最近こんな事例を見掛けたんで、たとえを使って吠えてみる。
いきなりだが、小説の話。
T・ハリスの小説 『羊たちの沈黙』『ハンニバル』 の主人公、レクター博士は人喰趣味の殺人鬼。
映画の方では微妙なエンディングになってるが、実はレクター博士、小説の方では最後、FBI美女とオッサンの脳ミソ喰って同棲して、幸せになってるんだよね。
が。
だからって、作者が人喰趣味やら大量殺人やらを推奨してるわけではない。
作者が書きたかったのは、心に受けた傷をいかに回復させるか、というテーマだというのが、俺の印象だった。
もし、これで作者に 「『羊たちの沈黙』と『ハンニバル』は殺人・人喰趣味を推奨するクズ作品だ」 という読者がいたら、俺はそいつを軽蔑する。
作者が書きたいテーマを読み取り理解してもいないくせに、それをストーリーのせいにしてコキ下ろす、読解力の無さと自己中心的な正義感の組合せを愚鈍と感じるからだ。
理解できんものを一方的に非難し、理解の努力を怠るのは知性の無さの表れである。
だから 『共感できない』 と堂々と(まるで相手に非があるかのように)言うのも実は好きではない。
相手が社会のルールに反する事物でない限り、『共感できない』 は恥ずべきことであると思う。
共感できないなら、理解を深める努力をするか黙って去るかのどちらかだろうよ。
コキ下ろせる部分を無理やりコキ下ろして自分の正義張ってスッキリしてもさ。
それって人の見てるところでオ○ニーしてるようなもんだろうが……って。はっ……!
これもそうかも(爆)




