5章
「介」と「美咲」という名前は“お気に入りの名前”という理由で付けただけなので、特に共通点はないと思っていたのですが、この前意外なことに気が付きました。
漢字を変えると……ほら、「海」と「岬」です。どちらもそのまま海関係です。ちょっと無理やりですが……。ということで名前を覚えていただければありがたいです。
性転換ものだと、性別変わっても名前が同じようなパターンが多いのですが、この話はそういう訳ではありません。だいたいが口調によって変えていますので、御諒承下さい。
ついにこの日が来てしまったか……。絶対に来てはほしくない日。しかし、時間はいつなんどきでも進み続け、嫌なこともいつかはやって来てしまうものだ。美咲はとにかく不快であった。この姿になってから学校というものほど嫌な場所はないと思えるようになった。学校では、常に男の雑念を捨て去り、女子と会話しなければならない。……いや、そんなこともない。男子とも喋ればいいじゃないか。どちらにせよ、この身体である以上、全てが苦悩になる気がした。
嫌でも、とりあえずは学校へ行く準備だけはする。寝癖はなかったので、気に入ってしまったポニーテールでもしようかな、とゴムを手に取ったが、まだ1度も自分でしたことがないことに気付いた。挑戦に励むのも手だったが、万が一それで妙な髪形になって千加と姉に笑われでもしたらたまったもんじゃなかったから即座に止めて、そのまま1階へ下りていった。
階段を下りる間でハッとして、今日、学校へ行くまでは幸運なことを思い出した。女子口調から解禁されたのだ。男としても秩序をまたかき集め、家では話すことができる。喜びを源に躍動する介。しかし、そんな介の背後にいまだ悪魔が付いていたなんてことは話してみてから気付くことである。
1階へと下りてすぐにリビングへと入った介に「お兄ちゃん、おはよう」と心地の良い千加の声が届いた。まだ声は出していない。「おはよう」と言い返そうとしたが、軽く欠伸して無言を通した。
「介、もう男口調で喋っていいわよ」
姉の言葉が耳を通った瞬間に介は今日初の言葉を言い放った。
「もうあたし女口調で喋るの疲れちゃった」
……ん? 兄弟揃って同じことを頭中に浮かべたと思う。
「介、女口調やめてもいいのよ。わざとやってるの? それとも慣れちゃった?」
「あたし別に……」
苛立って、喉の奥から強引に言葉を引っ張って来て吐き出した。
「俺!」
「どうしちゃったの?」
これこそ非現実的なことだ、と悟った。意識しないと1人称が「あたし」になってしまう。それだけではなく、口調も女ったらしくなってしまうとは。これは異常な出来事だった。男としては絶対的屈辱であり、自分の身体なのに思い通りに動かせない悲しみは底知れなかった。女になってからよく流すようになった涙をまた目に浮かべてしまう。
「ほんとに女になっちゃう……」
「だ、大丈夫よ」姉が説得し始める。
「もしかしたら……明日、心まで……そんなの絶対に……」
「しっかりして。ゴメンね、私があんなこと言ったから」
この状況だからこそ女の気に飲み込まれてはいけない、と美咲は男の気を意識して、出続ける涙を止めた。
「学校行けるの?」
「行くに決まってるじゃない」
強気になって再び目尻に残った涙を拭い、学校へ行く決断をした。
「今日は自分で結んでみようかな」
やはり挑戦する手を選んだ。棚の上からゴムを手に取った美咲は硬直し、惑いを見せた。チラッと姉と千加に目で合図をした。やっぱり、結んでほしいのか、見ていてほしくないのか、そのまま何も言わない美咲は逡巡としていた。
「やっぱり、結んでほしいの?」
「笑わないでよ」
美咲が自分で結ぶ、とは言わずとも2人は了解した様子を見せ、普通に生活しだす。美咲は髪を結ぶため、洗面所へと向かった。
洗面所の前に来て、久しぶりに自分の顔を見たような気が心の中に渦巻いた。それはもうこの身体に慣れ過ぎていることから来る自然なものなのか。とりあえず、毎度見て自分が女であることを自覚するのは確かである。そして、毎度萌える。心は男だから自分の可愛さに自信が持てるわけでもないが、ポニーテールだけは何故かしていたかった。その気持ちはどこから来るものなのか。自分の異性への好みが著しく関係していると見た、などと考えつつ、髪を結び始める。
千加にやってもらった時の感覚を思い出せば案外簡単にできたように思える。それほど心配するほどのことでもなかった、と結び終えた馬の尻尾のような揺れる髪をさらに跳んで揺らした。
洗面所を出て、パッと2人が姿を現す。まるで、有名人を待ち構えていたファンのように……それは過言だ。自己的には、高評価のつもりだったが、物慣れた人の反応は……?
「上手いじゃないの」
姉が褒めてくれた。正直、嬉しかった。些細なことだが、何だか自分が成長を遂げたようでたまらなかったのだ。千加が無邪気に馬の尻尾を触る。何らかの喜悦を持つ中で急に千加が美咲の手を引っ張ってリビングのソファーの上に座らせた。何だろうか?
「お兄ちゃん、ちょっと待って」
千加がまた何かするつもりだった。美咲は素直に何をされるのか待つことにした。すると、結び目あたりに触れられている感覚があった。それの動作が何を意味しているのか。常に女子に囲まれていた美咲にはよく分かった。
「別にそんなのしなくてもいいのに」
そうは言うものの、完全には否定せず、静かに頭上のシュシュに触れた。棚の上にある小形の鏡に向けて目蓋を上げた。顔をずらすと、千加愛着の桜色の一般的なシュシュが目に映った。正直、男としてはピンク色というのは抵抗があったので、せっかく付けてもらったのはありがたかったが、申し訳なく頭からシュシュを取った。
断ったものだが、可愛い妹が潤んだ瞳を見せて、どうしても付けたらるもんだから仕方なく桜色は勘弁して、蒼色の奴を付けてもらった。
ここまでは早々と済み終え、あとは朝ご飯食って学校へ向かうだけだった。ご飯を食する間もやはりこの口調が気になって仕方がなかった。どうすれば、普通に話すことができるのか。そんなこと考えてもどうすることもできないのが、現実であり、実践してみてもどうにもいかないのが、不思議であった。
美咲は最後にご飯を口に詰め込んでそのままソファー越しに置いてあった黄色の鞄を手に取った。前の小学校は男女同色だったため、我が身が女になったとしても買い替える心配がなく、その点では前の学校に感謝したいものだ。
千加よりも先に家を出て、速やかに学校へ向かい始める。前に千加と学校は見に行ったことがあったので、1人でも行ける自信はあった。それ以上にこの口調がどうしても直らないというのが心配でならない。どうしてこんなことになってしまったのか……。考えてみても始まらないことを考え始める。
春風の囁かな音と同時に中耳に入ってきた足音を聞くと、数秒後に顔の横に突如、あの顔が現れた。
「やっぱりそうか」
怜か……。美咲は思った。
「何」
極端に短い文で言い返す。
「結んでたから最初判らなかったぞ」
「そう」
「似合ってるじゃねえか」
素直になれず、美咲は無視した。そのまま行ってしまおうとする美咲を怜は呼び止めた。
「か、……いや、美咲……だったっけ?」
「何よ」
「え、いや……意識してんのか?」
「今日はこれでしか喋れないから」
「お前、何か怒ってる?」
「こんな口調でしか喋れないからあんたとは話したくないだけよ」
「何でだよ」
「分かんないけど、朝からおかしいのよ」
「……でも、それはあまり意識しなくていいから、いいんじゃないのか?」
「あんた、最低ね……」
鋭い美咲の言葉が怜の心臓に突き刺さった。プイッと首を振って余計な時間を過ごしてしまったことを後悔していると、後ろからまた足音が聞こえたので、苛立って厳めしい顔で振り返った。
怜だと思っていたが、そうでもなかった。……千加だった。厳つい顔をしてしまったことをまた後悔する。今日は「恥」ではなく、「後悔」が多い一日になりそうな気がした。千加の後方に怜の姿は見えなかった。さらに後方に近道に用いられそうな細道があったので、そこから逃げたのだろう。と、そんなどうでもいい解釈はよし。厳つい顔をしたことは大して気にしている様子も露わせず、ただ学校に早く行きたい一心で自分の服の裾を引っ張る千加。その表情に引っ張られ美咲は学校へ向かった。
学校へ着くと事が簡単に進んでいった。先生が待っていて、言われるがままに学校の体育館に案内される。そして人の揃った暑苦しい体育館の隅に座らされ、じっと待たされるだけだった。何と退屈な時間か。右隣りには無邪気な一年生共が礼儀正しく座っていやがる。その中から「転校生、転校生」とよく声が飛んでくるのだ。苛々する要因になりかねないため正直やめてほしかった。
始業式並びに入学式が始まった。まだまだ定年の時期が遠く感じられる若々しい教頭先生が体育館の舞台に上がり、開式の言葉を告げると、また舞台から下りた。「校長の話」という言葉を耳にした直後、続いては早々と定年が来てしまいそうな、老い老いしい前頭部の禿げた白髪の校長が立ち上がった。見た瞬間、喉元で「ん……」と音を出し、微笑してしまいそうになる。あまりにも印象と合いすぎていたためだ。ゆっくりと舞台に上がり、「みなさん、おはようございます――」などとそれから長ったらしい話が始まり、座っていて何もすることがなく、退屈で欠伸も出したくなる気分だった。
始業式時、後方に座っていた怜の父を眺めたものの、何も驚くような様子も不思議に思っているような様子も見せず、怜が何かしら説明はしてくれたことが見て取れた。怜のお父さんは結構口が堅いことが了承済みだったので、安心していた。
ようやく、長かった校長の話も終わったかと思えば、それからはあっという間に式は進み、無事に終わりを迎えた。
それからなんか先生に言われるがままに移動し、とある教室の前まで連れて行かれた。ここが我小学校最後の6年生を過ごすであろう教室なのだろう、と思いつつ、次々と入っていくクラスメートを見遣った。その中には昨日話した穂乃花も交じっていた。軽く笑って手を振ってくれたのはさぞ嬉しい。
その後、担任の先生に呼ばれ教室へと足を踏み入れた。特に妙な臭いもしない。ごく普通の教室だ。隅を見て前の学校のことを思い出す。前の学校はこんなところよりももっと脆いなところで床の溝にもちょくちょく虫が現れるようなものだった。それに比べればどれほど整然とした教室なのか一目で窺うことができた。後をついて入ってきた怜は何かを感じているのか、と振り返って軽く笑ってみた。が、怜は全く違う方向を見ていて舌打ちしたい気持ちになって眉間に皺を寄せた。そのまま流れで黒板の前に立つ。
前に出た瞬間に皆の視線が気になった。それは怜も同じか……いや、そうでもない。半数の男子がこちらを見ているのは確かなことだった。女子も大半はこちらを見ていた。もちろん、穂乃花も。なんという性格の奴らの集まりなんだ、とこれからのことが心配になり、溜息がつきたくなる気持ちで心を満たした。
「杉谷怜です――」という怜の自己紹介に続いて、美咲も「沖嶋美咲です。よろしくお願いします」と話した。わざとらしく微笑してやったが、反応を気にしたわけではない。実際、反応は濃くも薄くもなく、皆普通な感じだった。
席に座って最初に感じた違和感。何故に俺の隣に男子が座ってんだよ。お前は変態か。という考えも自分の細い腕とか胸とか股間を見るなり打ち消される。この違和感は自分が女である以上はどうしても免れることのできないことだった。
先生のちょっとした話も終わり、美咲は席を立とうとした。背後に自分よりも大きな影を感じて美咲は振り向いた。
「美咲、久しぶり」穂乃花は前会った時と同じようなテンションで話しかけてきた。
「久しぶり」と下向きで言い返す。
「どうしたの? 元気ない?」
「いつもこんな感じ」
「そうなの。はい、これ」
穂乃花が何かを差し出してきた。
それを見て第一関門を通っているような感覚に捉われかける。美咲はそれを手にとって思った。プロフか……。案外シンプルなものだ。女子の間ではよく流行るものだ。女子の間だけではなく、男子にまで「書け」というが、介はいつもふざけ半分で書いて提出して「なにこれ~」とか面白がる女子共を見て、自分の何気に面白がっていた。さて今回はどうすれば。女子っていうのは正直に書くのか? ふざけて書いて何か言われたらそれでもいいが、正直に書けと思うと、わが身女子としてどう書けばいいのかも理解不能だ。まず、男の自分に女の自己紹介書けって言ってもそれは無理だ。
曖昧な心のままとりあえず、それを受け取っておく。よく見れば女子共はクラス全員にこれを配っているように見えた。つまり、学校の提出物のように絶対に全員が出さなければならないような空気だったのだ。少しまずいな。頭の中にいた男の自分が苦い顔をした。
「書けたら出してね」
穂乃花の言葉が美咲の心を押し付ける。絶対出さなきゃいけないじゃないか。机の上に置かれた紙を見るなり、美咲の心は揺れる天秤が不安定な動作を繰り返す様子に比喩されそうだ。
今日はそれぐらいで終わる。休み時間の一時期、書こうと思ってシャーペンを手に持ったものの、まず自分の名前の漢字すらわからず、気力消失して結局のところ一切手をつけていないのと同じようなものになっていた。帰る準備をした後、穂乃花に「書けた?」なんて言われたら、もう何も手をつけていない紙切れが恥ずかしくなって隠して「まだ書けてないから明日ね」と答えて済んでいってしまう。
学校を出て一目散に家へと帰った。女子たちとなんか一緒に帰る気にはなれなかった。とりあえず、この妙な口調制限のために今日一日の女子との会話に怪訝な間ができるのが防げたのは最良なことだった。
玄関をとを開けた瞬間、ぐったりと気力を失いながら、リビングに向かって行った。ランドセルをそこらへんにポイッと捨て置くと、ソファーに棒立ちのまま倒れこんだ。
「どうしよう」
プロフィールのことが気がかりだったのだが、今日は人生初の関門をいろいろと通過した気がする。特にトイレでのことは思い出した苦もないのだが、何せホースのない股間で小便をしたのだから忘れようにも忘れられない。生まれつき周囲に女しかいなかった介にとってみれば、日常的に女の小便中を覗き見することも多々あることだ。作法など心配することでもなかった。ただ、それ以前の事前の出来事が最も気がかりだ。
率直に言えば、女子が周囲にいるにもかかわらず、男子トイレに突入だ。それはそれは、女子も驚けば男子も驚く大事件。まったくそのことを自覚していない介は目の前にぶら下がる男根を目撃しても何の変哲もない反応を見せたし、まさか男であると思ってた自分が女子共にトイレから引き出されるとは思ってもいない事態だろう。後になってから後悔した。自分は基本女なのだ、と思いながらも鬱が溜まるのを感じる。こんなに早々と男であることがばれてしまっては困り果てる。「間違えちゃった~」なんて言いつつ、無理やり顔を赤くして恥ずかしがってごまかしたものの、まだ仲良くもなっていない皆の心情はよく分からない。
「お姉ちゃん、プロフィールって何書けばいいの~?」
プロフィールの髪を指先でぴらぴらしながら美咲は姉に訊いた。
「そんなのいつもみたいに適当に書いておけばいいじゃないの」
「それでもいいけど、男らしいこと書くわけにもいかないでしょ」
「あら。『男らしい女もいるだろ』って言ったのはどこの誰だったかしら?」
絶句した。まだ覚えていやがったか、と軽く唇を噛み締めて眉を顰める。
本来、そういうものなのだ。介が見てきた世界に男らしい女が生息していなかったせいで介の脳裏には男らしい女の印象がほとんどなかったのだ。男らしい女……「俺」という女子。いかにも当てはまる。それはそれで病気とは思われないのかはまた別だ。
介はたかがプロフィールごときに1時間も時間を費やした。なんということだ。たかがプロフを書くのに1時間だぞ。実際になら5分のかからないものなのに、女になったことによって工夫を施す必要があったために余分に時間を要してしまう結果となった。
くたばった顔つきで美咲は机に顔をべたりと付け、自分の書いたプロフィールを眺める。改めて見てみると案外いい感じじゃないか。男っぽさもありながらの女っぽさ。なかなかの出来だ。疲労を抱えて笑えなくなった顔でうんうんと頷き、何となくだが達成感を味わう。女の生活の大変さがより一層強まってきた。これも慣れるまでだ。これから後何関門あるのだろうか、と考えれば考えるほどに憂鬱が美咲の心を満たしたが、前文の言葉を思い出して発散する。
もう夜の10時である。よい子の千加はもうとっくに眠りについていた。姉もこの前の引っ越し作業などに力を入れていたためにリビングの机に手をついて熟睡してしまっている。皆の頑張りにも銘じて、美咲は未知の明日のために床に就いた。
翌日、穂乃花にプロフィールを見せたのだが、反応は意外にも普通なものだった。「美咲ってやっぱり、男っぽーい」なんて感じ。男の介から見れば普通だ。本意、もっと女浸った反応を見せてほしかったのだが、気づきもしない中間あたりの反応は御最も嬉しかった。まぁ、結局はそんなところなのだろう。
この件は一件落着のようだ。短かった~、と介が思える状況でなかったのは確かなはずだったが、これも女子生活の一環と考えて介は溜め込まれつつある鬱を発散した。
今日は何とかトイレを間違えるようなこともなかったし、女としての生活にも慣れてきていることを感じたのだが、そんな中でも発散しきれない鬱が絶えず動き続けていることに気づいていた。男に戻らなければ解消されないだろう異物だ。
帰り道のことだ。
「今日も疲れた~」と呟いた美咲は、背後から近づく存在に気付いた。後ろを振り向いて、その存在が怜であることを理解したが、理解する以前に降りかかった怜の足が美咲の股間に当たる方が速かった。
「女になってもやっぱり痛いんか?」
何と非情な奴なんだよ。俺はこんな大変なのに、何でこいつはこんな平々凡々なんだ。苛立ちが鬱をぶっ潰しかねないぐらいに煮え立つ中で美咲は当然なまでの答えを出す。
「痛いに決まってるじゃない。まぁ、ちんこがなくなった分じんわり来る痛みはなくなったけど」
「そっか、意外に利益もあるんだな」
「うるさい、こんな利益なんて大したものじゃないの。こんな着たくもない女物の服も着なくちゃいけないし、トイレだって男と違ってまためんどくさいんだから」
「わかったって。でもさ、喋り方まだ戻らねえのか?」
「分かんない。まだ戻らないけど」
「結構大変なんだな」
同情している気なのか。怜が気遣いをするということが珍しい。それ以前の珍事が1つあるのだ。美咲の隣でのんびりと空を見上げている怜はいまだかつて、ほとんど女子と関わったことがないのだ。何が要因かと言ったら様々な理由が挙げられるのだが、まずは怜に兄弟がいないことだ。それに付け加えて生まれつき母がいないこと。生後から父親にしか愛情を注いでもらわなかった怜は幼い無邪気なころからも女子との関わりを拒んできたのだ。(結婚できんぞ、君)
もう1つは学校に男子が少なかったこと。学級の大体4分の3が女子だったことを介は記憶している。その中で怜は男子の集団を立ち上げたのだ。介もそのうちの1人だったのだが、別に怜のように女子との関わりを拒むためだけに立ち上げられた集団に入ろうなどという気は、怜とは全くの対照的人物である介のとってみれば微塵もなかったのだが。とりあえずは男のグループに入っていようというぐらいの気分だった、当時は。
そんなわけで怜は女子と下校したことなど介の知る限りでは一度たりともないのだ。その怜が今、隣にいると思うと正直寒気がするような気がした。ふと、男の姿に戻ったんじゃないかと思ってしまったが、胸と股間とその周りについているひらひらが同時に触覚を作用して女であることを確認した。何故怜が女子的な者と帰れるのか。俺だと解ってるからか? 畢竟してしまうことを考える。
さっき、ほとんど女子と関わったことがないと言ったのは取り消そうか。今までに怜が女子と全く関わらなかったわけではない。何日か前にも、公園で千加と話はしているし、その後にも穂乃花とちょっとでも話した。関係性としては介が近くにいたことだ。早々まとめると、怜は介に関与している人とは接することができるのだ。
怜という人間はどれほど世話を焼かせれば気が済むのか。女子とぐらい普通に接すればいいのに。毎度思う。今は自分がその女になっているから接することができているだけであって、純粋な女であれば無理なことだ、と勝手に結論付けるが、実際に訊いてみるのが一番だ。
「怜、何であたしとは話せるの?」
「いや、内心が介だって解ってるからかな」
まぁ、そんなもんだろう。わざわざ訊く必要もなかった、と自分の考えを決定づける。かと言っても、一度接するようになれば日常的な必然となるのだろうにな。別に接することができないのではなくて、元より接しないだけなのだ。千加とだって普通に話してるし。兄弟がいないことから来る人見知りなのだろう。
長々と怜について語ってる間に家に着いていた。途中なんか会話したっけ? と思い返しつつ、「怜、じゃあね」と介は怜を見送った。我が家へと向かう怜の背中が妙に赤く見えたのは気のせいだろうか。