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帰還編③

☆前回までのあらすじ☆

20年ぶりに帰還した染殿そめどの一門いちもんの主・九代目の葛葉くずはは、世々せせらの想像を超えて自由奔放な青年だった。世々羅は困惑しながらも、九条橘くじょうのたちばなの発案にのり、一門のことを何も知らない葛葉のため、染殿一門を案内することとなったのだった。


***

 結局、たちばながその細腕のどこにあるか知れない強力で当代とうだいを引っ張り出し、半ば無理矢理に染殿一門そめどのいちもん案内の道行きとなった。

「順番はどうでもいいです。特に定まりはありませんから」

 と、千鳥長閑ちどりのどかが断った。

 染殿一門、と一口に言っても、実は微妙な階層意識が内在している。一門の主たる染殿本家は別格として、それを取り巻くように存在している門下の家々には、誰がそう言ったわけでも、誰が決めたわけでもないが、暗黙の了解めいた順位のようなものがある。

 染殿本家よりも古く、特殊な力を操る春日かすがが筆頭であるのは言うまでもなく、その下に横並びに二つ、世々羅の実家である鹿月かのつき家と、武道の家である逢坂おうさか家というものがある。そしてそのわずかに下に、染殿本家の世話をする千鳥家があるのである。

 序列からいえば、千鳥家の人間が「順序は問わない」と言っても春日家から案内するのが筋だったが、

「近いとこからでいいんじゃねーの」

 と、引きずり出された当代が面倒臭そうに言ったので、

「では、鹿月家ですね」

 世々せせらは持ち前の馬鹿真面目さを発揮して即座にそう答え、そしてすぐに後悔した。

(兄上……)

 きっと兄はあれから少しも動いていまい。無精髭ぶしょうひげも放りっぱなしでいるはずだ。それを一門で最初に当代に会わせて、果たしていいのだろうか。

 ――世々羅はちらっと横目に当代を見る。

 兄は、嫁をとったことを驚かれたくらいに人間に興味がない。それは相手の社会的立場にも興味がないことと同義である。たとえこの人が染殿家の九代目の主だとしても、態度は恐らく世々羅にするのと変わらない。風変わりな人間が少なかれ誕生することで有名な鹿月の人間と言えど、あれは群を抜いているのだ。

 そう――思い起こせば、兄が鹿月を継ぐと言った時に既に周囲は一度驚いた。これほど人間よりも書物に友が多い男が、よりによって当主を継ぐことを了解するなんて、と。

 それというのも、鹿月家当主には、実は「染殿当代そめどのとうだいの教育係」という重大な責務があるためだ。つまり、鹿月の当主となれば一生涯、否が応でも、染殿当代とは関わらなければならない。本来ならば当代が幼少の頃から勉学の面倒を見て、皇帝家の重用を賜わるにふさわしい知性を備えた人間にする、というのが、鹿月に課せられた役目だったのだ。代々それをまっとうすることで、鹿月は一門の中で認められてきた。

 幸か不幸か、兄が鹿月家の当主になる直前からこれまで、唯一関わらなければならない人間である染殿当代が不在だった。だから何とか――言い訳もできてきた。いないものは仕方がないと、逃げることができた。

 しかし、今。

 どれだけ盛大な身内贔屓みうちびいきをしても、世々羅には兄がことを進んで引き受けるとは到底思えない。

 そんな図が想像できない。

 了解する兄の声がまったく響いてこない。

 引き受けない理由しか思いつかない。

 いきなりそんな変人と会わせるよりも、よっぽど常識人で安心感を与える春日のたくみに会わせた方がいいんじゃないか――尋常ならざるものが見える春日の当主よりもおかしい、と己の兄を評さねばならないことには、世々羅はかなり昔にたくさん嘆いてあるので今は随分平気である。

(いや――いや、ちょっと待てよ?)

 もしも世々羅が当代の立場なら、匠の後に世流あにを見せられたら落胆の度合いが不必要に大きくなるのではないだろうか。だとしたらそれはまったく好ましくない。兄のためというよりも、もはや鹿月家の、まだ辛うじて残っている世々羅や心のような常識人たちのために――

 やっぱり最初に会わせた方が、まだ見劣りの具合も少ないかもしれない。運が良ければ、兄のことなど忘れてくれるかもしれないではないか。

 最終的にはそんな消極的な理由で、世々羅は最初に己の実家に彼らを案内したのだった。

「こちらが鹿月家です」

 染殿本家には敵うべくもないが、鹿月家の屋敷もそれなりの構えをしている。世々羅はこれまでさほどそのことについて考えたことはなかったが、今こうして当代に見せていると納得できた。主に見せて恥ずかしくない程度のつくろいは必要なのだ――と、それは余計な心配を思い出させるので早々に意識の外へと追いやった。

「世々羅、お帰りなさい」

 と出迎えてくれたのは義姉のこころである。彼女は義妹と共に現れた見なれぬ三人を見て小首を傾げた。

「お友達かしら」

「あ、義姉上!」世々羅は慌てて説明した。「こちらが染殿当代そめどのとうだい葛葉くずは様です。お隣が九条橘くじょうのたちばな様で、そのお隣が、千鳥家当主の長閑のどか様」

 すると橘がおお、と感嘆の声をもらした。

「一度聞いただけで覚えておるとは、さすがは鹿月の娘」

「お、恐れ入ります」

 一方、心は慌てて居ずまいを正して座礼をした。

「まぁ、当代――知らずとはいえ、大変失礼を……!」

「いえいえ、いいんですもうお友達程度の扱いで」と答えたのは例によって長閑だ。ぎょっとした世々羅をよそに悠々と頭を下げて、

「まったく突然の訪問でこちらこそ失礼致しました。千鳥長閑と申します――鹿月のご当主にご挨拶をと思いまして参りました。それはそのついでです」

「おい――さすがについではねえだろ」

 そう当代は呟いた。どうやら友達程度の扱い、の方には不満はないらしい。

 心は、ちょうど先程の世々羅と同じで、いろんなことが一度に起こって混乱しているようだった。あたふたと三人の顔を交互に見ながら、

「当代御自らお越しいただくだなんて本当に滅相もない――申し訳ございません。あの、急に報せを受けたものですので、当主の準備が整わず……」

 あの兄のために、永久に整わない準備のことを必死に言う義姉が、世々羅には時々本当に不憫でならない。

「構わん構わん」

 と、軽い調子で言ったのは橘である。

「ほんに突然尋ねたのはこちらであるから、何も恐縮することなどない。こちらも勝手を知らぬところ、よい勉強になる」

 この中で最も年少に見えるのに、利く口はしっかりしているからつくづく不思議な――もの、である。

 世々羅と同じように、はぁ、と困ったように返答した心は、はっと我にかえって、

「このようなところで立ち話も何ですので、どうぞおあがり下さい。主人を呼んでまいります――世々羅、皆さまをお願いして構わないかしら」

「はい。お願いします義姉上」

 心はその場で深々と座礼をすると奥へ引っ込んで行った。

「主人、とおっしゃっていたが、あの方はご当主の細君さいくん?」

 長閑がそう訊くので、世々羅は頷く。

「もともとは春日の家に引き取られた身寄りのない方だったのですが――」そして例によって己の考えなしの発言を途中で悔やむことになる。「……その……兄が、一目惚れをして……そのまま、嫁いで来られまして……」

「そのまま、というのは・・・・・・まさか、一目惚れをしたその足で、という?」

 世々羅は逸らしていた視線を更に遠くへ泳がせていた。

「はぁ、えぇ、その・・・・・・まぁ、そのような感じです」

 どうにもうまい嘘や、ごまかしがとっさにできない自分が恨めしい。

 しかし、橘がからからとした笑い声を立てた。

「面白い! やはり鹿月は一風変わっておるのう!」

 何者か解明されていない存在に言われると素直に受け止めるのに抵抗があるが、兄がおかしいのは抗いようのない事実なので世々羅は力無く笑って返す。

「カノツキ、ってのは変わってるもんのことなのか?」

 罪深いほどに純粋に、腹の底からの問いのようにそう言ったのは、当代とうだいである。

「え――あの、えーと……」

 もしかしてまたからかわれたのかと疑ったのは一瞬で、顔を見ればすぐに混じりけなしの疑問であることが見て取れる。そして思い起こしてみると、先程春日の家で世々羅が「からかわれた」と思ったあの時も、結局この人は本気で言っていたのだと気が付いてしまい、兄という不安要素と相乗効果で世々羅の体を急に重くした。

「お前は本当に何回言えば覚えんだ、バカ」そう、長閑が当代の頭を小突いた。「都に来る道中にも、一門についてはさんざ説明しただろうが」

「あんな説明でわかるわけねーだろ。それに」当代は無駄に偉そうに腕を組む。「知らなきゃ死ぬわけじゃねえことは、覚えないようにしてるんだよ」

「物ごころついた時から何度説明されても一切覚えられねぇのは頭の質の問題だ」

「頭の質はよくねえから、最低限のことだけ覚えてればいいだろ」

 どういう開き直りの理屈なのか、一度読んだら輪郭くらいは覚えられる程度の頭の質を持っている世々羅にも理解できない。しかし受け答えを聴いているに、どうしても彼が絶望的な落ちこぼれとも思えなかった。不思議な感覚で当代を見ながら、世々羅はともかく素直に説明することにした。

鹿月かのつき家は、染殿一門そめどのいちもんで学問を強みとする家です。僭越せんえつながら皇帝にお仕えする人間も多く輩出する、都でもそれなりの家かと――本当に、わたしが言うのもはばかられますが」

「つまり、頭のいい奴の生まれる家ってことか?」

「まぁ、ざっくりと言えばそんな感じです」

「で、同時に変な奴も生まれる家なのか? 器用だな」

 器用、とはまた耳触りのいい解釈である。これまで世々羅が聴いてきた表現の中で最も好意的で――不覚にも少し救われたような気持ちになってしまう。

「けど、お前はそこまで変な奴って感じはしねーよな」

「そ――」世々羅は思わず力を込めてしまった。「そうなんです、鹿月と名の付くものすべてがおかしいんじゃないんです!」

 鹿月家は、一部の変人によってすっかり「頭がよすぎてちょっとおかしい奴ら」と思われている節がある――と、世々羅はいろんなところでそれを感じてきた。お陰で、鹿月家の直系でありながら至極まっとうな人間である自分がどれだけ傷ついてきたことか。

「いろいろ苦労があったようですね」

 と、長閑がしみじみともらす。横で当代が両手を頭の後ろで組みあわせ、

「ま、いいんじゃねーの。こいつはそういう奴なんだってことで」

「お前などよりはよっぽど賢そうだしな」

「へいへい」

 馬鹿にされることに慣れているのか、当代は長閑の言葉も軽く手を振っただけで流して、

「で、おあがり下さい、だったっけ?」

 そう言われて、世々羅はようやく未だ自分たちが玄関先で話しこんでいるのを思い出した。

「すみません、どうぞ――何か用意致しますので、どうぞくつろいでお待ち下さい」

 すると当代は怪訝そうに、

「別にそんなゆったりする予定でもねえんだけど」

 しかし世々羅は疲れた笑いを浮かべながら、目を逸らさずにいられなかった。

「いえ……恐らく、時間がかかるかと思いますので……」

「何で」

 そう屈託なくぽんぽんと問いを重ねられると、その分世々羅は気まずくなる。どんどん追いつめられていく気しかしなくて、ため息交じりに白状した。

「今の当主の世流よるは、その――鹿月の中でも特に変わり者で……。ほとんど表に出てこずに本ばかり読んでいる人間なんです。当代がいらっしゃった上に義姉が呼びに行ったとしても、説得できるかどうか……」

 ふーん、と適当そうな相槌を打ったかと思うと、

「じゃ出直すか」

 あっさりとそう言う。もともと気乗りしないところを無理に引っ張り出された当代からしたらまっとうな思いつきなのかもしれないし、世々羅にも引きとめる積極的な理由が見つからなかった。無駄足になる可能性の方が高いのだ、とりあえず案内だけしておいて、他の家を回った方が賢い時間の使い方であろう。

「また考えなしにものを言う」

 しかし長閑が呆れた様子で口を挟んだ。

「そんなもの、あっちがこないならこっちから行けばいいだろうが」

「――へっ」

 世々羅は思わず間抜けな声を上げてしまう。しかし長閑は飄々として、

「ご当主の部屋に案内してもらえますか――まだるっこしいので」

 唖然とする世々羅の前で、当代一行は続々と履物を脱いで上がりこむ。

「世々羅、何をしておる。案内を頼むぞ」

 橘もすっかりその気なので、どうしたものかと当代を見ると、彼は一番面倒臭そうだった。

「まぁ、とりあえずそんな感じで。また来るのも面倒臭せぇし――」

 意欲の欠片もない口調なのに、彼は続けてこう言った。

「最大の攻撃は防御、って言うしな」

 必要最低限のことだけ覚えるようにしている――

 世々羅は先程の彼の言葉を思い出して、もしかして大変な人が来てしまったんじゃないだろうかと思った。


 兄の部屋の前の廊下には、世々せせらの予想通り困り果てた様子のあねがいた。

 いきなり大人数で――しかも当代を含めた客人が一緒に現れて、彼女はさらに驚いたようだった。

「あ、あの――申し訳ございません、すぐに参りますので」

 必死さだけが伝わってきて、世々羅は胸中で涙していた。

 ――ああ、ごめんなさい義姉上。こんな兄でごめんなさい。

「いや、時間がかかりそうとのことでしたので、こちらから参っただけのことです」

 この千鳥長閑ちどりのどかという人は、どこか掴みどころがない雰囲気である。当代とうだいに対してはたちばな以上にずけずけと物を言うのに、それ以外に対しては折り目正しい。世々羅は素直な人間なのでただ疑問に思うだけなのだが、少しひねくれた人間からすれば、腹に一物抱えているのではないかという疑問が浮かぶような男だ。

 はぁ、と答えた心の前に割り入るようにして、長閑は開いた戸の間から部屋の中を覗き、

「――はぁ、これはまた……」

 と、苦笑した。世々羅は正直苦笑だけで済ませてもらえたことが衝撃だった。

「失礼、当主殿」

 聴き慣れぬ声が珍しかったらしく、部屋の中で兄が動く気配がした――しかし外へ出てくるわけではなかった。

「突然申し訳ありません。お初にお目にかかります――千鳥家当主の、長閑と申します」

「……千鳥?」

 兄の声だ。外界とは隔絶しているとはいえ頭の良さは本物なので、彼はすぐに何が起こっているか悟ったようだった。

「世々羅、いるな」

 そして兄は、次に世々羅を呼んだ。

「――はい、兄上?」

 素直に応じて部屋の前まで来る――戸口から見えた部屋の中は、先程とまったく変わりない薄暗い書物の海だったが、兄は体ごとこちらを向いていた。

「お前、戸を閉めにこなかっただろう」

 世々羅は脱力したが、兄は淡々と続ける。

「今日は風が強いから、読み物をするのに紙がめくれて読みづらかった」

 そんなもの自分で閉めればいいでしょう。

 ――と、言いたいのを世々羅は堪えた。当代や千鳥の人間も見ている前でそんな応酬は見苦しいことこの上ない。

「それは、大変申し訳ありませんでした、兄上」

 我ながらひきつっているなと感じる声で、そう答える。我慢だ。瑣末さまつなことに構ってはならない。今はそんなことよりも大事に目を向けなければならないのだ。

「当代、これが兄で鹿月家当主の世流です。兄上、こちらがこのたび帰還された、染殿一門そめどのいちもん当代とうだい葛葉くずは様です」

 隣に立ったままげんなりと部屋の中を見ていた当代を兄に示す。兄はちらとそちらを見たかと思うと、

「どうも」

 と、羽のように軽い挨拶を――するのは目に見えていたので、間髪入れずに世々羅は会話を打ち切った。

「以上です!」

 こちらの気持ちをわかってくれたらしい当代は、初めて神妙な目を向けて、

「……何か、大変だな、お前」

 と言うのでその優しさがとても痛かった。

「ええと――兄はこれから、当代にいろいろとお勉強を教授させていただく役を仰せつかります」

 これ以上痛々しい展開にならないうちにと、世々羅は重要なことを言ったつもりだった。だのに、兄が例によって軽い調子で淡々と口を挟んだ。

「ああ、そのことだが」

 口をつぐんで見た先の兄は、表情一つ動かさなかった。

「その役割は、世々羅、お前に任せる」

「・・・・・・へっ?」

 この時何かを持っていたら、確実に落としていた。

 そのくらいに、世々羅にとって寝耳に水の言葉だった。


「ちょ――ちょっと、待って下さい」

 誰も何も言わないので余計に混乱してしまいそうで、世々せせらは頭を抑えながらやっとのことで言葉を発する。

「兄上、今、何と……」

「二度も言わせるな。その役割はお前に任せると言ったのだ、世々羅」

「えー……その役割とは……」

 兄は初めて――軽蔑するようにだが、眉を動かした。

「当代への教授役だ」

「何おっしゃってるんです」

「当主命令だが」

「いやいやいやいやいや!」

 世々羅は力の限りそう返していた。

「兄上こんな時にわたしをからかって遊ぶと言うのは不謹慎ですよ当主の役割を別の人間に譲渡するなんてそんなの前代未聞です大体兄上は当主としての自覚が足りないにも程がありますけどいくらなんでもその冗談は笑えないなぁ」

「おお、見事に混乱しておるぞ」

 たちばながあっけらかんと言うが、混乱せずにいろと言うのが無理な話だ。当主が当主命令で、当主の役割を放棄するなど、いくら変人だからとて認められるわけがない。役割を引き受けることが、当主であるということなのだから――

「言っておくが、これは父上母上もご了承のことだぞ」

「はぁ!?」

 またしてもとんでもないことを言うので、声が裏返ってしまった。

 兄はあくまで淡々と――先程話した時に奥から引っ張り出してきたあの帳面を取りだして、世々羅の前に広げて見せた。

「ほら、この通りだ」

 世々羅はそれを覗きこむ。

「……鹿月かのつき家存続を条件として、世流よるが当主となった場合、当代への教授職に関しては他者に委任することを許す……」

 見覚えのある筆記体――これは間違いなく父の、先代鹿月家当主のものだ。そしてその後には、父と母が連ねて署名しており、ご丁寧に鹿月の当主の印まで押してあった。

 もはや立派な公文書である。

「そんな無茶苦茶なぁっ……」

 世々羅は思わず両手でその帳面にすがりつくようにへたり込んだ。

「父上も母上も、ともかく当主になってくれれば好きにしていいとおっしゃった。これが何よりの証拠だ」

 確かに両親は、幼いころから社交性が完全に欠落していた兄の将来を危ぶんでいた。当主職自体は女性でも可能だから世々羅に任せても構わなかったのだが、そうしたとしてこの兄の方はその後どのように生きていくのか、己一人で生計を立てるような仕事に就けるのか。兄のことは方々に知れ渡っていたので、皇帝家からの申し出も何度もあったのだが、その度に両親は丁重に断ってきた。それは一重にこの性質のためで――なまじ知能が高かっただけ両親も扱いに困っていた、それは事実だった。

 しかしだからといってこんな念書まで残すなんて、と世々羅は愕然とする――いや、恐らく兄の方から言い出して、押し切ったのだろう。彼は本気になれば手段を選ばない人だ。賢いだけに、手段に関して感傷を抱かないのだ。

 結果として、現状は兄の完全勝利である。

「つまりわたしは、あと鹿月の後継ぎさえ作れば立派に役目はまっとうすることになるのだ」

 涼しい顔で兄は帳面を世々羅から取り上げ、当代を見上げる。

「そのようなわけで、今後はこの世々羅にいろいろ伺って頂ければよろしい。不出来な妹だが、同じ年頃の娘よりは数段賢い」

 立ちあがれない世々羅をよそに、兄は好き勝手なことを口にする。

「ではそういうことで。――ああ、こころ、茶を淹れてきてくれ」

 どこまでも一方的に言って、兄は静かに戸を閉めたのだった。

「……まさかここまで変わった御仁とは思わなかったな」

 さすがに少しの驚きを滲ませて長閑のどかが呟く。

「よいではないか、あそこまで己に正直であればいっそ心地よいわ」

 と、人でないからかむしろ楽しそうにたちばなは言う。

 そして当代とうだいは、唯一世々羅と同じ高さにかがんで肩を叩いてくれたので、

「当代っ……」

 と感動の眼差しを向けたのに、

「お前、女だったのか」

 と、純粋に驚きの表情で言ってきたので、

「そこじゃないいぃぃぃぃぃっ!」

 思わず敬語も忘れ、世々羅は頭を抱えて叫んだ。

今回もご覧いただきありがとうございます。

登場人物が増えていきますので、一覧を作りたいと思っています(工事中)。

私自身はこうしてお話書いていて、公開して、読んでいただけてめっちゃ楽しいので、読んでくださる方の中でも楽しんでいただける方が多ければ嬉しいです。

(二週間に一回の投稿を目指しているのにそれができていないので、まずはそこから・・・・・・)


甲子園2017 広島広陵高校準決勝の日に(`・ω・)ガンバレ!!

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