19
「うるせえな。大声で叫ぶんじゃねえ」
隼人は落ち着いた口調で言ったが、実は自分でもとんでもないことを言ったと動揺していた。同い年の女の子と話すのだって慣れていないのに、まさか一晩二人きりで過ごすなんて……。緊張で体が震えそうになった。
「浅霧くん」
声をかけられて、はっとした。倉橋はかなり動揺していた。落ち着いたところなど一つもない。何だよと言う代わりに倉橋の顔をじっと見つめた。かなり胸がどきどきしている。
「それって、まずくない?」
「は?何で」
「だって、私たちもう高校生だし……。男と女だし」
倉橋が言いたいことがだんだんわかってきた。体中が燃えるように熱くなった。
「そんなことしねえよ!」
怒鳴りながら隼人は、目の前にいる倉橋を頭から足先まで見た。いつもは学校の制服を着て、髪はポニーテールにしているが、今は女の子らしい私服で、髪はそのまま下ろしている。本人に言ったら失礼だが、同じ人間には見られなかった。
「本当?本当にやらない?」
話し方だって女の子っぽい。隼人は自分がさらに顔が赤くなっていることに気が付いた。
「なんで俺が……そんな……そんなことするんだよ……」
頭の中で変な妄想が浮かんでしまう。男はみんなこうなるのか。
「じゃあ、なんで……」
顔を覗くように聞いてきて、隼人は目をそらした。さっきまで何とも思っていなかったのに、可愛らしく見えた。小さく深呼吸をして、落ち着けと何度も自分に言った。
「いや、だって、もうこんなに真っ暗なのに、一人で歩くのは危ないだろ……」
すると倉橋は、ああ、と気が付き、次に顔を赤くした。
「そうだよね……。うん。浅霧くんの言う通りだね……。ごめん。なんか変なこと考えちゃったよ」
そしてはあ、とため息を吐くと、上目遣いで言った。
「じゃあ、お世話になります」
「今日だけだからな!」
隼人は大声を出して、動揺しているのを隠した。
緊張して二人は何も食べたり飲んだりしなかった。もちろんお風呂に入ったりもしない。こんな夜は初めてだ。とにかく気持ちがおかしい方向に行かないように気をつけていた。睡魔も全くやって来なかった。しばらく黙っていたが、隼人は声をかけてみた。
「お前、腹減ってないか」
驚いたように倉橋は目を大きくした。
「ううん。空いてない」
「眠くないのか」
「全然」
「寒くないか」
「大丈夫」
「そうか……」
これ以上言葉を見つけられなかった。倉橋の方から何か話しかけてくるのを待った。
こうして夜になると、隼人は昔を思い出す。今まで数え切れないほどの夜を過ごしていた。紗綾のとなりで寝た夜。フミに抱かれながら寝た夜。フミが帰ってくるのをひたすら待っていた夜。一人ぼっちで、苦しくて悔しくて泣いた夜。たくさんの夜があった。そして今夜は倉橋と一緒にいる夜になった。
倉橋は何を考えているのか気になり、ちらりと見た。突然泊まれと言われ、どんな気持ちでいるのだろう。隼人におかしなことをされると心配しているのか。もちろん隼人はそんなものに興味がないし、もし倉橋を襲ったりしたらやくざの仲間入りをしてしまう。何か話しかけなくてはいけないと思ったが、女の子のことなんてわからない。気まずい空間の中で、ただ朝が来るのを願っていた。
ぼんやり闇を見つめていると、倉橋が動いた。どきりとして目を向けると、机の上の写真立てを見つめていた。すぐに隼人は取り上げた。
「人のもの、勝手に見んな!」
怒鳴り声を上げてしまった。さらに睨みつける。
「ごめん。でも、それって」
「うるせえな!さっさと寝ろよ!」
倉橋は申し訳なさそうな顔で「ごめん……」と謝った。
あの時のことを、他人に知られたくなかった。幸せだった日々を誰かに見られるのは嫌だった。それに……この写真で、隼人が極道になりたくないという気持ちがばれるかもしれないと不安になった。
倉橋は元いた場所に戻ると、もう一度「ごめん」と言った。隼人は心の中が罪悪感でいっぱいになった。勝手に人のものを見るなと言ったくせに、自分は倉橋の携帯を勝手に覗いたじゃないか。むしろ謝るのはこっちの方なのだ。
隼人は写真立てを机の上に置くと、写真の中で笑っている自分を見た。まさか自分が極道になって苦しい思いをして一人ぼっちの生活を送るなんて、夢にも思っていなかった。優しいフミや頼りがいのある紗綾と共に、ずっとこのまま穏やかな人生を歩むのだと信じていた。極道になんか絶対になりたくなかった。それなのに、今の自分は何をやっているんだ。無理矢理大きな声を出しきつく睨み、わざと他人に嫌われるようなことをしている。これからもこうして自分の心をごまかし、本当は傷つけたくないという思いを隠しながら、無駄な努力を続けていかなくてはいけない。素直に謝ることもできないのだ。紗綾は、隼人は弱くていいと言った。フミも隼人が極道になったら悲しいと言った。どうして極道になりたいなんて馬鹿なことを考えたのだろう。極道の意味をきちんと知っておくべきだった。
姉ちゃんに会いたい……。どこにいるのかわからない紗綾の顔が浮かんだ。
すーすーという小さな息が聞こえてきて、隼人は我に返った。横を見ると倉橋が眠っていた。隼人は立ち上がり、毛布をかけてあげた。
「……俺のとなりにいてくれるのは、姉ちゃんとばあちゃんと、倉橋だけだ……」
寝顔を見つめながら、小さく呟いた。