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ふたりの自殺未来  作者: 広瀬翔之介
第6章
20/33

カルミア・ラティフォリア

改稿箇所


・表現の修正

 ケイトこと、川端渓人は成達と出会う前、吉祥寺にある大学へ通っていた。大学三年生の時のある夏の日、夜の合コンまで時間を持て余していたので興行収入ランキング一位の戦争映画を見ていた。


 その映画は陳腐な脚本である上に、事ある毎に「生きろ」というセリフを連呼するお粗末な映画だった。歌謡曲などにも言えることだが、馬鹿の一つ覚えのように「命は大切」だの「生きてさえいればいい」だのと宣う作品に渓人は辟易していた。


 映画館を出るとちょうど集合時間の十分前になっていたので、待ち合わせ場所であるダイニングバーへ向かった。


 待ち合わせ場所に来ると渓人以外のメンバーは全員集合していた。今日は男女三人ずつの合コンで、女性陣は都内の女子大の学生だが、一人欠員が出て急遽知り合いの社会人が補充されたらしい。


 その社会人の女性は誰がどう見ても美人と呼んでいい部類に属していた。胸のあたりまで伸びたストレートの黒髪と透き通った瞳は、ブラックダイヤモンドのように色が深く美しい。バストは控えめ過ぎず主張し過ぎず、清楚な外見の中に隠れた色気を演出している。


 渓人は今日のターゲットをこの女性に絞った。残りの野良犬のような女二人は視界の外に追いやった。




 彼女は五歳年上で、どこかの企業で事務職をしていた。趣味は読書や音楽鑑賞でインドア派のようだ。


 社交的な渓人と大人しい性格の彼女は正反対ゆえにバランスが取れていた。渓人はその日、彼女から上手く話を引き出し連絡先を交換することができた。二匹の野良犬の連絡先は帰りの電車内ですぐに消した。


 その日以降、彼女に対して時には優しく、時には情熱的にアプローチをかけた。確かな時間と絆を築き上げ、やがて彼女と恋人になることができた。


 彼女の名前は、蒼井やなはる。

 なんだか芸能人みたいな名前だな、と渓人は思った。




 やなはるの夢は作家になることだったが、仕事が忙しくなかなか小説が書けないと悩んでいた。恋人になってから最初のデートで代官山のカフェに行った時、やなはるがそのことを話した。


 相手が男だったら「作家なんて、なれるわけないだろ」と容赦なく言っていただろうが、やなはるだったら男に養ってもらいながら気長に挑戦できるだろう、と他人事のように思った。なぜか自分が将来やなはると結婚して一緒に暮らしている姿がイメージできない。まあ付き合い始めたばかりなのだからそんなものだろう、と深く考えないことにした。


 一方、やなはるの父は厳格な人で、小説を書くなんてただの遊びだ、とよくやなはるを叱っているらしい。このブラックコーヒーのように視野が狭い人なの、とやなはるは付け加えた。


 また、渓人には伏せていたが、やなはるの父は体の具合が良くなかった。会社を定年退職してから数ヶ月後に脳梗塞が発症したのだ。

 動脈硬化により脳の血管の内壁が狭くなり、血栓によって血管が詰まっていたが、厚くなった血管の内壁をくり抜く手術を行い一命は取り留めた。今は病院でリハビリを行いながら薬物治療をしている。


 父のことは当然心配ではあったが、退院後も介護やリハビリを続けなければならないことを考えると気が重かった。しかし、今日は折角のデートなのでそのことは話さなかった。

 二人の話題は無難で楽しいことに終始し、会計を済ませた。渓人は注文したディアボロ・シトロンを少し残した。




 やなはるは心を許した相手に対しては意外とよく冗談を言う人だった。渓人は付き合い始めてからそのことに気が付いた。


 また、出会った時から可憐でお淑やかな印象だったので、お洒落なバーとか美術館とか夜景が綺麗なレストランとか、そういう場所を好むと思っていたが、実際には遊園地とかゲームセンターみたいな子供っぽいデートを好んだ。


 加えて、合コンの時は猫被って酒をほとんど飲まなかったが、実は大変な大酒飲みであった。しかも渓人と飲み始めると必ずと言っていいほど酔い潰れて渓人が介抱する羽目になり、恥ずかしい思いをした。


 やなはるの素顔を知れて嬉しいとも思ったが、「何か違う」とも思い始めていた。



 社会人と付き合うんだから、もっとスタイリッシュで大人っぽい感じになるんじゃないのか。これじゃあ、今まで付き合ってきたケツの青い女学生共となんら変わらないじゃないか。



 渓人は頭を抱えた。


 更に、やなはるは付き合ってから三ヶ月以上経っても渓人に抱かれることを赦さなかった。渓人がそれとなく誘っても、それとなく断った。今日は生理だからとか、今日はなんか調子が悪いとか。まさかこの年齢と美貌で処女っていうことは絶対ないだろうが、面白くない。渓人の心はやなはるから徐々に離れ始めていた。



        ◇◇◇◇



 二月になっても相変わらず、やなはるの父の具合は芳しくなかった。半身が麻痺し、呂律が回らなくなっている。父の見舞いに来ていたやなはるは迷った末、このことを渓人になるべく心配かけないようにそれとなく相談することにした。



 解決なんてしなくていい、渓人にただ話を聞いてもらうだけで心が軽くなる気がする。今晩あたり電話で話してみよう。



 憔悴した父を見ながら、渓人のことを思い出した。やなはるに対して口うるさかった父が、今ではほとんど何も喋れなくなっていたのが寂しかった。



        ◇◇◇◇



 渓人は就職活動の真っ只中であった。子供の頃は探偵になりたいとか現実味に欠ける夢を目指していた覚えもあるが、今では大手の商社か金融業界を希望している。しかし、書類選考で落とされることがほとんどで悪戦苦闘していた。今日も、もう夜の九時になるが履歴書を書く作業に追われていた。


 心にもない志望動機を書き連ねていると、やなはるから電話がかかってきた。「この忙しい時に……」と正直電話に出るのが億劫であったが、恋人である手前、一応電話に出た。


「もしもし」

「渓人、夜遅くにごめんね。今大丈夫?」

「大丈夫だよ」

「あのね、相談したいことがあって。私のことじゃなくて、友達の話なんだけど」

「うん?」

「お父さんが脳梗塞になっちゃって、退院した後も介護とかいろいろ大変そうなんだ。それで、どうしようって聞かれちゃって」


 渓人には最初、話の意図が分からなかった。



 やなはる自身のことならともかく、どうして友達の家族問題について考えなくちゃいけないんだ。



 仕方がないので、これを採用試験の面接官の質問として捉えることにした。一番現実的で手っ取り早いのは老人ホームへぶち込むことだが、そんな在り来たりな回答ではこの厳しい就職戦争を生き残ることはできないかもしれない。だが、他に良い回答が思い浮かばなかったので苦し紛れにこう答えた。


「親を介護しなくて済む方法は二つある。それは自分が親より先に死ぬか、親がすぐに死ぬことだ」

「…………」


 やなはるは黙り込んでしまった。どうやら面接は不合格のようだ。


「タチの悪い冗談だよ。謝るから気にしないでよ」

「ううん、名案だと思う。ありがとう」


 そう言って、やなはるは電話を切った。こりゃ怒らせちゃったな、と渓人は頭を掻いた。


 まあ、ちょうど就活に専念したかったところだし、落ち着いたらお詫びに何かプレゼントでも贈るか。そう自分に言い聞かせ、心にもない志望動機の続きを書き始めた。




 やなはるは電話を切った後、しばらく呆然としていた。渓人の言葉に怒ったのではない。むしろその逆で、渓人はやなはるの心の深部に隠されていた黒い感情をずばり言い当てていたのだ。


 このまますぐに父が死ねば、自分は苦労をせずに済む。そんな恐ろしい考えを、やなはるは自分でも見つけることができない領域に忍ばせていた。それはやなはるの理性と常識と良心によって決して外へ出て来られないように封じられていたが、渓人の言葉がトリガーとなり、秘められた領域の外側へ溢れ出した。一度溢れてしまった感情は煙のように広がり、見て見ぬふりをすることができなくなった。


 やなはるはこんな感情を抱いてしまった自分を蔑み、哀れみ、怖れた。そして何より、それを愛する渓人に言い当てられてしまったことをどこまでも恥じた。


 私は最低だ、心の底からそう思った。



        ◇◇◇◇



 三月になり、渓人は一ヶ月ぶりにやなはると会うことになった。


 この一ヶ月の間、電話やメッセージでやりとりはしていたが、何となく会いたくないという雰囲気をお互いに察して会わずにいた。しかし、突然やなはるの方から「渓人に会いたい」と誘いがあり、渓人が一人暮らしをしている三鷹のアパートに招くことになった。


 やなはるは夜の七時頃に渓人の自宅を訪れた。ワンルームの部屋に入ると、黒いジャケットを脱いでハンガーに掛けてもらった。ジャケットの下には白いワンピースを着ていた。


 前に会ってから一ヶ月しか経っていないのに、渓人はやなはると数年振りに会ったような印象を受けた。化粧もファッションも話し方も何も変わっていないのに、()()()()()()()()()()()()。だが、それが何なのかは分からなかった。


 二人はワインを開け、出前で注文した高級なピザを食べた。渓人は電話の件のお詫びにカルミア・ラティフォリアの花束をプレゼントした。花言葉は「大きな希望」、「優美な女性」、「神秘的な思い出」であると伝えた。やなはるはとても喜んでいるように見えた。


 二人は別々にシャワーを浴びて、同じベッドで寝た。しかし、渓人はやなはるとセックスをしなかった。今それをしてしまうと、自分達の行く末が良くない方角へ進んでしまうような気がしたのだ。渓人はいつも着ているスウェット、やなはるは白いワンピースを着たままベッドに潜っていた。渓人はワンピースに皺ができないか気に掛けたが、やなはるは「別にいい」と言った。


 眠りに落ちる前に渓人は何気なく尋ねた。


「友達のお父さんは元気?」

「ううん。あの後、容体が急変して()()()()()()()()()

「そうか……」


 なぜか自分の失言のせいでそうなったような気がして、暗い気持ちになった。


「でも、いいの」

「え?」

「私、思うんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って」

「それって、どういう……」

「おやすみなさい」


 そう言うと、やなはるは目を閉じてしまった。仕方がないので、渓人も眠ることにした。




 真夜中にふと目覚めると隣にやなはるの姿がなかった。起き上がって部屋を見回すと、ベランダの窓が開けっ放しでカーテンが揺れていた。


 近づいて窓の外を見てみるとベランダにやなはるがいた。柵に寄り掛かって座っているように見えた。胸にはカルミア・ラティフォリアの花束を抱えている。声を掛けようと近づいたところで、異変に気が付いた。


 やなはるはベランダの柵からロープで首を吊っていた。座っているような姿勢で。淡い月明かりに照らされたその姿は幻想的な芸術作品のようにも見えた。


 ふと、やなはるの足元に目をやると、スマホが落ちていた。やなはるのものだろうか。拾って画面を見てみると、何かのサイトに書き込みをしたところで止まっていた。



【やなはる】

 私が死んでも、空はいつまでも私たちの頭上にあり、

 花は新たな種を次の世界へ残していく。



 それはまるで声にならない歌のようであった。その言葉を眺めていると、なぜか自分が現実と異なる別の世界にいるような感覚に陥った。時計を見るともう日付が変わっていて、午前二時になっていた。


 やなはるは渓人に隠していたが、この日はやなはるの二十六歳の誕生日であった。

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