(五)古語の助動詞「たり」
▼「たり」の活用形
「たり」の活用は「たら・たり・たり・たる・たれ・たれ」です。しかし、擬似古文をちょっと書く程度なら、全部覚える必要はありません。使うとしたら「き」と同じく、終止形と連体形ぐらいだと思います。
必要なのは、終止形「たり」と、連体形「たる」の二つだけです。雰囲気をつかむために、有名そうなフレーズを出してみますね。(ご存じでなかったらすみません)
『死ぬことと見つけたり』の「たり」
『魅せられたる魂』の「たる」
だいたいこんな感じで使われています【注6】。
▼「たり」の意味は完了だけではない
「たり」は過去・完了グループの助動詞の中では、完了のほうに分類されています。
ですが、完了だけでなく存続/状態の意味も併せ持っています。さらに、過去として使われることもあったりします。
一、完了
二、存続/状態
三、過去
こうやってリストアップすると、現代語「た」と同じではないか、という気になってきますね。
▼「たり」と現代語「た」の違い
確かに、六つの助動詞の中で、「たり」は一番「た」に近い感覚で使えます。ですが、あくまで似ているだけであって、細かいところで違いがあります。
〔1〕存続/状態の意味合いが強い
さて、現代語「た」の場合、存続/状態には条件がありましたよね。そう、連体形の時に限られています。
でも「たり」は、どの活用形の時でも存続/状態の意味を示すことができます。どちらかというと、「たり」は過去・完了よりも、存続/状態の意味合いが強いんです。
比較用に次の二つの文章をどうぞ。
――ダンジョンの暗い地底で、宝剣を得た。
――ダンジョンの暗き底にて、宝剣を得たり。
「た」では、宝剣を得た後どうなったは書かれていません。でも「たり」のほうでは、別の追加情報がない限り、宝剣は今も手元にあるという意味合いになります。
――ダンジョンの暗き底にて、宝剣を得たり。されど、宿敵との一騎打ちにて失いたり。
〔2〕ラ変の動詞には使えない
それから、「たり」はラ行変格活用、いわゆるラ変の動詞と接続することはできません。
ラ変の動詞は、「あり」「おり」「はべり」「いますかり」の四つだけです。
この四つの動詞は、現在の状態を示しているという点で共通しています。よって、存続/状態の意味合いが強い「たり」と接続すると、「頭痛が痛い」とか「電球の球」みたいな感じのおかしな日本語になってしまうのです。
この四つの動詞を過去の文脈に入れたい時は、「ありき」「ありし××」のように、過去の助動詞「き」と接続してください。
ちなみに現代語の「た」には接続制限はありません。「ある」とも普通に接続して「あった」になりますよね。
〔3〕連体形の時は、確実に存続/状態と見なしていい
しつこいですが、元々「たり」は存続/状態の意味合いが強いので、連体形「たる」の場合は確実に、存続か状態のどちらかになります。完了を示すことはありません。
よって、「き」の連体形「し」の説明で取り上げた月の満ち欠けの問題は、「たる」を使えば解決できます。
――我ら、満ちたる月にかけて誓う!
この月は間違いなく満月の状態です。
同じように、次の二つの表現も、現在の状態を示しています。
――雷光をまといたる剣
――精霊たちに愛されたる乙女
比較用に、過去の助動詞「き」を使った場合の例をもう一度書き出しておきますので、語感の違いをご確認ください。
――雷光をまといし剣
――精霊たちに愛されし乙女
▼「たり」が描き出す過去
「たり」は過去としても使うことができます。もちろん、自動的に存続/状態になってしまう連体形「たる」の場合は除きます。よって、このエッセイで扱う範囲では、終止形「たり」限定の用法ということになりますね。
さて、過去と言えば「き」でしつこくやりましたけれど、「たり」の過去は「き」の過去とはニュアンスが違います。
「き」の過去はきっちりと過去の枠組みにはめ込まれ、固定されていますが、「たり」の過去は――あくまで「き」との比較においてですが――動的な雰囲気になります。ですから、「き」よりも動きのある場面を描くのに向いていますね。
また、「き」の場合、あらゆる事象は過去の出来事として規定され、語り手のいる現在から切り離されます。一方で「たり」は過去特化の「き」と違って存続/状態の要素を併せ持っていますので、「たり」の過去は現在と繋がっている過去になります。
ことわざ(だと思うんですが)でちょっと比較してみます。
――幽霊の正体見たり枯れ尾花
仮に、この中の「たり」を「き」に差し替えると次のようになります。
――幽霊の正体を見き枯れ尾花
劣化させてしまって、すみません(汗)。一応、五七五の定型に合わせるために助詞「を」を挿入しているんですが……。
えっと、差し替え版のほうは「き」を使っているので、「幽霊だと思っていたら枯れススキだった」という過去の出来事を淡々と述べているだけの内容になります。
ですが、同じ出来事を描いていても、元の「たり」では、現在と地続きの過去となりますので、語り手にとっては当時の心情が今でも残っているわけです。ですから、オリジナル版のほうは、「幽霊だと思っていたら枯れススキだったよ。なーんだ」というニュアンスになります。
補足として、もう一つ別の例を出しますね。「死ぬことと見つけたり」を今度は原文で引用します【注7】。
――武士道といふは、死ぬ事と見附けたり。
この一節では、単に〈道〉を見つけたという過去の出来事を述べているだけではなく、現在もその〈道〉を意識し、日々実践しているというニュアンスが込められています。
▼「たり」の使い方
ここまでいろいろと書きましたが、「たり」は細かい違いはあっても、現代語「た」に一番近いので気軽に使えます。「き」に比べればずっと安全だと思います。気をつけるとすれば、
一、ラ変の動詞とは接続できない
二、連体形「たる」の時、できれば「き」の連体形「し」と使い分ける(※ただの努力目標)
くらいです。
二番目が努力目標に過ぎないのは、「たり」は「き」よりもずっと意味が広いので、割とどこでも投入できるからです。そして、唯一の禁則、ラ変の動詞の場合は「き」が使えますので……結局、どうぞお気軽に、の一言に尽きます。手抜きではなく、本当にそうとしか言いようがないんですよね(笑)
【注6】
『死ぬことと見つけたり』隆慶一郎(新潮文庫)
このタイトルは、山本常朝『葉隠』の一節から取られています。
『魅せられたる魂』ロマン・ロラン
複数の翻訳がありますが、邦題はどれも同じですね。
【注7】
――武士道といふは、死ぬ事と見附けたり。
引用元は「葉隠原文Web」(http://hagakure-text.jp/)です。
引用した文章があるのはかなり最初のほうだったのですぐに見つかりました。直接ご覧になりたい場合は、「聞書第一 〇〇〇二 道は死ぬ事、毎朝毎夕常住死身になれ、家職を仕果す」(http://hagakure-text.jp/bunsho/0002.html)をどうぞ。