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「シホちゃん、もう泣きやみなよ」

 ミユキが優しく頭を撫でた。困ったような笑顔をしている。

「ごめんなさい……」

 志保が呟くと苦笑いになった。

「いや、謝らなくていいよ」

 はい、と志保は小さく頷いた。

 隼人と離れ離れになってしまった翌日から、志保はミユキのマンションにいる。亮介の顔なんて見たくないし声も聞きたくない。そばにいるというのが嫌だった。どこに行けばいいのかわからず途方に暮れていたが突然ミユキの顔が浮かんだ。「お父さんと大喧嘩をして一緒にいたくないんです」と言うとすぐにミユキはマンションに連れて行ってくれた。

「お父さんとどんな喧嘩したの?」

 恋人がやくざの一人息子だったからとは言えない。

「お父さんって昔から全然私の話信じてくれないんです……。いっつも嘘じゃないかとか疑ってくるし……」

「そうなんだ。何か助けてあげたいけど」

 志保は首を横に振った。涙の雫が周りに飛び散った。

「家に泊まらせてくれるだけでありがたいです……」

 携帯には亮介の電話番号は登録されていない。ここにいれば亮介と会わなくて済む。

 ミユキはとても優しかった。ミユキの方が亮介よりずっと志保を助けてくれる。

「でも、何かやってほしいことがあったら遠慮なく言ってね」

 はい、とまた小さく頷いた。

 ミユキは志保を慰めるために甘いお菓子を作ってくれたり、何時間も志保の話を聞いてくれた。ミユキが父親だったらよかったのにと何度も思った。アルバイトもしばらくお休みしていいよと言ってくれた。ありがとうございますと志保は涙を流した。ミユキの思いやりに感動した。

 だがやはり、いつまでもここにいるわけにはいかなかった。これからどうしようと考えても答えが見つからない。しかし亮介とどんな顔でどんな言葉を言えばいいのかわからなかった。どれだけ隼人が優しいと話しても絶対に嘘だと決め付けて、不幸になりたいのか、早く忘れなさいしか言わない。警察官とはいろいろな人間にいろいろな話を何度も繰り返し聞くものだ。なぜ志保の話は聞いてくれないのか。隼人を完全にやくざの一人息子と名前だけで決めつけている。

「隼人は悪いことなんて一つもしてないの」

 必死に訴えても聞く耳など持たない。全て「だまされている」の一言で終わりだ。

「お母さんは万引きしたんでしょ?でも結婚したってことは、お母さんを許したってことだよね?悪いことなんて一つもしてない隼人と結婚してもいいじゃない!」

 無視をする亮介を見つめながら、それに、と付け加えた。 

「お父さんは、父親が警察官だって知っても志保を好きだと言ってくれる人が本当の恋人だって言ってたよね。隼人は警察もやくざも関係ない、志保と一緒にいて幸せになりたいって言ってくれたの。私の恋人なの」

「まだそんな子供みたいなことを言って。いい加減にしなさい」

 埒が明かないと志保は家から飛び出した。もう何を言っても無駄だ。

 ミユキは初恋の美幸と結ばれなくてもいいと言っていたが志保は結ばれたいのだ。そのために子供を作ることを決意した。十八歳で出産は早いとはわかっているが止められなかった。

 どうしてあの時亮介が帰ってきたんだ。志保と隼人の間を引き裂くためにだろうか。大学受験だってもう頭の中から消え去った。隼人がいないと生きていけない。

「ごめんねえ、シホちゃん。俺ちょっと店のほうに行ってくるね」

「あ、はい」

 はっとしてミユキの顔を見つめた。靴を履きながらミユキは言った。

「あんまり落ち込むのはよくないよ。女の子は笑ってなきゃいけないんだから」

「……はい……」

 もしミユキだったら隼人との婚約を認めてくれるだろうか。きちんと隼人がどういう性格なのか聞いてから答えてくれるはずだ。小さい頃は警察官の亮介が誇らしかったが今は邪魔ばかりする悪魔のようだ。

 ミユキが出て行ってから志保は膝を抱え窓の外をじっと見つめていた。ふとあることに気が付き立ち上がった。今までずっと泣いてばかりで忘れていたことだった。玄関に向かい靴を履くと外に出た。冷たい風が全身に吹きつけたが我慢をして歩き出した。隼人のアパートに行こうと思ったのだ。

 ミユキのマンションからアパートに行くのに何度も迷ったが何とかたどり着いた。緊張しながらインターホンを押してみた。いつもだったらすぐにドアが開いて隼人が出てくるのに、なぜか今日は違った。何度押してみてもだめだった。志保はドアを叩いた。

「私だよ。志保だよ。隼人、ドア開けて」

 しかしドアは開かない。というか人の気配が部屋の中から感じられない。どくんどくんと胸が痛いほど速くなった。

 試しにドアの取っ手を引いてみた。鍵はかかっておらずそのまま勢いよく開いた。部屋の中を見て志保は驚いた。あまりの衝撃に気が狂いそうになった。隼人も家具もなくなっていたのだ。二人で抱き合ってキスをしたベッドも一緒に食事をしたり勉強したりした机も何もかもがなかった。会えるかもしれないという期待が粉々に砕け散った。愕然として体が動かなくなった。

「嘘……」

 その場に崩れ落ちるように座り込んだ。二人の思い出が消えうせてしまった。本当に隼人と離れ離れになったのだ。

 よろよろと立ち上がり輪間公園にも行ってみた。しかし思った通り何もなかった。錆びれた遊具とベンチだけが置いてあっただけだ。

「隼人……隼人……」

 大事なものが目の前からなくなった。まるで隼人は幻で志保は今まで夢を見ていただけのような気がした。心の中にぽっかりと大きな穴が開きその中に落ちていく感じがした。

 とぼとぼとマンションに帰りドアを開けた。ミユキはまだ店にいるらしく一人ぼっちで待っていた。勝手に外に出て行ったのがばれないでよかったが、隼人がいなくなってしまったことを知ってしまった。

「……どこに行っちゃったの……」

 またミユキに注意されてしまうが、涙はあとからあとから溢れて頬に伝っていった。完全に隼人と会えない事実が志保を地獄に落とした。

 

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