3、竜眼の入城
リューエイ王子がモラヴァ城に入城するという話を、私は部屋の中で聞いていた。
私の部屋はモラヴァ城の隅にあるけれど、謁見の間からはかなりの距離がある為、わざわさ出向かない限り、客人には会わないで済む。
王族の視察団であれば、家族皆で迎えた方が良かったかもしれないけれど、末娘の一人くらい迎えの場にいなかったところで、特に失礼には当たらなかった。
私はこのまま、リューエイ王子が滞在している間は、ずっと部屋に引き籠ってやり過ごすつもりだった。
一年前のこの時間、私はすでにリューエイ王子と出会っていた。
リューエイ王子と初めて出会ったのは、一年前の昨日、草原で薬草採りをしていた時だった。
あの時には、まさか自分が一年後に死ぬことになるなんて思いもしなかった。
初めて会った時のリューエイ王子の印象は、なんて寂しそうで、そして美しい人なんだろうか、というものだった。
青味掛かった深い夜色の髪に、美しい藍色の瞳。
そして前髪で隠すようにされた左目は、まるで全ての煌めきを詰め込んだように美しい、金色に輝く竜眼だった。
そのオッドアイと、憂いを含んだ表情に惹き付けられて、私は彼の顔から目が離せなくなっていた。
「俺の顔に何か付いているか?」
私の視線に、リューエイ王子は不思議そうに聞いてきた。
「ものすごく綺麗な顔が付いていらっしゃいますね。」
私のその言葉に、リューエイ王子は目を丸くしてから、次に噴き出すように笑ってくれた。
笑うと意外に幼くなる顔は、とても可愛らしかった。
「真面目なお顔も美しいですが、笑われると、更に魅力的になりますのね。」
その笑顔をもっと見たい。最初に思ったのはそれだった。
私が笑顔にしてあげたい、だなんて、なんておこがましい考えだったろうかと、今は思う。
きっと私以上に彼を傷付け、悲しませ、怒らせた女は他にいないだろうと思う。
ただ、本気で愛していたのは本当だった。
幸せになって欲しいのも本当だった。
今、この土地に、この城に、リューエイ王子が来ているのだと思うと、ソワソワした。
私に出会う前のリューエイ王子は、またあの少し寂しそうな表情をしているのだろうかと思う。
今の私は、もう王子を笑顔にしてあげたいだなんて贅沢なことは思わない。
けれど、私に関わらないところで、どうか王子には幸せになって欲しいと思う。
そんなこと考えながら、窓の外を見ていると、遠くからリューエイ王子視察団の一群が城に向かってきているのが見えた。
十数名の騎士に囲まれて、中央で白馬に乗っているのがリューエイ王子だろう。
私は懐かしさで涙ぐみそうになりながら、そのゴマ粒のような人影を眺めていた。
遠すぎて、相手が誰かも視認できない距離、そのはずだった。
視線の先から、視線を感じる。
見返されている。
何かは分からないけれど、背筋にぞくりと悪寒が走った。
そういえば、忘れていた。
確かリューエイ王子の持つ竜眼は、何キロ先でも見ようと思えば見る力を持っていたのだと。
もしも私からの視線に気付いて、竜眼を使ったのだとしたら…。
私は今さらながら、慌てて物陰に姿を隠した。
もしも竜眼を使われていたら、私の姿形は、リューエイ王子には見られてしまっているかもしれなかった。
姿も見せない、王子にとってはいないも同然の人物、そのような立ち位置のままやり過ごそうと思っていた計画は、初っぱなから失敗したことになる。
でも今の段階ならまだ、何も知らない田舎娘が、王都からの使者が珍しくて眺めていただけだと思って、終わりにしてもらえているかもしれなかった。
けれど、先ほど感じた視線は、いまだにシェリアのいた窓のあたりに注がれていた。
リューエイ王子は、すぐには視線を逸らしてはくれていないようだった。
(いったいいつまで見てるのよっ…!)
物陰でドキドキしながら視線が逸れるのを待っていると、ふと、視線の先が微笑んだ気配がした。
「え……?」
なぜ笑ったのかは分からない、気配だけなので、本当は笑ってはいないのかもしれない。
けれど、急に柔らかくなった雰囲気と、それを最後に逸らされた視線に、私は何とも言えない気持ちになってた。
理由は分からない、勘違いかもしれない。
それでも、もしもリューエイ王子がまた微笑んでくれていたなら、それはとても嬉しいことだと。
部屋で一人胸を抑えながら、私は声を殺して、涙を流した。
開城のラッパの音が響いている。お堀に掛かる、吊り橋が降りる。城門が開く。
リューエイ王子が、モラヴァ城にゆっくりと入ってくる。
誰より愛して、傷付けた人。
どうか私に気付かず、行って欲しい、と。
私は部屋の中で、まだ見ぬ神様に祈っていた。
どうかやり直したこの時間軸では、皆が幸せなまま生きられるように。