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朝起きてから紗綾の胸の中に嫌な予感が浮かんでいた。隼人の声が聞こえてくるのだ。紗綾はなぜか昔から隼人の言葉が心の中に現れることがよくある。以心伝心のようなものだ。しかも今日ははっきりと聞こえた。苦しんでいるような助けてくれと叫んでいるような気がした。いてもたってもいられず外に飛び出し足が動く方に向かった。そしてしちふくの前で足が止まった。
店長が『しばらくお休み』という看板を出していた。確かしちふくは年中無休のはずだ。不思議に思い声をかけてみた。
「あの、お店お休みなんですか?」
すぐに店長は紗綾の方に顔を向けると申し訳ないように笑った。
「すみませんねえ。ちょっとしばらく休もうと思いまして」
「どうしてですか?何かあったのですか?」
店長は紗綾をじっと見た。こんなことを言ってくる客などいないからだろう。
「いや、ちょっと従業員の子が、働けなくなっちゃって」
どくんと心臓が跳ねた。気になってさらに聞いた。
「従業員の子って、あの高校生の女の子ですか?」
「そうだけど……。あの子と知り合い?」
「知り合いではないんですけど、ちょっとおしゃべりしたことがあるので」
そして力強く店長の顔を見つめた。
「その従業員の子はどこにいるんですか?」
「えっ?」
驚いた声を出した。紗綾は足を一歩踏み出しお願いをした。
「私、その女の子に会いたいです」
「会いたいって……。何で……」
「会いたいんです。会って話をしたいです。会わせてください」
さらに店長に近づく。絶対にこれを逃すわけにはいかなかった。あの子は何か知っている気がする。話をしたら隼人の居場所がわかると直感した。
「えっと……、じゃあ、ここに連れてくればいいのかな?」
「お願いします。ずっと待ってるので」
紗綾が頭を下げるとすぐに店長は車に乗ってどこかに向かって走っていった。
一時間もかからずに女の子はしちふくにやって来た。しかし以前見た時とは別人だった。目は死人のようだし足もふらふらとおぼつかない。生気が全く感じられない。まるで幽霊のようだった。
「倉橋志保です……」
消えそうな声で自己紹介をした。紗綾も言おうとしたがその前に志保が聞いた。
「浅霧紗綾さんですよね……」
驚いて目を見開いた。なぜ知っているのか。
「どうして私の名前を」
「隼人が教えてくれたんです……」
さらに目を大きくした。
「あなた……隼人に会ったことがあるの?」
志保はどこを見ているかわからない目を向けてきた。
「……私……隼人と付き合ってるから……」
「えっ」
まさか隼人に恋人がいたとは思っていなかった。くわしく話を聞きたいが、今の志保にはそんな余裕などなかった。
志保のまぶたに涙が溢れ、頬に伝って床に落ちた。
「でも……もう会えないんです……」
「会えない?」
わけがわからず戸惑った。まさか巌残に引き裂かれたのか。志保は震えた声で答えた。
「……私のお父さんは警察官なんです。隼人と一緒にいたところを見られちゃったんです……」
紗綾の体に雷が落ちてきた。冷や汗が噴出した。足が小刻みに震える。
「じゃあ隼人は、あなたのお父さんに捕まえられたってこと?」
すぐに志保は首を横に振った。俯くと悔しそうに言った。
「違います。捕まえるんじゃなくて追い出したんです。もう二度と志保の前に現れるなって怒鳴って。それでもう会えなくなったんです」
その一言でだいたいわかった。隼人と志保を引き裂いたのは巌残ではなく志保の父親だった。
「今まで一緒にいたアパートに行っても、隼人もいないし家具もなくなってるし。もう私どうしたらいいのかわからなくって……」
紗綾は落胆した。隼人の居場所を知っていると思っていたがそうではなかった。
「紗綾さん」
声をかけられはっとした。志保がじっと顔を見つめてきた。
「私、隼人が好きなんです。やくざであっても隼人を愛してるんです。隼人も愛してるって言ってくれたんです。警察官もやくざも関係ないって言ってくれたんです。どうして親が敵同士だから別れなきゃいけないんだって……」
幼い頃の隼人の姿を思い出した。隼人は紗綾のこともフミのことも心の底から愛していた。極道になりたいと言ったのも誰かを護りたいからだった。きっとこの子も隼人の心優しいところを見たのだろう。どうして親が敵同士だから別れなきゃいけないのか。警察もやくざも関係ない。紗綾も同じ想いだった。親が正反対の立場であっても愛し合ったっていいじゃないか。
「倉橋さん」
安心させるために紗綾は志保をぎゅっと抱きしめた。その時どくんと大きく胸が鳴った。以前もこうして抱きしめたことがあったがあの時より明らかにお腹が膨らんでいる。まさか妊娠しているのか。
「隼人に会いたい……」
涙声で志保は言った。紗綾はしっかりと志保を包み込んだ。
「……大丈夫。絶対に会えるよ。信じていよう……」
隼人も志保も紗綾もそしてお腹にいる子供も、みんなが幸せになれるように紗綾は目を閉じて祈った。




