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0 始まりの春の帝都

 花の帝都とはよく言ったものだな、というのが僕、リン・リーの頭を占めていることだった。

 整備された街並みには植木が多く、春を迎えた今、様々な花がほころび、彩り豊かだ。

 乗合馬車から降りて、ゆっくりと道を歩く。重い荷物も苦にならないほど、僕は浮かれていた。靴だけは真新しく、それは路面を隙間無く埋める石畳で軽快な靴音を立てた。

 僕が生活していた町は、田舎も田舎、辺境の中の辺境で、産業は農業か漁業、狩猟くらいだった。

 だから、こうして初めて帝都に来ると、全てが商売になっているのだとわかる。

 食べ物も、服も、装飾品も、本も、武具も、様々な道具も、全てが商店でやり取りされている。ここにたどり着くまでの馬車だって、お金を払ったのだ。

 なんとなく自分の財布を意識する。入っているのは、当面の生活費だから、無駄遣いはできない。

 でも、すぐそこにある串焼きの屋台で、一本、何かを買うくらいはいいんじゃないか。

 そう思いつつも、結局、決心がつかず、僕はその屋台の前を通り過ぎた。横目でじっと焼かれている何かの肉を見つつ。

 そんな時に、その騒動が起きた。

 露天の店の一つで口論が起こったのだ。自然と目を向けると、体格のいい男が店主のようで、それと対峙しているのは、黒い装束をまとった、子どものようだった。

 黒い装束は僕も知っている。西部に信徒の多い宗教が女性に着せている服で、その宗教では女性は肌を露出してはいけないことになっている。

 この子どもも、その信徒なんだろう。

 顔は全く見えず、わずかに目元は覗いているはずだけど、僕の位置からは見えなかった。

 店主が叱るように怒鳴りつけている声に混ざって、少女も何か、叫ぶように言っている。

 少女が激しい身振りで、抗議しているが、それが余計に店主の怒りを煽るようで、収まりがつく気配ではない。

 周囲には人垣ができ始めていた。僕もそれとなく、そこに混ざる。

 少しずつ話の内容が見えてきた。

 店主はパンを売っている店を営んでいて、少女がそれを買おうとしたらしい。

 だが店主が値段をふっかけた。少女がそれを頑として受け入れず、抗議している、ということらしい。

 お互いに頭に血が上っていて、店主も少女も、相手を罵ることに重点を置きつつあった。

 ひときわ甲高い、少女の声が響いた。

 一瞬の出来事だった。

 店主が少女を突き飛ばした。乱暴どころではなく、少女がほとんど宙を舞うように吹っ飛び、背中から石畳に落ちる。すぐには動けないようだった。

 人垣がざわめく。僕は反射的に飛び出そうとした。

 店主が少女に歩み寄って行くところだ。

 僕が行動を起こさなかったのは、意気地がないとか、怯えたとか、そういうのではないことは、はっきりさせておこう。

 僕より先に、飛び出していった影がある。

 真っ黒なのは、その女性も少女と同じ服装だからだ。連れなのかもしれない。

 その女性も、それほど背は高くない。突き飛ばされた少女とそれほど年頃は変わらないのか。

 その女性の顔はちょうど僕には真正面から見えた。もちろん、目元だけだ。

 瞳に冷酷な光があった。

 それに気づかず、店主が肩を突き飛ばすような動きをした。

 店主の足が天を向いた光景が、はっきり見えた。

 次の瞬間には、店主が背中から石畳に墜落していて、大の字になって動かなくなっていた。

 投げた、ということは野次馬の全員にわかっただろうけど、どういう技術だったのかは、ほとんど誰も理解できなかったのは確実だ。

 僕だって、分からなかった。

 体術で自分より遥かに大きい相手や、大きい力を、うまく利用して投げる技があるのは知っている。

 知っていても、習ったことも、試したこともない。

 一朝一夕では、身につかないし、たった今の技には、相当な練度があった。

 野次馬が騒ぎ出す前に、二人の少女は手を取り合って、野次馬が囃し立て始めた時には、ほとんどその場を離れていた。

 僕は二人の背中を見送りつつ、倒れていた店主にどこかの誰かが水をぶっかけ、意識を回復させるのを確認していた。

 男を投げたあの少女の瞳。

 あの瞳には、殺意のようなものが感じられた。

 感じられたけど、殺してはいない。

 帝都にはいろいろな人間が集まるのかな、と思いつつ、僕はその場を離れた。

 荷物を背負い直して、もう二人の少女のことは忘れていた。


     ◆


「信じられないわ!」

 私は周囲に誰もいなくなってから、我慢しきれずに怒鳴っていた。

「落ち着いてください」

 目の前で膝を折っている、黒装束の少女が静かな口調でなだめてくるけれど、私の激昂は静まらない。

「パン一つに税金をあんなにかけるなんて、誰も許可していないわ!」

「落ち着いてください」

「馬鹿じゃないの! 値札より五割増しの料金を払うなんて、デタラメよ!」

 勢いに任せて顔を覆っていた黒い布を剥ぎ取り、地面に叩きつけた。

 それを目の前の少女、ミラが穏やかな動作で拾い上げ、立ち上がると、私の肩に手を置いた。

「五割のうちの半分は、通常の税率です。残りの半分は、そうではありませんが」

「ええ、そうね! でも、そこまでして私腹を肥やしたいのかしら!」

「私腹を肥やしているのは、あの店主ではありません」

 そう言われた瞬間、前触れもなく私の気持ちは冷えた。

「一つは役人、もう一つは大会社、というところです」

 ミラがこちらの顔を覗き込んでくる。

「役人に取り入っておけば、秘密裏に便宜を図ってもらえる。これは何よりも有利です。もう一つは、大会社からの圧力。大会社には、個人商店は対抗できない。押しつぶされないために、協力するしかありません」

「でも、普通は、五割も料金を増していたら、誰もその店を利用しないわよ。でもそういう商店が成立するあたりが、明確な答えというわけね」

 怒りはどこかへ消えていた。

「五割増しの店が、ほとんどなんでしょう? そうよね、ミラ?」

「その通りです。この街では、それが普通なのです」

「こういうのを、腐敗と呼ぶんだわ」

 吐き捨てるように言う私を、もし教育係が見たら、卒倒したかも知れない。

 そっとミラから返してもらった布で顔を隠し、「帰りましょう」と彼女を先導するように歩き出す。

 裏道から表の通りへ。

「肩は本当に大丈夫ですか?」

 さっきもミラは尋ねてきたけど、実際、私はなんともなかった。

「体が軽いせいか、偶然か、少しも痛くないわよ。心配しないで」

「あまりに派手に飛ばされたので。背中はどうですか?」

「大丈夫よ、本当に」

 会話をしているうちに、川沿いの小さな家の前に来た。ミラがさりげなく周囲を確認し、先に家に入る。私も中に入って、ドアを閉めた。

 窓からの明かりの中で、私たちは黒装束を脱ぎ捨てた。

 私の服装はラフな私服だけど、ミラの服装は侍女服である。

 家の奥へ進み、ドアの一つを開けると、その向こうは急な階段で、地下へと向かっている。

「時間は?」

 ミラが即答する。

「のんびりしすぎたわね。急ぎましょう」

 駆け下りるように階段を下り、地下の通路に出た。じめじめしているけど、私はこの空気を肌に感じると、どこかワクワクしてしまう。

 通路はかなり長い。途中で二回ほど、短い階段を上がり、下がった。

 終点はやはり急な階段で、そこを駆け上がる。

 そっとたどり着いたドアを開け、ミラと一緒に外に出た。

 外と言っても屋外ではない。周囲にあるのは、様々な衣類で、整理整頓されているのははっきりしているが、しかし途方もない数の衣装だ。

 ここは衣装部屋だった。

「参りましょう、陛下」

「わかった」

 気持ちを切り替えて、私はミラを連れて、その衣装部屋を出た。


     ◆


 僕が入学する禁軍師範学校は、帝都の城壁に沿うようにしてその建物がある。

 師範学校の敷地だけが別の城壁に囲まれているのは、砦としての機能もあるらしい。

 僕は帝都の中から、城門の一つを抜けて、その敷地に入った。城門を抜ける時に書類を見せた。師範学校の敷地には、関係者以外、立ち入り禁止だ。

 城門を抜けると、視界が広がる。帝都は建物が密集しているが、ここは違う。

 建物は余裕を持って建っている。運動場がまず見えて、その向こうには畑のようなものがある。馬場もあるはずだ。

 事前に受け取っていた書類の通り、本館と呼ばれている建物へ向かう。

 僕と前後して、二人の少年がいた。服装は師範学校の制服ではないから、新入生だろう。

 本館はすぐに見つかって、手続きもすぐに終わった。鍵を手渡される。

 寮は男子寮と女子寮が並んでいて、どちらもそれほど古くはなさそうだ。そういうことが気になるのは、ついこの間まで生活していた屋敷が、あまりにオンボロで、雨漏りや隙間風が酷かったことからくる。

 寮の中で割り振られた部屋を見つけ、開錠し、中に入った。

 寝台と机でほとんど埋まっているような部屋だけど、それは別に構わない。

 故郷で僕にいろいろなことを教えてくれた先生も、このことは教えてくれていた。

 戦場に出て行く兵士や士官が、まさか戦場の真っ只中で何不自由ない環境にいられるわけがないのだ。

 僕は最低限の持ち物が入っている鞄をおろし、その中身を小さな戸棚に並べた。

 最後に丁寧に畳んであった師範学校の制服を取り出し、ハンガーで壁にかけた。

 じっとそれを眺める。

 シンプルなデザインで、機能性が重視されている。

 帝国軍の訓練校はほとんどみんな同じ制服で、しかし禁軍師範学校だけが、違うデザインだった。

 僕の目の前にある制服を着ることができるのは、エリートと言っていい。

 自分がまさかこの制服を着ることになるとは。

 いや、まだ着ていないけど。

 いやいや、出来上がった時、試しに着たか。

 数年前の自分は、軍人になろうなどとは思わず、ど田舎の領主の三男坊として、適当に生きていくつもりだった。

 それが、先生と出会って全てが動き出したのだ。

 楽しいことだけじゃなかったけど、今、自分が禁軍師範学校にいるのは、とても信じられない。それどころか、あの辺境の街からこうして脱出していることも、夢のようだ。

 僕は制服から視線を引き剥がすようにして、改めて寮の部屋を眺め、十分に満足してから、一度、外へ出た。

 師範学校の敷地から出ることはできないけれど、問題ない。

 入学式は明日だ。今日のうちに、学校の中を巡っておくのも、悪くないだろう。

 さすがに師範学校の敷地内は石畳ではないので、靴を汚さないように、傷つけないように、注意して歩いた。運動靴に履き替えてくればよかった。

 これといって派手やかなものがあるわけではない敷地の中を、僕は浮かれた気持ちを抑えきれないまま、歩き回った。

 お腹が空いて、食堂へ行く。憧れの制服を着た上級生が、賑やかに食事をしている、かと思いきや、食堂は閑散としていた。

 いるのは私服姿の、新入生の方が多い。

 拍子抜けしつつ、僕は一人で食事をして、それから寮の部屋に戻った。

 いつもなら寝る前に棒を振る訓練をするけれど、荷物にはそれを入れてこなかった。先生がいらないと教えてくれたのだ。理由はわからないけど。

 たぶん、学校のどこかに訓練用の棒があるんだろう。そうとしか思えない。

 今日は訓練はやめにしよう、と決めて、僕は早々にベッドに入った。まだ外は明るいので、カーテンを閉めた。

 目をつむっても、ドキドキして、すぐには眠れなかった。

 明日から、僕の希望に溢れた学園生活が始まる!

 そう思うと、どうしても体がムズムズした。

 眠りは、いつの間にかやってきた。




(続く)


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