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私は今日、生きる貴女と最期のキスをする。

病室の日常

作者: 伊藤 猫


 響き渡る耳鳴り

 痛くなる胸

 日に日に浅くなる呼吸


辛い。


辛い。


泣きそう。


痛い。


 この痛みの正体を知っても、自分の体がいつ果ててしまうのか誰も教えてくれない。

 今までかつてない発作の痛みに、自分の身体がこんなにも悲鳴を上げるなんて思ってもいなかったけれど、あぁ、これが最期が近いという感覚か。と、なんとなく理解してしまう。


 訴えても誰も自分の苦しみなんて理解してくれやしない。

 悲しむことに疲れてしまった私の家族は、もう何か月会っていないだろう。医者や看護師たちは私の体の状態を知っているからなのか、段々必要以上に近寄ることをしなくなったけれど、むしろそんな状態が心地よく感じる。

 逆に同情なんかされても、善人ぶるにはとても浅はか過ぎて、むしろ気味が悪いからだ。


 そんなことを考える片隅で、自分の体力は摩耗していく。

 だけど、脳裏にあの子の顔がよぎる度に、それでも負けては行けない。負けたら自分に負けてしまったら、あの子に向ける顔がないと思っている自分がいる。


「……いや、向ける顔なんてはじめから無かったじゃない」


 白い天井に向かって微かに呟いた声は虚しく、冷たい空気に溶けた。

 『あの子』というのはいわゆる同級生のことだ。一応生徒として籍を置いているクラスで隣人としては一番近く、だけど友人というにはあまりにも遠い存在だ。

 つい先日酷い言葉であの子を突き放したきり、一度も会っていない。というか彼女が見舞いに来ない。

 だからこそあの子に向ける顔なんてこれっぽっちもない。看護師にはあの子が来たら病室に入れるなと忠告してある。その時の看護師の顔はとても気味悪く感じた。


「――ちゃん。お見舞いに来た子がいるんだけど」


 カーテンの隙間から見慣れた顔の看護師が困った顔でのぞかせてくる。

 あぁ、こんな精神的に気分が悪い時に見舞いに来くる人間が来たか。

 ろくに風呂にもトイレにも行けないまでに衰えてしまった自分を家族以外の他人に見られたくない患者もいるらしく、同じ病室にいた末期患者にもそんな人がいたのを覚えている。


「……あの子だったら、入れないようにしてと、言ったと思いますが」


 目を逸らし、呼吸器越しにぶっきらぼうに答える。


「実はね、あの子じゃないのよ。貴女のクラスメイトみたいなんだけど、せっかくだから、ね?」


 念を押され、大きく息を吐いてから仕方なくそれに応じた。もちろん看護師に促されてカーテンの内側に入ってきたのは、あの子と同じ制服を着た、知らない女子だった。

 看護師がそのまま自分の仕事に戻るのを見送り、彼女は私の姿を見て少々引いたような顔をしながら恐る恐る私の近くに寄ってきた。


「……――さん。夏休みの宿題。渡しに来た」

「それはどうも……」


 もう夏休みの時期に入ってしまったかと。窓の向こうから見える雲を見た。

 公立の高等学校が全校生徒にPCを配布するくらい、ペーパーレス化が進む現代でも紙の教材や宿題はあるから、いつも定期テストの前にはあの子がA4のクリアファイルに入った宿題を持って来ては、嫌々一緒に勉強をしていた。

 正直、この課題たちは提出期限の9月1日までに生きていられるか分からないのだけれど、そこに置いておいてと、脈を測る器具を嵌めた指で棚を指す。

 自称クラスメイトは言われた通り、教科書が並ぶ自分の棚にその課題を置いた。それで私に対する用事は終わりなはずなのに、あの子はベッドの隣に置いてある椅子に座った。


「用が、終わったなら、もう帰ったら?」


 あの子の時と同じように突き放そうとするが、彼女は決意を決めたような顔をしては私の顔を見る。


「お願いがあるんだけどさ……」


 何?と私が聞く前に彼女は、自分のサブバックから一台の一眼レフカメラを取り出した。それに私はあからさまに眉間にしわを寄せる。


「写真を撮らせてほしい」

「嫌だ」


 こんな病人の写真を撮って何がしたいのだ。それに、やはりこんな惨めな私の姿を初対面の人間に撮られたくない。

 もじもじと両膝をこすり合わせながら、彼女は少々焦った顔をしては目を泳がせる。


「卒業アルバムの写真があるでしょ?あの子が一緒の写真を撮ってくれたから1年生の時の分はよかったけど、2年生になってからあの子、君とは写真撮ってなかった見たいだし、せめて一学期分の君の写真、撮らせてほしいなって……思って……」


 徐々に言葉尻が小さくなる彼女の顔を見て私は天井を仰いだ。

 確かに昨年はまだ病院の中庭に出る体力があったからあの子と一緒に外に出ることはあったし、その度に写真を撮ったこともあった。だけど段々車椅子から立ち上がれなくなり、とうとう主治医からは外出を禁じられるまでに悪化した。


「別にいいけど、病人らしくない写真に、してくれるんでしょうね?」


 呼吸器を外せない癖に、昨日、苦しい発作を乗り越えたばかりで起き上がれない癖に何を無茶なことを言っているのかと意地悪をする自分がほんの少しだけ楽しかった。


「だってよ。(こずえ)


 笑顔で彼女は後ろを向き、カーテンの向こう側へ呼びかける。意味不明な言葉にちょっとだけ心拍数が上がった。

 彼女がカーテンを開けると、その向こうにいた人間のセミロングの黒髪が揺れる。


「ありがとう小雪(こゆき)。――(のぞみ)、久しぶり」


 この前突き放したはずの『あの子』が私を見る。

 まるで生き別れの兄弟と再会したかのような感情がこみあがり、馬鹿じゃないのとかすれた声で誤魔化した。


「昨日まで発作だったみたいだから、行こうにも行けなくてさ」


 梢は私が突き放したことをなんでもなかったかのような顔をしては小雪の隣に座った。別の患者の近くにあった椅子を借りてきたらしい。

 先ほどから穏やかに鳴り響いていた心拍を測る機械は早くなっている。


「なん……で……」

「馬鹿だなあ。私が今まで貴女の言うこと聞かなかったことがあった?」


 自分の口と鼻を覆うプラスチックが曇る。

 発作とは違う痛みが自分の胸をきつく締める。心拍の音がスピードを速め、自分の周りを囲う医療機器がアラームをバンバン鳴らし、ナースコールも押してないのに看護師が自分のところに走って来た時は梢も小雪も自分のことを心配するのではなくむしろ笑っていた。



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