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妄想論

勧善懲悪となろうランキング

作者: とびうお君

 テンプレ否定肯定は相変わらず馬鹿らしい。カレーとハンバーグのどっちかしか存在してはならないって馬鹿な話をしてるんだ。いろんな料理があった方が良いに決まってるだろう?料理って基本飽きないようにレパートリーを増やすものだと思う。限度があるが、たった2パターンぐらいで片方しか許さない今の論争の様なアホな話は無い。


 どっちもあって良い。だから何度も同じ結論を書く、2つを分けるようにしろと。すべては運営が悪い。今の検索の仕組みとか見ていれば、簡単に出来る機能。実際難しいのは人間を選ぶほう。まあでも最初からやろうとしないで難しいなんていうのは話にならない。どこもやった事が無いんだ。やる前から諦めてる。


 例えば不正が横行するとあるだろう。じゃ聞くが人気作と結びつく多数派のためじゃない少数精鋭ランキングの選出者なんて不正があるか?となる。だって商業価値も多分無い作品だぞ?むしろ不正はその反対の何も選ばない普通のランキングに動機があるんだ。金になるから。そもそも拝金主義的社会の仕組みに一石を投じようという見方もあるんだ。不正がありえないとは言わないが、明らかに普通のランキングよりは不正がはびこる動機が少ない。


 これはいつも長いが前置きだ、今回話すのは勧善懲悪についてになる。ただその前提として、勧善懲悪を否定して単純で幼稚な物語とか批判が入って存在してはいけないとなるからこの前置きが居るんだ。批判と否定が違うのは批判はその作品がより良くなるためのものであるのが理想なんだ。


 理想どおりなんて無いから否定が常識になってしまうのだが、どうしてなろうのテンプレ批判は存在を許さないって否定的見解が多いんだ?カレーとハンバーグ両方あれば良いとなれば実はなろうテンプレ批判の言及の大半がそうじゃない、いやそれどころか1から書き直すレベルになる。


 勧善懲悪とどう繋がるの?これが繋がるんだ。そういった単純な悪人をなろう主人公がやっつけるって話とキャラに批判をすると、とたんに否定になってしまうんだ。それらは魅力的とは言えないとなる。”おまえがな”ってツッコミが入る。これがカレーとハンバーグの話になる。何故か片方の存在を否定する話になってしまうんだ。


 そもそも自他共に批判じゃなくて否定派なのに、何故なろうテンプレ批判って言葉に摩り替わるか?さっぱり分からない。私が常に批判なのは、だから少数精鋭ランキングで多数派のための物語がありかつ、少数派のための面白さを潰してはならないってキチンと繋がる話になってるから。これで分かるが私は今のなろうのあり方を徹底的に批判しても否定を一切し無いんだ。


 批判したはずの物語が誰かにとってはそれが良いんだとなると、それは意味がある言及なのか?となると、私の様に両方に配慮し無いとそれは存在してはいけないって否定になってしまう。優劣によって優だけを残してるって意識がこうさせるのだが、それが本来必要な物語が否定されて消されていくことになる。


 これが今のなろうの正しさに繋がる。流れで見て無いんだ。何故勧善懲悪がこうも流行するのか?過去批判と否定を履き違えた評価者に潰されたからだ。実際の所もの言わぬ受け手の多くの人はそれがそれほど嫌な物語じゃない。これらは私が過去からずっと書いてる頭を使わない多数派の受け手に繋がっていく。所謂大衆の好みになっていく。


 また同じ歴史を繰り返すのか?とても賢く振舞ってる上から目線のテンプレ否定派の批判の知性の無さにはうんざりするものがある。根本的な解決には私の両立案以外に無い。ただの中途半端じゃないんか?そうじゃない、結構な馬鹿に出来ない数が否定派がいるのと、後は、確かに今の多数派だけを見たランキングに創る事から見た問題があるからだ。その批判自体は正しいが、これが否定に繋がるとまた失敗の創作史の繰り返しになるだけだからだ。


 否定の歴史の繰り返しじゃ駄目なんだ。サイトを分けるのは否定的。これは批判じゃないはっきりとした否定。何故ならコレは過去試されて、過疎化に繋がって潰れた案だからだ。だから今のプログラムによって制御できるこの世界らしいやり方として両立をやるべきだとずっと書いている。わざわざ不便な現実の本屋さんにフィードバックしなくて良い。


 今回のテーマは勧善懲悪だが、最も言いたいのはそれを単純に批判と言う名の否定をしてはいけないという話になる。否定派の好みで一方的に否定して劣を与えてもそれは意味が無いと書いてる。過去それによって大衆にとって刺激的な話が潰されてしまったからだ。そのカウンターとして絶滅したニッチがまた爆発的に復活するのが見えないのか?となる。


 そこに勧善懲悪がランキングに占める割合が高いのは何故?の答えが出てくる。何度も書いてるが、受け手と書き手の共振化で捜索は発展していく。だがそれは大多数のあまり興味が無い大衆との乖離を招く。より大衆から遠いアートなどの芸術の創作論も似たようなものになる。その根本に大衆は基本頭を使わずに創作を楽しみたいので、共進化によって複雑になる創作の刺激を理解できないとなる。


 どうしてなろうがこんな馬鹿みたいな物語が上位に来るのか?いい加減諦めろとなる。


 それでまともな批判を展開するなら、両立こそが重要だと知ったほうが良い。あんた個人や近いマニアだけの好みによる優劣評価での劣の排除は、失敗の創作史を繰り返す事になると私は言いたい。


 そもそも勧善懲悪への批判で単純な人物像への批判が根本的におかしいんだ。だから良いんだ。もちろんそれが駄目って視点での面白さは大事だけど、それは結局は複雑化と必要以上に頭を使う物語への発展しか道が無いと知って欲しい。リアルだリアルじゃないとかのベクトルとは全く違う次元で話してる。それも絡むともっとややこしい話になる。


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