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三話

 根津稔、という青年は、その大柄な体を除けば、一言で言ってしまえば冴えない、と言ってもいい青年だった。

 近いから、という理由で通っていた高校で、運動部に入るほどの活発さはもてず、さりとて帰宅部として一人帰るのも寂しい、そんな消極的な理由で入った美術部。

 順当に高校を卒業した後は、いけそうな大学、という括りでろくに調べもしないままに進学し、波風立てない人間関係を築きながら、あまり趣味といった趣味もない事から何となく勉強をしているうちに単位だけは取れ、教授の覚えもめでたい。

 ただ、いつからだったのだろう、目的意識を失ったのは。

 かつては描けていた気もした将来の自分、それはもう輪郭を失った影絵でしかなく──そんな明確にできない部分が透けて見えるのか、大した熱意もなく望んだ就職活動もまた全敗。

 どうしてこうなったのか、分岐点は一体いつだったのか。

 そんな答えのない、やくたいのない事をぼうっと考え、半ば義務感で就職活動関連のHPを巡り、ゲームや匿名掲示板などで暇を潰す。

 両親に資産があるわけでもなく、いずれはバイトか派遣でだらだら生きる事になるか、それもまた良いか、などと半ば諦めていたのだった。

 そんな彼の日常、いつもの……普通の人より少々遅い朝が、その日は違った。

 ぷん、と香る味噌汁があり、艶々と光るご飯があり、さっと煮た大根と水葉、椎茸の煮物があり、切り口の綺麗な卵焼きがあり、焦げ目のついた焼き鮭があり、ちょっとしたカブの浅漬けもあった。

 

 ひとまず着るものと食事を調達しようと、朝一で駅前のデパートへ向かい、女性の衣類売り場で、家族が出先で風邪ひきまして、などと顔を赤らめ、苦しい言い訳をしながら一揃い揃え、食料品も買い揃える。

 そんな根津に綾瀬このみは、動いてもらうばかりでは申し訳ないと、せめて料理をと申し出たのだ。

 こたつで寛ぎ、本棚から大量にコミックを引っ張り出して読み漁っていた猫の少女は我関せずとばかりに尻尾を揺らしていたのだが──綾瀬このみがキッチンでトントンと包丁を動かし始めると、おもむろに振り向き、彼に向かいぐっと親指を立てて言った。


「にっひひ、かつて恋した女の手料理、良かったにゃあ、根津ー」

「……やっぱりお前が絡んでたのか」

「言っとくが、綾瀬は料理上手にゃー、和洋中、お菓子も何でもござれ、私もちっこい頃はよく料理の実験作を貰ってたにゃあ」

「む……」

「キッチンもしっかりしてるし」


 それに、と少女は笑みを浮かべて言う。


「非日常を経験した後は日頃してた事をさせると落ち着くにゃ、戦った後の兵士に酒を飲ませ女を抱かせるのは、そうやって精神的に引き戻すっていう意味合いもあるからにゃあ」

「……お前ほんと、異世界で何やってきたんだおい」

「実は娼婦もたびたびー」


 根津は固まり、言葉に詰まる。やがてぎぎ、と音がしそうなほどゆっくり首を傾げた。ひどくモノ言いたげな顔になり、やはり言えず口ごもる。


「……ええと」

「……う、嘘にゃん。そう露骨に引かないで。ほら、ほらほら処女厨の根津も大好きな生娘に決まってるにゃ、生猫娘にゃー」

「それで俺はどう返せば良いってんだ」


 とても微妙な顔で根津は言う。

 少女は誤魔化すように、にゃは、にゃっはは、と笑い、ネタが滑った上に墓穴を掘った事を自覚したのか、部屋の隅で座りこんだ。うなじは赤くなり、耳は力を失い倒れている。


 やがて米の炊ける香りがほんのり漂いだすと、縮こまっていた少女もむくりと起き、何食わぬ顔でソファの前に置かれたテーブルの上のものを片付け始め、余っている椅子も持ってくると、テーブルの横に置き……座ったかと思うとまた立つ。そわそわと落ち着かない様子で今度はテーブルを濡れ布巾で拭き始めた。


「なあ、コウ、お前……本当に米に飢えてたんだな」

「……うるさいにゃ」


 などと交わしているうちにどうやら料理が出来上がったようで、お待たせ、と綾瀬このみがキッチンからお皿を手に顔を出した。


 食事に手を付け始め、一口二口と食べ、深く満足の溜息を吐いた猫の少女はその作り手の手をおもむろに取り、きらきらと目を輝かせて言う。


「あーやせー、嫁に来るにゃ、幸せにするから」

「コウ君? 多分その台詞三十回以上言ってたよね、懐かしいけど今みたいに可愛くなっちゃうと無理かな」

「料理を食べる度に言ってた気がする、このオヤジ臭いセリフも久々に出せたにゃ。いや本当、こっち戻ってきて一番良かったのは綾瀬の料理が食える事よー」

「まったく……調子良いなあ、そんな風になっても変わらないんだね」

「にゃっひひひ」


 そんな会話を聞きながら、唯一の男である根津稔は思う。

 こりゃ美味い、と。

 彼自身、節約のために自炊をしているだけに、誰が作っても料理はそう大して味も変わらないだろう──と思っていた。思っていたのだ。

 違う。

 もちろんそれは、店で食べる平均化された「美味しい味」ではない。

 当たり前にある材料を最適の味に仕立てる。そんな美味しさだ。

 買っている米はブレンド米、それに応じた研ぎ方、水加減をしたのだろう、普段とは及びもつかぬ艶と弾力。

 翻って隣の鮭はどうだ、当たり前にその辺で売っている塩鮭だ、聞けばムラがありそうな鮭だったので、途中まで酒蒸しをして、最後に焼き色を付けたのだという。本人は裏技と言っていたが、何という柔らかさだろうか。

 そして煮物、塩気のある鮭の後では口をさっぱりとさせ、ご飯の後なら軽いおかずにもなる。ほどよい塩加減の副菜だ。出汁の味と少々の塩気、単体ではきっと味気ないだろうそれが、おかずとして見事に中間に挟まっている。


「……うん、こりゃあ確かに欲しい」


 つい口を出てしまった言葉を猫耳が生えたかつての根津の友人は見逃さなかった。


「ほう、ほほーう、だってにゃー、どうかにゃあやーせ」

「あはは、コウ君、捨てられたばかりの女に言うネタじゃないよ」

「芯のとこで綾瀬は強いからにゃ、なあにかえって耐性がつくってやつにゃー」


 もう、と呆れを含んだ笑みを浮かべ、綾瀬このみは、本当に懐かしいなあ、と呟く。


「コウ君のお葬式が終わってから何となくバラバラになって……一応命日には集まってたけど、いつの間にか根津君ともあまり連絡とらなくなっちゃってね」

「……まあ、そりゃ美術部の面子集めたら、居なくなった奴の話がどうしても出ちゃうしなあ」

「うん、何となく……ね」


 にゃ? にゃ? と交互に二人を見る少女。


「まあ、正直、生きてたなら生きてたと連絡の一つでも……ってのも中々無理だったんだろうしなあ」

「うん……異世界とか、初めて聞いた時はびっくりというか、意味判らなかったよ、ただなんというか、うん。もやつくよね」


 若干居心地悪そうにもじもじしていた少女をおいでおいでと招き寄せる。

 こんなに可愛い子になっちゃって、と言い、抱えて膝の上に乗せた。

 少女は特に抵抗もしない、耳をぴくぴくと動かし不思議そうな目で綾瀬このみを見上げる。


「なんにゃー?」

「んー、心配させた罰でも受けて貰おうかなーって」


 そして鮭を少女の箸で器用に切り分けると、それをおもむろに少女の口元に運び、あーん、と言う。


「ん? にゃひひ、何をやるかと思えば……今更この程度の事で傷付く羞恥心じゃねーのにゃ」


 そう言い、少女はぱくりと目の前のそれに食いつき、咀嚼。んまいにゃあ、と顔がほころぶ。

 それを見た綾瀬このみは、心のどこかでときめいた母性を表に出すまいと押しとどめ、困ったなあ、と呟き、次いで何か良い案でも閃いたものか、小声で笑いを一つ漏らすと、対面に座っている根津に話しかけた。


「だって。じゃあ次はパパの番ね」

「にゃッ!?」


 さすがにそれは予想の外だったか、驚きの声を上げる少女。

 根津もまたほほう、と面白げな顔になり、白いご飯を箸で一口分、少女の口元に運ぶ。

 少女は冷静を装い、一度は口を開けようとしたが、閉じた。顔を赤くさせ抗議する。


「ちょ、ちょっと待つにゃ、綾瀬、わ、私を子供に見立ててだなんて……いつの間にこんな高度な羞恥プレイを出来るように」

「ふふふ、黒根くんー、私だって大人になっているんだよ? はーい、お父さんに食べさせてもらいましょうねー、あーん」

「にゃ、にゃう……う」


 観念したかのように目をぎゅっと瞑り、小さい口を開ける少女、笑いを堪えながら、根津はその奥にご飯を一口分そっと置く。

 俯いてもくもくと咀嚼する少女、顔はまだ赤い。

 こくん、と喉が動くと、綾瀬このみは、にこりと笑いかけた。


「じゃあ次はお漬け物でも食べよっか」

「まだやるの!?」

「ん。ふふ……それだけね、心配したし、悲しんだって事、なんだよ」


 笑顔をどこか泣き笑いのようなものに変え、綾瀬このみは少女を後ろから抱きしめる。

 少女は押し殺した泣き声を背中に感じ、何とも言えない顔になった。慰めるようにぽんぽんと抱きしめる腕を叩く。

 やがてその泣き声が小さくなってきた時を見計らい、少女は大丈夫? と声をかけた。


「……ん、ごめんね、ちょっとなんだか、不安定で」

「昨日の今日だし、それが普通にゃー」


 少女は目を細め、何でもない事のようにそう言った。ところで、と一筋冷や汗を掻きながら続ける。


「そろそろ手を放してくれると有り難いかにゃーとか、思ったりするんだけど」

「諦めろコウ、はたから見た分だと、完全に愛玩用のマスコット的な何かだし」

「うにゃぁ……」


 味噌汁の鰹出汁を楽しみながら根津が言い、少女は情けなさそうな表情になり小さく呻いた。


 ◆


 遅い朝食を終え、キッチンで皿を洗っている綾瀬このみの背中を何となく気にしながら、根津はコタツで丸くなり、頭だけ出している少女に、なあ、と声をかけた。尻尾をコタツから出し、揺らせて返事の代わりにしているらしい少女に続けて言う。


「これからどうするつもりなんだ」

「んー、綾瀬の借りてた部屋に行ってみるつもり、私も自分の身の振り方考えないとなんだけど……まー、今は幼馴染みの巻き込まれた一件を何とかするにゃ」

「俺も……」

「一緒にってのは無しにゃー、相手の出方待ちだし……それにまあ、多分そう危ない事にはならないにゃ」


 少女はこたつに足を突っ込んだまま、仰向けに身をひねり、わけ分からんと言った顔の根津を下から見上げて言う。


「容赦もなければ引き際も良すぎたからにゃ。普通、私がどんだけ力あるとこ見せても、見た目に騙されてかかって来る連中が多いんだけど」

「まあそりゃ……わかる。てかそんなに力強かったのか」

「車一台放り投げるくらいは多分できるにゃー」


 根津はどこか信じられないような目で見た。しなやかではあるものの、力強いという言葉とは無縁そうな細い手足なのだ。見た目に騙されてもこれは仕方ない。


「まー、こんな見た目なのに、拘束するためだけにスタンガン当ててくるわ、私が見た目通りじゃないと判断するや否や、即、客を逃がしにかかる。おまけに殺すつもりで拳銃撃ってくるわで、結構とんでもない連中だったからにゃあ」

「いやむしろ、それこそやばくない? 危な過ぎだろそれ、つか銃で撃たれて平気だったのかよお前は、ツッコミどころが多すぎるんだよおい」

「にゃっはは、あの鰹節の硬度と粘りにはさすがの銃弾も敵わなかったにゃ」


 笑い、異世界でも最硬だった食べものなのにゃー、とごろんと転がり、うつ伏せの体勢で肘をつき、巻き込んだ髪を鬱陶しそうに後ろに流す。


「逆にゃ根津。あれだけ怖い人達だからこそ、退く時は退くし、一度失敗した相手を追う事は無いんだにゃー」


 リスクの問題だと、少女は寝転がったまま話した。

 現状では綾瀬このみが警察に駆け込んだとしても、いわば彼等にとって足が付くような事にならない。少なくともそのくらいの仕込みはしてあるのだろう、と。

 ただ、二度目の誘拐ともなれば違う。

 彼女は彼女で前の経験からそれなりの備えをしてあることだろうし、家族と共に居るようになっているかもしれない。

 一度警察に駆け込んだのならばなおさら、今度は警察もその面子にかけて本腰を入れて捜査に入る。


「相手側からすると二度目はリスクばかり大きいにゃ。私怨や面子潰されたならともかく、金でやってるみたいだし、多分もう昨日の事はアクシデントとしてすっかり忘れて、他の地域で同じような事を繰り返すんだろうにゃあ」

「……待ってくれ、少し待て。何てーか、お前の一見して小学生か中学生の見かけでそうぽんぽん言われると、異次元にでも放り込まれた気分になる」


 そう言い根津は、いかにも頭が痛そうにこめかみを揉む。

 異次元に放り込まれたのは私にゃー、と両手を上げて主張する少女。


「まー、こっちの社会はどうだったのか、とか実感としてはほとんど忘れてるし、私の経験で当てはめてるにゃ。予測は予測だしどうなるかは判らないけどにゃー」


 あ、と、唐突に何かを思い出したかのように手をぽんと打つ。


「面子は潰してないけど、別のものは潰しちゃったかもしれないにゃ」

「嫌な予感がするが、何を潰した何を……」


 少女がいかにも猫らしく、にっと笑むと、指でその場所を指してみせる。

 根津は、一瞬固まり、びくりと肩を震わせた。


「……お前、タマヒュンしちゃったろうが。というかそれこそ恨まれてるんじゃないか?」

「んー、向こうだと女に手を出して返り討ちってだけで笑い者、男が女に復讐とかあまり無かったからにゃあ、ついいつものノリでやっちゃったにゃ」

「……いつも、だと?」

「ストライクゾーンの広い奴らばっかだったし、荒っぽいのが多かったからにゃ」


 男には想像できない色々な面倒も結構あった、と頬を掻く。

 根津は、はあ、と大きく溜息を吐いた。


「お前、色々経験しすぎ、つか十年差か……加算すればお前三十一歳なんじゃねえの?」


 少女は、びくり、と身を震わせると、笑みを作り、手を丸め、精一杯可愛げを込めてにゃあと鳴き、腰のくびれを強調するようにひねり、媚び媚びのポーズを作って言う。


「ほらほらほら、こんなに可愛いにゃー、十代にしか見えないにゃー」

「見た目は子供、頭脳は大人って? 無理すんなよコウ」

「違う、違うにゃあ、きっと違うんだにゃ、身のみならず心もきっと十代のおにゃのこ……」


 急に黙り込み、壁の隅に座って尻尾を小刻みに揺らす。

 やがて振り向き、どことなく元気の無くなった顔で言った。


「うん、さすがに自分でそう言うのは虚しい。生まれ直したようなもんだし、感性は子供そのものだし、ただそれを客観的に見れちゃう自分も居て、性の意識はどこにおけばいいのか曖昧で……なんとも、なんとも難しいところだにゃあ」


 黄昏れる少女の前に、はい、と湯気の立つカップが出される。ふわりと漂う香気が鼻先をくすぐり、どこかしょんぼり垂れていた猫の耳がぴんと立つ。


「あ、根津君、前にお土産で渡した紅茶がそのままだったから勝手に使っちゃったけど」

「おお、構わねー、構わねー、というかティーポットとか買ってないからどう淹れればいいか判らなくてさ、そのまんまだった」

「あはは、私もちょっと聞いてからお土産買えば良かったね。紅茶っていうと澄ましたイメージだけど、要するにえっと……沸騰したてのお湯で淹れてしばらく蒸らせば良いだけだから」

「ほうじ茶みたいなもん?」

「うん、似ているっていえば似てるかな? 蒸らし時間は長いけれど。今回はコーヒーサーバーがあったからそれで淹れてみたんだ」


 と言いながらソファに座っている根津の横、食卓にもなったテーブルにカップを置く。

 綾瀬このみもまたテーブルを挟んで向かいの椅子に腰掛け、紅茶を一口飲み、ほ、と顔を緩ませる。

 どこか気の抜けた、ふわりと緩んだ時間が束の間流れた。


 ◆


 平日の昼間、駅前に続く通りは地方都市とはいえ、それなりに人が多い。

 混雑を嫌がったか、少し時間を外して遅い昼食を取りに行くらしいスーツの男性、何かの理由で授業は午前中だけだったのか、どこかの学校の生徒らしき姿もちらほら見える。

 駅前広場では募金箱を手に、海外支援を訴える姿があり、噴水を挟んで向かいの長椅子にはホームレスらしい、薄汚れた姿の老人が寝転び、いかにも大儀そうに伸び放題の髭を抜いていた。

 そんなありふれた雑踏のさなか、ひときわ人目を引きながら、好奇心とどこか懐かしさの篭もった視線で周囲を眺め、歩く少女の姿があった。

 頭にある大きな猫耳はその好奇心を表すようにぴんと立ち、スカートの中から飛び出している長い尻尾はゆっくり揺れ、忙しく動く少女の動きに合わせ、柔らかく艶やかな黒い髪がふわふわと舞う。

 その姿を間近に見、頭の後ろを一つ掻き、根津稔は溜息と共に声をかけた。


「なあコウ、はしゃぎすぎ。つか、目立ち過ぎじゃね?」

「にゃっはは、根津は注目されるのは苦手かにゃー?」

「……いや、そういう問題じゃなくてだな。頭と尾っぽくらいは何とか隠せる格好にすりゃ良かったんじゃないか?」

「そうだよねえ」


 隣で苦笑を浮かべた綾瀬このみもまた控えめに賛同した。

 猫の少女の、あまりに有り得ない格好を何とかしようと、ひとまず目に付いた服屋で店員に驚きの目で見られながらも一通り揃えたのだ。今の少女の格好は、ゆったりとしたブラウスの上にミリタリージャケットを羽織り、黒い短いスカートから、また黒いタイツを履いた足がのびている。ごついブーツと相まって、少女の可憐な容姿とは裏腹に無骨、とも言える装いになっていた。


「あのロングのワンピース可愛かったのに」

「綾瀬はああ言うフリフリなのが好きだったのにゃあ」

「私は顔が地味だからあまり似合わないし、着たいと思っても着れなかったんだよ」


 コウ君せっかくの美少女なのに、と残念そうに小さく息を落とした。

 言われた少女は気にも止めず、機能性重視にゃー、と言って流す。そういえば、と手を出した。


「根津、忘れてたけどそれは私が持つにゃ、というか重かったっしょ」

「おお、見た目よりは軽かったけどな。何キロくらいあるんだ?」


 言いながら、根津は肩にベルトで掛け、抱えるように持っていた大きなスノーボード用のバッグを手渡す。むろん中身はといえば、少女の持ち帰った巨大に過ぎる鰹節だ。


「んー、大体二十キロくらい? かなり燻して干してってやるから目方は相当減るんだにゃー」


 受け取った少女は、ベルトを調整し、肩に掛け、バッグを背中に回した。少女が小柄で華奢な見た目のため、そのごついバッグを背負った姿は何かの冗談のようだ。


「しかし、こんなん入るバッグがあって助かった、後でクリーニングして返すにゃ」

「うーい、そのまま使うんならやるぞ、昔何となくスノボでもやってみようかと思って一式揃えたんだけどな、結局二、三回しか行かなかった。ボードもそろそろ売ろうかと思ってたくらいでなー」

「そりゃまた……なんて勿体無い事か」


 綾瀬このみはふと思い出したように指を頬に当て、あれ? と呟いた。


「そういえば、疑問にも思わなかったけど、何でそんな剥き出しで持ち歩いてたの?」

「あー、実はこれだけに限らずお土産は一杯用意してたんだけどにゃあ……」


 少女は肩を落とし、大きく溜息を吐き、事情を話し始めた。

 予定よりずっと早くに帰還のための、世界を繋ぐゲートのようなもの──が出来てしまったのだと言う。

 タイミング悪く船に乗り海に出ていて、帰港した時には既にゲートも閉じかけ、慌てて港の倉庫に保管しておいた鰹節の大きいのを掴んで駆けつけたのだと。


「何とか間に合って、こっちに出てみれば、真っ暗な森の中。明かりと騒ぎを聞きつけて行ってみればあんな現場だったというわけにゃ」


 いや、驚いたにゃー、と意味もなく頭の後ろで手を組みながら言う。

 そりゃ驚くだろうな、その場に居た連中も。と根津は頭の中で思い、鼻先を掻いた。


「てか、考えてみりゃ奇跡のタイミングだよな、ちょっと時間がずれてれば……まあ、考えたくもないけど」

「そーでもないにゃー。こっちの理論はともかく、向こうの理論だと、縁のある人間が助けを求めたから、世界同士に穴が出来て繋がったって事だろうし」

「なんだそりゃ……超絶理論過ぎて理解できねえ」

「過程すっ飛ばして結果持って来ちゃうような法則がまかり通ってたからにゃあ、正直私もその辺の理屈はまるで解ってないのにゃー」


 駅前広場の噴水と、大きな時計を、ひどく懐かしいものを見るような目で見ながら少女は答えた。

 次いで、無防備に降りたち、地面に落ちた食べかすか何かを漁るハトの姿に、何かを刺激されたのか目

を奪われ、焼き鳥も良いにゃあ、と呟く。

 あれ確か法律で保護されてるからな、と根津は突っ込み、残念そうな顔になる少女の肩を慰めるようにぽんぽん叩く。


「しかし、ほんとに電車で大丈夫か? こっちの懐具合心配してるなら平気だぞ、タクシー代くらいは余裕がある」

「おっとこまえー、まあ気持ちは嬉しいけど大丈夫、むしろ目立つ方で行くにゃ。まー見張らせるとしたら綾瀬の借りてるとこだろうし……私の勘だともう危ない事態は通り過ぎてるけどにゃー」

「……あれだけ色々言っといて結局勘か?」

「酒飲みの今日は飲まない宣言程度には信頼を置ける、猫の勘にゃ」

「絶対信用できねえじゃねえか!」

「にゃっはは、小心、小心。男ならどんと構えているがいいにゃ!」


 漫才のようなやり取りをしながら歩き、やがて駅の構内に入ろうとした所で少女は振り返り言った。


「それじゃあ、見送りはこの辺でいいにゃー」

「おう。えっとな、向こうに着いたら連絡くらいしろよ? 後な……んーと、なんだ、その、な……」


 歯切れ悪く言い、頭をぼりぼりと掻く根津。その視線は不思議そうな顔で言葉を待つ少女と、その隣の綾瀬このみの間を彷徨うように揺れる。

 やがて口をへの字に閉じ、鼻から息を抜いた。


「……いや、何でもない、二人とも元気でな」

「……ふーん、ほー、へー」

「なんだよ」


 面白いものを見つけた、とばかりににやつき、目を細める猫の少女、そぉんなに気になるかーと口の中で呟き、ほくそ笑む。


「しょうがないにゃあ」

「……んむ?」


 猫の少女がにっこりと笑い、言った言葉に、周囲で聞くともなしに聞いていた人のうち、数名がぴくりと反応し「おいあのセリフまで言わせたぞ」「あの野郎、格闘漫画の主人公みたいな顔で何て高レベルな変態だ」「お、おれ見抜き頼んでくる」などと駄目な会話をしていたのだが、幸運な事にそのひそひそとした会話が本人達の耳に入ってくる事はなかった。


「あやせー、やっぱり男が居た方が心強いかにゃー」

「え……えっと、あの、迷惑じゃ」

「心強いかにゃー?」

「……えーと」

「心強いかにゃー?」


 こくりと頷く綾瀬このみ。


「話はまとまった、一緒に来るにゃあ根津ー」

「いやまてお前、強引過ぎる、どこがまとまってるんだその話は」

「綾瀬は引っ張る男に弱い、大人しそうに見えて強いから本当に嫌だったら断るし、お前も半端なフェア精神発揮しないで、落ち込んでる所にバンバン付け込むにゃー」

「だから待て、そういうのは本人に聞こえる所で言うもんじゃない」


 そんな掛け合いを再び始める二人に、綾瀬このみは思わずといった感じで、吹き出した。


「もう、またそんな、コウ君の家で集まると始終そんな感じだったよね」

「そうにゃー、あの頃から根津のへたれっぷりは変わってないにゃあ」

「断じて不当評価だと抗議する」


 そんな三人を急かすように電車の到着を告げるアナウンスが響き、少女は手を伸ばして根津の腰をバシバシ叩き、どうするのか、と聞く。

 そりゃあ、と根津は綾瀬このみの顔を見、照れくささを紛らわすように頭の後ろを掻いて言った。


「あー。何だかんだで心配だし、少しお邪魔させてもらってもいい……かな?」

「あ、うん、狭いところだけどよければ……」


 触発されてか、何とはなしに恥ずかしそうに答える。

 その二人をにやにやと眺めていた少女だったが、かつての友人の、嬉しさを仏頂面で隠している顔を見て、尻尾が垂れ、小刻みに揺れた。不思議なものを感じたかのような顔になり、小さく首を傾げる。


「……なんにゃ?」


 ぽそりと漏れた呟きは駅の喧噪に紛れ、消えていった。

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