5月8日 首御千瑠璃
あの子は自分が首御千家の人間であることを知らない。だから、あの子が教育学部ではなく文学部を選んだことに驚きはなかった。教育学部を選んでいた方が驚いてしまうくらいに首御千家の人間と縁なく過ごしてきたあの子は、わざとなのか教育学部の建物には一切近づかない。
最初はまったく気にしていなかった。けれど、気づけばこの眼はあの子のことを探している。口ではなんとでも言えるけれど、私はあの子のことが気になるらしい。そういう自分であって良かったと、少しだけ思う自分がいる。
あの子は私の実の娘。百妖朱亜と名乗る首御千朱亜なのだから。だから、まったく気にしない自分でありたくなかった。
陽陰大学も白院家が理事長を務めている。けれど、首御千家の現頭首である私が万緑の代わりを務めることが多い。だから、朱亜の個人情報を確認することは簡単だった。
朱亜の時間割りを把握して、朱亜が通るであろう道の端で朱亜を待つ。
私はあまり表には出ないけれど、全員私の存在を知っているのだろう。私を避けて通っていく生徒たちに多少の申し訳なさも感じる。
今まで、何も感じなかった。私は首御千家の現頭首。首御千家に生まれた轆轤首の半妖。宿命と運命を受け入れて、決められた道をただ歩いていく。
ずっとそう思って生きてきたけれど、同じ宿命と運命を背負う娘が生まれて、この大学に先月入学してからは──多くのものを感じている気がする。
息子の青葉には何も感じなかった。朱亜が高校生の時青葉が朱亜の話をよくしていたけれど、朱亜にばかり気を取られて青葉のことは見ていなかった。従姉が亡くなって従甥の千貴が独りになっても、私は千貴に手を差し伸ばそうとは思えなかった。
そんな自分に疑問を抱くことさえなかったけれど、朱亜を気にするようになってから初めて気づく。私は、私よりも自由に生きる彼らに心を砕きたくなかったのだ。私と同じ道を辿る朱亜の道標になりたかったのだ。
私が、母様にそうしてほしかったから──。
「ッ」
半妖の気配がして視線を上げる。私を見て固まる朱亜も、私の存在を知っていたらしい。
朱亜は私に軽く頭を下げて、小走りになりながら目の前を通り過ぎようとする。
「待ちなさい」
避けられているならば仕方がない。けれど、これだけは言っておきたい。
「教員免許」
「え」
「取りなさい。きっと、貴方の役に立つだろうから」
理由を言うことは許されない。だから私は、逃げるようにその場を去った。