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ふたりの自殺未来  作者: 広瀬翔之介
第2章
8/33

26歳の誕生日に自殺をするということ

 新宿での会合を終えた後、蒼井やなはるは自宅の最寄り駅である北朝霞駅で降り、いつも通りにスーパーで夕食の食材を買ってから帰宅した。


 家に着いたらすぐに夕食の準備に取り掛かった。

 今夜はカレーライス。スーパーでカレー用のルウやら野菜やらを特売していたのだ。それに、カレーライスを美味しいと思わない日本人はそれほどいない。


 夕食ができると、リビングでぼうっとしている母を呼び、食卓に着いた。


 やなはるは旅行で一週間家を空けることを母に告げなければならなかった。他のメンバーはニートであったり、休職中であったり、夏休みであったりしたが、やなはるは少し事情が異なっている。


 認知症の兆候がある母を一週間置いていかなければならないが、印鑑の置き場所も覚えられない母が一週間私なしで生き延びられるだろうか、とやなはるは考えてみた。しかし、微妙なところだ。



 まあ折角の機会だし、母は私がいなくても生きられるのか()()()()()()()のも悪くない。母が野垂れ死んだら、私は罪に問われるのだろうか。家を出るまでは母は何の問題もなく健康でした、認知症の兆候は全く見られませんでした、これは不慮の事故です。これで泣きながら押し通すしかないか。私ならきっと何とかできるだろう。


 あるいはもし何らかの理由で逮捕されるとしても、ずっと母の面倒を見るよりは一旦死なせて刑務所に入り、刑期を終えてから一人で生きていく方が、長期的に見ればまだマシだったりするかもしれない。



「お母さん、私、来週一週間友達と旅行に出掛けて行くから」

「そう、どこに行くの?」

「福井とか京都とかいろいろ。私がいなくてもちゃんとご飯食べるんだよ」

「わかったよ、気を付けて行っておいで」



 一応、言質は取った。明日には忘れられているかもしれないが、母本人が行って良いと言ったのだから後はどうなろうが私の知ったことではない。酷いと思われるかもしれないが、善良な親からまともな子供が生まれるとは限らないのだ。



 やなはるは夕食の後片付けを済ませ、自室へ戻った。


 いつも通りパソコンを立ち上げ、小説の執筆を始める。奥中成と出会ってから小説の執筆は捗っており、やはなるの理想とするものに近づいていった。


 小説を書きながらやなはるは考えた。



 今現在はさほど問題ないが、母の存在は間違いなくこれからリスクとなっていく。育ててもらった恩があろうが、年金が給付されようが、認知症で保険が下りようが、私の障害であることには変わりない。しかし、だからこそ今度の旅は最後までやり遂げなければならないんだ。



「頼んだぜ、成君」


 やなはるは静かな波音のように囁いてみた。



        ◇◇◇◇



 新宿での会合の翌日、成は自宅のベッドで仰向けに寝転び、物思いに耽っていた。天気は快晴で、夏の開放感がどこまでも広がっていくような青空だ。成はそこに浮かぶ白い雲をただ意味もなく眺めていた。


 旅行に行くことを承諾してしまったが、本当にこれで良かったのだろうか、と自分に問い掛ける。



 渚の計らいによって、成が死のうと思っていた日が旅行の最終日に設定された。渚がいろいろと提案してくるせいですっかり忘れていたが、成の二十六歳の誕生日はもう二週間後に迫っている。幸福な公園の風景の中で決意した、自分が死ぬ日。もう、今が人生のクライマックスなのだ。


 落ち着いて考えてみよう。

 俺は誕生日にすんなり死ぬことができるのだろうか。いざ死のうとしたら怖くなって、「なんだい、成君。ここまで来て結局死なないのかい」と渚をガッカリさせないだろうか。


 そういえば俺は、渚がなぜ自殺に関する小説を書いているのかもよく分かっていない。この前会った時に訊こうと思っていたが訊きそびれてしまった。渚の本当の目的は何なのか。彼女が引き連れて来た三人の自殺志願者は一体何なのか。



 いくら考えても答えは出ないので、成は諦めて音楽でも聴くことにした。インターネットの動画サイトを開くと、トップページに成の知らない洋楽ロックバンドの「DEAD」という曲のミュージックビデオが紹介されていた。


 普段洋楽は聴かないが、曲名が今の自分にぴったりだと思い再生してみた。


 不穏のタイトルとは裏腹に、牧場のような広大な草原で四人の男達がお気楽なフォークソングを演奏していた。成は英語が得意ではないので歌詞の意味は分からなかったが、「DEAD」というタイトルなのだからきっと死について陽気に歌っているのだろう、と勝手に解釈した。


 その曲を聴いている内に、壁の向こうから甲高い女の声が聞こえてきた。気が付けば隣の部屋のカップルがセックスを始めていた。壁が薄いからすぐに分かってしまうのだ。


 真夏の青い空のスクリーンに、死について歌ったフォークソングと女の喘ぎ声が響き渡る。そんな奇妙なアンサンブルに身を委ねながら渚のことを考えた。成は渚の声が聞きたかった。




 その日の夕方、結局渚に電話を掛けてみることにした。


 風俗を辞めた渚が平日に何をしているのか知らないが、繋がらなければまた向こうから掛け直してくるだろう、たぶん。


 成はスマホの電話帳を開いた。渚の他にキオとケイトのメールアドレスも加わっている。最近はメールより、無料でチャットや通話ができるアプリの方が主流だが、成がメールしか使わないのでメールアドレスを交換することになったのだ。ミチコは今時の女子高生にしては珍しくスマホを持っていなかった。


 画面をタップして電話を掛けると、五秒後に渚が出た。


「もしもし、成君?」

「おう」

「どうしたの?」

「ちょっと聞きたいことがあったんだけど、大丈夫かな?」

「いいよ。と思ったけど、折角だから新宿まで出てこれない? どうせ暇なんでしょ?」

「暇じゃないけど、いいよ」

「OK。それじゃあ、七時に新宿駅の西口に集合ね」

「わかった」

「じゃあ、また後でね」


 そう言って渚は電話を切った。


 実際には暇を持て余していたし、成に会いたがる人間など他にはいないし、正直に言えばこの展開を少しだけ期待していた。




 午後七時ちょうどに新宿駅西口に着くと渚は既に待っていて、「やっほほい」と手を上げて挨拶した。二人は駅の西口を出て、前回新宿で会った時と同じように正面の大通りを歩いて行った。きっとまたあの公園に行くのだろう。


 平日月曜日の夜ということもあり、新宿の街は仕事帰りの人々でごった返していた。彼らの灰色の一週間はまだ始まったばかりであり、誰も彼もが浮かない顔をしている。渚はそんな彼らを見て、あの親父はカツラだとか、あの人は後十年は安泰だとか、あのおっさんは既に焼け野原だとか、勝手に人の頭頂部を品評した。成はそんな話をただひたすらに相槌を打ちながら聞いていた。


 そうしながら歩いている内に公園に着いたので、その中へ入って行った。夜なので人の姿もまばらであった。


「それで、訊きたいことって何なの?」


 歩きながら渚が尋ねた。


「それなんだけど……お前はなんで、自殺をテーマにした小説を書いているんだ?」

「……秘密」

「そうか」

「…………」


 会話が終了してしまった。仕方がないので、頑張って話を広げようとした。


「でも、俺から言い出したこととはいえ、よく引き受けたよな。人の自殺に立ち会うなんて」

「別に人の自殺に立ち会いたいわけじゃない。私は()()()()()()()()()()()()んだよ」

「……俺、何かお前の恨みを買うようなことしたか?」

「ハハハ、そうじゃないよ。なんで成君の自殺に立ち会いたいかというと……」


 そこで渚は口を閉ざし、成を見た。既に失われてしまったものをずっと追い求めているような、悲しげな瞳だった。


「それはね、成君がもうすぐ二十六歳になるからだよ」


 それを聞いて成は混乱した。謎を解決しに来たのに、謎は更に深まっていった。


「今書いている物語があるんだけど、どうしても何かが足りなくてね。今の私じゃ完成させられないんだ。それは、私にはまだ人生経験や、それらが形成する心の機微が不足しているということなんだけど、成君の自殺に立ち会うことよって()()()()()()()()()()()()はずなんだ。それが理由」


 成は渚の話を聞きながら頭の中を整理した。


「つまり、お前は自分の物語を完成させるために俺の自殺に立ち会う必要がある」

「うん」

「それは、俺の自殺に立ち会うことによって得られるものがあるからだ」

「そういうことだ」


 渚が頷いた。


 人としての倫理や社会的な常識などは、渚には関係ないのだろう。彼女はまるで、そういう概念とは別の世界で生きているようであった。


 成は話を続けた。


「それで、なぜ俺なのかっていうと、俺がもうすぐ二十六歳になるから」


 渚は何かを言おうとしたが、言葉にならないという風に口だけを動かしていた。


「それ以上のことについては、またいつか話すよ」


 渚はそう言うと、もう一度成の目を見た。先ほど見せた僅かな悲しみのようなものはなくなっていた。その瞳の奥には何もかもがなかった。


「あの三人のことも?」

「キオ君にケイト君にミチコちゃんだね」


 渚の瞳は遠くを見た。


「彼らが何者なのか、私とどうやって出会ったのかは成君にとってそれほど重要なことじゃない。君が本当にこれから死ぬのであれば」


 そう言われてしまうと成は返答に詰まった。結局のところ、自分が死んでしまうのであればそんなことを知ったところで何も変わらないのだ。


「とにかく、私にとっては重要なのは」


 渚の瞳に成が映る。


「君が二十六歳の誕生日に自殺をするということ」


 二十六歳の誕生日に自殺をするということ――。


 成はなぜかその響きに惹かれた。その言葉には悲しさや儚さではなく、正体不明の美しさのようなものが感じられた。


 それから、しばらく二人で無言のまま夜の公園を歩いた。渚が成より少し先を歩いていた。


「旅行、楽しみだね」


 渚は振り返り、先ほどまでの話が嘘のように微笑んで見せた。成はどういう顔をすれば良いのか分からなかった。


「旅に出る前に、もう一度話ができて良かった。だって……」


 渚は夜空を見上げた。暗闇の中、弓張月が静かに浮かんでいた。


「こうして成君と新宿の街を歩くのは、これで最後だから」


 成と渚は引き返して駅までの道のりを歩いた。月の光だけが二人の行く末を微かに照らしている。その影に隠れるようにして、彼女の願いが息を潜めながらひっそりと横たわっていた。

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