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隼人は部屋の真ん中に大の字になって倒れていた。ついに体が動いてしまった。頭の中ではいけないことだと思っているのに勝手に腕が倉橋の体を包み込んでいた。そして思い切り抱きしめた。悲しい時や寂しい時や不安な時、紗綾は隼人を抱きしめてくれた。柔らかくて暖かい温もりに何度も癒された。しかし倉橋を抱きしめたのは癒されたいからではない。愛していたからだ。うろんだと思っていたのはこの恋心だった。愛しているからずっとそばにいてほしいと言ったのだ。倉橋にはどんな意味で伝わったのだろう。隼人に惚れられていると気が付いただろうか。だが素直に好きだと伝えることができない。小杉の言う通り隼人はやくざだから愛したり愛されたりするのは無理だと考えている。倉橋からもやくざなのに何を言っているんだと呆れられてしまうかもしれない。すぐ目の前にいるのに手に入れるのは不可能なのだ。諦めるしかないのだ。一生隼人は一人きりで生きていく。やりたくもないことをして他人から嫌われながら極道として人生を歩む。

 起き上がって洗面所に行った。冷水で顔を洗い鏡を見た。何とも情けない表情をしている自分が嫌になった。

「……倉橋は……俺のものにはならないのか……」

 口から言葉がもれた。一気に空しくて悔しい思いが隼人の全身に襲いかかってきた。頭を思い切り殴った。さらに額を机に打ち付けた。痛みを加えることで、この行き場のない気持ちを消し去ろうとした。紗綾にも会えないし倉橋も手に入れられないなんて何のために産まれてきたのかわからない。こんな思いで生きていくんだったらもう死んだ方がいいと思った。こうして傷だらけになって死んでしまえばいい。そうすればもう何もかも忘れられる。どうせ隼人が死んだって泣く人なんかいないだろう。極道として生まれてこなければよかった。どうして極道の家に生まれたんだ。あまりにも酷すぎる運命にぼろぼろと熱い涙を流した。

「ちくしょう……ちくしょう……」

 何度も自分の体を痛めつけた。今の隼人にできることはこれしかなかった。

 ふと玄関から音がした。こんな時に、と隼人はいらいらした。無視をしたが何度もインターホンを押してくる。仕方なく隼人は出ることにした。顔についた血と流した涙を拭いてから誰が来たのか確認した。胸がどくんと大きく跳ね、雷が落ちてきたように体が震えた。大急ぎでドアを開けると、目の前に倉橋が立っていた。

「何で……」

 小さく声を出すと倉橋は上目遣いで隼人を見た。

「言いたいことがあって……」

「言いたいこと?」

 うん、と倉橋は頷き、少しはにかむように言った。

「今日、部屋に泊まりたいんだけど……。いいかな……」

 返事をする代わりに隼人は倉橋の手首を掴み、勢いよく引っ張った。こんなことをしてはいけない。一瞬迷いが浮かんだが、もう止められなかった。鍵を素早く閉めると、倉橋を思い切り抱きしめた。



 

 部屋の前に来ると足が震えた。緊張してうまく言葉が言えないかもしれない。しかしもう決めた。自分の気持ちに素直になる。たとえ結ばれなくても好きと伝える。ミユキの言葉が頭の中に蘇った。インターホンを押すと心臓が破裂しそうになった。だが逃げるわけにはいかない。何度押しても出てくる気配がないのでまた輪間公園にいるのかと思ったが、突然ドアが開いた。全力疾走した後のように浅霧は汗を流していた。ところどころ傷がある。用意していた言葉を一つ一つしっかりと告げた。

「言いたいことがあって……」

 浅霧は驚いた声を出した。目も大きく見開いている。

「言いたいこと?」

 志保は頷きさらに続けた。なぜか顔が熱くなった。

「今日、部屋に泊まりたいんだけど……。いいかな……」

 すると浅霧に思い切り手首を引っ張られ、そのまま浅霧の広い胸に倒れこんだ。痛いほど抱きしめられると強引にベッドの置いてある部屋に連れて行かれた。どくんどくんと胸が速くなっていく。しかしもうここまで来てしまった。ベッドの上に座り、結んでいたポニーテールをほどいた。浅霧は部屋のドアを大きな音をたてて閉めた。誰も邪魔をすることができない二人きりの空間。ゆっくりと浅霧は志保に近づいた。

「あ……浅霧……」

 声が震えてうまく言えない。押し倒され志保は横たわった。浅霧も志保の体に馬乗りになりお互いの顔を見つめ合った。来た、と志保は直感した。ついにこの時が来た。胸の鼓動が乱れておかしくなっている。はあはあと熱い息をしていると浅霧が顔を寄せてきた。恥ずかしくなって目を閉じた。唇が重なった瞬間体中が震えた。やっと望みが叶ったような気分がした。しばらくそのまま抱き合っていた。息が荒くなる。ようやく唇が離れると浅霧は志保の耳元に顔を寄せた。

「浅霧くん、あのね、私ね」

「浅霧って言うな」

 熱い息と言葉が直接耳の中に入り全身がぞくぞくした。

「や……やめ……」

「俺は浅霧って名前が嫌いなんだ。お前にそんな名前で呼ばれたくない」

 また気が狂いそうになった。声を聞くだけでこんなに興奮してしまうのかと驚いた。

「じゃあなんて呼べばいいの?」

「隼人だ。隼人って呼べ」

「わかった……」

 そう言うとやっと隼人は顔を上げてくれた。

「じゃあ、私のことも志保って呼んで」

「志保か」

「うん」

 志保が笑うと隼人はじっと見つめてきた。

「志保……。好きだ……大好きだ……」

 震えていた。志保も小さく消えそうな声で言った。

「私も……。隼人のことが好き……大好き……」

 隼人はもう一度強く抱きしめた。志保も隼人の首に腕を回し抱きついた。そしてまた唇を重ねた。もう離れることなどできなかった。


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