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5、屋根の上の少年


 それから二日、時は何事もなく過ぎていた。

 あれきりリューエイ王子がシェリアの前に姿を現すことはなく、モラヴァ地区のあちこちを視察に回っていた。

 シェリアはリューエイ王子が遠くの地区まで出ているからと言って、そこらへんをうろつく気にもなれず、ただひたすら部屋に閉じ籠って薬作りに精を出していた。

 けれど毎日ただ薬だけを作るのにも飽き、今日は少し趣向を変えようと、庭で摘んだローズマリーでローズマリークッキーを作ることにした。

 ローズマリーには、気分を高揚させる効果もあり、鬱状態にも良いとされている。

 どうしても気持ちが落ち込みがちな今には、ぴったりのハーブだった。


 バターを練って、砂糖と卵を少しずつ混ぜ、最後に粉と乾燥ローズマリーを切るように混ぜる。

 ローズマリーは、太陽の光をいっぱいに浴びた、元気の良い子達を選んだ。

 細長い棒状に整えたなら、冷所に置いて、一時間程馴染ませる。

 そうしたら後は8ミリ幅ずつくらいに切って、形を整え、焼くだけだった。

 シェリアは、自室の暖炉の上に特別に作って貰った、簡易釜の中にクッキーを入れた。

 暖炉の火で焼かれ始めたクッキーは、ほんの数分で甘い匂いを漂わせてきた。


 甘い物を作っていると、心が落ち着く。

 そういえば一年前にも、リューエイ王子にクッキーやマドレーヌを作って喜んでもらったな、などと思うとまた落ち込むけれど、なるべく考えないようにした。

 その時、屋根の上から、ぐうう~、と奇妙な音が聞こえてきた。

「ん?」

不思議に思って、バルコニーに出ると、屋根の上から人の足が見えた。

「ひっ…!」

あまりのことに、思わず悲鳴を上げそうになった時、足は反転して、少年が顔を覗かせた。

「ごめんなさい!脅かすつもりはなかったんだ!」

銀色の髪に、黒ずくめの服、更に赤と黒の魔眼を持った、見るからに怪しい少年だった。

「く、曲者っ…!」

「わー!待って待って!確かに僕は怪しいけど、衛兵を呼ぶ前に、その甘い匂いがするものを一口食べさせて!」

「お腹が空いているの?」

「うん、もう何日もまともな物を食べてないんだ…。」

「まあ…、」

見れば、まだ年端もいかない少年である。

 そして先ほどものすごい腹の音を鳴らしていたのも、恐らくはこの少年だろう。

 シェリアは急にこの少年が可哀想になった。

「いいわよ、どうせ一人で食べるには多かったし、一緒に食べる?」

「いいの?やったあ!」

シェリアは少年をティータイムに誘うと、少年は無邪気に両手を挙げて喜んだ。

 もしも私に弟がいたら、こんな感じだろうか?

 少しホンワカとして、シェリアは少年を席に座らせた。

 焼き上がったばかりのローズマリークッキーと、紅茶を並べてあげると、少年は嬉しそうにパクパクと口に入れた。

「んー!甘さが沁みるー!」

本当に嬉しそうに笑いながら、少年はクッキーを味わってくれていた。

「あなた、名前はなんて言うの?」

少年と一緒にクッキーを摘まみながら、シェリアは尋ねた。

「僕の名前はヴァイツだよ、ファミリーネームはない、ただのヴァイツだ。」

「そうなの、」

ファミリーネームがないということは、平民なのか、訳ありなのかのどちらかだろう。

 見た感じは、どうも訳ありの方に見えた。

「私の名前はシェリアよ、シェリア・ヴァンクリーフ、よろしくね。」

「え?」

シェリアの自己紹介に、少年は驚いた顔をする。

「シェリア・ヴァンクリーフ…?」

そして、何回かその名前を繰り返す。

「お姉さん…死んでなかったの…あれ?でも…?いや、死んでるとか、そんなわけないよな、僕、その名前知らないもの…。」

その言葉を聞いて、シェリアの背筋は粟立った。

 まさか、この少年、ヴァイツも、シェリアの死の記憶を持っているということなのだろうか、と思う。

 けれど、シェリアはこの少年についての記憶は何もなかった。

「たぶん何かがあったんだね、お姉さんからは、何か強い魔力の残り香がするもの。」

「あなた…、何か知っているの…?」

ヴァイツの魔眼が、赤く妖しく輝いた。

「何も知らないよ、まだ、ね。」

その赤い光が、シェリアを包む。

「とりあえず、僕のことは忘れて、クッキーご馳走さま。」

魔眼の光が消えた時、シェリアの目の前から少年の姿は消えていて、少年に関する記憶も、また同時に消えていた。

「あれ?どうして私、紅茶の用意を二人分もしてたのかしら、思い出せないわ…、」

くらくらとする頭を振って、シェリアは二人分のティーカップを片付けた。

「クッキーも減ってる…、変なの、誰かいたのかしら…?」


 

 その時屋根の上では、ヴァイツが貰ったクッキーの残りをかじっていた。

「おかしいな、あのお姉さん、なんで僕の忘却魔法を受けた痕があるんだろ…?会うのは初めてのはずなのに…、」

ヴァイツは頭を捻ったけれど、どうしても思い出せなかった。

「おかしいな、…でも、すごく美味しいクッキー、気に入ったからあんまりあのお姉さんは殺したくないなぁ……、」

服に隠していた、暗器のクナイを弄びながら、ヴァイツはひとりごちた。


 屋根の上の物騒な刺客の存在に、シェリアはまだ気付いていなかった。



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