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昔から、志保はなぜか「特別な存在」として見られてきた。
幼稚園の頃は、父親が警察官だと言うと尊敬の目を向けられた。
「すごーい!志保ちゃんのお父さんって、おまわりさんなの?」
「そうだよ」
とてつもない優越感に浸った。父親が警察官でよかったと思った。遊んでくれないことは言わなかった。
「おまわりさんって、悪い人を捕まえるんだよね」
「うん」
「じゃあ、志保ちゃん悪い人に会ったことあるんだ」
少し心配そうに言われ、志保は首を横に振った。
亮介は、絶対に自分の仕事を話したりしなかった。まだ幼稚園児の娘に事件のことについていろいろ話す警察官の父親なんていないのは当たり前だが、本当に、何も教えてくれなかった。志保は亮介と一緒にいる時間がとても短かった。
そのため、「どんな仕事してるの?」と聞かれると困った。
「私も知らないんだ。絶対に言わないんだよ」
「へえ~」
特に興味なんかなかったという態度をとられると、少しむっとした。
とにかく、父親が誇らしかった。大抵の人が「すごい」とか「かっこいい」とか言ってくるのが嬉しかった。私もお父さんのようになりたいという思いは、日に日に増していった。そして、そうなるには、ちょっとやそっとのことで心を乱してはいけないとも思っていた。
しかし、この警察官の娘という「特別な存在」は、だんだん悪い方向に行ってしまった。
ある日志保が幼稚園に行くと、なぜかみんなが近寄ってこなかった。始めはただの気のせいだと思っていたが、明らかに志保を避けているのだ。いったいどうしたというのか。
志保は、よくおしゃべりをする仲のいい友だちに声をかけた。
「ねえ、どうしたの?一緒に遊ぼうよ」
すると友だちはぎくりとした顔をした。いつもとは全く違う目で志保を見た。
「ねえ」
「あ……う、うん」
目をそらし、弱弱しく呟いた。
志保が手を伸ばすと、びくんと体を動かし、後ろに後ずさった。
志保は黙って不自然な様子を見ていた。おかしい。どうして……。
「志保ちゃん」
横にいた女の子が、話しかけてきた。
「なに?」
志保の胸の中に嫌な予感がじわじわと広がった。
恐る恐るという感じで、その子は言った。
「ごめん。もう私たち志保ちゃんと遊べなくなったの」
「えっ?」
戸惑った。わけがわからなかった。
「どうして……」
言いかけると、さらに続けた。
「……志保ちゃん、お父さん、おまわりさんでしょ」
「うん」
心が乱れそうになる。こんなことで怯えていたらだめだ。
「そのことをね、昨日ママに言ったらね、もう一緒に遊ぶのやめなさいって言われたの。危ないからって」
「危ない?何が?」
志保は目を見開いた。
「何が危ないの?」
答えは何となくわかっていた。しかし本当のことを知りたかった。しっかりと真実が明らかにならないまま終わらせたくなかった。
トドメを刺すように、その子は言い切った。
「もし、一緒に遊んでて、志保ちゃんと喧嘩して、泣かせちゃったりしたら、お父さんに捕まえられるかもしれないよって言われて」
「えっ?」
目の前が真っ白になった。この子は何を言っているのか。
「なに言ってるの?お父さんが捕まえるわけないじゃない」
「……でも」
「私のお父さんとっても優しいよ。そんなことで怒らないし。私も絶対泣かないし」
しかしどれだけがんばってみても、みんなの目の色は変わらなかった。
「それにね、おまわりさんだったら、必ず悪い人が一緒にいるでしょ。何か怖いことが起こったら嫌だし」
これは母親に言われたのではなく、自分の意思だろうと感じた。
志保は何も言えず、その場に立ち尽くした。みんなの冷たい目線を全身に浴びることしかできなかった。
「ごめんね。私たち、本当は志保ちゃんと遊びたいの。でも、やっぱり捕まりたくないし、怖いから」
台本に書かれた台詞を読むように棒読みでそう言うと、逃げるように走り去ってしまった。
……そんな馬鹿な話があるか。どうして子供の喧嘩に父親が入ってくるのか。それに、亮介が捕まえるのは重い罪を犯した人間だけだ。まだこんなに幼い園児を捕まえるわけがない。むしろこうやって突然別れるほうが傷つくではないか。父親が警察官だというだけで、こんなに酷いことをするのか。
志保は、人間の汚い心を知った。それでも志保は泣いたりしなかった。自分は警察官の娘なのだ。
そしてこのことは父にも母にも言わなかった。こんなことで負けてたまるか。そう強く自分に言い聞かせ、決して動揺しないと決めた。