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3-2 馬術と遊びと上級生 (後編)

 二人で医務室に入ると、女性の医者はタバコを吸いながら週刊誌を読んでいた。

「先生、けが人です」

 マリアンナが当たり前のことを言って、奥へ進むと女医はタバコを灰皿でもみ消し、週刊誌を机の上に放る。その時は僕はベッドに腰掛けていた。

「運動服を脱ぎな」

 運動服と言っても、今は半袖一枚だ。

「裸になれ」

 ……仕方ない。

 マリアンナが楽しそうにこちらを見ている。意を決して、僕は上半身裸になった。

「へぇ」

 女医が漏らすように言いつつ、僕の体を眺め、戸棚から薬を取り出す。ちょっと怖くなるほど、多くの薬が出てきた。

「打ち身、擦り傷、数え切れないわね」

 言いながら女医が塗り薬を体の各所に塗っていく。ヒリヒリとして、顔をしかめてしまったのを見て、マリアンナが苦笑いしている。

「左腕が重傷か」

 そっと僕の左腕が持ち上げられるけど、痛みが強すぎて、しかめるどころか、表情が歪む。

 女医は貼り薬を張ってくれて、これから一週間は、毎日、医務室へ来るようにと言った。

「訓練があるのですが?」

「私はここで寝泊まりしている。いつでも良いから、来なさい」

 ちょっとだけ気持ちが楽になった。こういう優しい人間もいるのか。

 マリアンナと一緒に医務室を出た。医務室で時計を見た時は、運動場で剣術の稽古をするような時間帯だ。

「あなた、なかなか良い体をしているわね」

 唐突にマリアンナが言ったのでギョッとした。良い体?

「貧弱ですよ」

「細身といえば細身だけど、でも、どこか鋭さがある」

 鋭さがある体って、なんだ?

「それに身体中に切り傷の跡がある。あれはどうしたの?」

 説明しないわけにもいかない空気だった。

「あれは先生に、切られて……」

「先生に? 稽古でってこと?」

「はい」

 どこまで言って良いか、考えようとしたけど、やめてしまった。

「真剣を持っての立ち合いの稽古で、先生は僕に隙があると、そこへ切り込んでくるんです」

「それで肌を切られる?」

「そういうことです」

 なるほど、と彼女は呟くと、黙り込んだ。

「リン。あなた、馬術を習うつもりはある?」

「それは基礎教程で馬術がありますから、否が応でも、訓練しないと」

「そうじゃなくて、私があなたを指導するの。もちろん、放課後だけど」

 頭の中には、マリアンナの馬の動きが浮かんだ。

 これから教官も指導するだろうけど、マリアンナにも教わることができるのは、幸運なのではないか?

「一対一だから、横槍はないわよ」

 僕は何度も頷いて、答えた。

「よろしくお願いします」

「毎日は難しいから、曜日で決めましょう。週に三回ね」

 運動場に着くと、マリアンナは僕を教官の元へ連れて行き、治療について報告し、回復までの期間もはっきりと告げた。そして剣術の稽古の、乱取りに参加しないでいいように、話を進めてくれた。

 教官が苦り切った顔でそれを聞いて、結局、受け入れた。

 マリアンナは敬礼して、稽古に混ざり、僕も参加する。

 乱取りの最中、眺めていることは禁止され、僕は走ることになった。でも教官は追ってこないし、自分一人なので、じっくりと走り込んだ。

 マリアンナの馬術の指導は、調練が終わってから夕飯になる前の、短い時間だった。

 彼女は馬を落ち着かせる方法を繰り返し、僕に教えた。それが大事なんだということはわかる。馬が不安になったり怯えていれば、人馬一体とはいかない。

 馬に水や秣を与え、糞を処分するのも、実際にやった。

 マリアンナは四年生で、すでに自分の馬を持っていて、毎日、その世話をしているという。兵士に任せてしまう訓練生もいるというが、彼女は馬が好きだとはっきり言った。

 腕の痛みが二週間で全くなくなった。乱取りにも加わって、僕は少しだけ相手に打ち込める自分に驚いた。

「それだけ疲れていたってことね」

 いつの間にか朝ごはんを一緒に食べるようになったマリアンナが言う。

「一週間の休みで、動きが良くなったのよ。そういう一年生、大勢見たわ。だって、入学して早々、走り込みをやらされて、休む時間もないんだもの。本来の力を出せずにいても、仕方ないわ」

 彼女の朝食は食パンにゆで卵、トマトのスライスと、シンプルで、量が少ない。

「一年生ばっかり食堂にいるでしょう?」

 ニヤニヤしながら、マリアンナが言う。

「上級生は、普段からそれほど食べないの」

「訓練がきついからですか? 一度、嘔吐している一年生を見ましたけど」

「それはすぐに克服できる。問題は、兵士が戦場で食事をのんびりする場面がどれだけあるか、ってこと」

 そういうことか。ちょっとだけわかった。

「半日や一日、何も食べないで過ごす、ということを想定しているんですね」

「そうよ。三年生くらいになると、校外に出て、半月の行軍訓練をやるの。あなたもそれまでには体を作っておいた方がいいわよ。あれは相当、しんどいから」

 心のメモに書いておこう。

「今は体を作る時期だから、肉を食べなさい。牛乳もいいわね」

 また料理人の優しさに気づいた。

 朝食を済ませて、それぞれの寮で着替えると、制服で座学に向かう。マリアンナはもちろん、別の教室だ。

 座学は数学がいつの間にか、ちょっとした演習のようになった。

 教官が様々な条件を設定し、その中で物資を買い付ける、ゲームのような内容だった。

 生徒には資金が与えられ、街や村が設定され、そこには資金と交換で手に入る物資がある。

 ここの生徒には他に、兵士の数、という数字も与えられていた。

 つまり、資金を使って、自分の兵士を養い、かつ、武具や馬なども調達する、という遊びのようなものだ。

 さらに生徒間でのやり取りも可能で、その上、生徒同士の同盟も許された。

 最初こそ、兵を飢えさせたり、武具が不足したりした。

 それがなくなると、今度は教官が状況をもっと厳しくする。食料の総量を、飢饉が起きたという設定で減らし、値段を高騰させたり。兵士の間に疫病が流行ったという設定で薬が必要になったこともあるし、馬が途中で盗まれて金だけを失う、という設定もあった。

 ただ、この遊びは有意義だと僕は思っていた。

 禁軍師範学校は、近衛兵を養成する学校だけど、半分ほどは地方軍で将校になる。

 その時に今やっている遊び、つまり兵站に関する感覚が養われているのといないのとでは、天地の差がある。

 もちろん、実際の兵站維持に苦心している兵士に比べれば甘っちょろいけど、知らないよりはマシだ。

 最初の座学で学んだ数学も、この兵站ゲームのための知識作りに過ぎなかったのだ、とやっとわかってきた。

 僕はそのうちに上級生の相手をさせられるようになった。それは教官が相手を決めることで、他にも参加している中立の生徒が大勢いる。そういう生徒から物資を買いつけたり、売りつけたりして、やっていく。

 僕には友人らしい友人はいないのに対し、上級生はすぐに三人を抱き込み、これにより単純に一対四の構図になった。

 僕は少しも動じなかった。遊びだし、という思いが強かった。

 遊びだから、何でもできる。

 他の生徒の中から、設定された支配地域が上級生の周囲に位置する一年生を選び、上級生の支配地域への物流を止める。他の上級生も巻き込んで、即座に封鎖線を作った。

 この時点で僕の資金は相当、減っていた。見返りに金を渡したのだ。

 ここで僕は民兵を募集する。進軍のための食料を放出することで、民兵は集まったとされ、僕の動かせる兵力は格段に増えた。

 上級生たちも兵力を増やし始めた。ただ、周囲は僕に味方しているので、増えた兵士の分の食料の搬入は妨害され、しかもそれを奪われている。奪った食料は僕の味方がおおよそを取り、一部が僕にも流れてくる。これで僕の兵士は飢えなくて済む。

 次の段階として、即座に僕は上級生の支配地域へ兵士を急行させた。

 その時は相手も進軍を決め、包囲網はあっさりと突破された。それは味方になる生徒とは最初に約束してあり、僕に味方しても、敵とは進んで戦わないという約束だったのだ。

 僕と上級生四人の部隊がぶつかり合いを始める。教官が判定を下し、ここでは戦術合戦になる。ただ、本当に簡易的で細部までは設定できない。

 僕は相手の糧道を断つことを徹底した。何度も何度も襲撃し、脅かす。それでダメなら、部隊の一部を隠密で行動させ、上級生の本拠地を攻めたりもした。結果、上級生は一時的な後退を余儀なくされた。

「もう終わりにしよう」

 教官がうんざりしたように言った時、決着はついていなかった。こちらが不利だから、僕としては嬉しい。

 かれこれ一時間以上、やり取りしていたのだ。

 上級生がものすごい視線でこちらを睨み付けてくるのを無視して、僕は頭を下げた。

 その日の午後の走り込みの後、馬場へ行くと、すでにマリアンナは馬に乗って、走り回っていた。僕も厩舎から一年生用の馬を連れてきて、馬場に入った。

「派手にやったようね」

 並んでゆっくりと駆けつつ、マリアンナがニヤニヤしている。

「遊びで上級生を負かす奴は、なかなかいない」

「なかなか、ということは、いたわけですね?」

「一人か二人ね。意趣返しに気をつけたほうがいいわよ」

 その言葉は心に留めておいた。

 僕はまだ裸馬で、マリアンナは鞍も手綱も付けている。

 頻繁に落馬する僕だけど、もう怪我をすることはない。体術の稽古がたまにあり、それで受け身をしっかり習得できたらしい。

 それに馬のこともわかってきた。

 馬にも心がある。それを無視してはいけない。

 馬術の訓練は一時間ほどで、でもそれはとても充実した一時間だった。

 最後に馬の世話をして、馬場の前で僕たちは分かれる。マリアンナはこれからさらに走ると言っていた。僕は剣術の稽古をする。

 夕食はいつもの牛乳だったけど、食堂では上級生が四人、待ち構えていた。

 こちらをじっと睨んでいるのがわかる。でも僕は無視して、牛乳を飲み干してすぐに食堂を出た。ゆっくりと、平然と。

 しかし、これはちょっとした兆しのようなものだったのだ。




(続く)



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