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星に少女を想う死神  作者: 実
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 彼女と契約を交わしてから三日が経った。彼女が僕との契約の際に掲げた条件通り、僕は彼女の話し相手に勤めた。死神は基本的に人間から恐れられる存在だという予備知識が生まれたときから備わっていたのだけれど、その事実を疑いたくなるほど彼女が僕に警戒している様子が見受けられなかった。精々、初対面のときに彼女が僕を訝しがっていたことがそのマニュアルに当てはまっていたくらいだ。僕は各人によって死神に抱く印象に差があるのだな、と興味深く思った。

 この三日間で、僕は当たり前のことを再確認できた。彼女は病人であるため、基本的に一日中病室のベッドの上で過ごしているということだ。彼女は僕がいない間は人間の文字が連ねられた書物を読み、僕が訪れれば僕との会話に時間を割く。たまに、彼女は書物に視線を滑らせながら僕と会話するという高等技術を披露した。もう一つ、これは僕が知らなかったことで確認できたことがある。それは、彼女は人間の医者から余命宣告をされているものの、まだ外出は可能であるということ。病院の外に設けられている大きな庭や屋上、患者同士が言葉を交わすための広場など、彼女は現段階で自分の病室以外の環境に身を投じることが可能であるということだ。つまり、予測不可能な事態に巻き込まれない限り、僕が彼女から命を頂くのはもう少し先の話になる。彼女が事故に遭うかなど、僕のような死神には予見できない。あくまで僕が見れるのは、その人間の健康や寿命に左右された命の状態なのだ。事故を予見できたり恣意的に人間の命を操作できるのは、ある程度死神として生きたいわゆるマスターのような存在だけだ。

 彼女は僕との会話で、しきりに病室の外の世界の話をする。現に、今彼女は「世界」というタイトルの書物を読んでいる。ベッドの上の彼女には笑顔の種類がいくつかあるけれど、彼女が本を読む際に見せる笑顔は、決まって今のようなものだ。

「何を読んでいるの?」

 僕が訊くと、彼女は書物から僕に視線を移した。

「世界中の国や絶景が載ってある雑誌だよ」

「雑誌……昨日君が読んでいた専門雑誌と同じ?」

「うん! 特にこの海のページがたまらないんだ! 何度か行ったことがあるけれど、病気になってからは一度も行ってないから」

「行きたいなら、今からでも行けばいいじゃないか。まだ外出できるほどの体力はあるんだよね?」

 僕が提案すると、彼女は雑誌を読んでいたときに近い、けれど少し違った笑顔を見せて言った。

「……私、知り合いがいないから。私の家族は忙しいから連れて行けなんて言えないし、かと言って一人で行くのは周りの人たちが心配するだろうし」

 彼女は再び雑誌に視線を戻して先程までとは違うページをめくった。

「ねぇ、海って、何?」

 僕が訊くと、彼女は目を見開きながら僕を見た。客人用の椅子に座っている僕の目線と彼女の目線は結べばちょうど一直線になる。それ故に彼女の目力がひしひしと僕に伝わってきた。

「死神さん、海を知らないの?」

 彼女は目も口も大きく開いている。この三日間で彼女から教わったことは多いけれど、彼女は僕がそれを知らないことを当然のように受け入れて丁寧に説明してくれた。今回の反応を見るに、この世に存在する生き物たちならば海という存在を認知していることは当然だという価値観が彼女には備わっていたらしい。

「うん。少なくとも、僕は見たことも聞いたこともない」

「……他の死神さんから聞いたことはないの?」

「僕、生まれてから僕と同じ死神に会ったことがないんだ。あったのは、自分が生きるための予備知識と、人間の命を欲する食欲だけ。きっとそれ以外に知識がないのは、死神にとって必要のないものだと世界が決めたからだろうね」

 僕は彼女の手にある雑誌の表紙を見つめながら言った。

「他の死神さんとは会ったことがない……それって、寂しくないの?」

 彼女は少し顔を歪めながら僕を見つめた。人間の表情にはたくさんの種類がある。そして、顔のパーツの一部である目から感じるものも、先程までのものとはまるで違った。

「……寂しい、という言葉は知っているけれど、それを感じたことはないかな。そもそも、寂しいという状態の感情がわからない」

「……死神さんって、いつ生まれたの?」

 彼女は僕の知識の乏しさを不自然に思ったのか、僕の出生日を訊いてきた。おそらく、僕が生まれてから日が浅いために僕の知識に不足が多いのだと判断したのだろう。

「君と出会った日だよ。だから、僕が一番最初に目にした人間、というより生命体は君なんだ」

「……じゃあ、死神さんは赤ちゃんなんだ」

 彼女は納得したように呟いた。

「あ、赤ちゃん……?」

 流石に赤ちゃんという言葉は知っていたけれど、その言葉を適用してくるとは思ってもみなかった。

「あ……」

 突然、彼女は僕の方を見ながら固まった。

「……何? どうしたの?」

「いや……死神さんの表情が、初めて動いたように見えて」

「表情?」

「うん。なんだろう、驚いたような感じだったかな」

 驚いた……。なるほど、思ってもみなかった彼女の言葉に対して先程僕が抱いた感情を、驚くと表現するのか。どうやらその感情が顔にも伝播していたらしい。

死神にも人間が抱くような感情を抱くものなのか。やっぱり、彼女からは色々なことを学ぶ。

「……ねぇ、さっきの話なんだけれど」

 彼女は無表情に近い顔をして僕に言った。けれど、さっきの話がどの話のことなのか分からなかった。

「さっきの話?」

「えっと、海の……」

「あぁ、それのことか。そういえば、海について訊くのを忘れていたよ。雑誌に載っている青い水のようなそれを海というらしいけれど、水とは違うのかな?」

 彼女は僕が問いかけてから少しの間俯いて黙り込んだけれど、再び顔を上げると質問に答えてくれた。

「うん。海は確かに広大な水だけれど、ただの水じゃない。海水なんだよ」

「海水?」

「そう。さっき雑誌で見た海は全部塩水なんだよ」

「塩水……塩が水に溶けているってこと?」

「そうそう!」

 どうも海という液体は非常に奇妙なものらしい。僕が知る限り、塩とは人間が生命維持をするのに不可欠な要素だ。その塩が水に溶けていて、しかも体積が大きいとは興味深い。

「私たちが食用として使ってる塩は海から採取されているんだよ」

「……なるほど、そうだったんだ。君は物知りだね」

 僕は海の存在に感心すると同時に、彼女が物知りであることに感心した。彼女曰く、今年両親の都合でこの街に引っ越して来て高校というコミュニティに入学したと同時に余命宣告を受けたらしく、そのためあまり学校に通わなくなったそうだ。人間が学ぶ場である学校に参加していないにもかかわらず、彼女は随分と博識だった。

「これくらいなら私の歳と同じ人間はみんな知っているよ」

 彼女から学んだ言葉で自分の感情を表現するに、驚いた。人間は非常に知識に富んでいるらしい。けれど、彼女は周りの人間に比べて情報が遮断されているはずだ。

「長らく病室にいる君は、今みたいに書物から知識を得るの?」

「うーん……案外、みんなどこかで見たり読んだり聞いたりしているだけのことも多いよ。例えば、宇宙には空気がないっていうのも、私たち人間のほとんどは知っているだけで体験したことはない。私みたいに病室にこもっている人だけが本から知識を得るわけじゃないよ。そもそも海くらいなら、高校生より若くてもみんな知ってるよ」

 宇宙には空気がないことも初めて知った。そもそも、死神は地球外に進出することは不可能だから、予備知識として必要なかったのだろう。

 彼女は、「もっとも、今の時代は何処にいても等しく情報や知識は手に入るけれどね」と付け足した。人間の知識はテクノロジーの発展に使われていることは知っていた。けれど、彼女のように行動を制限された人間とそうでない人間に知識の差が生じることが少なくなるまでに優れたものだとは知らなかった。

「そういえば君は、海を見たことがあるんだよね」

「うん。何度か」

「……塩水は飲んでみたの?」

「うーん……飲んだっていうか、飲んじゃったっていうか」

「味はどうだったの?」

「めっちゃくちゃしょっぱくて辛いよ! いつも飲まないように気をつけるんだけれど、どうしても口に入ってきちゃうんだよねぇ」

 彼女はそのときのことを思い出したのか、舌を出しながら唸った。僕はもしも海水を前にしても絶対に飲まないことを心の中で固く誓った。

 それにしても、その海がどういったものなのか、非常に興味がある。

「ねぇ、海があるところに僕を連れて行ってくれない?」

「え?」

「外出許可は降りるんでしょ?」

「え、うん……でも、流石に一人で行くのは許してくれないと思う」

「だから、僕と一緒じゃないか」

「え? だって、死神さんは私以外の人間には見えないんでしょ? それじゃあ、周りから見たら私一人で行くように見えちゃうし……」

 彼女は、出会って初日に僕が彼女に言った言葉を覚えていた。確かに、彼女以外に僕は見えていない。けれど、僕は意図的に人間に自分の姿を視認させることもできる。どうやら、僕はそのことを彼女に伝えていなかったらしい。僕の中では当たり前のことだったから伝え忘れていた。

 僕が彼女にその旨を伝えると、彼女は今まで僕が聞いてきた中で一番大きな声で言った。

「なーんだ! それなら早く言ってくれればよかったのに! やったぁ! これで海に行ける!」

 彼女はベッドの上でバタバタと暴れた。

「でも、君の家族には僕のこと、どうやって説明するの?」

「はっ……」

 盲点だったのか、僕が指摘すると彼女は急に静かになって布団に潜り込んだ。それも束の間のことだった。彼女はガバッと布団から顔を出した。満面の笑みを浮かべた顔だった。

「小学生のときか中学生のときに同級生だったって言えば大丈夫かも! 卒業アルバムに死神さんが写ってないのは卒業前に転校しちゃったから! そして今死神さんが通っている学校と私の学校が近くてたまたま入学時期に再開した! そして今は夏休みだから毎日通ってくれている! どうかな? これならバレないよね!」

 驚くべきはやさで彼女は架空の物語を完成させた。

「アルバムに死神が写ってたら、それは心霊写真だね」

 彼女は完璧なアリバイを作り上げた! とはしゃいだ。「はしゃぐ」という言葉がおそらく今の状態の彼女にぴったりなのはなんとなく理解できた。とりあえず、どうやら僕は海に行けるらしく少し気持ちが落ち着かなくなった。尚もはしゃぎ続ける彼女の気持ちが、少し分かった気がした。

 数時間後、僕は彼女の母親と挨拶をした。彼女は早く海に行くことを確約したいらしく、両親との面会を僕に促してきた。そして、彼女の母親が病室にやって来ることが決まってから実際に来るまでの間、彼女は僕にまつわる架空の設定をこれでもかと叩きこんできた。僕が彼女の母親の前でボロを出すことをよほど懸念してのことらしい。ちなみに、結局僕は小学生時代の同級生という設定になった。

「そうなのね。たまたま近くに引っ越してきた菜穂のお見舞いに来てくれたのね」

「はい」

 僕は先程からチラチラと視線を送ってくる彼女を無視しながら設定通りに彼女の母親と接した。僕が上手く対応できたのか、彼女は満足気に頷いている。

 彼女の母親はしばらく黙り込み、何故か目元をしきりに擦った。どうしたのかと思っていると、彼女の母親は顔を上げた。

「……泣いているのですか?」

 僕がそう言うと、ベッドの上で彼女は驚いたように彼女の母親を見た。

「ごめんなさい……私たちの勝手で菜穂を前の街から離してきちゃって、すぐに病気になって……この街で仲の良い子がいることに嬉しくなっちゃって、つい……」

「そう、ですか……」

 嬉しい、とはどういった感情なのだろうか。知識としてある「嬉しい」という言葉が思わぬ場面で登場して僕は少々面食らった。なんとなく彼女に視線を移すと、彼女は先程までの笑顔から一変して無表情で母親を見ていた。心なしか目が赤いように見える。

「本当、ごめんなさいね。分かったわ。二人で海に行ってもいいわ。菜穂もあなたを信用しているようだし。もう、菜穂も私たちに遠慮しなくていいのに」

「えへへ……」

 彼女は彼女の母親の言葉を受けて破顔したけれど、通常悲しみを感じたときに流れるという涙が頬を伝っていた。僕はそれを不思議に思って見つめた。

 彼女の母親はそれから用事で病室を後にした。

「君も君の母親も、どうして泣いていたの?」

「……うーん、嬉しかったからかな。私の場合は、ちょっと後ろめたさも混じってたけれど。お母さんを騙しちゃったから」

 彼女は鼻を啜りながら小さく言った。僕は彼女の説明を受けてもあまり理解できなかった。

「とにかく、上手くいったみたいだね」

「うん。流石に海には入れないけれど、久しぶりだなぁ、このワクワク感。実は海の話題が出たときに、死神さん一緒に来てくれないかなーって思ってたんだよねー。だけど諦めてたんだ。一人じゃ行けないし。はぁ、本当によかったぁ。すっごく楽しみ!」

「……僕も君と同じ気持ちなのかな? ソワソワするよ」

「……楽しみなんだね、死神さん」

 彼女は笑顔とはまた違った、妙な表情をして僕の顔を覗き込んできた。

「これが、楽しみという感情なんだ……楽しいとは違うの?」

「うーん、楽しみっていうのは未来に対してワクワクすることで、楽しいっていうのは今体験してることに対してワクワクするっていうのかな」

「君がよく使うワクワクっていう言葉も、実はよく分かってないんだよね」

「……あははは」

 突然大声で笑い出した彼女を僕は不気味に思った。

「え、何? どうして笑っているの?」

「なんだか、死神さんって本当に赤ちゃんみたいだなぁって」

 彼女はより一層笑い声を上げた。

「……なんだか不快だ」

 僕はムカムカとした感情の行き場を探しながら、けれど見つからなくて沈めようと試みた。結局、その感情は自然消滅するまで僕の心に留まり続けた。

 心……。人間のために用意された言葉だと思っていたけれど、自然とその言葉が浮かんできた。僕にも、彼女と同じように心があるのだろうか。死神にも、心はあるのだろうか。


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