8月14日 カグツチ
百鬼夜行で主を亡くして、無限のような痛みに耐え切った先で待っていたのは耐え難い現実だった。
主の一族と、自分以外の式神の全滅をどうやって受け入れろと言うのだろう。
そんな俺に落ちた光はたった一人の生き残りだった。その存在に気づくことが遅れたのは、そのたった一人が五歳にも満たない子供で苗字を芦屋に変えていたからだった。
彼は俺の名前を知らない。陰陽師として戦える年齢になったとしても、呼ばれるのは芦屋家の式神かもしれない。それでも、僅かだとしても希望が残っているのなら俺は絶対に眠らない。この家の式神は俺だけだから。あの家の陰陽師は彼だけだから。
彼が大人になるまでの時間は長くない。いくらでも待てるから、その日まで俺はこの森で暮らそう。
「私の家に来ませんか?」
そう言ったのは、人間なのに陽陰町の掟を破って森の中に入ってきた女だった。
ビャッコから千里と呼ばれていた女は、俺に同情しているのだろうか。だが、怒りは湧いてこなかった。
「行かないよ」
この六年で言われ慣れたというのもあったが、この女が人間で完全なる善意で言っているからだろうか。
「どうして」
「俺はこの森の主。この森の支配者、この森は全部俺のモノ。式神の家とか人間の家とかそんなちっぽけなところには絶対に行かない」
女の、人間にしては珍しいラベンダー色の瞳を見つめ返しながらそう答える。
俺がここにいる理由は、百鬼夜行を起こした妖怪が森から溢れてきたからだ。俺がここにいる限り、百鬼夜行は絶対に起こさせない。無駄な決意だとしても俺はそう思っていてる。
「罪人、帰る家があるならさっさと帰りな」
それが一番いいことだと思っている。俺も、彼が──多翼が俺の名を呼ばなかったら眠るつもりでいるから。
こう言ったら式神は全員去っていく。同じ式神だから俺の覚悟を受け取ってくれたのだろう。だが、女は人間だからか俺の覚悟を受け取らなかった。
「カグツチさん! 私、いつか絶対にカグツチさんの家を作ります!」
「はぁ? 何急に……要らないんだけど」
「作ります! 任せてください!」
「あのさぁ。罪人が何考えてるのかはわかんないけど、式神はねぇ、簡単に式神の家を作ることができるの」
「えっ」
「俺が家無しなのは俺の意思。だから、余計なことしないでよねぇ」
「…………わ、わかりました」
「そういうこと。ほらほら、わかったらさっさと帰れって」
そう言うが、その思いはこの六年で一番嬉しい優しさだった。