壁の花になりたい。
リース王国の王女、アナスタシアは壁の花になりたかった。
ニコニコと知らない人に笑いかけるのは頬が引き攣るし、女同士の腹の探り合いも面倒臭い。そして、一番嫌なのは求婚者達だ。
やれ国一番の財力を持った公爵家次男やら、頭脳明晰な伯爵家四男やら、傾国の美貌を持つ隣国の第二皇子やら。他にも後を絶たない。
みんなアナスタシアと結婚したくてしたくて堪らないのだ。それは、アナスタシアが可憐で儚く淑やかで色香漂う絶世の美少女……ではなく、王位継承第一位でこの国の女王になることが決まっているから。
みんな王配になりたいのだ。だから継ぐ家のない次男やら三男やら四男がこぞってアナスタシアを褒め称え、愛を囁き、必要以上に距離を詰める。物理的に。
国王がなぜアナスタシアに王配を選ぶ権利を与えたのか分からないのか、この馬鹿どもは。
国王が娘可愛さに愛する者と結婚させたいと親バカを発揮させているとでも思っているのか。一国を預かる王だぞ?そんなことで結婚相手なんて決めたら国が滅ぶぞ。
国王がアナスタシアに権限を与えたのは他でもない。アナスタシアが政治力に優れていたからだ。帝王学を幼い頃から徹底的に叩き込まれ、国内を隅々まで見て周り、外交のために他国に赴き、何が国を豊かにするのか、どこに根回しをすべきなのかを学び、いくつもの政策を施行し、経済を回し、信頼を得ているからだ。
アナスタシアの足りないものを補えて、国を栄えさせる相手を見極めることが出来ると判断されたからだ。
偉くなりたい、国を裏から動かしたい、財が欲しいなどとそんな馬鹿な考えを持つ輩を婿に迎えたいと思うか、このお花畑どもめ。賢い奴らはきちんと分をわきまえ、こんな社交場ではなく執務で己の価値を示してくるぞ。
だが、そんな素振りを一切見せずに褒められれば嬉しそうに笑い、愛を囁かれれば頬を染め、距離を詰められると恥ずかしがりながら距離をとる。
そんな攻防を毎回毎回繰り返していると、アナスタシアだって嫌になってくる。こんな立場でなかったらぶん殴って、蹴り倒している。だから、それを避けるために壁の花になりたいのだ。
ただただこの状況を大人しく受け入れたわけではない。出席を見送ることはできないが極力目立たないようにしようとした。
けれど、暗い色のドレスを着ようとしたら取り上げられ、酷い化粧をしたら顔を拭われ、極め付けは髪を短く切ろうとしたら侍女長に悲鳴を上げられ気絶された。まあ、流石に髪はやりすぎたと反省している。
性格が悪いと噂になれば、誰も相手にしなくなるかも。その思いで侍女で子爵令嬢のオフィーリアに協力してもらって、流行りの悪役令嬢になろうとしたが、オフィーリアに泣かれた。
「アナスタシア様の評判が落ちるなんて耐えられませんっ!」
号泣も号泣、大号泣。そのままミイラになるんじゃないかと思ってしまうくらい泣かれて、それが侍女長に露見してしこたま怒られた。まあ、確かに評判が落ちたら国内外で支障が出るから止めて良かったが。
そんなこんなで今日もニコニコと笑いながら、お上品に笑いながら交流をする。もういっそのこと結婚せずに妹のリリアーナが産んだ子を次期王にするか。
「やめてよ、お姉様!私が産んだ大切な子をあげるわけないでしょ!」
うん、頬を膨らませて怒る姿しか浮かばない。それに外交には王配は必要だ。女王になったら今より夜会に招待されるだろう。毎回パートナーを探すのは手間だ。
ちょうど良い相手はいないのか。もういっそのこと良い政策を提案してきている侯爵家の次男にしてしまおうか。
何度も考えたことはあるのだが今一歩踏み出すことが出来ない。顔も良く、頭も良く、気が利く。良い王配になるだろう。だが、何か決定打が足りない。その決定打が分かれば一歩踏み出せるのに。
「アナスタシア殿下、お顔の色が。」
オフィーリアの言葉に、はっと我に返る。自分の頬に手を当てて困ったように眉を下げた。いかんいかん、考えすぎていた。たぶん、表情筋が仕事をしていなかったんだろう。
「夜風に当たられてきてはいかがでしょうか。」
儚げな美少女のオフィーリアに言われては断れない。決して能面になっていたからではない。小さく頷くと、ごめんなさいね、と周りに声を掛けてその場を辞した。辞したかった。
「私がエスコートいたしましょう。」
鼻息の荒い公爵家次男が腕を差し出し、行く道を塞いできた。それに続いて伯爵家の四男も隣国の第二皇子も私が!私こそが!とキャンキャンと吠えまくる。止めろ、うるさい、恥ずかしいとは思わないのか。
「分をわきまえなさい!アナスタシア殿下の御前で騒ぐなど!」
儚げ美少女のオフィーリアがまるで烈女のごとく声を上げ、三人を嗜めた。三人は驚き固まっているがこちらまで固まってしまった。たぶん、オフィーリアと目が合わなかったらずっと固まったままだったと思う。今のうちにとそそくさと、それでもお淑やかにその場を離れると庭に出た。
頬から感じる空気の冷たさは、秋の訪れを感じる。ナグダス地方ではそろそろ麦の収穫時期か。去年、一昨年は冷害で思った以上に収穫が出来ず、大変だった。しかし今年は例年並みに回復したと聞いた時は胸を撫で下ろした。グンリニグル帝国が小麦の流通量を増やしてくれなければ、飢えて亡くなった者もいただろう。ただ向こう三年の関税の引き下げには懐が痛むが、それで済んだだけで良しとしよう。
等間隔に設置されたガス灯を頼りに庭を歩く。自分のヒールの音だけが響く。
結婚、したい相手はいた。小さい頃から一緒に過ごした侯爵家の三男。二歳年上で人より身長が高くていつも見下ろしてくる。目つきが鋭く悪役顔、いやあれは詐欺師顔だ。いつもは人を揶揄いニヤニヤしているが真剣な顔は格好良くて見惚れてしまう。器用になんでもそつなくこなすが、裏では努力を惜しまない。それでいて人をよく見ているから困った人にすぐ気が付き、いとも簡単に手を差し伸べる。そんな姿が大好きだった。でも、もう彼はいない。
零れ落ちそうになる涙を堪えるように上を向く。今日は満月。いつもと変わらず輝いている。結婚したくない、あの人以外とは結婚したくない。でも、私は国を導かなければならない子を産まなければならない。だから、この恋心を早く忘れなければいけない。泣くなと言い聞かせながら唇を噛み締めると、あ、やべ!という声が聞こえた。慌てて振り返るとこの国では珍しいヘーゼル色の瞳とかち合った。
その侵入者は踵を返すと走り出した。脚が長いせいか少し走っただけで数メートル先を行っている。こうしちゃおれない。私はヒールを脱ぎ捨ててドレスの裾を抱え込むと逃げた相手を追いかけた。王女だからといって舐めてもらっちゃ困る。こちとら、何かあった時に逃げられるために足腰鍛えさせられているんだ。走るのは得意だ。
侵入者も追いかけてくるなんて思ってもみなかったのだろう。鬼の形相で追いかけてくるアナスタシアに驚いている。侵入者はスピードを上げるがアナスタシアも負けちゃいない。必死に喰らいつく。喰らいつくが、やはり男と女、身長も違えば体力も違う次第に距離は開いていき、足が上手く動かなくなり、転んだ。なんとか受け身は取れたが勢い余って転がった。
「アナスタシアっ!」
侵入者が切羽詰まった様子で近づいてくるのが足音で分かった。近づいてくるごとにアンバーの香りが強くなる。自分の目の前で膝をつくのが見えたので逃すまいと首に腕を回して抱きついた。
「捕まえたわ、侵入者っ!」
アナスタシアを受け止め切れなかったのか相手は尻もちをついたがしっかりとアナスタシアの腰に腕を回していた。
「次期女王が体を張るな。」
呆れた声が頭上から落ちてくる。まるでアナスタシアの体温でも確かめるように強く抱きしめられる。
「あなたが逃げるからいけないんだわ。」
首筋から大好きなアンバーの香りが鼻腔いっぱいに広がる。この香りがすると体の力が抜けるけど今、力を緩めてしまうときっとまた消えてしまうから逃さないように強く強く抱きしめる。
「それはお前が追いかけてきたからだろ。」
「だって、今ここであなたを逃したら消えてしまうじゃない。」
だから追いかけた。だから捕まえた。もう離したくはないから。例え幽霊であっても。
「消える?戻ってきたばっかなのに?」
「地獄から?」
「はぁ?」
なんだか噛み合わない会話に顔を上げると侵入者は眉を寄せた。
「なんで地獄から戻ってくるんだよ。俺が戻ってきたのはグンリニグル帝国から。」
驚きで言葉を失う。グンリニグル帝国から?なんで、だってあなたは。
「ラインハルトは死んだってファッテライト侯爵が仰っていたわっ!」
「はあぁ?」
ラインハルトの声に肩が跳ねてしまう。今にも舌打ちが聞こえてきそうな顔をして、やっぱり舌打ちをした。
「親父め、すぐに帰ってこなかったからってアナスタシアに嘘を吐いて。というか、お前も信じるな!葬儀とかしてなかっただろっ!」
確かに。三男と言えど侯爵家の人間。しかも、アナスタシアの幼馴染だ。葬儀に列席しないはずはない。
「お前、頭良いのに本当に抜けてるよな。」
まるで揶揄うように頭を撫でながら言われた言葉にじわりと涙が溢れ出した。
「当たり前でしょ!あなたの事になると冷静ではいられなくなるの!周りが見えなくなるの!」
溢れ出る涙は止まらず頬を伝い、複数の痕を残す。大好きな大好きなラインハルト、あなたがいなくなってから王女だからと、次期女王だからと悲しみを押し殺して公務に当たっていた。仕事に没頭していたら。それに、好きでもないお花畑にも愛想を振りまいた。あなたを忘れるために、あなたを思い出さないために。
「ごめん。ごめん、アナスタシア。」
ラインハルトは強く、強く抱きしめてくれた。違う、ラインハルトが悪いんじゃない。調べればすぐに分かった事だったのに、怖くて調べられなかった私が悪い。こんなんじゃ、次期女王失格だ。いつでも冷静にならなけなればいけないのに。
「本当は、親父に言われる前に帰るつもりだったんだ。けど、冷害対策でグンリニグル帝国を駆けずり回っていたらすっかり遅くなっちまった。」
アナスタシアを落ち着かせるように優しく背中を撫でてくれる。この固くてごつごつした手も好きだ。ラインハルトの首筋から顔を離して伺い見る。
「小麦を融通するように奔走していたのはあなただったの?」
そうだ、と言うように肩を竦めて口角を上げた。
「だって、アナスタシアに求婚するのに何の実績もないんじゃ格好がつかない。」
そういうとアナスタシアを抱きしめたまま立ち上がるとゆっくりと立たせてくれた。そしてアナスタシアの目の前で膝を付き、手を取ると熱い視線を向けてくる。
「好きだよ、アナスタシア。幼い頃からずっとお前だけを愛している。だから、俺と結婚してくれ。」
まさかのプロポーズ。アナスタシアは転んだせいで綺麗に結われていた髪はボロボロで顔は涙と土汚れでぐちゃぐちゃ、最悪なプロポーズだ。
「ラインハルト、選ぶのは私であってあなたではないのよ。」
ふんっ、と鼻を鳴らしてそっぽを向くと、喉を鳴らすように笑うラインハルト。
「知ってるよ、それでもプロポーズはしたかったんだ。」
「まるで、自分が選ばれるみたいな言い方ね。」
傲慢も傲慢。なんで自分が選ばれるとこうも自信満々に言ってのけるラインハルトに腹が立つ。私にはたくさんの求婚者がいるのよ。次期女王だからね。
「俺以外を選ぶつもり?」
ちらりと視線を向けると眉を下げて、悲しそうな顔に地団駄を踏みたくなる。だから、ラインハルトに顔を向けて睨みつける。
「まさかっ!」
そう言ってラインハルトに飛びついた。またしてもアナスタシアを受け止める事が出来ずに尻もちをついたが、二人はおかしそうに笑い合った。
そうして二人の再会からあれよあれよと話は進み、あれよあれよと結婚式の当日を迎えた。国民の前で手を振る次期女王と王配は太陽の下で輝かしい笑顔を浮かべ、時折、見つめ合い、幸せそうにキスをした。
父親である国王陛下は呟いた。娘可愛さに婿を選ばせた親バカを発揮して良かったと。




