10月7日 朝霧愁晴
ここがどこなのかはわからへん。今が何時なのかもわからへん。目の前のベッドで死んだように生きる男──朝霧愁晴が名もなき俺のすべてやった。
「まだ死なへんの?」
今日もまたそれを尋ねる。
「死なへんよ」
「何わろてんねん」
気味が悪かった。時々出会うおっちゃんやおばちゃんたちは綺麗やのに、おっちゃんは窶れて今にも死にそうな見た目をしていた。それでもニコニコと笑っていた。
「知らんの? 笑うことが一番なんやぞ」
「何言うてんねん。意味わからんわ」
「人はな、笑わへんかったら死んどるのと一緒やねん。それくらいわかるやろ?」
「わからん」
「お前はいっつも不細工な面しとるからわからんやろうけど、考えてみいや。わろとったら争いは起きひん、せやからみーんな幸せやろ? 幸せは生きとるのと一緒やろ?」
「ほんまにわからん」
強情を張っているつもりはなかった。本当にわからへんかったから。
「せやったらわかりやすく言うたるわ」
どんな言葉に直したって人形の自分には伝わらない。諦めてたのに、朝霧愁晴は多分、諦めてへんかった。
「──ニコニコは世界を救う」
視線を上げる。まだニコニコと笑っていた。そんなことを時々言っていて、だから自分も真似してそれを言っていて、それで。
「俺なぁ、人を助けるんが夢やったんよ」
急に何を言い出すんやこの人は。衝撃を受けていたのだと遅れて気づいてしまったから、話にまったくついて行けない。
「せやけど、最期まで、人に助けられてばっかやったなぁ……」
「何、を」
ピーといううるさい音が真っ白な室内に響いとった。止められへん、止め方を知らへん、戸惑っているうちに大勢の人間が入ってきておっちゃんを囲む。
「な……」
大人たちのその素早い動きは、この時をずっと待っていたかのようやった。
自分もこの時を待っていたはずやのに、襲いかかってきたこの感情はなんなんやろう。
朝霧愁晴が死んだ。
ずっと一緒におったのに、流れてしまった涙の止め方をおっちゃんは教えてくれへんかった。
自分が干からびてしまうかと思ったが、おっちゃんが「ニコニコせえ」と言っているような気がして無理矢理笑った。
自分は朝霧愁晴やから。こんな時でも朝霧愁晴は笑っているはずやから。
「来なさい」
五道さんに声をかけられた。五道さんはおっちゃんに近づかず、俺からもある程度距離を取り、命令を下す。
この瞬間に、彼の〝クローン人間〟の自分は朝霧愁晴になった。
生まれて初めて世界を見た。




