第2話 イベントのない村
カブトムシ(仮)のサユリの正式名称はアルビオンオオカブトと言うらしい。オオカブトと言う事は晴れてカブトムシ(真)である事が証明されたわけだ。前冠のアルビオンは私が住んでいる国名で、サユリはつまりアルビオン国のおっきいカブトムシと言う事になる。実にシンプルで覚えやすいね。
私にこのアルビオンと言う国に覚えがあれば良かったんだけど、現実はそううまく行かないわけで。何せ乙女ゲーの種類は相当あるし、小説内で出てくる架空の乙女ゲーも合わせればまさに膨大だ。その全部を網羅する何て人は流石にいないのではないだろうか? それともいるのかしら? 乙女ゲー博士なる者が。
仮に存在したとしても会う事が出来なければ無意味だけれど。ひょっとしたら私の知識にないだけで、私が主人公の場合だって無きにしも非ず。その場合、何の能力も持たない平民の娘をどうドラマティックに演出するんだって話になるけども。
「もしも私が主人公の物語であったのなら、実はサユリは聖獣だったりするのかな? あ、でも虫だから聖獣じゃなくて聖虫になるのかしら?」
そんなしょーもない事を考えるくらいには今の私にこれといった進展はなかった。体も元気になり、外に出られるようになってから自分なりに色々調べまわってみたが、私が住んでいるローザリア領ノートン村は呆れるくらい平和だ。
ローザリア領はアルビオン国の北に位置しており、その半分くらいが森という自然豊かな土地となっている。私達が住むノートン村は森の境目に位置しており、狩人である父の仕事場は村の北口から出ればすぐとなっている。この近さゆえに父は日帰りで帰る事が出来るし、肉も新鮮な状態で市場に届ける事が出来るわけで、私達家族にとって森が近いのはありがたい事だったりする。
これだけ見ればただの田舎というイメージが湧くと思うが、このノートン村、一味違うんだよね。
何せ南側を見ればどこまでも深緑とは一転して、整備された美しい農地が広がっており、ローザリア領の領都へと通じる街道も完備されている。そんな領都へは乗合馬車に乗れば3時間程度だ。なんとも絶妙な距離感だと思う。
この近さのため、やろうと思えば日帰りで領都に行って、買い物だって出来る。逆に領都からノートン村の物を買いに来る人達だっているのだ。母の小物のファンがいるらしくて、週一に買いに来る商人がいるほど。
治安についてもこれといった危険を感じる事もない。何か問題があっても村を守る兵士は常駐しているし、そんな彼らも気の良いお兄ちさんばかりで厭味ったらしくない。盗賊や猛獣の心配がないというのはどれ程安心か。
我らがノートン村は田舎は田舎でも、安全で利便性がある優れた田舎なのだ。
結論を言えばだ。
「かんっぺきに当たりだわ」
アルビオン国がどの原作かの知識はないけれど、皆の暮らしを見ているにこの国の王族と貴族の方々は善政をしいているのは間違いない。
「と言い切っちゃうのは流石にかな? でも実際に過ごしてみて快適なのよね」
色々覚悟していた身としては至れり尽くせりだ。何気に学校あるってのも凄いと思う。都会であろう領都なら分かるんだけど、地方にも教育が行き届いているなんて凄まじいの一言。整いすぎていてちょっと怖ろしいくらい。
「この機会を逃す手はないわよね」
大人になってから勉強のありがたみを知るとはよく言うが、私もその例に漏れない。両親が生きていたころは一生懸命勉強していたが、死別してからは無気力になってしまった。目標そのものを失った当時の私としてはどうにもならなかったと思うが、それでもあの時もっと勉強しておけば思う事は度々あった。
今学校で学んでいる事は私の前世で言う小学生低学年レベルであるが、当たり前の事だけど言葉は日本語とはまるで違うし、歴史も別の世界だから全然違う。だから退屈という事はない。
さらに言えばまさかの選択科目なるものもあり、日本の小学生は習わないであろう農業、薬草学、武術、狩猟、裁縫、染物など、平民が将来手に職をつけるためのサポートも充実している。なお流石にこれらの専門職のために先生を別個で用意していると大変な事になるので、教師役となるのは実際に村で仕事を行っている人達だ。要は職業体験のシステムである。
「ほんと関心しかしないわ」
数ある選択肢の中、私が選んだのは料理科と経営学である。この時点でお察しかと思うが私の目標はレストラン経営だ。
なおこれは私がキャロラインになる前、元のキャロラインが決めていたものだ。我が家は父が狩人で獲物を取って肉を卸し、母が皮などその獲物の余った部分から加工品を作る事で生計を立てているわけだが、キャロラインは母マリナが色んな部位から付加価値を生み出しているのを見て、肉だってそうやって付加価値を出せばもっと高く買ってもらえるのではと思いついたらしい。
肉にどうやって付加価値を付けるのか、そのもっとも単純な方法が料理だ。そして料理を提供する上で必要なのはレストランというわけ。この若さで家族の役に立ちたいという思いは大変素晴らしいもので、私の実年齢よりも遥かに年下のキャロラインが、そこまで考えていたのには尊敬しかない。
キャロラインも私と同じく両親が大好きなのだ。その事が妙に嬉しく、私は自然と顔がほころんだ。キャロラインと同じ答えになっていたかは分からないけど、私も両親の役に立とうと考えていたには違いないから。
とにかく元のキャロラインが決めた道に関して、私に異存はない。あるわけながない。キャロラインが好きなものは私だって好きだ。キャロラインはもう一人の私なのだから。前世では未婚で自炊をしていた身、一人暮らしゆえの手抜き簡単料理(でも味はそこそこ)ではあったが、経験値ゼロではない。レストラン経営望むところである。
そのためにも一日一日大切に頑張らなきゃね!
この世界が何の世界であるかはもちろん気になるがそれはそれ、今分からない事を理解しようとしたってしょうがない。出来る事から始める。そこに間違いはないはずだ。そんな私は現在格闘中である肉鍋の味見をする。
「……味うっすい!!」
しかし現実は厳しかった。日本の調味料の偉大よ。前世のそこそこの味は自分の力ではない事が早々に露呈してしまった。うちの母と言い料理の先生をしてくれているクレアさんと言い、簡単調味料のない世界で美味しく作れるのは凄いとしか言いようがない。
「キャロちゃん、ドンマイ」
同じ料理科のシンディが慰めてくれたが、そんな彼女も微妙そうな顔をしていた。
「シンディも失敗?」
「私のは逆にしょっぱくて……」
お互いにため息をつく。二人とも教えてもらったレシピ通りに作っているはずなのにこの違い。味を調える万能調味料が恋しい。有名レストランへの道のりは長そうである。
その後クレアさんに味の調整をしてもらい、食べる事が出来る味になった鍋をそれぞれ家へと持ち帰る事となった。母には事前に知らせておいたから、今日の夕食はこの鍋となる。これで私が一から十まで作りましたと言えたら自慢になるんだけどなぁ。
きっと父はやたらめったら褒めてくれるだろうが、私個人としては微妙である。早く上達しなければ。
「また明日ねキャロちゃん」
「うん! シンディもまた明日」
シンディと別れた私は鍋を大切に抱えて家に向けて歩く。今のアルビオン国は季節で言うと夏であり、日中はかなり暑かったが、夕暮れ時になるとそれも収まり、頬に触れる風が心地よかった。
料理の結果は微妙であったが、気分が晴れやかなのは空気が美味しいせいだろうか? 前世の世界で都会に疲れたら田舎の自然でリフレッシュとか言われていたが、実際リアルに経験してみると確かに悪くない。なんか生きてるなぁって実感を持てるのは久しく忘れていた感覚であった。
私の家は父の仕事の関係上、少しでも森に近い位置という事で、ノートン村の北口の近くにある。もうそろそろ家に到着するかと言うところで、北口の方から歩いてくる妹のマリーの姿が見えた。あっちも私を見つけたらしく、ウッキウキな様子で駆け寄ってくる。
「お姉ちゃん! 見て見て!!」
そう言って妹が掲げたのはやはり虫であった。
「アルビオンオオカブトのメス見つけたよ!」
「ええっ!?」
何という事か、真のサユリが来てしまった!!
「この子、サユリのお嫁さんになってくれるかなぁ?」
「えっ? マリー、あなたブリーディングする気?」
「ブリーディング?」
「あ、ごめん。何て言えばいいかな……要するに交配、じゃ難しいし……えっと虫同士の結婚をさせたいの?」
自分でも変な事言ってるなぁって思うけど、そう説明するしかないじゃないか!
「うん、サユリが気に入ってくれたらだけど」
「そ、そう」
自分はあまり虫に興味がなかったからはっきりと思い出せないけど、それでも確かカブトムシやクワガタのような人気の虫を、人口で交配して繁殖させるのは難しいってのは聞いた事がある。少なくともただ飼っていればいいものじゃない。環境づくりが重要なんだっけ?
だからって期待に胸を膨らませるマリーにやめればと言うのは如何なものか。でも失敗に終わってマリーを悲しませたくもないし、私にとってもサユリは退屈を紛らわせてくれたちょっとした恩人だ。人間の都合で自由を束縛した責任は取るべきか?
素人の私には出来る出来ないの判断が出来ない。でもやれるのであればやってみたい気持ちは私にもある。知らない間にサユリに対して結構愛着がわいてしまっていたらしい。
だったらやる事は一つである。
「明日、学校の図書館で育て方ちゃんと調べてみようか」
調べる事だ。前世風に言うとググる。と言ってもインターネットのないこの世界でググる事は出来ないわけだけど、その代わり図書館がある。そもそもサユリがアルビオンオオカブトである事を調べられたのはこの図書館のおかげだ。昆虫図鑑なるものがあったのだからきっと飼育方法もあるのでは? というのが私の考えだ。
「うん!」
マリーが満面の笑みで頷く。我が妹ながら実に可愛い。
なお妹は選択科目では薬草学を選んでいる。選んだ理由はもちろん沢山の虫と触れ合えるから。薬草が生えているのはやはり森の中が多く、将来に役立つ授業を受けるついでに趣味の虫も捕る一石二鳥の選択だ。
「ところで薬草学の方は真面目にやってるの?」
「もちろん! 今日は冷やす作用がある草と、炎症を抑える草を採ったの。この二つを合わせれば火傷に効くんだって」
現代日本で言うとアロエとドクダミかな? 確か効果がそんなんだった気がする。アロエジェルは日焼けしすぎで痛かった時に使った事あるなぁ。すぅっとして気持ち良かったはず。とにかくだ。我が妹はきちんと薬草の勉強もしているようである。
「ところでお姉ちゃん、この子の名前は何にしよう?」
「はえっ?」
妹の期待の視線が突き刺さる。何か知らないけどサユリの名は、最初こそ不思議がられたけど、何だかんだマリーは結構気に入ってくれたようで。
え? どうする? 二匹目なんて想定外だったし。ここで女性っぽい名前をまた付けたら芸がないって思われるかな? だからと言って男っぽい名前付けるのは安直過ぎる? 最初が何も考えず直観でつけてしまったので、いざ真面目に考えるとかえって思い浮かばない。
そもそもの話、私は名前を決めるのが苦手なのだ。ゲームの主人公に自分の名はいれたくない派だし、だからといってカッコいい名前や可愛らしい名前はなんか恥ずかしい。めっちゃ悩むから主人公にはデフォルト名があって欲しい派の私、そんな名前難民の私がよく利用していた名前があったはず。確か私が困った時つけていた名前は……
「エーコ……」
「エーコ?」
「あ、いや」
思わず呟いてしまったその名前、エーコを意味のある文字に直すとA子。
いくらなんでも適当過ぎないっていうあなた、名前センスがない私の苦労を知れ! せめて前世の私の本名、藤沢千咲の千咲から取ってC子じゃねっていうあなた、それはそうかも!
「うん、いいんじゃないかな! エーコ、私気に入ったよ!!」
そして見事採用されてしまいました!
こうして我が家に新たな一匹が加わる事になるのであった。
ところでマリーってカブトムシの幼虫は大丈夫なのかしら?