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「えっ?」

 驚いて隼人は目を丸くした。

「こ……子供?俺に?」

 隼人は志保の姿を思い出した。確かに具合が悪い時がたくさんあった。子供を産むからと言ったのも、妊娠していると気が付いていたからかもしれない。

 本当に子供ができたのか。志保は一人で産めたのだろうか。

 突然巌残がぶるぶると震えているのに気が付いた。怒りで体がわなわなとしている。何が起きるのかわからず隼人は冷や汗を流した。

「お前もあの男と同じか!」

 耳をつんざく怒鳴り声だった。地響きのようだった。

「あ……あの男って……?」

 動揺しながら聞くと、紗綾が落ち着いた声で答えた。

「私たちのお父さんよ」

 紗綾が両親について話したことは一度もなかった。さらに目を大きくした。

「私たちのお父さんは、隼人と同じく極道になりたくないって言ったの。好きな人がいたから。浅霧とは縁を切って、私と隼人と四人で幸せになりたいって」

 巌残が呻り声を出した。

「あんな女にだまされて浅霧を捨てた!お前もあの愚かな男と同じか!」

 巌残は立ち上がり隼人の方へずんずんと歩いてきた。そして力任せに隼人を殴り飛ばした。もうかなり歳をくっているのにその威力は半端なかった。壁に全身を思い切り打ちつけた。これが最凶と呼ばれる人間の力なのか。

「隼人!」

 紗綾の叫び声が聞こえた。隼人は呻きながら畳の上に仰向けになった。巌残はその隼人の腹に足をのせた。このまま踏み潰されるのだと直感した。殺されると冷や汗を流し目をつぶった。体が固まって逃げられない。

 しかしなぜか巌残は動かなかった。じっと隼人の顔を見下ろしていただけだった。

「……え……?」

 恐る恐る目を開けるとくぐもった声で聞いてきた。

「本当に極道になる気がないのか」

 隼人はびくびくしながら小さく頷いた。

「極道になんか絶対なりたくない……」

 するとのせていた足を床に戻した。何を考えているのかわからなかった。突然の巌残の行動に他の極道たちも驚いていた。

「お前は、浅霧なんて消えればいいと言ったな」

「う……うん……」

 頷くと巌残は顔を上げた。

「お前の言う通りだ。もう浅霧は消える。お前が跡を継がないならな」

 隼人は、巌残がもう自分の命が永くないと言っているのだと感じた。これからも浅霧を続けていくには隼人が家主にならなければいけない。しかし隼人は家主になれない。つまり浅霧は家主がいない極道になってしまう。

 巌残は顔を上に上げたまま言った。

「もうフミは死に浅霧に必要なのは隼人だけだった。だがこんなに愚かな人間を家主にさせることはできない。全てはあの男のせいだ。女にだまされて浅霧を捨てた。まさか息子も同じだったとは」

 諦めたような口調だった。こんな弱音を巌残が言うとは誰も思わなかった。

「本当は、おじいちゃんも極道になりたくなかったんじゃないの?」

 突然紗綾が聞いた。巌残が目を向けると紗綾はもう一度言った。

「浅霧は最凶でなければいけない。だから自分の心をだましてまで極悪非道にならなきゃいけなかった。おばあちゃんがおじいちゃんと結婚したのは、本当は優しい人だって知ってたからじゃないの?」

 はっとした。そういえば隼人もどうしてフミが巌残と結ばれたのかわからなかった。こんなに恐ろしい巌残が自分と同じだったら驚きだ。もし極道になりたくないのに家主をしていたのなら酷すぎると思った。巌残が何と答えるか緊張したが何も言わなかった。

 もう巌残は死ぬ。家主がいなくなった浅霧は消える。こんな結末になるとは思っていなかった。

「出て行け」

 巌残は俯きながら言った。

「もうお前らは浅霧とは関係がない。二度とその面を見せるな」

 紗綾を掴んでいた男が手を放した。紗綾はすぐに隼人のところへ駆け寄った。

「隼人、大丈夫?」

 起き上がりながら隼人は答えた。

「姉ちゃんだってすごい傷だらけだぞ」

 そんなことはどうでもいいというように紗綾は首を横に振った。

「よかった……隼人……」

 涙が零れ落ちた。ぎゅっと抱きしめられ少しどきどきした。十年ぶりの紗綾はとても綺麗だった。

「会いたかったよ……。隼人……。もう毎日心配で心配で……」

 隼人も背中に腕を回し抱きついた。涙が流れたが巌残は何も言わなかった。しばらく抱き合いながら泣いていた。その二人を取り囲むように極道たちは暗い顔で俯いていた。先ほどとは全く違う虚ろな目だった。


 二人で並びながら屋敷を出た。格好悪いくらい目が真っ赤だった。ゆっくりと歩きながら何を話せばいいのかわからなくて戸惑っていた。言いたいことがたくさんありすぎて言葉にできない。

「昔はお姉ちゃんの方が背が高かったのにね。こんなに大きくなっちゃって」

 突然声をかけられ驚いた。紗綾は十年前と変わらない優しい目をしていた。

「姉ちゃんも、すごく綺麗になったな」

 照れながら言うと「恥ずかしいこと言わないでよ」と頭をつつかれた。

「本当に永かったね……。この十年。十年じゃなくて一〇〇年みたい」

「うん」

 二人は黙った。まさかまた会えるとは思っていなかった。夢を見ているような気持ちだった。

「隼人が家主になる前に助けられてよかった。まさか浅霧が消えるとはね……」

 浅霧が消える。ずっと願っていたことなのに実際に起こるとなぜか不思議な感じがした。

「そういえば、俺に子供がいるって言ってたけど」

 紗綾は大きく頷くと真っ直ぐ隼人の顔を見つめた。

「絶対にお腹に子供がいるよ」

「お腹?じゃあまだ産まれてはいないんだな」

そう言うと紗綾はもう一度頷いた。

「十八歳の女の子が一人で子供を産むなんてとんでもなく大変なことだよ」

 その通りだと隼人は思った。しかも志保の父親は隼人と恋愛をすることを認めていない。もしかしたら堕ろせと言われたりしているのかもしれない。とにかく早く志保に会いたかった。どうして紗綾が志保と隼人が恋人同士だと知っているのか聞きたかったがもうそんなものはどうでもいいと思った。

 紗綾は隼人の手を握った。とても力強かった。

「しちふくに行こう。隼人の会いたい人が待ってるから」

「……うん……」

 小さく呟き隼人は歩き出した。

 

 

 


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