15章
気が付けば、いつの間にかだんだん真の女に近づいていた。ということを想起したのは、あの夏の旅行の後のことだ。そもそも、介が女らしくなっていっている原因の大半は姉にあった。凶兆のような何かを放ちながら、あれやこれやと言うたびに誑かされては姉に陰謀にまんまとはまってしまっていた。
姉もこれほど度が過ぎたことをしたのだからこれ以上求める者はないだろう、と今後の安心と疲労を一気に吐き出す溜息を介は漏らした。海でビキニになったかと思えば、数時間後には急に全裸にされ、温泉に投入された。これ以上に姉の求めるものが何なのか介には理解できなかった。裸を超越したもっとすごいエロティックなことをさせようとしているのか。まさか可愛い妹……いや、弟のヌード写真でも撮影したんじゃあるまいな。
そんなことを頭の片隅で雑念として妄想しながら、介はいつも通りにソファー裏を住処として、背をつけて携帯ゲームを嗜んでいた。ゲーム感が非常に劣等している千加は、携帯ゲームなどというハイテクなものにはついて行けない、とハナからやる気はないし、持ってもいない。かわりに姉の手伝いなどを積極的にやる、沖嶋家の貢献人であり、ある意味介よりも大人びた将来の逸材である。
もちろん、介も姉のために貢献している沖嶋家唯一の男性(今は女性)であり、1ヶ月ほど前に姉のサプライズとして闖入してきた大学生の後輩、ニックネームおじさんお兄さんに料理を学んだことをきっかけとして、あれから介の好奇心は徐々に高揚していき、姉の教えを受けているうちに並々のものは作れるようになった。今朝もそういう系統のものを食事し、現在に至っている。
そして、今日の出来事はやはりあの人物の一言から始まるのだということを介も充分理解していた。
「介」
「いやだ」即答。
「まだ何にも言ってないでしょう」
姉が何かを計画していることは、今の介にはお見通しだった。
「もうこれ以上女っぽいことはしないからな」
「何よ。私がまだ何かすると思ってたの? ビキニまで着せた上に裸にしたら、その次は何すればいいのよ。こっちが訊きたいわ」
案の定、姉の計画が極致だということは解りきっていた。これ以上にやるとしたら、ヌード写真を撮ってポスターにして自分の部屋に飾られるぐらいのことしか介は思いつかなかったが、それが別に女に近づかせる原因となるとは考えがたかったし、それを実行したいと望むほど沖嶋家の最年長者は冷酷ではない。
「介、今日暇でしょう?」
「やっぱり何か企んでるんだな」
「そんなことないわよ。ちょっと外出したいんだけど」
「どこに?」
介の疑問に答えず、姉は1歩、2歩、3歩、とリビングの床に歩を刻んだ後で高らかと宣誓するように言い放った。
「映画観に行きましょう」
姉の一言により、沖嶋家は突如として外出することとなった。行先は4月ごろに千加が迷子になったショピングモールである。近所に映画が視聴できるところがないという理由だけではるばる20分もかけて車を走らせるとは、姉のたくらみがより一層あやしくなってくるのも無理はない。
4月に来て以来、何回か訪れてはいるものの、今回のような特別な出来事のために来たのではなく、単なる買い物のためだけに来ていたので、そうマトモに記憶していられる回数も来ていないように思える。
元々観たい映画があったことから来る姉のご配慮なのかもしれないと思ったのだが、それでも急に映画観に行くなんてことは今までの経験上皆無なことだったので、姉の真の目的が何なのか現時点では解らなかった。
それもすぐに明らかになる。
4月限定で人口爆発が起きたんじゃないかというぐらいに、あの時の人口密度の高さと比較すると愕然としてしまいたくなるほどに今日のショッピングモール内は人が少なかった。肩がぶつかるなどもってのほかだ。
そんな環境下で姉は絶対何かを企んでいるような顔をしていて、それを疑うような顔をしながら眺める介を横にして、千加に関しては常に喧然としている。
「姉ちゃん、何企んでるんだよ」
「何にも~」
陽気な口調で姉は言う。
しばらく歩くと、目前に目的地である映画館が見え、そのままの流れで入っていく。介の頭上に○○シネマとの文字が並んでいたが、映画館に入った時点での介にそんな文字を見る気など微塵もなかった。千加が明日に迫ったクリスマスを待ちわびる子供のような顔を浮かべて姉の前に躍り出る。
その隊形を維持したまま、結局ここまで姉は何を企んでいるのかを一切介に話すことなく常に平然としていたわけで、チケット売り場まで来てもいまだなお口には出していない。だが、姉が言うまでもなかった。姉の企みは別のだれか――代役が言ってくれるのだから。
「本日、女性限定で割引となっております」
みたいなことをスタッフは言った。
介は直下型の地震に愕いた人のような顔をした…………
姉ちゃん屠るぞ! と怒鳴り散らしたくなったが、ここは公共の施設だということを考慮すれば、小6の介には自己精神制御など容易だった。
姉の陰謀が解けたのと裏腹、怒りだった。結局弟のことを弄んでいる姉。口でなら、口実だって噓だってでまかせだって、なんだって言える。ビキニを終点として諦めたかと思いきや、まだまだ止まらない姉の誑かし。皮肉で奸黠な姉を持ってしまったことをつくづく後悔していた。
良い面、結果的に心男なのに女だと判断されて、普通よりも安い料金で視聴することができた。その面では、考えてくれた姉に感謝。
映画の券を購買し、買う気なくとも毎度のように映画館に来ると買いたくなってしまうポップコーンを附属したしたカウンターで購買し、川の流れのようなスムーズさで上映会場へと続く通路を歩き始めた。
その途中で、
「やっぱり姉ちゃん、俺を弄んでる」
キャラメル味のポップコーンを口の中へと放り込みながら介は、まるで将棋をしていて首尾よく相手の手の内にはまって惜敗してしまった人のような顔をした。
「いいじゃないの。ちょっと安くなったんだから」
「ふんだ。姉ちゃんにはポップコーンやらないからな。あと千加も」
「えぇ~。何で~?」
「千加だって、本当な姉ちゃんが企んでたこと知ってたんだろ」
「あたし何にも知らなかったよ、ほんとに」
「やんねえからな」
豪語する介を押さえつけるように姉は言った。
「そんなこと言わないの。私は何も言ってないわよ。だから、千加は無関係者よ」
その言葉に「ん~」と呻きを入れ、介はむすっとした表情のまま会場へ入っていった。
会場に入ってみたが、観客が満席になっているという現象は発生してなく、迷惑かけることなくすいすいと指定された席へと足を運ぶと、そこへ座る。
暫し、映画が始まる前に既にポップコーンを食べてしまうんじゃないかというぐらいのペースで頬張っては口の中へと消していき、会場が闇に包まれるのを待った。
闇に包まれたかと思えば、別にやらなくてもいいだろうと思える余計なCMムービーをだらだらと流しては本編の映画をぐずぐずと伸ばしていく……ように思える錯覚で、上映時間は結局ピッタリなのだろう。
それらを見終えた矢先で映画は上映され、喜怒哀楽なる精神を内面的には持ちつつも、それを外面に出すことはマナーとしても違反だったので、そんな惨めなことは謹慎し、介は映画を視聴していた。
介の右隣りには姉が座り、左には千加は座っている。この映画というのも、こうして性別関係なしに見たくなるような内容であるのは確かなのだが、具体的な概要は(作者的にも)面倒なので、想像におまかせしよう。
結局、千加にもポップコーンを分け与えなければいけない状況に姉によって引き込まれ、姉の陰謀に逆らって独り占めをしようという逆転陰謀もあえなく阻止されてしまった。どちらにしろ、性転換してしまった介の胃の容量の限界値を超える量のポップコーンを購買してしまっていたため、千加の胃の力も借りないと片付けが困難だった。
ポップコーンの跡形もなく消失と共に映画も終了を迎えた。
「あぁ、おもろかった」
満足げな顔して、感想を述べる。
「それで、これから何すんだ?」
「ショッピング」
ということになるしかない。ここへきて映画だけ見て帰るなどという行為は沖嶋家最高権力者の姉に許されることでなく、もちろん本人も映画だけ見て帰る気など皆無のはずだった。
最初にここへ来た時は、介もゲームセンターに行きたくて行きたくて仕方がなかったが、あれから一度もゲームセンターに立ち寄れたことはなく、今やゲームセンターについては諦観を脇に置いているから、今回は「女3人寄っても姦しくないのんびりとしたショッピング」という形になりそうだ。
沖嶋家三姉妹は、ショッピングモール内をぶらぶらと歩き始めた。4月当初とはまた一変し、閉業した店もあれば、リニューアルオープンした店も数多く軒を連ねていたが、それを一々覚えていられた介も自分の脳味噌を誉めてやりたい気分になった。その大部分が女性用の服屋で、主に男性が気を引くような店は少数派、両性に親しまれるフード店がいくつかあるぐらいだった。
それらをぼんやりと眺めている介は急な問いかけを突きつけられた。
「介。夏と言えば何?」
「夏。夏と言えば……海」
とはいっても、今年の海の思い出によかったことなど少しもないが。
「違うでしょう」
「じゃあ、何だ。花火か?」
「違うわよ。夏と言ったら、お祭りでしょう」
姉が続いて何を考えているのか。恐らくこういうことだろう。お祭り、ということは連想する空に一発で行きついてしまうが、浴衣だ。今日は映画を見に行くと口実をつけ、ショッピングモールに来た本当の目的は介の浴衣を買うためだった。
……という介の推測はものの見事なまでに的中してしまうのだった。
旅行時のビキニ計画が終わったかと思えば、次は浴衣と来たか。他に女の衣服で思いつくものもどれだけ考えても思いつかない。姉の計画は止まるところを知らず、まるでジャブのような連打がいまだに続いているのだ。
まぁ、ビキニよりは圧倒的にマシなことは確かである。女っぽいと言えばそうではあるが、肌が露出するという非常に羞恥を感じてしまう体験はしなくて済む。どうせそれを着て祭りに行かせるのが姉の目的だろう。それならそれでいい。それはそれで、ずっと何も言わずに緘黙の時を弟に味わわせている方がよっぽどいじらしくて介のとっては嫌だった。
姉の口車にまんまと乗ってしまった介は無論逆らうことができず、言われるがままに浴衣販売コーナーへと連れ込まれることとなった。
女物の浴衣ばかりがかけて売られていたが、今になってみて介がこういう店に入るのは日常茶飯事同等だったので、そう抵抗は受けない。4月に性転換して以来、身体の成長もあって服を買いに行くことも多々あり、それが女物の服であることも言うまでもなく、それを毎日着る男――いわゆる男の娘になっていることを介自身もいつの間にか忘れていた。
「どれでもいい。俺にはファッションセンスは皆無だから、姉ちゃんが望む奴にしてくれ」
もう姉の企画などどうでもよくなってきた。ビキニや温泉のインパクトがあまりにも凄絶すぎて、こんな浴衣程度ではもう驚きもできなくなった。
「これいいんじゃない?」
「お姉ちゃん、こっちの方が可愛いよ~」
「ほら、こっちの方が可愛いんじゃない?」
「あ~それ可愛い~」
などと永らくの論戦を繰り広げていた。
どちらかが口を開くたびに必ず着せ替えの時間があり、その都度浴衣を脱がなければいけない破目となって、正直面倒。着た感じにそれほど違和感はなく、浴衣なんざ男性用も女性用も何ら変わりはねえんだよ感覚で、着こなせる。着せ替えするたびに鏡を見るとそこには毎度美女が映っていて、それが自分の姿だと自覚しながらも萌えてしまうのは性転換から4ヶ月の月日を経た今でもかわりはない。
しかし、やたらと着せ替えさせられると鬱陶しくも思えてくるのは当然の話だ。言っておくが、俺は着せ替え人形じゃねえんだぞ、と介は顛末思い続けていた。
最終的には、鮮やかな橙色をした花火の模様が施された浴衣が介の物となった。今までに幾度か女物の下着やら衣服やらが介の物となっているが、今になっては男物だろうが女物だろうが気にしないようになっていて――簡単に言えば、どうでもいい。とりあえず、いただいておくことにしてやった。
「それで、これどうするんだ?」
「知らないの? 今日は近所でお祭りがあるのよ」
まつり、というのは近所で毎年恒例で行われている行事のことだ。多くの人が集まって、盆踊りやなんやらするほどのなかなか大規模なお祭りらしい。今年引っ越してきたばかりのお祭り未経験者の介にしてみれば、行ってみたいのも山々だったが、問題点が1つある。
「姉ちゃん、これ着ないといけないの?」
「当たり前でしょう。そのために買ったんだから」
やっぱりそういう展開になるのね。こんな真面なもの着るぐらいだったら、いつもみたいな女物の私服でいいよ、と介は思った。
祭りまではまだまだ大いに時間があった。
昼ごろにショッピングモールに行くことを決めた姉だったが、祭りが夜に行われることを解っていながらも、それまでの時間をどう過ごすのかは全く頭に入っていなかったらしく、あと4時間足らずの時間をただぼんやりと待つとなるとあまりにも暇過ぎる。
祭りは近所で行われるものだったから、いったん家に帰ってまた行くというのは馬鹿でも普通に考えることができる案だったが、何故かここで期末テスト症候群的なものに発症してしまった姉は、突然漫画喫茶に行くことを決定した。
そんなわけで、祭りが始まるまでの4時間を漫画喫茶で漫画を読みながらオレンジジュースを飲みながら休日のニートのようにだらだら過ごした。何やってるんだろうね、この姉妹は。(兄弟だ)
そうしているうちに刻一刻と時間は過ぎていき、あっという間に祭りの時間になってしまった。
会場に到着し、駐車場に停まる車の中にいた介の目には夥しい数の屋台が飛びこんできた。前の土地でも祭りみたいなものはあったが、そんなの比ではない。
「お兄ちゃん行こ」
お祭り、という発音にめっぽう弱い千加は満面の笑顔を介に向けている。
「ちょっと待て。まだ着れてねえから」
結局、着てしまっている。ビキニの時と同じだ。少しぐらいは抵抗を見せたものの、やはり絶対権力の姉に勝てるはずもなく、どちらかと言えば着させられているというような状態だ。
まったく、たかがこんな祭りに浴衣着て登場なんて、同級生に会ったらどうしようかと介が思っているうちに姉が浴衣の着付けを終わらせていた。
「はい、完成っと」
介は姉に見送られるように車を降りて、千加の後を追った。着ているものが浴衣だとは言え、履いているものはこの夏履き続けているサンダルだったので、そう走りにくいこともなかった。
千加と少し歩いて、目的の場所に着いた。
道の両側に屋台が林立している。夜だというのに昼間のようにまぶしい。祭りには欠かせない代表的な食べ物を売っている店もあれば、金魚すくいや水風船すくいないしおもちゃの銃を使った景品撃ち落とし的な屋台もあって、さぞにぎやかである。
予想通り、浴衣を着ている人間など少数派だった。男女のカップルが二人して浴衣姿でいたり、高校生ぐらいの女子3人ほどのグループがそろって浴衣でいたり(これ見て少し安心)していた。
だが、ビキニの時と同じく、他人からの目線は若干はあるものの、それほど気になるようなものではなかった。
「大丈夫でしょ?」
あの時と同じく、千加の言葉が安心感を与えてくれた。
「別に」
そんな感じに、屋台を眺めながら歩いていると、もう言うまでもなく解っている事態が起きた。
介の目の前から、怜が歩いてきていた。
今回は、連れの浩介と悠斗が附属である。
他人の振りして通り過ぎて行こうかと思ったが、それが叶わないことぐらい解っている。千加が「あ、怜君」と言ってしまった時点で、介と怜は目が合っていた。
それをきっかけに、他の2人も介の存在に気づいたらしく、視線が介の方に向いた。
怜は手に持っていた鯛焼きを地面に落とすんじゃないかという具合に一瞬雅やかな浴衣を着た介を見て硬直した。浴衣の効果は絶大である。他の2人もこれが毎日同じ教室で勉強している同級生の姿なのかと驚いているような顔をしていた。
「怜」
「お前、またすげえもん着てるな」
美咲にチェンジ。
「どう? 似合ってる?」
「もちろん」
美咲はにっと笑ってみせた。
「それで、お前はどうするんだ? とりあえずは俺たちと一緒に行動するか? そうすれば他の奴に会えるかもしれないし」
「うん」美咲は首肯した。
そうして、介はとりあえずのところ怜たち地共に行動することにした。とりあえずと言うよりかは今日中ずっとこのままでいたいのが本心であるが、女子軍に入らなければいけない運命になった時にはもちろんそうするつもりだ。ここ4か月余りで介の順応性も随分向上し、女子の輪の中に入ることにもそう抵抗をうけなくなっていた。
介と怜が会話している最中に、千加は千加で友達を見つけたらしく、一緒に屋台めぐりにでも出かけて行ってしまった。
介たちは歩き始めた。正面から見て、左から怜、介、浩介、悠斗という順に横並びになって、どこか不自然と思えるぐらいに整列して歩いていた。
「ところでさ、お前はどっか目当てのところはあるのか?」
不躾に鯛焼きを口にしたままもごもごとした口調で怜は訊いた。
「別にないけど」
介(美咲)は答える。
「浩介、悠斗は?」
「俺は特に」と浩介。
すると悠斗が、「他の奴とか集めて、みんなで金魚すくい、とかどうかな?」
「いいんじゃねえか。ま、俺は金魚に興味はないけど、みんなで勝負ってことだろ?」
「まぁ、そういうことだね」
さすがは学年でも頭が冴えている方の組に入る悠斗君だ。何の目的もなしに来ているような、介や浩介、それと怜とは違う。
提案したのは悠斗なのに、何故だか怜がリーダーシップだけは執りたいらしく、3人の前に躍り出て高らかと言い放った。
「じゃ、他の奴集めて、金魚すくい行こ――」
「あっ、美咲。それに怜君に浩介君に悠斗君」
わざわざこちらから集めに回る必要もなかったようである。声の主は言うまでもなく、今から探そうとしていた女子軍のリーダー、穂乃花だ。そちらから赴いてくれるとは。
穂乃花は介を見るなり、お得商品を見つけた時のようにすぱっと介の元に近づいた。
「美咲、これ浴衣? へぇ~、結構似合ってるよ」
「ありがと」とりあえず返しておく。
「こんなことめったにないはずだから記念に写真撮っていい?」
カメラが常備なんだね、と介は思いつつ、「いいよ」と承諾した。
穂乃花はすぐさま肩から下げていたショルダーバッグから愛用のデジタルカメラを取り出し、介を捕捉。シャッターを切った。
作り笑いの介。ばっちり撮られた。
怜率いる男子軍およびさっきまで連れていた春華と冬華を一瞥した後で最後に介を顔を見、
「それで、これからどこか行く予定でもあるの?」
「え、えっと、一応はみんなで金魚すくい行こうってことになってるんだけど」
「じゃあ、今すぐ金魚すくい行きましょう」
溌溂と言い切った穂乃花は他の奴なんかお構いなしに、介の手を摑み、そのままくいくい引っ張っていった。その後をエトセトラたちが追う。
怜が言うはずだった言葉、穂乃花に言われた。
1分後には、金魚すくいの屋台を見つけ、7人はそこに集まっていた。
さすがに7人で屋台におしかけたら、そこのおじさんも多少は驚いていただろうが、いくら可愛い女子が集まっていたとしてもまけてもらえることはなかった。
木の棒で出来た骨格にただの布きれを巻きつけただけのような安っぽい屋台の下に、小っちゃい子が家で入って遊んでいそうな子供用プールぐらいの大きさの容器が置いてあり、その中に金魚は入っている。王道、和金や出目金、他にも色々と鮮やかな色をした金魚がいた。
そんな中で一際目を惹く奴がいた。
屋台のおじさんも大層自慢げに話していたそいつは、普通の金魚とは比べものにならないほどの巨体で、何を喰わせればこんなに丸々としたメタボリック金魚が誕生するんだと不思議に思えるほどだった。未だなお救われたことがない幻の金魚であるらしい。すくおうとした瞬間、一瞬にしてポイの紙をぶち破るんだとさ。
「それでは、ルールを説明します」
何故だか、たかが金魚すくいが先ほど《大会》と称されることとなった。競り合った方が面白味が増すからだそうだ。そういうことで、悠斗が大会出場選手兼審判員として説明し始めた。
ルールは簡単。渡された2つのポイが破れるまでにより多くの金魚をすくった人が勝ち。ただし、伝説の巨大魚をすくいあげた者は10匹分のポイントが加算される。
「始め」
そんなわけで始まった金魚すくい大会。
怜と浩介は最初から勝利のため、そして名誉のために巨大金魚を狙いに行き、最初から取れないと解っている悠斗は冷静に雑魚供を素晴らしきテクニックですくいあげ、介はそんな悠斗を参考にして小型狙い。春華と冬華は水のせせらぎのごとく淑やかに金魚をすくっていて、穂乃花に至ってはなんかすごいことになっていた。
――金魚すくい大会終了。
介はそれほど金魚すくいの腕はよくなかったために1つのポイで1匹ずつすくって合計2匹。
怜は最初はデカ金狙いで言ったものの、1つ目のポイをデカ金にぶち破られた時点で諦観し、チビ金狙いに行ったが、結局1匹しかすくえなかった始末。
春華と冬華はまさに一心同体のような動きでそれぞれ1匹ずつ金魚を確保。
悠斗はエリートとして堂々の5匹の金魚をすくいあげていた。
だがそんな奴がミジンコの糞のように思えるぐらいの化け物が存在している。
それが穂乃花である。
優れた五感とやらがチートそのもののようだ。悠斗を超えるアメージングな手捌きで見る見るうちに椀の中を金魚で満たしていき、最終的には椀には7匹もの金魚が入っていた。それだけでもすごいのに穂乃花伝説は止まるところを知らず、まさかついに幻の巨大金魚の獲得者となってしまったのだ。これには店のおじさんも大いに感心していた。つまり、穂乃花は合計17点を獲得した。
これで優勝は確定だった。
あれ? そう言えば1人忘れているような…………
「1匹も取れなかったのは浩介だけか」怜が同情するような声で言う。
最後の最後まで巨大金魚を狙いに行き、2つともポイを破られ、それを嘲笑うかのように穂乃花に自分の獲物を盗まれてしまった。もしもあれをすくえていれば一位になれたというのに。そういう感情が浩介の中で懊悩のようなもやもやを構築していた。
「元気出せよ。仕方ねえことだぜ。俺だって1匹しかすくえなかったんだから」
怜が石造りの階段に腰を下ろして、身体丸めている浩介の背中叩きながら、慰めと励ましの言葉を贈る。
「俺はゼロなんだよ」
さらに落ち込む浩介。見兼ねて遠ざかろうとする怜。
その時。
「あの……」
介(美咲)が口を開いた。さっき自分がすくった金魚2匹が入った袋を前に差し出し、
「あたしのでいいならあげるけど」
浩介はふっと顔を上げた。その目に光が戻っていく。もやもやが台風が通過した後の空のように晴れ晴れとしたものへと変わっていく。
「いや、でもそれは……」
「いいの。あたしはもともと家で金魚飼うつもりもなかったし」
浩介は、美咲の差し出された手をじっと見つめた後、ゆっくりと手を伸ばしてその金魚袋を受け取った。
「ありがと」
美咲は華やかな浴衣姿で、雅やかに微笑した。
その後も、そのメンバーたちの活動は続き、屋台でたこ焼きだの唐揚げだのかって分け合ったり、輪投げや玩具銃で景品を獲得するような子供にとっては楽しみの他になんでもないもので遊んだりし、介は愉楽ムードのままで皆と解散し、その場を後にした。
帰りの車の中――。
「姉ちゃん、もう俺に変なもん着せてくんじゃねえぞ」
「安心して。もうとっくにネタは尽きてるから。元より私が着せたかったのはビキニだけだったし。それとも何? 他に何か着たい? コスプレでもしてみる? メイド服とか」
介は不気味に微笑し、
「残念ながら、俺の小さい胸にメイド服は合わないと思うよ」
「そう? ビキニはとっても似合ってたけど」
すると千加が顔を突き出してきて、
「うん、あたしもお兄ちゃんはメイド服でも似合うと思う」
「でも着ねえぞ」
介は頭の後ろに腕を組んで、座席にもたれかかった。
窓の方を見る。どことなく憂鬱擬きな顔をした介はさっきまでみんなで屋台めぐりをしていた祭りの会場のあたりを視界に捉える。祭りはまだ終わったわけではなく、介たちは時間的なことを考慮して区切りのいいところで解散してきた。
さっきまで楽しそうだった介がこんな顔をするのは少々不思議である。楽しい時間はいつまでも続くことはない。それが解っていながらも現実と向き合うからこそ、反作用で過ぎ去った時間に思慕を感じ、憂鬱な気分をもたらすのかもしれない。
「姉ちゃん。俺、これからどうなるのかな?」
「さあね。未来はそう簡単に解るものじゃないからね」
介は眼球だけ動かして運転席の姉をぼんやりと眺めた。
「姉ちゃん、俺が元に戻る方法は探したの?」
「もちろん探したわよ。でも、なかなかそんなものは見つからなかったわ。男が女になる。そんな前例は世界中探してもどこにもないんだから」
「ふぅ~ん」介は鼻で言った。
「姉ちゃん。俺、今日思ったんだけどさ。俺、しばらくはこのままでもいいような気がしてきた」
介の意外な発言に千加が反応するかと思いきや、こんな時に限ってKY(空気、読める)になってくれた。
「へぇ~意外ね。どうして?」
「俺、今日すごく楽しかったんだ。それは、男の身体だとか女の身体だとか関係なしに。みんな同じ人間で、男女とか関係なく、楽しそうだった。俺も楽しかった。だから、このままで……いや、俺なに言ってんだろ。確かに、男の身体に戻りたいのは山々だけどさ。別に……」
「そう」
姉が肩の荷を下ろしたように、ふうと息を吐いた。
「よかった」
「何が?」
「お姉ちゃん4月からずっと介に迷惑ばっかりかけてきたから、今日はその罪滅ぼしの為に祭りに来たつもりだったんだけど。介の口からそんな言葉が聞けて本当によかった。今までごめんね」
「そうだったのかよ、だったら早く言ってくれればよかったのに」
「ごめんごめん。でもね、介。知らなかった? 今日のメインイベントはまだ終わってないのよ?」
介の位置からは解らなかったが、姉の顔は再び企みに満ちた微笑に戻っていた。
「めいんいべんと?」
姉は車の窓から外――その遥か先の墨でも塗ったように黒い空を見た。姉の見つめる先には何もない。現時点では。
姉の行動につられて、介も窓の外を見る。
その時、同時に祭りの会場付近から無数の花火が打ちあがった。飛龍のように打ちあがった花火は次々に燦然と輝く光に変わっていく。大きさで言えば、小さいものから中くらいのものまでで、空にハートやら妙なマークを描くものや開いたのちにくるくる回って軌道を変えて消えていくもの、と多種の花火が空中を覆っていた。花火の美しさは、人々に感動を与える。介もそんな1人だった。
「姉ちゃん……」
「きれい~」千加がうっとりした目をして言う。
「これからどうなるのか……。とりあえず、あんな美しい花を咲かせればいいんじゃない? ねえ、美咲」
ドン! ヒュ――――という音と共に花火は宵の中に打ちあがった。
その花火は――、
より空高く高く――、
より大きく大きく――、
空に、美しい花を咲かせた。




