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擬似古文でカッコいい呪文や誓約文を書く時の注意――過去と完了の助動詞について  作者: 多雨
基本編 「き」と「たり」だけをマスターせよ
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(四)古語の助動詞「き」

▼「き」の活用形は実質二つしか使わない


 古語なので活用から入りますが、「き」の活用は「せ・○・き・し・しか・○」です。連用形と命令形がありません。

 ついでに言うと、未然形と已然形も滅多に使いませんので(使えるレベルの方にはこのエッセイは要らないはず)、終止形と連体形だけ覚えておけば十分です。受験古文よりも楽ですよね。


 必要なのは、終止形の「き」と、連体形の「し」の二つだけです。

 ただ、思いきり不規則な活用なので、ちょっとイメージがつかみにくいかもしれません。そうですね、


 『ツァラトストラかく語りき』の「き」

 「我が母の教えたまいし歌」の「し」


にあたります、と申し上げれば少しは分かりやすいでしょうか【注4】。




▼「き」は過去の助動詞


 「き」の意味はとてもシンプルなので、説明もひとことで終わります。


 「き」は過去の助動詞です。以上!


 ……いえ、これウソじゃないです。マジで、過去しか意味がないんですってば。


 さすがにここで終わると怒られそうなので、解説を続けます。


 このエッセイを書くために、一応高校の古文の参考書も何冊か立ち読みしたんですけれど、受験古文では


 「き」は直接過去

 「けり」は伝聞過去


と定義してあることが多いようですね。

 これ、完全にでたらめとは申しませんが……そうですね、個人的には「円周率=3」(笑)と教えるのと同レベルだと思いますよ。

 えっと、入試に必要な方はしかたがありませんが、それ以外の方は「き」と「けり」(「たり」と混同しないように注意!)をセットで覚えてはいけません。


 「き」は、ただ単に、過去の出来事を示すだけの助動詞です。直接とか間接とか伝聞とかの枠組みはどこにもないので、忘れてください。自分が直接体験したわけではない過去であっても、余裕で使えます。

 一方で、現代語「た」と違い、完了および存続/状態の意味は一切含みません。「き」は過去だけに特化した助動詞なのです。




▼過去特化による効果


 「き」は過去を淡々と記すことしかできない助動詞です。逆に言うと、「き」を使うことによって、あらゆる事象は過去に位置づけられ、過去の出来事だと見なされることになります。

 よって、もちろん語り手が直接体験した過去を語るのに使ってもいいんですけれど、「き」の特性が最も生かされるのは神話です。

 「き」は、誰も見たことのない神々の伝説ですら、過去の事実として規定してくれます。


 ファンタジー世界において、神話は作られた物語ではなく、絶対的な真実でなければなりません。ですから、創作神話を擬似古文で書く時は、できるだけ「き」を使うことをお勧めします。


 ――はじめに、混沌あり()。やがて、二柱の神々がいでたまい()


 とてもそっけなく見えるかもしれませんが、これが神話に最適な文体です。


 興味がおありの方は、『古事記』の書き下し文をどうぞ【注5】。天地開闢から推古天皇に至るまで「き」ばっかりですから。他の過去・完了グループの助動詞もちらほら見られますが、「き」の比率が圧倒的です。




▼連体形に注意!


 「き」は過去限定の助動詞なので、連体形となっても存続/状態を示すことはありません。

 最初のほうで例に挙げた「我が母の教えたまい()歌」をもう一度ご覧ください。「母」がこの歌を教えてくれたのは、過ぎ去った過去の出来事です。同時に、教えてもらった過去があるから、現在はその歌を歌える状態にある、という結果も示しています。


 しかし、ある過去の出来事が必然の結果を導き出すとは限りません。あるいは過去の出来事であると規定されてしまったために、現在はそうではないと解釈されてしまう場合もあります。


〔1〕結果が確定しない場合


 次の例をご覧ください。


 ――守られ()


 砦が無事に守られたのは過去の出来事です。その後どうなったかは分かりません。よって、砦の現状を示したいのであれば、きちんと補足しておく必要があります。


 ――度重なる襲撃に耐え、多くの血を代償として守られ()砦だ。私の指揮において奪われることがあっては、先達に顔向けできぬ。

 ――勇者に守られ()砦をあっさりと攻め落としてしまった。


 一つ目の文章では無事ですが、二つ目の文章では陥落してしまったことが分かりますね。


〔2〕過去として規定されたため、現在は違うと見なされる場合


 さらに別の例に行きます。


 ――雷光をまとい()


 雷光って基本、すぐに消えますね……。

 過去のある時点で、この剣が雷光をまとっていたのは確かです。しかし、だからこそ、現在はただの剣に戻っている、という解釈が導かれます。

 こういう表現の場合は、必ず、過去の文脈で使わなければなりません。


 ――雷光をまとい()剣を掲げる姿に、一同は地にひれ伏した。


 ちょっと強引な例文になってしまって申し訳ないですが、こうすれば、一応は全部過去の出来事ということになりますので、現在の剣の状態を気にする必要はありません。

 しかしながら、次のような例だと問題が発生します。


 ――僕は手を掲げて神器を召喚した。「雷光をまとい()剣よ、我が手に来たれ!」


 ……残念ながら、彼が剣を手にした時には、せっかくの雷光は消えてしまっていることでしょう。本当に残念です。私としては、雷光をまとっている剣を振るう場面を、ぜひとも見せてほしいのですが。

 えっと、こういう場合は、過去の助動詞を外して「雷光をまとう剣」にするか、あるいは次のページでやりますが「たり」を使って「雷光をまとい()()剣」にすれば、雷光をまとった状態で使うことができます。


 もう一つ、別の例を出します。


 ――精霊たちに愛され()乙女


 愛は雷光と違って存続する可能性は十分にありますね。ですが、この表現においては、過去の助動詞によって過去の出来事だと規定されることになります。

 「精霊たちに愛され()乙女」は、単独で作品のタイトルに使うのでしたら全く問題ありません。物語であるならば、過去の出来事として既に閉じているからです。

 それから、「雷光をまとい()剣」のように、過去の文脈で扱う分にも問題ありません。


 ――深き森の中、精霊たちに愛され()乙女がただひとり住み()

 ――この森は、精霊たちに愛され()乙女が降り立ち()地なり。


 しかし、次のような場合には、微妙になってきます。


 ――精霊たちに愛され()乙女に会わねばならぬ。


 精霊たちに愛されていたのは過去の出来事です。よって、この言い回しだと、文脈的に、今は愛されていないということになってしまいます。只人になってしまった彼女にわざわざ会いにいく理由は、ちょっと私には想像がつきません。


 ――「精霊たちに愛され()乙女よ」と大神官は言った。


 この場合、大神官の台詞は、精霊たちの愛を失った彼女に対する明らかな嫌味となります。


〔3〕完全なエラー


 もう一つ、完全にアウトな例も出しておきますね。


 ――我ら、満ち()月にかけて誓う!


 その月、既に欠けています……。




▼連体形でも安全な文例


 連体形「し」を使っても絶対に安全な表現もあります。少ないですが、思いついた分だけ書き出しておきますね。


・過去となった期間を示すパターン


 ――若かり()頃、若かり()日々

 ――過ぎ去り()日々

 ――在り()


・過去の出来事であり、その結果が消えずに定着するパターン


 ――××を究め()

 ――××を修め()

 ――選ばれ()

 ――祝福され()

 ――失われ()××

 ――呪われ()××

 ――告げ()××、告げられ()××


・過去に授受を済ませたものを示すパターン(有形・無形は問いません。爵位、土地、宝物、知識などなど、結構何でも使えます)


 ――受け継ぎ()××、受け継がれ()××

 ――授け()××、授けられ()××、授かり()××

 ――与え()××、与えられ()××

 ――奪い()××、奪われ()××

 ――渡され()××

 ――もたらされ()××

 ――賜り()××

 ――戴き(頂き)()××


 一つ目のグループは、今でも古風な慣用表現として残っていますので、馴染みのある方も多いのではないでしょうか。

 ここに挙げた表現は、どんな文脈で使っても大丈夫ですのでご安心ください。他にも思いついたら、また付け足しておきます。







【注4】

『ツァラトストラかく語りき』ニーチェ/竹山道雄 訳(新潮文庫)

 ニーチェのこの著作には、さまざまな邦題が付けられています。「かく語りき」の表現を使っているのは、新潮文庫の『ツァラトストラかく語りき』と、河出文庫の『ツァラトゥストラかく語りき』ですね。一文字しか違いがないので紛らわしいですが、ここで例として取り上げているのは、新潮版のほうのタイトルです。

 この難解で全く一般向けではない本が日本でやけに有名なのは、最初に「かく語りき」という見事な訳をあてた竹山道雄氏の功績だと思っています。文語体の訳文としては「かく語れり」でもいいんですけれど、「かく語りき」の硬質な響きだからこそ鮮烈な印象があるのではないでしょうか。「××かく語りき」とかパロディとしてもよく使われていますね。


「我が母の教えたまいし歌」

 ドボルジャークの歌曲です。この邦題を付けたのはどなたなのか存じませんが、これも上手いなぁと思います。




【注5】

 『古事記』の原文は万葉仮名で書かれていて、漢字ばかりがずらずらと並んでいます。一般人には「書き下し文」ではないととても読める代物ではありませんので(私も一般人なので無理です!)、うっかり原文に辿りついてしまわないようご注意ください。





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