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挫折の物語を好転させるのは、この身に潜むナルキッソスの亡霊か。

作者: 回天 要人

 ああ、なんてことなの。



 劇的なことが起きたわけじゃない。むしろ私の状況は平均よりもちょっと上くらいなのに、どうして私はこんなに不幸せなんだろう。とてもハッピーになんてなれそうにない。何をやっても面白くない。

思えば平穏な毎日だった。子供の頃から物覚えがよくて、神経衰弱やゲームの類は負けたことがなかった。学校へ入ってからも、成績は中の上から上の下を保っていたし、頭の良さを鼻にかけられるような器量はないにしても、そこまで馬鹿でもなかった。性格だって決して明るいとは言い切らないけど、そこそこにポジティブで、仲間はずれにされるような空気の読めない真似をしたことも無く、かと言ってグループの中で目立つ存在でもなかった。いつだって、私の周りは穏やかで波風が立つようなドラマは起こらなかったし、今だって起きそうな気配もない。全くの平穏で、世の中にはそれが幸せというものだろうと見解を示す者も居る。

 けれど、私にとってそんな毎日は、不幸せでしかないのだ。

 平穏だ。それは認めよう。けれど、あまりにも平穏すぎる。今私が死んだら、誰も悲しんでくれないとさえ思う。もしも悲しんだ人が居たって、私が死んで一週間もすると、自分の幸せにころころと鈴のような笑みを零すに違いない。私はおそらく、平凡すぎたために世の中にとって居ても居なくても変わらないような人間に育ったのではあるまいか。

 私の今までの人生が平穏だったことには、自分自身に責任がある。私は全く影響を受けやすい人間で、大人の言うことをよく聞くいい子ちゃんだったのだ。ゆえに大人にああしなさい、こうしなさいと指図されないとどうしていいのかわからなくなる。国語算数理科社会を毎日淡々とこなす日々は至極私に合っていた。だから社会へ一歩踏みだした途端、何もかもを自分の責任で、自分の意思で動かなければならないことに苦痛を感じている。私はゲームで勝つしか出来ない。第三者が決めたある範囲内で、周りに居る人間たちと競争し、それにそこそこ高順位で勝つくらいしかできない。お題も競争相手も、戦略も考えなさいなんて、私には無謀すぎるのだ。

 カリスマなんて大嫌い。夢のように何もかも上手くやれる人間が大嫌い。どうせ私にはそんな器量はない。とある友人は理想を追い続けるのが私の生き方と豪語していて、カリスマの器もないくせに、自分はさもカリスマであるかのように振舞っているけれど、私はそこまで自惚れ屋の馬鹿ではない。自分の力くらい自覚している。出来ないものは出来ない。

 けれど、私はずっと、カリスマになりたかった。大人の言うことを聞いていい子にしていれば、いつかカリスマになれるのだと信じていた。本当にカリスマになりたいのなら、自分の理想につき突き進んでいく勇気とバイタリティーがなくてはならなかったのに。大人のいうことを時に無視して、型破りながらも理想を追わねばならなかったのに。それに気がつくのが遅すぎた。私はそんなことにも気がつけない馬鹿でしかなかったのだ。

 夕暮れ時に散歩をして気を紛らわせる。部屋でじっとしていると、時に死にたくなってしまうから。家を出て数百メートル行ったところで、どこかから吹奏楽の音が聞こえてきた。ふと、音の出所を探ると、それは目と鼻の先にある中学校から響いているようだった。


「…………耳すば」


 中学生が奏でているのはカントリーな曲だった。沈みかけた太陽の光を逆光で浴びる中学校の校舎が、神々しいものに見えてきた。神々しい光景のおかげで、演奏がじんわりと心に染み入ってくる。下手くそな演奏でも、演出によって良く聞こえることがあるものだ。

 無性に、泣けてさえくる。私のカントリーはここだというのに、どこか別の場所に安らかになれるカントリーが存在しているような気がした。


「……感動だわ」


 カントリーな曲がひとしきり終わると、賛美歌のような曲が流れてきた。ああそうか、私の思う安らかになれるカントリーって、天国のことだったのね。

 そうか、そうか、これは感動に乗じて、今ここで果てろという神のお告げか。私が生きたという何の痕跡も残せないまま、今ここで消えてしまえというのか。神さまさえ私を応援してはくれないのか。


「…………ちょっと、待って私、」


 応援して欲しいということは、私は本当は、この世に生きた証を残したいということか。不幸せから脱却したいということか。深層心理で私がそう思っているのなら、今、神の陰謀に流されてはいけない。

 死んでたまるか。死んでなどやるものか。平穏で何が悪い。平凡な人間にだって、何か出来ることがあるだろう。


「わかったわ。この感動をぜひともあの中学生に伝える。それくらいのことなら私にだって出来る」


 便箋と封筒、ボールペン一本さえあれば事足りる。それが出来ないほど馬鹿じゃない。

 私は近所のコンビニで私革命を起こすアイテムを入手すると、足早に部屋へと戻った。勢いのまま、散歩中に耳にした吹奏楽の演奏に感動したこと、死にたいとすら思っていたけど、それを少し思いとどまって、最期の悪あがきにこの手紙を書いていることをしたためた。匿名で、中学校の郵便受けに放り込んだのが夜中の一時。革命を起こした私は、手紙を投函するなり家に帰って寝てしまった。果報は寝て待てと言うから、多分それであっていると思うけれど。

 手紙を書いたからといって、すぐに何か起こるわけでもなく、私はどこかで手紙を書いたことで劇的な変化が訪れるのではないかと思っていた夢見がちな乙女だったので、それには数日落胆もしたけれど、私の平穏すぎる毎日の中では手紙を書くだけでもかなり劇的なことだったじゃないかと思い直して、やっぱり果報は寝て待つことにした。手紙を書いたことが果報だったと納得できないのは、カリスマになりそこなった女としては仕方のないことだ。どこまでも夢見がちで自分で自分に愛想が尽きそうになることもあるけれど。

 その日も自分に愛想が尽きかけて、死にたくなったから散歩に出かけることにした。この間の中学校を通り過ぎると、古びた図書館が見えた。普段寄り付きもしない小さな図書館で、そこにあるのは随分前から知っていたのに、立ち寄ったことはない場所だった。

 ついでだ。今日はちょっと入ってみようか。読みたいものも無いけれど、たまには文学家を気取るのもいいだろう。図書館に足を踏み入れ、ふと目に付いた新聞を手にとって見る。今日の日付の新聞で、家でとっているものとは社の違う新聞だ。これはどうやらローカルに密着した新聞らしかった。ぱらぱらとページをめくりながら、傍らにあった椅子に腰掛けた。隣のおっさんがしてるのと同じように足を組んでふんぞり返ってみる。肩幅以上に両腕を広げて、新聞は愛読書だぜ☆くらいの雰囲気を醸し出してみる。その行為に陶酔するあまり内容なんてかけらも頭に入らなかった。これではいけない。

 私は足を丁寧に閉じて、お行儀よくページをめくりなおした。私にはこのくらいが合ってる。あまり慣れないことをして、内容がさっぱりなんて、私はどれだけ小物なんだろう。


「………、」


 目に留まった記事は、中学校の写真が載っていた。それも、今しがた目にしたばかりの、あの吹奏楽の中学校だ。

 記事には、匿名の手紙が生徒と教師に感動を巻き起こしたと書いてある。記事にある要約された手紙の内容は、私が書いたものとそっくりだ。この記事はもしかして、私の手紙で中学校に波風が立ったという記事ではないのか。

 私は人知れずほくそ笑んだ。人生捨てたもんじゃない。こんな小物にだって、何か出来ることはあるのだ。

 それは至極小さな記事だったけれど、私はまるで自分が革命家にでもなった心地だった。まだ、私だって、カリスマになれるチャンスはあるのかもしれない。

 私は新聞をとじて椅子から立ち上がった。久しぶりに清清しい気分だった。

一応、ハッピーエンドのつもりです。

元気になれたらいいですね、彼女。

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