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惑う木  作者: 浦の月
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風薫(かぜかおる)

 主人公は一応ミスブとカイの筈なのですが、カイの出番なし(苦笑)実はカツシが主人公なのかもしれません。

 かれらは神でもあり人でもある。神でもなく人でもない。

 かれらは「」。神と人の狭間を惑い、神と人を繋ぐ者。


 ***


 緑の木々の下で少年は辺りを見回した。周囲に人の気配はない。ゆっくりと爽やかな空気を味わうように深呼吸する。

 山は落ち着く。知っている人間に会わなくてすむ。自分の言動に細やかに注文をつけたり文句を言う者はいない。

 顔を見る度にうるさい両親や教師の事は頭の片隅に追いやり、彼は小さな石作りの門をくぐった。苔むした石段を数段上ると古びた社と巨木が見える。聞こえるのは鳥の声だけ。ここはカツシが最近見つけたお気に入りの場所だった。


 何が気に入らないのか常にイライラしている自分を感じていた。

 他人の目から見れば、彼はごく一般的な学生だろう。成績は可もなく不可もなく。家庭内も平穏な中流家庭。

 何が気に入らないのだろう。世間から見れば自分は幸せな人間な筈だ。なのに、この焦燥感は何なのか。どうして時折、発作のように何もかも壊してしまいたい衝動にかられるのか。

 

 「あーもう!止めだ!止め!!」


 カツシは腕を大きく振った。

 こんな事を考えにバスで山まで来た訳ではない。息抜きをしたかった筈なのだ。本を読むか勉強でもしよう。

 とりあえず社を借りようと社に頭を下げ靴を脱ぐ。座る前に持っていたタオルで軽く床を払った。

 もう床に上がっている木の葉や埃がないかと膝をついていた少年は腰に衝撃を受けた。つんのめりかけて思わず声を荒げる。


 「痛ってぇな!何すんだよ!?」


 振り返り、彼は言葉を失った。誰もいないと思っていた社の扉が開き、若い女性が出てきたのだ。その紅の瞳には神秘的なものが宿っているように見えた。

 女性はカツシの前にしゃがみ、顔を覗き込む。

 瞳が紅色に見えたのは光の加減だったらしい。それは良いのだが、顔の位置が近い。近すぎる。

 思わず後退りしようとする少年に彼女は淡々と言った。


 「すまない。誰もいないと思っていた」

 「…いや、俺…僕もそう思って入口の前にいたんで良いです。すいません」


 口の中でモゴモゴ言いながらカツシは靴を履いた。心の中でため息をつく。

 ここ二、三日は気づかなかったが管理人がいたようだ。ここは諦めてまた新しい場所を探さないと。

 いきなり襟元が絞まる。襟首をつかまれたのだ。


 「ちょっと待て、少年」

 「いきなり何なんですか!?」

 「社を掃除してくれたのだな」

 「…は?」


 思いがけない言葉に虚をつかれた。

 掃除、という程の事はしていない。ただ自分が座った周囲を軽く払っただけだ。


 「…いや、あれは…」

 「ありがとう」

 「……」


 言葉が出てこない。思わずみとれてしまう良い微笑みだった。 

 数日後、少年は再び山に来ていた。


 別にあの姉ちゃんがダメって言った訳じゃないし?いやむしろ礼を言われた訳だし。

 …まあ、顔や胸は超絶タイプではないけど。


 石段を上りながら自分に言い訳する。

 お気に入りの場所は変えるつもりだった。なのに、山へ行くと自然に足はあの社へと向かっている。理由を考えると思い出すのは、あの微笑み。


 いやいや、これは惚れたとかどうとかじゃないんだ。ただ「ありがとう」と言われたのが嬉しかっただけで。


 「あーもう!止めだ止め!!」


 腕を振り回して石段を上りきる。社は今日もひっそりと佇んでいた。人気はない。

 ホッとしたようなガッカリしたような複雑な気持ちを抱えながらカツシは靴を脱いだ。扉の前を通りすぎようとして立ち止まる。扉の奥から微かに声が聞こえたのだ。


 「さて、どうかな。見込みは…」

 「…らん。人の…がなければいずれ…」

 

 女性の声だ。誰かと話しているようだが相手の声は全く聞こえない。

 どういう事なのかと扉の前に顔を近づけた途端、いきなり扉が開いた。眉間と額に角がモロに入って悶える。


 「おや、いたのか少年」

 「いたのか、じゃねえよ!!」

 「それはすまない。大丈夫か」


 あの女性だった。額を覆うカツシの手を優しく退かし、痛む箇所を指で押さえてくる。

 躊躇なく触れてくるから自分くらいの弟でもいるのだろうかと思った、その時。白い指は円を描くように額をなでた。


 「痛いの痛いの飛んでいけー」

 「俺は赤ちゃんか!?」


 からかわれた。ガキ扱いされただけだった。

 怒りが閃き額の手を振り払う。睨みつけると相手は思いがけない反応をした。微かだが困惑した表情を見せたのだ。


 「人が痛みを取る時に使うまじないだと思ったのだが…。違うのか?」

 「…え、マジで?」


 カツシは呆気にとられた。


 この人、どんだけ世間知らずなんだ。


 「赤子にしか効果のないまじないだったのか?いやしかし幼子には効果があるように見えた…」


 戸惑う彼を余所に女性は話をあらぬ方向に進めている。


 「少年、君もまだ未成年なのだから効果はある筈だ」

 「いや、良いです!大丈夫です!!止めて下さい、お願いします!!!」


 下手をすると頭に腕を巻き付けられそうでカツシは必死に断った。

 嗚呼、妙齢の女性というものは何故に青年と少年の狭間で揺れている者の微妙な気持ちを察してくれないのだろうか。


 ***


 初夏の風が緑の香りを教室へ運んでくる。周りの空気が少し軽くなったようでカツシは息を継いだ。


 「なあ、本当に希望する職業はないのか?」


 教師の声が彼を現実に引き戻す。二人の間にある机には将来への希望に関する用紙が置いてあった。希望する学校の項目は埋めたものの希望する職業が見つけられなかったのだ。

 闇雲に理想の職業を上げるほど子どもではない。かといって自分がどんな仕事をしたいのか堅実に考えているわけでもなく、カツシは途方にくれた。

 結局、教師も具体的なアドバイスをするでもなく職業紹介を見るように言って解放してくれた。

 下校時刻。部活へ家へ塾へ。生徒たちが三々五々散っていく。荷物を持って教室を出ようとしたカツシにマサヤが声をかけた。


 「カツシ。今日、用事ある?」

 「…いや」


 山の事が頭をよぎった。あれから時々行くようになっているが、あの女性はいつもいるわけではない。どうも一日おきらしいと気付いたのは最近だ。

 いなくても落胆はしないが女性がいると何故か落ち着く。おそらく今日はいない日だ。

 カツシはマサヤの家で勉強をする事にした。親に一応連絡をしておく。

 親が共働きではない友人は少し驚いたように言った。


 「カツシんは放任主義っぽいのに、お前マメだよなあ」

 「人んに世話になった時は連絡しておかないと後で親がうるさいんだよ」


 山へ行く時はファミリーレストランに行っている事にしているから一々連絡はしていない。

 友人の母親はカツシを歓迎してくれた。何かしら二人の様子を見にきて世話を焼こうとする。

 おやつと飲み物はどうだった?たくさん作ったから足りなかったら遠慮せずに言ってね。空調はどう?夜御飯も食べて帰ってね。嫌いなものはない?好きな料理は――。

 立て板に水と話すので終いにはマサヤが部屋から追い出した。


 「マサヤ…。…お前の母さん、テンション高ぇよな」

 「俺の友だちが来るのが嬉しいんだと。たくさん食べてくれるから菓子や料理の作りがいがあるってさ」

 「なんだそりゃ」

 「カツシは特にお気に入りみたいだぞ。お前、家に来た時にすごく礼儀正しく挨拶したって母さん感心してたから」

 「…そんな絶讃する事でもないだろ」

 

 もし自分の母親が働いていなかったら友人を家に呼んだら、どんな反応をするだろうか。

 考えても仕方のない事が頭をかすめ、カツシは腕を払い追いやった。それを何気なく見て友人が不意に話を変える。


 「カツシ。最近、お前どこか余所で勉強してんだろ」

 「まあね」

 「今度、俺も連れてけよ」

 「…今度な」


 言葉は軽いが妙に見つめる相手からカツシはそっと目線を外した。


 家に帰ると珍しく両親が揃っていた。カツシの両親は共働きで、この時間でもいない事が多い。父親が声をかけてくる。


 「カツシ。…食事しながらでいいんだが、ちょっと話さないか?」


 父親の前には湯呑がある。あれは焼酎を飲む時の湯呑だ。もう飲んでいるのだろう。カツシは嫌悪感を表情に出さないように努めた。出来るだけ穏やかに言う。


 「マサヤのうちで食べてきたんだ。今度、昼間に聞くよ」

 「…そうか」


 父親は酒を飲むと説教する癖がある。それも要点だけ話せば5分で終わるような話を延々と繰り返す。説教される側はそれをただじっと相槌をうちながら聞かなければならない。機嫌を損ねれば説教は増々繰り返され長くなるからだ。困った事に当の本人は翌日には酒を飲んだ後の発言を一切覚えていない。かくして毎夜、同じ説教が繰り返される事となる。カツシはもういい加減うんざりしていた。

 「昼間」が嫌味に聞こえたかもしれない。だが、息子と話をするのに酒がないと話せないのだろうか。

 自室に入ろうとすると今度は母親が話しかけてきた。


 「かっちゃん、たまにはお父さんとちゃんと話した方が…」

 「何だよ、それ」


 母親の言い方が妙に苛ついた。小さな子どもに言い聞かせているように感じたのだ。


 「だったら、何で酒飲んでんだよ。まともに話す気ねえじゃん」


 小さく吐き捨てると、母親がまだ話しているのを無視して扉を閉めた。

 嗚呼、イライラする。家にいると、ずっと。


 ***


 「少年、一つ聞きたいのだが…」


 またか。

 少し半眼になりながらカツシはノートから顔を上げる。


 「その“少年”って呼び方止めません?」

 「何故だ?実際、君は十代だろう」

 「十代ですよ。十代ですけどね。…ちゃんとカツシって名前がありますから」


 どうも“少年”と呼ばれると子ども扱いされているようで不快感がある。

 少し困ったような表情をした女性だったが、彼の言わんとする事は理解したようだ。急に居住まいを正し真剣な眼差しになる。


 「…分かった。私の名はミスブだ」

 「…ミスブ、さん」


 ミスブは微かに微笑んだ。


 「カツシ…。己にうち勝つという意味があるな。良い名だ。

 ところで話は戻るがカツシ、これは君の夕食か?」


 指し示したのはカツシが傍らに放り出しているビニール袋だった。中身はソーセージパン・唐揚げパン・焼きそばパンと総菜パンのフルコースだ。

 

 「…そうですけど」


 ふと先日、マサヤ宅で食べた夕食を思い出した。

 鯵のあんかけ、豆腐とわかめの味噌汁、白和え、きんぴらゴボウ、鶏の手羽元と卵を甘辛く煮たもの。決して贅沢ではないが和やかな食卓だった。

 見た目が悪いだろうか。栄養が云々言われるかと身構える。

 相手から出たのは意外な言葉だった。


 「…その、少し分けてもらえないだろうか」

 「…はぁ?」

 「カタワレは“パンは腹持ちが悪い”と言って買ってくれんのだ。たまには食べてみたいのだが…。もちろん、私の夕食と交換するぞ」


 少年は少し呆れ、戸惑った。


 意味が分かんねえ。いい大人なんだから食べたいパンくらい買えばいいし。それとも、これは一緒に食べようという意味か?

 --それに、カタワレって誰だ。


 最後に思った事を問いかけると女性は少し首を傾げた。


 「説明しづらいな。何と言うか…、もう一人の私みたいなものだ。私とは別の人格を持っているが。会ってみるか?」

 「いや、別に。会いたくないです」


 何故か少し落胆した気持ちを抱えてカツシは目線をそらした。

 妙齢の女性なのだから彼氏や夫がいても不思議ではない。まして自分は学生で彼女から見れば「少年」なのだ。

 そう言い聞かせても、どこかガッカリしている自分がいる。

 その様子を見ていたミスブは顎に手をやった。


 「…ふむ。どうやら私は回りくどい言い方をしたようだな。言い直そう。

 カツシ、一緒にご飯を食べないか?」


 断る理由はなく、カツシはゆっくり頷いた。


 「…ええ」


 社の奥から食事を出してきた女性は嬉しそうだった。

 持ってきたのは塩むすびが三つ、素朴な木の椀に入った味噌汁が二杯、鶏の生姜焼きと千切りキャベツを入れた白い陶器の皿が二皿。

 本来は一人前の料理を分けたのだろう。味噌汁や生姜焼きは量が少ない。


 「…嬉しそうですね」

 「もちろんだ。いつもは一人で食べているからな」

 

 …一人?

 カツシは疑問に思う。


 「え?その…カタワレという人は?」

 「カタワレとは一緒には食べられぬからな」


 何か複雑な事情があるのだろうか。それ以上は聞かない事にして、質問を変える。


 「てぇかミスブさんって、ここで生活してるんですか?」

 「うむ」

 「マジで?どうやって!?」

 「どうやっても何も、普通に生活しているが」


 ミスブは至って平然と答えたが、少年には衝撃だった。古びた社なのだ。どうみても人の住居には適さない。


 「いやいや、冗談キツいでしょ!風呂とかトイレとかは?どうしてるんですか!?」

 「秘密だ。それより、冷めないうちに食べたらどうだ。」

 「秘密って…」


 カツシは脱力する。そんな一言で片付けてほしくなかった。

 この料理が温かいのも不思議だ。料理を持ってくるまでの間に機械的な音は一切聞こえなかった。

 しかし相手はそれ以上言う気がないらしい。静かに手を合わせ食べ始める。仕方なく少年も「いただきます」と料理を口に運んだ。

 静かな時間だった。夕暮れの中を木々のざわめきだけが聞こえる。ミスブは美味しそうに食べているが言葉は発しない。沈黙に耐えかねて少年は思わず質問した。


 「…そ、そういえば!ミスブさんはどんな仕事をしているんです?」

 「知りたいのか?」

 「…いや、嫌なら良いですけど」

 

 カツシは視線を泳がせる。

 ふと脳裏に浮かんでしまったのだ。女性は浮浪者なのではないかという疑惑が。

 一見そうは見えないけれど、女性は外見を気にするものだから分からない。一日置きとは言え昼日中に一人で山中にいるのも不自然だ。

 だが、そんな疑惑を感じるのは相手に失礼な事だ。話を変えようとカツシが口を開きかけた時、ミスブは困ったように微笑みながら言った。


 「…そうだな、人に降りかかる災難を避ける手助けをする者--占い師というのか?それが一番近そうだ」

 「…え、占い師?」

 「うむ」

 「…あの、カタワレさんの仕事は…?」

 「私の手伝いだ」

 「…そう、ですか…。ありがとうございます」


 --うわ、マジか。


 カツシは何とか礼は言ったものの、箸を置く。


 「…どうかしたか?」

 「食事、ありがとうございます。俺、用事を思い出したから帰ります。御馳走様でした」


 失望と困惑と落胆。表情が険しくなるのを抑えられず、振り返る事なく少年はその場を後にした。


 「…量が少なすぎたか」


 ミスブは彼の姿が見えなくなるまで目で追い、ポツリと呟いた。

 カイは次回登場します。

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