コミケの待ち時間にお読みください ~コミケ効用最大化及びコミケ入場最速理論~
バカバカしい話を真面目にバカバカしく書きました。
コミケの待機列の暇つぶしにどうぞ。
コミックマーケット。云わずと知れた世界最大の同人誌イベントである。
参加サークル数は3万以上、期間中の入場者は50万人を超えると云えば、その規模の巨大さが伝わるだろうか。
陸上自衛隊の全隊員を集めても20数万人でしかないのである。
もしコミケ入場者全員が手に手にAK突撃銃を持ち武力蜂起すればたちまち日本はオタク達の手に落ちることになるのは必至であり、政府当局は彼らの関心が政権打倒でなく趣味の追求に向かっていることに感謝すべきであろう。
さて。ここに始発よりやや遅れて到着した2人の学生がいる。
彼らの名前を仮に田中君と鈴木君とする。
なんとやる気ないネーミングかと思われるかもしれないが、確かにこのお話において彼らの名前はどうでもいいのである。
外見も特に詳しい描写はしない。眼鏡なしが田中で、眼鏡ありが鈴木と分かれば十分である。
なぜなら男に重要なのは外見でなく中身であるからだ。
眠いのでキャラを考えるのが億劫であった、ということではない。
「それにしても並んでるなあ・・・地元で始発でもこれだけの列・・・これじゃ目当ての壁サーの本は買えないんじゃないか」
「仕方ないだろう?始発より早くは来れないさ。近くのホテルに泊まる金もなければ、徹夜する気にもなれん」
田中のぼやきに鈴木が眠気眼で欠伸をしつつ答えた。
「まあいいさ。俺にはこの地図がある。事前にシミュレーションした目当てのサークルをトレースした完璧な購入ルート通りにコースを辿れば戦果はかなりのものになるはずさ」
なにやらマーカーで多くの書き込みがなされた地図を、田中は自慢げに披露した。
鈴木は地図を見ると、眼鏡を持ち上げつつ指摘した。
「ふうむ。そのコース取りだと、おそらくは満足できない結果になるだろう。かなり改善の余地があるな」
「なんだと!全てのサークルを回れるよう完璧に3週間かけて考え尽くしたルートだぞ!」
憤慨する田中につきあわず、鈴木は冷静に指摘した。
「全てのサークルを回る、というコンセプトが間違っているんだ。その地図を見る限りサークル巡りを歩くルート、つまり距離を最短化しようとしているだろう?」
「そうだ。それが一番効率的だからだ」
「それは巡回問題として問題設定そのものが間違っているんだ。田中は何をしにコミケに来たんだ?散歩をしに来たのか?違うだろう?本を買うことで魂の満足を得るために来たんだろう?」
「うっ・・・確かにそれはそうだ。だが他にどう考えればいいんだ?」
「注目すべきは距離じゃない。時間だ。田中も云っていただろう?壁サーは早々に売り切れる。人気のある同人誌はいつまでも売っているとは限らない。だから時間という要素を勘案して同人誌を手に入れることのできる確率を期待値として計算する必要がある」
「な、なるほど。時間か。売り切れやすい同人誌を最初に買いに行かないと駄目なのか・・・」
「そう。そして同人誌でも欲しい順番、言い換えれば効用の大きさに差があるはずだ。買うことで満足できる効用と購入確率の期待値、両者の積を最大化できるようタイムスケールに合わせて計画を組み直す必要がある」
「わかった!今から計画を練り直しだ!手伝ってくれるか?」
「なに、大して難しい話じゃない。人気があって売り切れそうな同人誌は先に、売り切れが遅そうな同人誌は後にするだけだ。そうして期待値が近いブースの距離を最小化すればいいのさ」
そうして鈴木の手助けを受け、懸命に計画を練り直していた田中の顔が不意に苦痛に歪み、その手が止まった。
「どうした?」
「くっ・・・できない・・・俺には選べない・・・欲しい・・・俺は全部の同人誌が欲しいんだ!」
田中の慟哭に対し、鈴木は叱咤した。
「バカか。全てを欲すれば、全てを失う!なぜそれがわからない!お前はこれまで接種してきた数多のコンテンツから、それを学ばなかったのか!」
「俺には・・・できない・・・できないんだ・・・」
力なく俯き冷たい地面に座り込んでしまった田中を見下ろした鈴木は、その怜悧な眼鏡をキラリと光らせた。
「・・・やむを得ない。もう1つの理論を試すしかない」
「もう1つの理論!!」
田中は示された希望に勢いよくすがりついた。
「ああ。名付けてコミケ入場最速理論だ」
「最速理論!!なんかわからんが凄そうだ!群馬あたりの走り屋が主張しそうな語感だ!」
「・・・まだ実戦で証明できていない理論だが、賭ける気概はあるか?
「任せろ!オタク魂の熱さでは誰にも負けねえ!全てを手に入れるためなら犠牲を払う覚悟はある!俺にコミケ最速理論を授けてくれ!」
「いいだろうーーーなあ、田中よ。コミケ開場で、いつも先頭の連中が走るのが問題になるだろう?」
「ああ。ニュースで見たことがある。走らないように、と警備に注意されているな」
「だけど後列の連中は、イライラしながら列が動き出すのを待っている。そうだな?」
「ああ。それがどうかしたか?」
「おかしいと思ったことはないか?先頭の連中があれだけ全速力で走っているのに後ろの方が詰まって進まないのはなぜだ?と」
「まあ、そういうものだと思うが、たしかに理屈で考えると不思議かもしれないな・・・」
「これは車の渋滞が起きる理屈と一緒なんだ。衝撃理論といってな、列の先頭が少し速度を緩めると、減速が衝撃のように大きくなって伝わっていき最後には止まってしまう。れっきとした物理現象なんだ」
「へー・・・」
「それと同じことがコミケの列で起きている。先頭の男が走ったとする。次の男は先頭の男より少し遅めに走ることになる。列では先頭の男を追い抜けないからな。その次の男はさらに遅くなる・・・そのちょっとした減速の繰り返しの結果、最後には停止する。そして開場後もちっとも進まない列になるわけだ」
「んー・・・まあ理屈はわかった、気がする。それで?俺はどうすればいいんだ?」
「それを解決する理論こそが、コミケ入場最速理論だ!だが理屈で説明したとおり、これは1人では解決できない問題だから大勢の協力が必要だ。それをするためには、お前に覚悟が要るぞ。本物の覚悟だ」
「やるといったらやる!オタクに二言はない!」
「わかった。田中のオタク魂を信じよう。衝撃理論で説明したように、要するに先頭に続く人間の速度が違うことが問題なんだ。続く人間が完全に同じ速度で進めば全体の速度は劇的に向上する。わかるか?歩きでもいい。全員の進む速さを完璧に同じにするんだ。それがコミケ入場最速理論の鍵だ」
「ええ・・・そんなの無理だろ?」
「オタクに二言がないんじゃなかったのか。いいか?現実にやっている組織はある。軍隊だ。軍の行進とは、つまりは歩足を同一にして行軍速度を上げる訓練だ。そして俺達は日本人で、運動会では何年間も行進の練習をしているじゃないか。いわば訓練済みの熟練兵だ。素養はある。必要なのはリズムと音楽だ。そこでお前の出番だ!」
「俺の・・・出番?」
「俺は知っている。お前のヒトカラでアニソン20曲連続100点を叩き出した抜群の音感とリズム感。ジェットエンジンを上回る130デシベルを叩き出す迷惑なまでに豊かな声量!立川に舞い降りたアニソンの帝王の歌声とダンスゲームで鍛えたキモいダンスのリズム感を見せるときだ!」
「・・・そこまで言われちゃあ、仕方ない・・・」
田中は覚悟を決めて謡い、踊り始めた。
その体から全身を楽器として吐き出された歌声は、冷たく静かな冬の夜明けの空気を震わせ、寒さに凍える人々を振り向かせずにはいられない厳かな迫力があった。
田中は謡い続けた。ときに強くリズムを刻み、手拍子を要求した。聴衆は歌に応じて足を踏みならし、寒空の元で列をなす人々のリズムは一体となって織りなしていった。
それはまさに、カーニバル!祝祭であった!
長大な列の片隅で始まった祝祭のリズムは、まさしく衝撃が広がるように、じわじわと列の前後に伝わっていく。
「おい・・・歌が聞こえるぜ」
「なんだ、この音楽は・・・」
「自然に踊り出したいようなーーーまるで遺伝子が活性化するような」
「わかりました。我々の中のカールチューンが呼び覚まされているのです・・・」
「ヤック・・・デカルチャ・・・」
音楽はリズムとなり、リズムは大波となり、それは開場を待つ大勢の人々に伝わっていった。
それはまさに地上に出現した天上の調であり、約束された祝福の訪れを予感させる祝祭そのものであった、と後に居合わせた人々は回想した。
「いける・・・いけるぞ!あとは、このリズムを保ったまま開場時間に合わせて人々を誘導すれば俺の最速理論は証明される!そして先頭はお前だ!」
「お、俺が?」
「そうだ!このリズムを作り出しているのはお前だ!お前が先頭に立って人を率いるんだ!立川のアニソンの帝王田中よ!
「あ、ああ!任せておけ!!
ザッザッザッ!パン!ザッザッザッ!パゥ!ザッザッザッ!パパン!!
田中は人々と一体となり、そのリズムの赴くまま意気揚々と進み続ける。
今や彼は音楽であり、人々の流れであり、リズムの先導者であった。
ザッザッザッ!パン!ザッザッザッ!パゥ!ザッザッザッ!パパン!!
もはや誰も田中を止めることはできない!
「大声の歌は近隣の迷惑になります!!ーーーまた列の順番を崩すことは認められません!!!」
そう。運営スタッフ以外は。
「あ・・・はは・・・そ、そうですよね・・・はははは」
黄金の時間は唐突に終わりを告げた。
巻き込まれては大変、とばかりに潮がひくように周囲の人垣が去っていく。
共犯の田中がスタッフに怒られている間、鈴木は眼鏡を外しモブ度を上げて人々の間に紛れ込むことで叱責を回避することに成功していた。
他にも多少の騒ぎありつつもコミケは通常通りに開催されーーー田中と鈴木は昼近くにようやく入場することができたが目当ての同人誌は当然のように買えなかった。
鈴木の「コミケ最速理論」は、またしても実戦で証明の機会を逃した。
「ーーーだけどな、あの一瞬は全ての人々が地上で一体となった。あの一瞬だけは俺の理論は証明されていた、と思うんだ」
「やかましい!眼鏡とばすぞ」
鈴木の述懐はスタッフにタップリと絞られて不機嫌な田中に遮られた。
「いいじゃないか。コミケはまた来年もあるじゃないか。とびっきりの奴がさ。その時こそーーー」
「うるせえっっ!!来年はお前とは一緒に来ねえよ!!」
それが2017年のこと。
そしてーーー平成最後のコミケが始まる。
戦果を期待しております。
今日は寒いのでお気をつけて。