5月1日 文梨勇己
目の前に鴉が立っていた。
「ごめんください」
その鴉は、どこからどう見ても一般人ではない。鴉色に染まった軍服を着た青年は、《十八名家》の人間だと言われないと納得ができないくらい高貴だった。
「あ……」
そんな高貴な人間がなんの用でこの鍛刀場に来たのだろう。潰されてしまうのだろうか、そんなのは駄目だ。俺の夢は、祖父のような刀工になることだから。
「刀工の文梨さんはいらっしゃいますか?」
だというのに、青年は物腰が柔らかかった。敵意もまったく感じない。鍛刀場から出てきた祖父は「誰だ」とだけ問う。
「あぁ、大変申し訳ありません。私は鴉貴輝司、《十八名家》鴉貴家の分家嫡男です」
微笑んだ鴉貴さんの目はまったく笑っていなかった。ゾッとするほどの恐ろしさを彼から感じるのに、祖父はまったく彼のことを恐れない。
「……刀か」
「はい。《カラス隊》の隊員たちに刀を持たせたいんです。〝実戦〟で使用できるものを一ヶ月以内に五振り用意してください。そして、一年以内に貴方の新作を十振り用意してください」
祖父が刀工である時点で、この陽陰町には刀の需要が存在することに気づいていた。《十八名家》が所有している刀の手入れをしているのだろうと思っていた。
だが、鴉貴さんは今なんと言った? 刀を使う? 戦国時代でもない現代で、実際に使う刀を新しく作らせる意味は?
「何を仰っているんですか」
わからなかった。なのに祖父は鴉貴さんの依頼を疑問なく、文句もなく、受け入れた。
「勇己、手伝え」
そんなことを祖父から言われたのは初めてだ。後継者として認めてもらえたようで嬉しかったが、今は戸惑いの方が大きい。去っていく鴉貴さんを追いかけたかったが、俺のような一般人が尋ねたところで返ってくる答えはないだろう。
「お爺様、あの方は俺たちの刀で一体何を──」
「探るな」
祖父も理解しているようだった。鴉貴さんと同じように背中を見せて遠ざかっていく祖父に雑念はない。ただ良いものを作ろうという意思だけがある。
「はい」
これから刀工になる俺は、そこまで大人になり切れるだろうか。鴉貴さんとの縁はきっとこれからも続いていく。会う度に俺は好奇心を刺激されていくのだろう。
俺が刀工になりたいと思ったのはただの好奇心だ。
町唯一の刀工である祖父の後を継げるのは俺だけで、俺だけが知ることのできる世界だと思っていたから憧れた。鴉貴さんの存在は、俺の好奇心を充分すぎるほどに刺激していた。