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 志保しほはまた時計を見上げた。時刻は八時半を過ぎている。また今日も一人で夕食を食べることになるらしい。小さくため息をついた。

 これは仕方がないのだ。日本中、いや世界中の人間たちが善良になってくれるまで、志保の父は毎日忙しく働き続けなくてはいけない。

 志保の父、亮介りょうすけは警察官だ。仕事仲間には、ベテランとか凄腕だとか呼ばれているらしい。志保はそんな父が誇らしくて尊敬していた。人を助ける仕事は、本当に素晴らしいと小さい頃から思っていた。いつか自分もそういう素晴らしい仕事をしたいと考えていた。

 しかしその反面、全く遊んでくれない父親でもあった。周りの子たちは、日曜日に遊園地に連れて行ってもらったとか連れて行ってもらうとか、父親にたくさん遊んでもらっている。それが羨ましくて仕方がなかった。冷たい父親だなという思いもどこかにあった。だが父は人を護るために働いているのだから、そんなことを思ってはだめだと自分に言い聞かせたりしていた。

 たまに休みで家にいても、亮介は志保と話をしてくれない。疲れ果ててしまって、ずっと寝てばかりだ。

志保は亮介の仕事がどんなものなのかくわしく知らないが、警察官というのは、とても大変で気が遠くなるようなことをしていると感じていた。

「お父さん」

 志保は亮介に声をかける時、なぜか緊張する。悪い人間たちの姿が、亮介の後ろから見えるような気がした。

「どうしていつも寝てばっかりなの?少しくらい、話、聞いてくれても……」

 しかし亮介は疲れきった顔を見せてくるだけだった。すぐにまた寝てしまい、志保は母親の汐里しおりのところに走っていった。

「お母さん!またお父さん寝てばっかりなの!私とおしゃべりもしてくれないの!」

 すると汐里はため息をつくと、面倒くさそうに言った。

「しょうがないのよ。お父さんは毎日、朝から晩まで寝ないで、いろんな人たちのために働いてるんだから。家に帰ってきた時くらい、ゆっくりさせてあげよう。じゃないと、お父さん可哀相でしょ?どこかに行きたいなら、お母さんが連れて行ってあげるから。我慢しなさい」

「やだよ」

 志保は首を横に振った。

「お母さんじゃやだ。お父さんと一緒に行きたい。みんな……お父さんと一緒に遊びに行ったりしてるんだよ。どうして我慢しなきゃいけないの?」

「わがまま言わないの。お父さんが疲れて病気になっちゃったりしてもいいの?」

 くっと志保は俯いた。父親が警察官の子供は、遊ぶことも話をすることさえもできないのか。

「……ねえ、私がお父さんと一緒に遊びに行けるのっていつ?どうして、お父さんは仕事ばっかりで、私はほったらかしにするんだろう。お父さん、私が可愛くないからかな。……嫌いだからかな……。話しかけてきて、邪魔な奴とか思ってるんじゃ」

「志保」

 汐里の鋭い目線が飛んできた。

「そんなこと考えちゃだめ。そんな馬鹿なこと勝手に思い込んだらだめよ」

「嫌いじゃないかな?お父さんに聞いてみようかな」

「やめなさい。絶対に聞いたらいけないからね」

「……だけど」

「志保は、本当にお父さんに似てるね。答えが出てくるまで、徹底的に調べるの。すぐに納得できないんだよね」

 しゅんとし、志保は何も言わずに自分の部屋に行った。

 本当に、お父さんに似ている……。自分でもよく思う。答えが出てくるまで納得できないのが志保の癖であり、欠点であった。父は事件を解決するために、徹底的に答えが出るまで調べる。関係がありそうな人たちを見つけて、もうしつこく何度も何度も同じことを聞いて……。そして真実を暴く。それが亮介のやるべきことだ。

 志保にはとてもそんな難しいことはできないが、やはり真実を知りたいと考えるところは父似なのかもしれない。

 唯一そばにいてくれた汐里が死んだのは、志保が小学三年生の時だ。学校から帰ってくると、台所で倒れていた。志保はパニックになり、その場に座り込んでいた。しばらくそのまま固まっていたら、亮介が顔を白くして帰ってきた。

 病院に連れて行ったが、汐里は気を失ったままだった。やがて、顔に白い布をかぶせた姿を見せられた。

何という病気なのかは知らされていなかった。聞いても九歳の志保にはわからなかった。

 お母さんが死んだ……。志保は人間は死ぬということを初めて知った。こんなに簡単に人間って死ぬんだ……。昨日まで、あんなに、にこにこ笑っていたのに……。

「志保。おいで」

 亮介はすぐに志保を家に連れて行った。死んでしまった母親をこれ以上見せたくなかったのだろう。志保が母と会ったのは、これが最後だった。

「これから二人きりだな」

 帰りの車の中で、亮介が言ってきた。

「そうだね」

 志保は小さく呟いただけだった。

 汐里が死んでしまっても、なぜか涙は出てこなかった。母のことが嫌いだったからではない。私は警察官の娘なのに、母が死んだくらいで泣いたら恥ずかしいと思ったからだ。「警察官の娘」という言葉が、常に志保の心の中にあった。

 寂しいとか悲しいとか、そんなことを考えてくよくよしている暇なんてない。少しでも家事に慣れて、さらに学校にもきちんと通えるようにならなくてはいけない。

 亮介が帰ってこないと、志保は部屋で一人きりだった。テレビを観ても本を読んでも、全く面白くない。

始めは違和感があったが、二ヶ月もすればそれが当たり前のようになってしまった。

 母の死から、志保は何が起きても動揺しない性格になった。気持ちがブレそうになってもすぐに元に戻れるし、必ず冷静な自分がいた。

 母がいなくても意外とあっさり過ごせるものだと思った。


 九時になった。こうしていても仕方がない、と思い、自分の分だけの夕食を作り始めた。次、亮介が帰ってくるのはいつか。帰ってきても事件が起きれば、また仕事に出て行ってしまう。

 ふう、とため息を吐くと、湯気がかすかに揺れ、消えた。



 





 

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