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朝の光に気付き、志保は目を覚ました。一瞬ここがどこかわからなかったが、浅霧の部屋に泊まったのだということを思い出した。腰に毛布がかけられている。浅霧がかけてくれたのだ。

 昨日の夜、志保は眠らないようにがんばっていた。ああは言っても、やはり男の子なのだから油断はできない。先に寝るのはまずいと思った。しかし浅霧はずっとどこかを見つめているだけだった。何を見ているのかわからない目をしていた。初めて見る顔だった。空気がしんと静かなせいか、志保は緊張した。何を考えているか気になって仕方がなかったが、声をかけることができなかった。志保も同じように正面を向いていた。今の浅霧に何を言っても答えてくれないだろうと思った。しばらくじっとしていたが、いつの間にか眠ってしまった。それからのことは全く覚えていない。

 

 横を見ると、気持ちよさそうに寝ている浅霧がいた。志保は毛布をかけ、顔をじっと見つめた。勝手な想像だが、やくざというのは顔や体に傷やアザなどがあると思っていた。しかし浅霧には何もない。志保がぶつけた鞄の痕があるだけだ。普通の男子高校生にしか見えない。

 ふとあるものに気が付いた。昨日取り上げられた写真立てだ。音を立てないようにそっと手に取り、写真を見た。にこっと大きく口を開けた小学一年生くらいの男の子。その男の子の肩を抱くように、少し大人っぽい女の子。一番後ろに優しそうに微笑んでいるおばあさんが写っていた。三人共とても幸せそうだった。一緒にいられれば、それだけでいい。そんな感じがした。志保は男の子は浅霧だろうと思った。昔はこんなに明るく笑う男の子だったのか。肩を抱いている女の子は誰だろう。姉だろうか。だが浅霧に姉などいるのだろうか。浅霧について何も知らないことに今更気が付いた。家族のこと。過去のこと。何もかも無知だ。

一番後ろにいるおばあさんを見つめながら、志保はミユキの言葉を思い出した。まだ小学一年生くらいの小っちゃい男の子。甘いものが大好きみたいで、よくおばあちゃんと一緒に買いにやってくる。でも突然来なくなった。理由はわからない。毎週来ていたのに。もう八年も経つ……。

 後ろで浅霧が動く気配がした。志保は驚きあわてて写真立てを机の上に置き、元の場所に移動した。浅霧はぼんやりと目を開きながら言った。

「ああ、お前、もう起きてたのか」

「う、うん……」

 先ほどの男の子の顔が頭に浮かんでしまう。何か余計なことを言ってしまいそうでひやひやした。携帯で時間を確認するとちょうど七時になっていた。浅霧はぼんやりしているようで大きくあくびをしている。志保は緊張しながら聞いてみた。

「ねえ、浅霧くんって、甘いもの食べる?」

 浅霧は一瞬驚いたような顔をし、目をそらしながら答えた。

「全然食べねえよ」

「好きじゃないんだ」

「嫌いだよ。甘いものなんか食べたくない」

 志保は考えた。嘘をついているのではないかと思った。浅霧が甘党じゃないなら、ミユキの会いたがっている小さい男の子は浅霧じゃない。ではあの写真立ての男の子は誰なんだ。どうして浅霧があんな写真を持っているんだ。志保はもう一度聞いた。

「じゃあ、会いたい人はいる?」

 しかし浅霧は志保の顔を睨んだ。

「何でそんなこと聞くんだよ」

 あわてて志保は言った。

「いや、何となく聞いてみたくなっただけ」

 さらにじっと浅霧は、見つめてきた。

「お前本当に知りたがりな奴だな」

「そ、そうだね。わかった。もう何も聞かないから」

 いい加減にしろよと目で伝えてから、浅霧は横を向いた。

「変なこと聞いてごめん。じゃあ、私、帰るから」

 そう言って志保が鞄を持つと、浅霧は目を丸くした。

「え……。……もう帰るのかよ」

「えっ」

 志保も目を丸くし、どきどきしながら言った。

「まだ一緒にいた方がいい?」

 すると浅霧はさっと目をそらした。

「いや別に……」

「いいよ。私、ここにいても」

 志保は鞄を下ろし、その場に座った。

「家に帰ったって誰もいないし」

「誰もいない?」

 すぐに浅霧は反応した。志保はこくりと頷いた。

「小学生の時に、お母さんが死んじゃって……。お父さんは仕事でほとんど家に帰ってこないし。完全に一人暮らし状態だよ。もう二年半は会ってないと思う」

「二年半も?」

 浅霧は驚いた声を出した。へえ、と志保の顔を見た。

「もう軽く二年半は経ってると思うよ。もしかしたら、もう家に帰ってこないかもしれない。二度と会えないかも」

「そんなに忙しいのか。どんな仕事してるんだよ」

 ぎくりとした。やくざの一人息子に、父親が警察官だなんて言えるわけがない。

「ちょっと上手く話せないんだけど」

 他に返す言葉がなかった、ありがたいことに浅霧は質問をしてこなかった。ふう、と小さくため息を吐いてから志保は言った。

「二度と会えないのって寂しいよ。私のたった一人の肉親だし」

「たった一人の肉親か……」

 浅霧はまた何か考えているようだった。昨日の夜と同じ目をして、どこかを見ている。志保は浅霧の家族や過去について知りたくなったが、もう聞かないと言ってしまった。

「私、やっぱり帰るよ」

 そう言って立ち上がった。浅霧も引き止めなかった。

「このこと、誰にも言うんじゃねえぞ。俺の部屋に泊まったとか言ったら、ただじゃおかねえからな」

 玄関に向かいながら浅霧がぶっきらぼうに言った。「わかってるよ」と志保は頷いた。靴をはくと志保はくるりと後ろを振り返った。

「いろいろとありがとう。浅霧くん」

 自然に笑顔になっていた。何だか恥ずかしくなって顔が赤くなった。ドアの取っ手に手をかけて、志保は言った。

「そういえば、浅霧くんっていっつも私のことお前って呼ぶよね。これからは、ちゃんと名前で呼んでほしいな」

 浅霧は少し照れたように顔を赤くしていたが、そっと声を出した。

「倉橋って?」

「うん。……ちゃんと名前知ってたんだね。ずっと私の名前わかんないのかなって思ってたよ」

「そんなわけねえだろ」

 素っ気なく言うと、浅霧は目をそらした。

「じゃあ……。お世話になりました」

 そしてドアを開け、志保は外に出た。




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