕は今、楽しいんだと思う」

「…………そっか。それならよかった」

 彼女はまた微笑んだ。病室で雑誌をめくっているときよりも、生き生きとしている笑顔のように見えた。

 かき氷を尚もパクパクと食べていると、突然頭痛が走った。

「っ……」

 思わず頭を押さえると、彼女は驚いたようだった。

「だ、大丈夫? どうしたの?」

 彼女は僕の背中に手を当てた。やっぱり彼女の手は暖かい。

「わからないけれど、急に頭痛が……」

「……あ、まさかそれって」

 彼女は僕が今陥ってる状態に心当たりがあるのか、思い当たったかのようにハッとした。

「かき氷のような冷たい食べ物は一気に食べると頭痛がするんだよ。確か、脳の血管が収縮して痛みを感じるとか。まさか死神さんが人間と同じように頭痛がするとは思わなかった。それにしても、ぷふっ」

 そういうことは食べる前から言っておいてほしかった。冷たい食べ物、怖い。

「あはははは」

「……君は他人の不幸が好きなの?」

 死神の僕が言うのもなんだけれど。

「違う、ごめんごめん。だって、急に頭を押さえ出したからどうしたのかと思ったら、急いでかき氷を食べたからって、ちょっとマヌケだったから。あはははは」

 ……人間とは、かなり嫌な生き物なのだろうか。それとも、彼女が嫌な人間なのだろうか。

「はぁ、おっかし。あむっ……んんっ、やだっ! 私も頭痛くなっちゃった! いったーい!」

 彼女は僕と同じ頭痛を患ったらしく、頭を押さえた。

「嘘、どうして……私、ペース考えながら食べてたのに!」

「神はどうやら死神に微笑んだらしい」

「……くっそー、皮肉だぁ! って言っても、死神さんも苦しんでたけれどね」

 彼女は、病人とは思えないほど元気だ。けれど、確かに彼女の命は小さいはずだ。人間の病気は、死の間際に脅威になるのだろうか。


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