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ふたりの自殺未来  作者: 広瀬翔之介
第1章
3/33

死が二人を分かつまで

改稿箇所


・表現の修正

 成は渚と別れたあと、北浦和駅で電車を降りた。

 もう太陽はほとんど沈み、代わりに街の明かりが人々の疲れた表情を照らしている。

 駅前のコンビニで今日の晩ご飯を買い、そこから五分程歩いたところにあるアパートへ帰った。


 まず風呂に入り、それからパソコンで動画サイトの動画を見ながらコンビニ弁当を食べ、食後はベッドの上で横になる。

 考えごとをするにはうってつけの、静かな夜だ。

 成はその静寂に耳を澄ませ、今日の出来事について思い返してみた。



 ほとんど思いつきで、自殺をしてみせるなんて言ってしまったが、本当にそれでいいのだろうか。悲しむ人がいるのではないのだろうか。まあでも、俺が死んで悲しむ人はいても、俺が死んで困る人はいない。妻や子がいるわけじゃないし。悲しみは時間が適当に癒してくれるだろう、たぶん。だから、自分が死んだあとのことなんて、どうだっていい。


 会社を辞める時も周りの人達はこれからの生活のことを心配してくれたが、俺はそんなことはこれっぽっちも憂えていなかった。そもそも生きたいと思っていない奴が、生活や将来の心配なんかするわけないのだ。もし現実的に、主として金銭的に生き続けることができなくなった場合は、その時点で生きることをやめればいい。それくらいに思っていた。


 俺は自分で気が付いていなかっただけで、本当は死に場所を求めていたのかもしれない。いや、正確に言えば、死にたいのではなく、人生が終わることを望んでいるのかもしれない。その二つの表現には微妙な意味合いの違いがある。


 それに、今死ななかったとしても他にやることなんて何もない。それだったら、可愛い女の子をちょっと手助けしてから人生のエンディングを迎えるのも悪くないのではないか。何もない後日談が延々と続くくらいなら、ここで綺麗に終わった方がいいのではないのか。



 成はひとしきり考えた末、やはり明日渚に連絡して、()()()()()()()ことにした。


 今思えば、不必要に人に干渉せず、自分のために生き、自分一人で完結することが成の生と死の美学であった。


 しかし、最後の最後になって、小説家を目指す見知らぬ女のために自殺をするというわけの分からない死に方をしようとしている。そのことを自分でも不思議に思った。


 きっと、そうすることによってこれから何が起こっていくのかを見届けたくなったのだろう。たとえ命と引き換えにしても。いや、この命を差し出すからこそ。


 考えがまとまったので、もう眠ることにした。隣の部屋の住民も寝ているのか、生活音のようなものは聞こえてこない。


 静かな夜には、自分という存在が手に取るようにはっきりと感じられる。どれだけ耳を澄ませても静寂はどこまでも静寂であり、どれだけ考えを巡らせても自分はどこまでも自分であった。




 翌日、成は午前十時頃に目が覚めた。遅い朝の光に晒されると、昨日の出来事が現実ではないようにも思える。何も自殺まですることはないのではないかという気さえした。


 しかし、バターロールを二個食べ歯を磨いたあと、結局渚にメールを送ってみることにした。自分は死んだ方がいいのか、死なない方がいいのか、そんなことを考えるのはもう面倒になっていた。なんとなく渚と連絡を取ってみたい、ただそれだけだ。


 財布に入れておいた渚の名刺を取り出した。ふざけたデザインの名刺にふざけたメールアドレスが書かれている。それをスマホの電話帳に登録し、メールを送信した。


「昨日会った奥中成です。やっぱり自殺しようと思うんだけど」


 我ながらいい加減な文面だと成は思った。でも仕方がない。小説家志望の元風俗嬢に「これから自殺します」なんてメールを送ったことなんてないのだから、どんな調子で語りかければいいのかなんて分からない。


 それから午前中は妙に落ち着かない気持ちで過ごした。送信エラーは発生しなかったから実在するアドレスなのだろうが、本当に返信が来るのかと、そればかり気にしていた。


 しかし、昼前になってようやく渚から返事が送られてきた。鼓動が鈍く強く打つのを感じながら、そのメールを開いた。


【渚】

 今週の日曜日の午後2時は空いてる?


 そのメールを見て、意表を突かれたような気がした。「やあ」とか「こんにちは」みたいな挨拶もないし、こちらが自殺すると言っているのに「大丈夫?」とか「本当にいいの?」というような成を気遣う言葉もなかった。知り合いと待ち合わせをする時と何ら変わらない。心配してもらうことを期待していたわけではないが、少しだけやる気が失せた。


 考えるまでもなく、今週の日曜日は空いていた。というより、これから死のうとしている人間に何か予定があるわけがない。


 予定が空いていることを伝えると、渚は待ち合わせ場所に新宿駅の西口を指定した。



 新宿? 新宿で一体何をするというのだろう。



 成にはよく分からなかったが、とりあえず了承した。すると、渚からすぐに返信が届いた。


【渚】

 今週末にいきなり自殺するわけじゃないから、気軽に来てくれたまえ。それじゃ!


 妙に上から目線のメールを読んで、成は目を細めた。そして、別れの挨拶を送信してベッドに寝転んだ。



 そうか、いきなり自殺するわけじゃないのか……それなら、()()()()()()()()()



 物事が見知らぬ方角へ進みつつある予感がした。


 これから一体何が起こるのだろう。




 待ち合わせの当日、午後二時ちょうどに新宿駅の西口へ行くと、そこにはちゃんと渚がいた。一度しか会ったことがないのでスムーズに合流できるのか不安ではあったが、すぐに見つけることができた。


「やあ」渚が短く挨拶した。

「おう」成は短く答えた。


 渚は白いカットソーとデニムのスカートを着こなしていて、風俗店で見た制服姿なんかよりはずっと可愛らしく見えた。だけど、あえてそのことは口に出さなかった。


 女性と待ち合わせをするのは随分久しぶりだったので少し緊張したが、なんでもないことのように振る舞った。


「いやー、まさか本当に連絡してくるなんてねぇ」


 渚が成の肩をポンポン叩いて言った。


「そっちが連絡してって言ったんだろ」

「そりゃそうだけどさぁ」

「今日は何をするんだ?」


 今更だが、それを聞いていなかった。


「まあまあ。とりあえず、ちょっとそこまで歩こうか」


 そう言って渚は歩き出した。ちょっとそこというのが、どこなのかは分からない。


 二人は駅の西口を出て、正面の大通りを真っ直ぐに歩いていった。


 他愛もない雑談をしながら十分程歩いている内に大きな公園に着いた。新宿のど真ん中にあるという点を除けば、何の変哲もない公園だ。


 公園の中を少し歩き、ベンチに座った。目の前には芝生が広がり、家族連れの姿も見られた。


「風が気持ちいいねぇ」


 渚がそう言った。火照った肌の上をそよ風が滑る。


「私、公園って好きなんだよね」

「そうだな」

「そうだなって、なんだよ」


 雑な相槌に渚が笑った。


 しかし、すぐに小さな沈黙が訪れた。


 成は何から話せばいいのか分からなくなっていたが、やがて渚の方から例の話を切り出した。


「自殺するんだ?」

「うん」

「誰かに相談した?」

「してない」

「そ」


 渚はそこで少し黙って何かを考えてから、また口を開いた。


「まあ、もし君が自殺をしたら、誰かが『何も死ぬことはないじゃないか』とか、『相談してくれれば良かったのに』とか、思い思いに言ってくれるだろうね。でも、そんなのは結局他人の都合だよ。『なぜ自殺をしてはいけないのか』という問いに対する意見も他人の都合ばかりで、本人の意思を汲んだ答えなんて存在しない」

「言い切るね」

「うん。だから、君は本当に自分が死ぬべきだと自分自身で判断したのなら……ね。君には君の都合があるんだから」


 自分の都合。成はそれを思い浮かべようとしたが何もなかった。


「そんな大した都合や理由なんてない。ただ俺は、なんというか、人生に対して()()()()()()()を感じているんだ。なんでかは分からないけど」

「それも都合の一つだよ」


 渚は成に向き直った。


「それで、駅で危ないことをしていた私の話を聞いて、自分が自殺して見せてあげようと思ったわけだ?」

「大体、そんな感じだ」

「一人で死ぬのは嫌だった?」

「別にそういうわけじゃない」


 成は一呼吸置いて続ける。


「孤独死は嫌だとかいう話をよく聞くけど、俺には理解できないんだ。家族に看取ってほしいとも思わないし、寂しいという感情がないのかもしれない。激しい苦痛がなければどんな死に方でも構わない。死ぬ瞬間のことなんてどうでもいい。孤独死して腐敗していくとしても。だって重要なのは、どう死ぬかじゃなくて、どう生きたかってことじゃないのか?」


 一息にそう言うと、渚は少しにやけた。


「へー、かっちょいー」

「なんだよ」

「いやー、語るねー成君」

「悪いか」

「まあ、それも考え方の一つだね」

「あっそ」


 渚が茶化すのでそっぽを向いた。


 休日の公園では人々が穏やかな時間を過ごしていた。


 父親とその息子が楽しそうに遊んでいて、母親がそれを優しい瞳で眺めている。恋人達が手を繋いで歩き、外国人は芝生に寝そべって日光浴。空は青くて、草木は色鮮やかで、風が心地よくて……そんな小さな生きる喜びを一つ一つ集めたような世界だ。


 そして、そんな場所で死について語り合う自分達がとても異質な存在に思えた。自分の考えていることが、非現実的なことに思えた。


「成君よ」

「なんだ」

「君が死ぬ理由はなんとなく分かった。そこでだ」

「うん」

「成君は電車の中で、自分が自殺することを提案してくれたわけだけど……」

「うん」

「私の方からお願いしてもいいかな?」

「どういうことだ?」


 成は首を捻った。


「この、ある種の契約のようなものに関して、君の方から提案するという形じゃなくて、私の方から頼みたいの。たとえ、この先何もないのだとしても、一つの人生を終わらせるわけだから、こっちからきちんとお願いしておきたい。()()()()()()()って」


 成には渚の言っていることの意味がよく分からなかった。この話をどちらから持ちかけようが、結局は同じことのように思えた。


 しかし、意図は読めなくとも成としては別にどちらでもいいので、了承することにした。


「いいよ。よく分かんないけど」

「ありがとう」


 渚は少しの間だけ空を見ていた。そして、自分の髪を指先で梳いた。成はそんな仕草に見惚れていた。


 やがて、渚は成の方を向いて言った。


「私を、あなたの自殺に立ち会わせてくれませんか?」


 陽だまりで歌う子供のような、穏やかな笑顔だった。


「それに、飛び込み自殺なんかよりも、もっと素敵な死ぬ方法を二人で考えてみようよ。たとえ短くとも折角の人生なのだから、然るべき時、然るべき場所、然るべき方法で終わらせるべきだと思うの。終わり良ければ全て良しって言うでしょ?」


「……うん、そうだな」


 成が頷くと、渚は右手を差し出した。成はそれをおずおずと握り返した。渚の手には命のぬくもりが感じられた。


 ともあれ、これで渚の言うある種の契約のようなものが結ばれた。これからどうなるかなんて分からない。成にとっては、渚との繋がりがあるということだけで充分だった。


「ん。それじゃあ、あとは、いつ、どこで、どうやるかを決めようか」


 渚がそう言うと、成は空を見て考えた。


 然るべき時、然るべき場所、然るべき方法。


 そして、何気なくスマホでカレンダーを見てみると、あることを思い出した。


「誕生日だ」

「え?」

「俺、来月の八月十四日が二十六歳の誕生日なんだ」


 カレンダーをじっと眺めながら呟いた。


「その日に自殺する」


 別に、ただ記念日だからという理由ではない。しかし、なぜか二十六歳の誕生日という日に強く惹かれた。


「ふうん……」


 渚は目を細めて何かを考えていた。


「それは……最高だね」

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