ヒッピーひろし
僕の名前はヒッピーひろし。
もちろん本名じゃない。
僕は今、東京は原宿。
ピンクとか水色とか黄色とかそういう鮮やかな色で彩られた建物の中に入る洋服屋で、アルバイトをしている。
この建物が元々こういう色をしていたのか、この店がオープンする時に塗装したものなのかは分からない。
バイトメンバーのマイケルはオネェだし、マイコはメンヘラだ。
そして、僕はヒッピーだ。
ヒッピーと言っても、80年代に盛んだったベルボトム、ボーダーシャツなんて着てないし、ロン毛でもない。ドラッグなんてとてもじゃないが、していない。
お酒もどちらかと言うと苦手だ。
それでも、僕はヒッピーだ。
僕は山陰地方の出身で、
すでに「陰」というワードの付いた地元には本当に陰というイメージしかなくて、キラキラしたもの=東京に憧れていた。
高校生の時、友人と行くボーリングやカラオケに飽き飽きしていた僕は、図書館で「東京。」と名のつく書類を見漁っていた。
その時発見した80年代のヒッピーという文化に憧れて、僕は上京した。
30年近く経った現在、様々な文化が混在する東京。
渋谷、新宿、池袋、下北沢、代官山。そして原宿でさえも、映画や雑誌、僕が頭に描いていたヒッピーは存在しなかった。
東京の有名な街をひとしきり回った後、僕は「そりゃそうだよな。」とため息をついた。
進学する為に、就職の為に、その他何か趣味を仕事とする為に上京した訳でもない僕は、上京した当初、様々な職を経験した。
品川からバスに乗り、バカでかい貿易コンテナを見送り通り過ぎ、〇〇一丁目とかっていうバス停を降りて、工場に入ると中南米の女性の人達で賑わう事務所に通されて、食品の検品作業を延々とした。
袋のバーコード、穴空き、変色などの欠品がないかをチェックする仕事。
僕は、ピラミッドを想像した。
別の現場では、荷物に付いているヤケに複雑な番号を「西」、「東」、「本社」と延々と振り分ける仕事をした。
60代のおっさんが、まとめた荷物に得意顔で、透明テープで養生する姿に、僕はまたもやピラミッドを想像した。
帰り道、あの得意顔をしたおっさんに、僕が「ヒッピー?」と聞くと、おっさんは一瞬だけ怪訝そうな顔をして、「若さがあれば何でも乗り切れる。」と、強引に話題を変えて、豪快に笑うと、養生していた時のあの得意顔で「じゃあな。」と京急線の改札を抜けていった。
僕は、それらの仕事で得た給料を握りしめ、原宿を歩いた。
竹下通りのあの賑やかさの中でも、一番に目立つ蛍光色で彩られた建物。
星やハートのワッペンが貼られた、キラキラした洋服が積まれたお店を見つけた。
入りさえしなかったが、
僕はここだ!と思った。
その頃の僕は、ボロボロのエンジニアブーツに、たて落ちしたシューカットのデニム、ピンストライプのワークシャツに、顎髭を生やし、無造作なセミロングヘアーだった。
僕は足早に、自宅に戻ると髭を剃り、眉毛を整え、顔を洗うとBBクリームを塗った。
グレーのパーカーと細いジーンズに、ミントグリーンのコンバースに履きかえて、面接の電話を入れた。
「もしもし。アルバイトの応募なんですけど。」
自信なさげに言ったその言葉に対して、担当者の藤野という男は、淡々とした口調で、名前、年齢、住所と電話番号を聞くと、明日の15時に店に来てくれ。と言って電話を切った。
その後、散髪に行き前髪をまっすぐに揃え、サイドとバックは少し刈り上げた。
値段に少しはばかられたが、値段の安い部分メッシュ。刈り上げた襟足根元にグリーンのメッシュを入れた。
家に帰って鏡を見た僕は、
「ヒッピィー♪」
と独り言を言い、気分を良くして布団に入り目を閉じた。
翌日15時、アルバイトは即採用だった。
言われるがままに書類を書くと、今から働いてくれ。ということで、僕は面接直後のその日から、サイケデリックアパレルショップ「Bling-Bling☆」のスタッフとしてお店に立った。
お店に立って初めて分かる。
僕の予想通りだ。
ここには陰がある。
山陰地方の陰だ。
でも一歩外を出ると、ここは確かに東京で、人が溢れている。
そんなバカな!と、プリントされたTシャツを着て歩く外国人、金髪ロン毛に三つ編み髪のおじさん、20cmもあるピンクの厚底ブーツを履いたメイドギャル。
それは山陰の陰の正に反対側、陰の向こう側、僕が地元で生きてきた陰が照らしたやけにキラキラした光だった。
陰と光が混在した街、原宿。
僕の頭の中に描いていたヒッピーはここに居た。
彼らは現代版ヒッピーで、僕もそうである。
僕はここで生きていこう。
僕はここで酸素を吸い、二酸化炭素を出す。
僕はここで深い闇を抱え、それに見合った光を放つ。
あっお客様だ。
「ヒッピィー♪(いらっしゃいませの意)」




