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小杉の言葉が隼人の頭をガンガンと打ち続けている。倉橋さんねえ、浅霧くんのことなんて好きじゃないって……。いつまでも消えてくれない。小杉が言っていたことは本当なのだろうか。倉橋は隼人のことなど何とも思っていなかったのか。ではどうしてあんなに近づいてきたんだ。隼人がネクタイの練習をしているのを見ていたり、部屋に泊まったり泊まらせたり、隼人を探して輪間公園に来たりしたのはなぜなんだ。何とも思っていない人間にそんなことをするだろうか。隼人は倉橋を大切な人だと思っていた。そばにいてくれさえいれば、誰かに怖いと言われてもよかった。倉橋は特別な存在だった。
倉橋さんが好きなんでしょ。心臓がどくんと跳ねた。そんなわけないと思った。特別な存在といっても、好きだという意味ではないのだ。ただのうろんな女。倉橋を気になっているのは、正体が不明だからだ。恋人同士になりたいんじゃない。だがそばにいたいのは事実だ。あまりにも近くにいすぎて突然好きだという気持ちに変わったのか。倉橋に嫌われたくない。そう思うことが好きだというのか。隼人は考えた。自分は倉橋にどう思われたいんだ。倉橋はどう思っているのか。やはりやくざの一人息子なのか。
「馬鹿馬鹿しい」
首を横に振った。なぜこんなことを考えているんだ。倉橋に何と思われても別にいいじゃないか。小杉の言葉なんかいちいち気にして動揺してるなんて馬鹿みたいじゃないか。それにそもそもやくざは恋愛をしない。やくざの一人息子が恋をするなんて恥ずかしい。
はっとした。もし隼人がやくざじゃなかったら、倉橋とどんな関係だっただろう。恋人同士になっていたのか。倉橋はもしやくざじゃなかったらという質問に答えてくれなかった。
「恋人同士……」
そう呟いた瞬間、隼人の心の中にある思いが生まれた。倉橋がほしい。自分だけのものにしたい。離れたくない。誰にも取られたくない……。
隼人は頭を抱えた。何を考えているんだ。嘘だ。倉橋がほしいなんて嘘だ。小杉の言葉がまた浮かんだ。
倉橋のことが好き。でも素直に好きだと思わなくしている。それはやくざだから。もし好きだと言ってやくざだからと断られたくないと思っている。隼人は首を横に振った。これは恋じゃない。倉橋が好きなんて思っていない。やくざだと思われるのは確かに嫌だ。だけど好きだなんて気持ちはない。
しかし倉橋が他の男と付き合って、結婚でもしたら隼人はどうするのだろう。絶対に後悔すると思った。紗綾と会えない上に倉橋まで他人に奪われるなんて辛すぎる。自分で自分がわからず、無意識に外に出た。そして輪間公園に向かって走っていく。隼人が一番落ち着く場所だ。どうしようもないこの心を何とか抑えなくてはいけない。
倉橋を好きになってはいけないのだと隼人は思った。倉橋は普通の人間と普通の恋愛をし普通の人生を歩む。やくざの隼人が入り込むことはできない。何の関係もないのだ。隼人はベンチに横たわった。もう明日なんか来なくていいと思っていた。現実逃避をするしかなくそのまま眠ることにした。
しばらくして目を開けると、倉橋がじっと顔を見下ろしていた。驚いてベンチから転げ落ちた。今一番会いたくない人間だった。
「くっ……倉橋……」
「何でいつもここにいるの?」
呆れたように倉橋は言った。
「部屋よりここにいるほうが好きなの?」
隼人は目をそらしながら低い声を出した。
「うっせえな。俺の勝手だろ」
しかし全く怖がらず倉橋は真っ直ぐに見つめてきた。
「あのね、もう私、浅霧くんのそばにいないことにしたから」
「えっ?」
隼人は意味がわからず狼狽した。嫌われてしまったのか。
「浅霧くん、小杉さんと付き合うんでしょ?私がいると邪魔じゃない」
「小杉と付き合う?俺が?」
そんな話は聞いたことがない。そう言うと倉橋は首を傾げた。
「えっ……。だって小杉さんに言われたよ。これから浅霧くんの彼女になるから、横取りしないでよって」
小杉の小悪魔の笑みが頭に浮かんだ。あいつは本当に余計なことばかりする。
「あの女の作り話だよ。俺は一回も付き合うなんて言ってねえよ」
「作り話?わざわざ私のところにまで来たのに」
「あいつは本当に馬鹿でうざったい女だ。ああいう女が一番嫌いなんだ」
申し訳なさそうな顔をしながら倉橋は言った。
「馬鹿なんてそんな……。可愛いしいい子じゃない。実際とってもモテるし」
「でもあんなにしつこくされたらうんざりする」
「じゃあ、浅霧くんが好きな女の子ってどういう子がいいの?」
無意識に隼人は倉橋の方に体を向けた。腕を伸ばし倉橋の体を包み込んだ。
「……俺は、お前みたいな女がいい……」
そう言って思い切り抱きしめた。




