自由ってけっこう難しいな。
宗教に関するセンシティブな話題を含みます。
ご注意ください。
仏新首相アダル氏。
実績の1つ、公立校における宗教分離の原則を徹底し、中東や北アフリカ (イスラム教) の女性の伝統衣裳 「アバヤ」 の着用禁止を打ち出したこと ―― と、今朝の新聞にあった。
ちなみに守らない家庭の子には 「禁止は制限でなく自由」 との手紙を持たせ、話しあいを進めたらしい。
調べたところ、フランスは革命の歴史から 「自由」 を尊ぶ国であるそうだ。
その一環として、生徒に 「表現の自由」 を教える目的でムハンマドの風刺画を見せたある教師は、後日、殺害された。
ムハンマドの風刺画については、それを掲載した新聞社が襲撃された事件もある。
アバヤ禁止の背景には、こうした事件があるのだ。
自由は大切、殺害や襲撃なんて当然ダメ。
宗教が違っても仲良くすべき。
そのための、宗教分離原則の徹底なのだろう。
けど。
それ、信仰が生活にがっつり結び付いてる人たちにとっては、どうなんだろう?
多数の自由が少数の心情を深く傷つけることもある。
イスラム教は生活と信仰が深く結びついているイメージがあります (とはいえもちろん、信者によりけり)。
女性への制限 (服装だけでなく、たしか中東あたりのキツい地域では外出制限もあるよね?) にはいい加減にしろや、と言いたくなる。あくまで個人的には。
それに、伝統衣裳好きじゃなくて、着ていかなくてよくなって喜んでる人だっているかもしれないよね。
だけど、一方では、アバヤ着るのが好きな人もいるだろう。
「女性は美しい部分を他人に見せてはならない」 教えが徹底されていて、さらけることにどうしても抵抗がある人もいるんじゃないかな?
たとえば、 「美しい裸体をさらすことこそ真の自由」 と主張する宇宙人が地球支配して、服を着ることそのものを禁止してきたら、それを我々は自由と思えるか?
……って話と同じだと思うの。
あと、イスラム教は徹底して偶像崇拝禁止。聖堂には彫像はもちろん、人物画も動物画も一切ないし、聖地での自撮りさえ一部の信者からは問題視されているレベル。
なのにさ…… ムハンマドの風刺画て。
信仰あつい人にとっては、自分自身を土足で踏みにじられる感あるんちゃう?
なんていうか。
わ ざ わ ざ す ん な や …… !
それもまた、暴力なんでは? 「自由」 って名のな!
と、蚊帳の外からは言いたくなる案件。
「表現の自由」 を教える目的でどうしても宗教使いたいなら、カトリック教会(フランスで多数派。のはず)の風刺画でもいいんでっせ?
なんでそっちじゃなくて、わざわざイスラム教にすんの?
もちろん、いくら腹立っても襲撃とか殺害とかは絶対にダメだし、それで亡くなったかたは本当に気の毒だけど。
なんか、その周囲で 「テロに屈しない! 自由だ!」 とかイキってる人たちには……
やることやっといて、一方的に相手が悪いんですか?
って、めっちゃ思った。あくまで個人的意見。