表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/18

14章(後)

 さて、次は俺が大変な番だぜ。車の中で思った介は窓の方に顔を向けた。さっきまで泳いでいた海を眼中に捉えることができる。あの場所が恋しくなるのは何故だろうか。今向かっているのは天国か地獄という場所だ。そりゃあ、恋しくなるのも当然のことだろう。

 今向かっている温泉というのは、家に帰る途中に位置しているのだが、そんなことは問題を解決する上では一切無関係なことであり、あれこれ考えてどうにかなるような問題ではないことは確かだった。

 もう姉の行動を止めるも止めないも糞もなかった。姉の命令は絶対であり、それを覚悟して素直に言うことを聞くしかすべはない。とは言え、自分から承諾したのはどこの誰だったか。

 そして早々と目的地――温泉に到着した。どこからどう見ても温泉の他に説明の仕様がないほど純粋な温泉。入口に《ゆとりの湯》と書かれた看板が立てかけられているから間違いはなく、そこを通ってしまったが最後、天国となるのか地獄となるのかどちらにしろ精神面だけが死亡寸前にまで爆破してしまうんじゃないか、と思われる未知なる場所だ。

 介が何を思考していたのかは、車を降りてしまった本人の様子からよく解る。後重心で姉にもたれつつも押されて歩き進んで行ってしまうのは嫌々ながらも女風呂に入りたい、という性的な欲望から来る真意なのだろうか。

 いつもならここで男湯の方へ行き、千加と別れるはずだったのだが、今回はそうすることはできない。生まれつき父がいない自分にとって一人で風呂に入るのは当たり前のことであり、正直寂しいものだった。初めて家族みんな揃って風呂に入ることができることは嬉しいことだ。……いや、嬉しくないことか? 

 女湯の垂れ幕が近づいてくる。緊張感が高まった。本当に入っていいのか? 周りからの目線が異常に気になったが、そんなうちに千加に押されて中へ足を踏み入れてしまった。心臓の鼓動が跳ね上がるかと思った。それを確かめるとまだそんな時期ではないことに気付いた。目の前にあるのは壁。まだまだ重要な場所へは遠かった。ほっと溜息を吐く。

 それから曲がり曲がり、光が見えた頃に介は壁に張り付いて苔のように離れなくなった。

「お兄ちゃん、大丈夫だって」

「中に誰かいるの?」

 ちょっぴり顔を赤くして千加に訊く。

 と、姉が中を覗く。

「ちょっといるけど、大丈夫よ」

「ちょっとでもいたらアウトだろ」

「大丈夫、大丈夫」

 千加が言うのに合わせ、姉が介の腕をつかんで力いっぱいに引っ張って更衣室の中と連れ込んだ。

 もう言葉など出せるものか。中へ入った瞬間、介の顔は顎から額にかけて急速に赤くなっていった。恥かし過ぎて涙も出ない。自然と内股になったのは女湯に入ってしまったのが原因だろうか。そこらへんに目線を走らせる。どこがちょっとだ! 心中で激怒する。どこを見たって胸、胸、胸。巨乳もあれば貧乳もある、と様々だった。が、それが何だ。介には関係なかった。

 姉が珍しく気をかけてくれた。虛ろになった介の目を隠して誰もいないところまで導いてくれた。そこで介は目から手を離された。見ないうちに心が落ち着いてきた。「お兄ちゃん、目死んでたよ」と千加。「あんなところで固まってたら邪魔になるじゃない」と姉が言い訳。

「だって、あんなにアレが……」

「入っちゃえば大丈夫」

 安心させるように言った姉はいきなり服を脱ぎだす。そんな光景が介に耐えきれるはずがなく、すかさずまた手で顔を隠してしまった。

「介、学校ではどうしてるの?」

「それとこれは違う」

「お兄ちゃん、そんなことしてたら温泉入れないよ」

「入らなくてもいい」

「か~い。大丈夫だって」

 異常なほど名前を伸ばして呼んだ姉は顔を隠している介の手を強引に外させた。無論、手を外したところで介は目を閉じたままグッと眉根に皺を寄せているからどうしようもなかった。どうしたものか。常女に囲まれていた介が女風呂に入ってこんな拒絶行動を起こすとは。

 姉は最終手段を使う。我身を捧げて。

 突如、介の顔面に軟らかい肌が触れた。それが何なのか、介は一触りで解った。まぎれもなく、こんな体験は初めてだった。赤ん坊の時を除けば……。拒絶する気持ちが限界に達して、介は姉の胸から押し出た。と、思わぬ失態。目を開けてしまったのだ。目前に捧げてあったのは間違いなく、自分の姉の胸だった。顔が急に赤くなるのを必死に止めようとする介を別に、姉は冷静且つ羞恥な面目して胸をタオルで隠した。

「お兄ちゃん、もういいでしょ?」

 そう聞いてきた千加もとっくに裸体と化していた。赤くなっていた顔がだんだんと平常に戻っていく。おそらく、千加の身体なら見ていられるのだろう。改めてなのか、初めてなのか。

 同時に目をつぶらなくても平気な感じにはなっていた。それが完全なものかはともかく、介は温泉に入る決心がようやくついた。

 学校の水泳の時間の更衣室現象を思い出しつつ、着ていた服を脱ぎ始める。更衣室の一番奥の方の陰のような場所なので、沖嶋家以外の者は誰一人着替えれおらず、今のところは安全地帯となっている。介にとってみれば、この上ない好都合な環境だった。

 その状況下で衣服を上半身から下半身まですべて脱いだ介は、何か心の奥底に眠っている前人未到の女の精神が左右したのか、胸を隠さなくてはいけないと思ったのだろう。タオルで自分の未熟な胸を隠して入浴を試みようとしていた。すると――。

「あんたは胸小さいから隠さなくてもいいでしょ」

 姉に言われ、介は巻いていたタオルを引っ張り取られた。

「ちょっと姉ちゃん――」

「お兄ちゃん早く入ろう」

 言いかえそうとした介を千加が止めるように入浴を誘った。介は絶句し、素直に従った。

 躊躇なく全裸になった千加の身体を一通りどんな構成になっているのかと猥褻に眺めながらも、入らなければいけない風呂の入口を、開けているか開けていないかというような目で見た。

 千加が風呂の扉を開けた瞬間に眼中に多数の女人の姿が入り込み、男としての精神が震わされて思わず、ない男根とある胸が見られるのは恥ずかしくなって皆に背中を向けてしまう。呼吸音しか聞こえなかった。

 一体、自分はどんな場所に迷い込んでしまったのか。まるで、天国のようにも思えず、閻魔大王によってオリジナリティあふれる《女人地獄》にでも落とされたような気分だ。千加のしょぼくれたノットインパクトな身体は平気なんだから、目の前にいるのはそれと同類も同然。女という類に変わりはない。そうだ、俺は今は女なんだ。認めたくないが……と内心に訴えかけ、自分の胸に手をかけると、その触感でさらに自覚を起こした。

 千加も悠長にしていた兄を説得する。

「さっきも言ったけど、お兄ちゃんは女なんだから、女風呂にいても誰にも怪しまれないよ」

「だ、大丈夫だよ……」

 平気な顔していったつもりだったが、シャワーへ向かうその姿は見るからに硬かった。そう、それはロボットのようだったが、それは硬すぎだ。千加がその後をついていく。

 さっさと見たくもない女の身体と一時おさらばするために頭を洗い出す。あぁ……できるならずっとこのまま目つぶっていたい……、と頭を洗いながら思慮する。それは束の間のことだ。頭を洗い終え、次に身体と洗うまでは目をつぶったままできたものの、ここからは開けなければどうすることもできない。千加に誘導してもらうのも手だったが、改心する。腹括るしかねえ。と男らしい生き様を通すことにした、? 



 次は本当に自然だった。体の動きも硬くなく、普通の歩きだった。周りにいる女たちにも目を配りながらも、そのまま浴槽に浸かった。

(提灯を見せびらかす鮟鱇……では表現難いが、海坊主というのも少し微妙だ……まぁ、これらのように)水面から顔を出す美咲は軽く目をつぶって、沈めた口からぶくぶくと泡を噴かせている。皆に見つめられていないことは当たり前に分かっているにもかかわらず、自分の顔の頬が朱くなるのを覚えると、これは温泉の熱さのせいだ、という考えが浮かぶ裏に、こんな場にいる自分への羞恥心から来るものだということも一理あることに気付かされた。

 美咲は水の中に顎を入れ、水面近くで周りに配慮する声で千加に訊いた。

「千加、何でこんなところにいて平気なんだよ」

「あたしは女だもん。お兄ちゃんも慣れれば大丈夫だよ」

「女はいいなぁ」

 千加が馬鹿にするようにくすっと笑った。

「お兄ちゃん、もしかして女に芽生えちゃった?」

「そ、そんなわけないだろ。女としてだよ。本当は男に戻りたいけど、今は戻れないし。もしも戻る方法が見つかったら、高校生ぐらいで元に戻りたいな。そうすれば、みんなにも気づかれないし」

「じゃあ、お兄ちゃん、小学生の間は男に戻らないの?」

「お兄ちゃんが男じゃなくて哀しいか?」

「うんう、全然。……あ」

 胸に突き刺さる酷い声が介を拗ねらせた。

「もういいよ。明日自殺してやる」

 さらに水の中へと顔を沈めた介が下向きな発言を残した。それには千加も今口走ったっ言葉を打ち消して介に謝った。

「そんなことないよ。お兄ちゃんは男じゃないと嫌だよ~」

「噓吐け」

「ほんとだって~」

 それでも介は顔を向けず、千加の言葉を信用しない素振りを見せる。頬を膨らませ、拗ねている介。そうしている間に遅々と身体を洗っていた姉が胸隠して介と千加が入る浴槽の方へと歩いてくる。

「介、どう?」

「別に」

 介が口癖である「別に」を呟く横で千加は姉に説明する。

「お兄ちゃんね、あたしが『男じゃなくてもいい』って言ったら拗ねちゃったの」

「当たり前じゃないの。介は男の子だもんね」

「姉ちゃんが言えることじゃねえだろ。こんな場所にまで連れてきやがって」

「ごめんごめん。でも、初めてみんなで温泉入れてよかったでしょ?」

「そ、それは……別に……1人でもいいけど、仕方ないから入ってるだけで……でも、嬉しいかな……いいや、嬉しくない!」

 姉は満足げに微笑んだ。笑みの理由は介の偏屈さにあった。「嬉しくない」なんて言っているわりには、絶対嬉しいに決まっている、と姉は確信を握っていた。それは姉も嬉しかったからだ。女の姿であろうとも、可愛い弟と温泉に入ることができたことが。

「介。正直に言いなさいよ」

 片目だけ開けた姉が介に堂々とした表情で聞き質す。

「俺は別に、正直に言ったつもりだけど」

「別に」を言うときは出鱈目な心情だとはもうかれこれ介が小さい赤ん坊の時から11年間ずっと見守ってきた姉からしてみれば、七癖の解釈などとうに完了していた。「『別に』っていうときは言い訳だってことはもう解ってるんだから」と姉が介の常套句を豪語すると、

「うるさい。俺は()()『別に』っていう口癖なんだから仕方ないだろ」

「お兄ちゃんまた『別に』って言った~」

 もう何も言い返しはしなかった。ただ、湯の中に再び鼻の下まで沈めて、代わりに水中で「んん……」と泡沫噴くような唸り声を発していた。

 本人からの意見は聞けなかったが、いかような心情だったのかは言うまでもないことだ。姉がこれ以上に問い質す必要もない。



 ようやく介の人生の中でもベスト3には躍り出てきそうな大変な行事が終了したところで、共に旅行でやるべき事項も全て仮定から既定に変化させることに成功し、伴って沖嶋家の旅行もこれにて終わりである。

 介は車の中で今さらになっての後悔の念を吐き出していた。

「あ~あ。結局、よく観れなかったなぁ~」

 今回の旅行で何ができたのか。毎年と同じように海に入ったのは確かに楽しい思い出になったと思ったが、苦い思い出としてもこの夏の旅行は非常に苦労人だった。女になったせいでビキニを着衣する破目となり、ついでには女湯にまで入浴しなければならない始末。これで良かったのか、と訊かれて介が出す答えは一つしかない。「別に」。

 素直じゃないというのが介の特性なのだから仕方ない。けれども良い思い出も悪い思い出も、いずれは全部が想い出1つで統括されてしまい、「想い出」という唯一の事項になってしまうのが普通だ。将来そう顧みるのは現在の介の脳内がどんな構造になっていようと関係ない。

 日帰り旅行の一部始終を回想し終えた介はいつの間にかぼんやりしていた自分を気にして、息を吹き返すように顔に表情を戻した。その時。

「いいじゃない。念願の女風呂入れて」

 千加の声だとは思わなかった。だが、千加の声なのは確かだ。蠱惑するような甘い囁きがどうしても千加の声に思えず、拍子抜けしてしまいそうになった。千加が笑っているから確信は付く。

「千加。愕かすなよ」

「お兄ちゃんがぼーっとしてるからだよ」

「あ、ごめん」

 そう言った介は千加の顔の表情から心情を読み取っているような目付きをし、ふと何を思ったのか、千加に向かって数回目を瞬かせた後で、窓の方に身体を転がした。それ以降は千加も介に話しかけることもせず、姉も準じて沈黙をキープし続け、介はというとそれから寝ていたのか窓の外の景色を眺めていたのか、はてさて……。



 車から降りた時点で、もう日帰り旅行の全ては終わっていた。朝7時頃に出かけて行って、帰ってきたのは夕方6時頃だ。本当に日帰りしてきてしまった、と毎年同じように介は口ずさむのだった。家に入っても、そう久しぶりという感覚にもならず、前の家でも新居でもなんら情緒に変化はない。

 千加はいつも通りに家の中でやんちゃな素振りを見せ、介は温泉に全神経を使ったことによる疲労でいつにもまして会社帰りの親父みたいな恰好でソファーにもたれかかり、姉も何事もなかったように迅速に夕食を作り始める。旅行が終われば、沖嶋家にもいつもの姿が戻ってくる。



 次の日の夜。

 いつも通りの生活を送った、とは噓で昨夜風呂に入らなかったことだけが日常生活の欠如だった。昼間に温泉に入ったから充分であり、当たり前といえば当たり前でもあった。

 そのようなことこともあって、姉から「絶対入浴」が言い下された(どちらにせよ、毎日風呂に入らなければいけないというルール。特に介が女になってからは)。というわけで、女風呂に入って疲れを落とすどころか無駄に疲労を蓄積してしまったように思っている介は、今日の風呂ですべての疲れを落としてしまおう、と考えつつ、何やら矛盾するような発言をし始める。

「千加……一緒に入っていい?」

 空前絶後の兄の発言に千加の身体が吹雪の中で凍てついたように硬直した。何も反応を聞いてないのに介は狼狽して勝手に言い進める。

「えっ、あぁ、いや、いいんだ別に、嫌なら。俺も別に変態したいわけじゃないし、シスコンっていうわけでもないから……その、何となく言ってみただけで……」

 恥ずかしそうにする介の言い分が始まってからは啞然としていたが、終わった直後に満面の笑みを見せて介の手をグッと摑んで引っ張った。

「お兄ちゃん入ろう」

 抵抗もせず、介は千加に引っ張られるがままに風呂場へと連れ込まれた。



 昨日と同じような感覚を味わいながら、脱衣して颯爽と湯船に身体を浸す。

 いつもと変わらないと思いきや、目の前には我が可愛い妹が足を伸ばして入浴していた。毎日のようにやっている『チンコ生えろ生えろの念』もこの分だと無理そうだ。

 それはそうと、豈図らんや本当に千加と一緒に入ってしまうようなことが起きるとは、介も予想外だった。千加が本当に承諾――いや、快諾するのにはさすがに驚愕した。こう見えても男の精神で女の肉体。そんな兄と風呂に入りたい妹がいるのであれば、千加の他にも呼んでほしい。

 よくよく考えてみると、千加と一緒に風呂に入るのは初めてのことだ。母のオッパイ飲んでいる頃を除けば、幼い頃からずっと一人で温かなお湯に浸かってきた介には妹と風呂に入った試しがない。たとえ家族だとしても、もう小学校3年生の妹と一緒に風呂に入ることは妨げたくて仕方がないことだと思っていたからだ。

 なのに今回、自ら妹に「一緒に風呂に入らないか」と勧誘した。どこから来る感情なのか。昨日の温泉での千加の姿だっただろうか。男心女体の兄と風呂に入ったとしても、何の抵抗もなしに接してくれたあの寵愛級精神。普通ならもっと兄を嫌うはずだ。元より、4月当初から千加は一度たりとも女になった介を嫌ったことはなかった。それも女の姿をした実の兄を何の躊躇いもなく「お兄ちゃん」と呼べる妹は世界中探してもそういない。世界一の妹と呼ぶに相応しかった。

 兄である介の望み――千加と風呂に入りたかった。ベタすぎる。(素直になれよ)

「お兄ちゃん変わったね」

 向かい合った反対側に介の股間を蹴飛ばすかのごとく足を伸ばして入浴していた千加が言った。

「何が?」

 小学3年生の平均としては1サイズぐらい大きいのではないだろうかと思われる、しかしそれでも並にも達していないんじゃないかというぐらいの千加の胸を見て見ぬふりするように眺めながら、介は頭のてっぺんに疑問符を立たせる。

 何も答えは帰ってこず、帰ってきたのは満面に広がったニコッとした笑みだけで、それをどう解釈すればいいのかと介が考えていると、千加は急に背を向け始めて次の瞬間――。

 トンッと浴槽の端を蹴ったかと思えば、見事にエビのような後ろ泳ぎを見せ――というのは、このおおよそ定員2人の浴槽内で行うのは不可能な話で――まぁ、イメージとしてはそんな感じで、千加はひゅうっと介の胸の中に滑り込んだ。

「ほら。こうやっても、大丈夫でしょ?」

 ギリギリ介の弱点である胸には届いていない。ここで介の胸が千加に接触した場合、《沖嶋家丹生中大事件》として取り上げられ、事態として千加が大怪我を負う可能性も皆無ではない。浴槽破壊はさすがに不可能に等しいが。

 そんな危機を考慮しながら、何で自分はこんなにも胸が敏感なのだろうか、と反射的に生じてしまう行動に疑問を抱く。女子が胸触られて羞恥を湧き上がらせるのは男である時でも了承済みだったが、自らが女になってそれを超越したような反応を見せようとは思ってもみなかった。結局、徐々にでも覚醒してきている女の感情がそうしているとしか詰まりがない。

 自分の胸と千加の背中の位置関係を把握しつつ、千加の軟らかい尻の感触を太腿に伝わらせてエロチックな感情を湧かせていると、介の耳に抱擁されるような優しい声が入ってきた。

「お兄ちゃん、抱いて」

 千加がそう言ったのは、千加が介の胸元まで近づいて来てから数えても一瞬と言ってもいいほどすぐであり、介はぽーっと何かを考えていたように思っていたのも、実は瞬間的な思考だった。

 介は千加に言われたとおりに、だらんと自分の身体の曲線に沿って沈めていた腕を操作して千加の腹部に移動させる。

『胸を触ってはいけない』

 不意にそんなことをどこからともなく喚く奴がいるものだから、介は躊躇して触るか触らないかという位置で手を止めてしまった。すると――。

「お兄ちゃんもっと」

 優しい声をした妹に従って、介は躊躇を打ち払って、そっと千加の胸元を抱く。まだ小学3年生。それほど感嘆できるようなサイズの膨らみでもなかったが、柔らかいと言えば柔らかいと言って剴切だろう。

 よくよく考えてみれば、服の上から抱いたことはあったが、こうやって肌を触れ合わせるような――性行為みたいな接触は初めてだった。慣れない初体験に介の顔はポッと赤くなったが、風呂の温度のせいだともしもの時の言い逃れを思いつく。思わず勃起してしまいそうだったが、もしも今ここで勃起した場合、千加の尻の穴とドッキングして、とんでもない被害をおよぼしてしまう。女同士だったからこそ千加もこうやって近づいてくることができたのだろうし、介の勧誘を喜んで快諾したのだろう。

 そもそも、男の姿だったとしたら、千加と風呂に入ろうなどと考えるわけがないし、千加も賛成するわけがないし、女風呂に無理やり入らなければならないことにもならなかった。

 そう考えると、無自覚でありながらも女になって変わった点がいくつかあるように思えた。もしも4月のあの日、女にならなかったら、今頃も予想がつく通りの平々凡々な日々が過ぎているはずだ。毎日毎日が本当に男染みていて、朝起きても櫛で髪を梳くこともしなければ、ポニーテールにすることもなく、学校では男子とにぎやかに生活して、家に帰っても何ら変化のない性格で一日を終えていく。4月にあんなことが起きていなければ、そういう生活がいつまでも続くと思っていたのに。

 介は溜息も出ず、ただ自分の長い髪の毛を手の上でするんと滑らせた。

 ――女になって変化したこと。

『こうやっても大丈夫でしょ』

 介の脳裏にさっきの千加の言葉が去来した。

 確かに、女になって嫌なこともたくさんあったものの、こうして4か月があっという間に過ぎていくことを感じている今も自分は成長し続けている、と介は思っていた。こういう生活がしてみたい、と心の底から思ったわけではないが、どちらかといえばこんな生活をさせてくれた神様に感謝しなければならないのかもしれない。男のまま生活していたら為し得なかった生活をさせてもらっていることに――。

「なーんてな」

 開き直って介は言う。

「千加」

「何?」

 介はにやりと笑って目論見を実行する。押さえていた腕を解放するや否や、千加の両腰をこちょこちょしはじめた。伴って、介も「こちょこちょ」と効果音を発声させる。こちょこちょが効きやすいタイプの千加にはそれが耐えられなくなり、次第に浴槽の中で暴れ始める。

「ちょ、ちょっとお兄ちゃんやめてよ~」

 暴れながらも、千加は笑っている。満面の笑みで。そして介も。

 無論、その声はキッチンで食器を洗っていた姉の耳にも届いていた。だが、姉には2人を止める理由がなかった。楽しそうにやっている子供を止める親がいたら、そのツラ見てみたいものだ。姉は微笑していた。嬉し笑いだ。

 かくして、沖嶋家の一日は楽しげなものに終わっていったのである。

「お兄ちゃん、ちょっと~」

 僕には姉も妹もいません。

 ずっと妹が欲しいと願っているのですが、それは今になっては叶わぬ願いです。それなら、小説の中だけでも、自分が一番望む姉と妹を描いてみようと考えて、こういう話を書くきっかけになったのかもしれません。ついでに主人公である介も 転換させて己の願望を叶えさせようとしたのも一理あります、多分。そして、女だらけの話になっているわけです。話の最初に出てきた男キャラ、怜は僕の性格に合致するところもありますよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ