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学生ほのぼの日記  作者: 大川菱
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必要とされる必要があるのか

駄文です。

 私は現在就活中の大学院生であるのだが、将来像が全くもって見えていない。所謂どこにでも将来に不安を抱える学生である。成し遂げなくてはならないことはあるけれど、それはやりたいことなのかと言われればそうではない。こんな状態なので、企業にエントリーするやる気が起きないし、エントリーしたとしても選考をさぼってしまったりする。

 そんな最中、星野源さんとオードリー若林さんが出演するlight houseという番組を見た。彼らは自らが好きなことを行い他者に見てもらうことで自身の居場所を見つけているようだった。若林さんは、自身の笑いが必要とされなくなれば死ぬのと一緒とまで言っていた(ような気がする)。

 「自分の居場所があるのだろうか」「誰かに必要とされているのだろうか」この番組を見た後、自分にそう問いかけざるを得なかった。また、この問いかけの中に自身の将来像が浮かび上がってくるのではないかとも感じた。

 現在の自分の居場所というと、学校だったりサークルだったりが思い浮かんだが、こんなものは一時的な箱に過ぎず、数年後に霧散してしまうものなので一生を生き抜いていくにはもっと根幹的な居場所が必要な気がする。星野源さんであれば演技、音楽、若林さんであればお笑いのようなもの。私は小説、アニメ、漫画、音楽もどれも好きで割と守備範囲は広い方ではあるが、それぞれ分野において誰かから必要とされるような確固たる居場所にはなりえないと思われる。私の居場所はどこにあるのだろうか。

 ところで、家族というのは、居場所になりえると思う。なりえるというより、確固たる居場所であるはずであるし、そうでなくてはならないと思っている。ただし、「一生を生き抜く居場所作りのための家族」と考えてしまうとなんとも虚しい気がする。上手く説明できなくて申し訳ないが、家族の存在意義を何か他の物ごとに求めたくないのである。故に私は家族以外の場所で必要とされる居場所を見つける必要がある。

 このように思い至った経緯があり、このサイトに文章を書いている。自身が書いたものを読んでもらうことで何かしらの居場所が見つかるかもしれないと思ったからだ。よって、読んでくれた方には何か感想を期待せずにはいられない。「文章が読みにくい」「まったり考えが理解できない」というような批判でも大歓迎です。(勿論、感想が無くても読んでいただけるだけでとてもありがたい)

 こんな駄文ですが、読んでくださった方本当にありがとうございます。

ありがとうございます

サンキュー

グラシアス

メルシー

ダンケ・シェーン

グラッツィエ

謝謝

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