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志保が小学二年生の時だ。学校からの帰り道に一人で歩いていると、輪間公園のベンチに誰かが座っていた。その公園は小さいし遊具も錆びれていて、人なんていないはずなのだが、その日は違った。
後ろ向きで座っているので顔はわからない。同い年くらいの男の子の姿に見えた。別にそんなことはどうでもいい。早く帰らないと暗くなってしまう。
しかし志保は道に迷ったのかな、と気になった。困った人を助けるのはとてもいいことだ。
「あの」
声をかけたが、聞こえなかったようで反応はなしだった。
「どうしたの?」
もう一度言ってみた。すると質問とは違う返事が返ってきた。
「出てけ」
「えっ?」
志保は目を丸くした。後ろ姿の男の子は正面を向いたままだ。
「話しかけるな」
他人にいきなりこんな口調で話すとは、礼儀知らずだなと思ったが、志保は続けた。
「み、道に迷ったかと思って……」
相手はどうやらいらいらしているようで、少し緊張した。
「家に帰りたくないんだ」
重い声だった。志保はさらに聞いた。
「どうして帰りたくないの?」
男の子はそっと俯くと、また質問と違う返事を返してきた。
「俺は一人になりたいんだ」
「どうして?家が、何かおかしいの?」
また根掘り葉掘りだ。気になると止まらなくなる悪い癖だ。
「家族が嫌いだとか?」
突然男の子が立ち上がった。どきりとし、志保は後ずさった。何かまずいことを言ってしまったのかと焦った。
だが立ち上がったままで、何もしてこなかった。振り向きもしなかった。
志保は何を言えばいいのかわからず、ただ背中を見つめていただけだった。
周りはどんどん暗くなっていく。志保は汐里が心配しているだろうと思い、小さく呟いた。
「私、かえ」
「お前なんかに」
男の子が、志保の言葉を遮った。はっとし、志保は口を閉じた。
「お前なんかに、俺の気持ちなんてわかんねえよ」
声が震えていた。志保はすぐに気が付いた。
「……泣いてるの?」
しかし男の子は何も言わなかった。
「……私、帰るね……」
そう言うと、志保は歩いて行った。
家に帰ると、汐里にこんなに遅くまで何をしていたんだと怒られた。
「危ないでしょ。また遅くまで帰ってこなかったら、鍵閉めちゃうからね」
ごめんなさい、と志保は頭を下げた。もう輪間公園には行かないと決めた。
それから一年後に汐里は死んだ。志保は独りぼっちになった。誰もいない家。ただいまと言っても何も返ってこない家。志保も、こんな家に帰りたくないと思うようになった。
汐里がいなくなったある夜、志保は変な夢を見た。
暗い道を、どこかに向かって走っているのだ。何か大切なものを探しにきたようだった。探しものが何かはわからない。走っていれば、それが何なのかわかる気がした。
しかしどれだけ走っても暗い道が続くだけだった。仕方なく志保は帰ることにした。今まで走ってきた道を歩き始めた。
すると突然、後ろから手が伸びてきた。口をふさがれ、何も言えなくなった。まずい!逃げなくては!だが体が思うように動かせない。相手の力が強いのではなく、志保が焦っているせいだ。
怖くてぶるぶると震えた。目が開けられず相手の顔が見えなかった。どこに連れて行かれるかわからない。
抵抗に疲れて志保が動きを止めると、相手も力を緩めた。志保は一気に駆け出した。今しかチャンスはないと思った。相手も後ろから追いかけてくる。がしっと手首を掴まれた。
「痛い!」
志保は叫んだ。あまりの衝撃に、今まで出したことのないくらいの大声を出した。
相手ははっとし、手を放した。そして何か言いかけた。
そこで、目が覚めた。何と現実的な夢だったのだろうか。母親が死んだせいで、父親が家に帰ってこないせいで、こんな夢を見たのか。
正夢になりそうで、志保は少し怖くなった。早く忘れてしまおうと思った。