4 乱入者
絡まれたのは、やはり夕食の時だった。マリアンナとの馬術の稽古が終わってから、食堂へ入ったら、待ち構えていた。
「こっちへ来いよ、一年」
上級生の言葉を無視するわけにはいかない。三人の方へ、僕はゆっくりと歩み寄った。料理人の視線を背中に感じた。
僕は上級生を三人、前にして足を止めた。三人の襟章を見て、四年生だとわかる。マリアンナと同じ学年だ。
「この前のお礼だ、食えよ」
彼らが顎をしゃくるのは、机の上にある料理で、二人前はある。
僕は黙って彼らを見返した。
「おい、食え」
「自分の食事は自分で考えます」
どうしてここで反抗しなくちゃいけないのかは、自分でもわからない。
単純に、このくだらない連中に、迎合したくない。
三人は視線を交わし、不愉快な印象しかない笑みを向けてくる。
「上級生に逆らうのは、上官に逆らうのと一緒だぜ。命令だ。全部、この場で食って見せろ」
もう僕はやけっぱちだった。
口を開きかけた時、入り口の方で声がした。
「そいつをからかうのはやめた方がいいで」
全員がそっちを見た。
制服を着崩した少年がいる。短い髪の毛は微かに波打っている。
「誰だ? 邪魔をするなよ」
乱入者がゆっくりとこちらへ来た。不敵な表情をしている。
「その一年は、マリアンナ先輩のお気に入りや。手を出したらえらいことになるで」
「知ったことか。二年か? 口を挟むな」
「ついでに言えば、その一年は本気になれば、そちらさんは形無しや」
その一言が、上級生に興味を呼んだらしい。三人がこちらを見てくるけど、僕には状況が理解できない。
二年生が僕の横に立った。
「こいつの剣の腕を知らんのか?」
「その一年は落ちこぼれだ。すぐに落第する」
「その落ちこぼれに、そちらさんはお遊びで不覚を取ったってことになるんかな」
おいおい。僕はさすがに焦った。
僕自身も無謀な特攻をしようとしたけど、この二年生は、明らかに火に油を注いでいる。
その油にも火がついたようで、上級生の気配が変わった。今にも掴みかかってきそうだ。
「ふざけるなよ、二年。名前を言え」
「キクス・グロウ。そちらさんは?」
上級生が名前を言ったが、僕はすぐに忘れた。
この場から僕はほとんど無視され、上級生とキクスの言い合いになりつつある。
「なんや、親の七光りで軍人になるような連中か。そら、一年坊主に負けるのも仕方ないで」
とか、
「どうせ親に頼み込んで、進級したんやろ? そやなかったら、ここにはおらんわ」
とか、
「試験も先に問題を教えてもらえるんやろうなぁ。それなら誰でも満点やな。そちらさん、満点、取ったん? その割には、満点を取った生徒の噂は聞かんな。手加減してわざと間違えたんか? それとも、もしかして問題を知ってても、忘れてもうたんか? それ、あかんわ。次は答えを教えてもらいいな」
とか、とにかく、無茶苦茶に煽り始めた。
僕は冷静を通り越して、もう関わりたくなかった。
さっさと逃げたい……。
三人の上級生のうち、僕に突っかかっていた一人は、もう赤黒い顔で、どうやっても怒りの納めようがない状態で、残りの二人がどうにか止めようとしている。
「三人揃えば文殊の知恵、って知ってるか? どこかの諺やけど、どうも間違っとるな。そちらさんは三人揃っても、アホ丸出しや。一年一人にいいようにされて、何も言い返せず、打擲もできんときた。大した上級生やで。どこに出しても恥ずかしくない、完全無欠のノータリンや」
何かが切れるような音がした。
上級生のでかい手がこちらに伸びてくる。
そう、キクスではなく、僕に。
何で?
襟首を掴まれて、引きずられる。それをキクスが抑え、上級生二人も止めようとするが、こちらは形だけだ。
「貴様らの不敬を理由に、これから罰を与える」
だから、何で? 僕、ほとんど何も言っていないけど?
「それはあかんわ、先輩」
キクスは平然としている。上級生たちが彼を見るが、僕の襟首は拘束されたままだ。
「ただ罰するのも、つまらんやろ? だったら、決闘や。決闘で白黒つけたらええやん」
とんでもないことを言い始めたけど、手遅れとも言える。
ペラペラとキクスが話す。
「先輩と、こいつで、密かに決闘しよ。教官の目がないところで、好きなだけやればええ。私闘は禁止やけど、誰も知らんなら、問題ないやろ? 準備もあるやろから、三日後や。場所は寮の裏にある空き地でどや? 木の陰なら寮からも見えんしな」
「良いだろう」
良いも何も、僕は何も言っていない!
先輩は僕を突き飛ばすように解放し、僕は机と椅子を巻き込んで転倒した。
「逃げんなや。そっちは三人できて良いさかい、安心しいな」
上級生は僕をものすごい形相で睨みつけ、去って行った。
「大丈夫か? 一年坊主」
キクスがこちらに手を差し出してくる。
「だ、だ……」
「大丈夫かい?」
「大丈夫なわけあるか!」
跳ね起きるように立ち上がり、僕はキクスに詰め寄った。
「僕は私闘なんてしたくない! そんな余裕もない!」
「ああいう輩は、力で黙らせな、あかんで。それくらいのこと、できるやろ?」
「相手は丸三年、師範学校で訓練していて、こっちはまだ四ヶ月だ! それがどうして、対等の技量になる?」
大仰にキクスが溜息を吐き、自分の髪の毛をかきあげた。
「師範学校の訓練程度、何のこともないで。むしろ地方軍の訓練学校の方が、激しいくらいや」
「それは無関係!」
「細かいこと、気にすんなや。勝てんのか?」
「当然だ!」
ふっとキクスの笑みが返ってくる。
「当然、勝てる、か。大きく出たな」
「逆! 負ける! 変な風にとるな!」
「細いなぁ。あまり細かいことを気にすると、ハゲるで」
この男とまともな会話は不可能だと、やっと気づいた。
「で、一年坊主。名前は? 実はよく知らんのよ」
「リン・リーだよ。いや、です」
「敬語はいらんで。仲良くしよや」
手を差し出されたので、僕は仕方なく握手した。キクスがブンブンと手を振って、
「いい腕してると思うんやけどな」
と、しみじみと言った。
「僕の何を知っているんです?」
「そうやな。剣術を使う」
ギョッとしたのは、その口調が真剣で、目元もさっきより真面目だからだ。
「かなり訓練しとるようやな」
「稽古はしている」
「でも、おかしな癖もありそうやな」
困惑した僕に、キクスがへらへらと笑い、手を離した。
「ネタバラシしとこか」
「ネタ?」
「今のは、手のマメで判断したんや。三日後、期待しとるで。俺も立ち会うさかい、せいぜい、いいものを見せてや。ほな、おやすみ」
さっさと背を向けてキクスが食堂を出ようとする。が、立ち止まり、こちらを見た。
「食べ物を粗末にしたらあかんで」
今度こそ、キクスは食堂を出て行った。僕は上級生が用意した料理を眺め、それから料理人の方に向き直った。
初めて見る、料理人のホッとした顔を前に、僕は料理をどうするべきか、考えた。
食べるのは、ちょっと無理だなぁ。
皿が並ぶお盆を持って料理人の方へ行くと、その顔は途端に険しいものになった。
僕が頼んだわけじゃない……。
料理人は何も言わずお盆を受け取り、それから牛乳のジョッキを出してくれた。
ごめんなさい……。
(続く)