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ハットさんの帽子

作者: 阿久根 想一

 

          1

          

 去年の春、結構勉強したつもりなのに、受けた大学全てに落ちてしまった。


「何故だ!」


「お嬢様だからさ」


 の一言で浪人生活を余儀なくされ、予備校に通いながらファミレスでバイトをしている私──犬飼さつきが、モップ掛けをしていると、


「さつきちゃん、おはよう」


 と、先輩のエリーさんこと、楠田枝理子さんに挨拶された。長身に、黄色いミニスカートとヒマワリがプリントされたTシャツが、良く似合っている。


「おはようございます。エリーさん」


 と、モップ掛けをしていると、


「みんな~、朝礼よぉ~。フロアーに集合してぇ~」


 店長の野太い声がフロアーに響き、私達はそれぞれの仕事を中断して、フロアーへと向かった。


          2


 私が働いているこのファミレスは、小さくてメニューもありきたりだが、近くに住宅街とオフィス街があることもあって、集客力はそこそこあるようだ。毎日のように通ってくれる常連さんもいる。開店後しばらくすると、客席は埋まり始めた。


「そろそろね」


 店長がそう言って、時計を見上げてからしばらくして、その人がやって来た。帽子を真深に被り、表情は見えない。いつも同じ歩幅で歩き、同じテーブルに座る。メニューを聞きに行っても、必要最小限の言葉しか口にしない。しかし、どことなく親しみのある雰囲気があり、常に帽子を被っていることから、いつしか帽子──某氏をもじったハットさんと呼ばれるようになった。


          3


 ハットさんのテーブルに、注文を取りに行った娘が戻ってくると、一言、


「いつものやつ」


 そうなのだ。ハットさんはいつも同じ料理──ハンバーグしか注文しない。それは私も含めた店の人間なら、皆知っていることだ。


「付け合わせのポテトと人参とブロッコリー、少し多めにね」


 店長に言われた通りの材料を運んでいくと、ハットさんはいつものように、ナイフとフォークをきちんと使って食べ終えると、コップの水を飲み干して、支払いを済ませて店を出ていった。


「いつもと同じですね、ハットさん」


「私達がお客さんのことをあれこれ詮索するのはいけないことだけど、何故かあの人、気になるのよね」


 と、エリーさん。


「どこで何をしている、どんな人なのか──。本人に直接訊く事は出来ないけど、何故か私、ハットさんの事が気になるの。本当はいけない事だけどね。さつきちゃんは、どう思う?」


「私は──、よくわかりません──。ごめんなさい」


 謝ることないのよ。私の方こそ、おかしな事を訊いてごめんね──。あっ、それから、現在話した事内緒にしていてね」


「はい」


 私には、エリーさんの言ったことは、よくわからなかったけど、エリーさんの気になるハットさんと言う人に、私も興味を持った。エリーさんが気になる人って、どんな人なんだろう──。私も、ハットさんがどんな人なのか知ってみたいと、その時思った。そして、帽子の下のハットさんの素顔を見てみたい──。そんな事を思ったりもした。こんな事、店長に知られたら怒られちゃうだろうなぁ。そう考えた時、何人かの人が、店に入ってきた。


 ハットさんが支払いを済ませて店を出て行った後、誰とはなしに、ハットさんの話になった。


「ねえ、ハットさんの帽子の下の素顔って、どんな顔かしら」


「いつも帽子を被っているからわからないものね」


「案外イケメンだったりして──」


「一度見てみたいな」


「だめよぉ」


「お客様のことをあれこれ詮索するようなことを言っちゃ」


「ハットさんがどんな素顔でも、毎日のように通ってくれる大切なお客さんじゃない。私なんか、ハットさんのあの姿を見ると、はっとしちゃうのよ」


 店内の温度が、10度以上下がったように感じたのは、私だけではないはずだ──。


「とにかく」


 と、店長は胸の前で手を合わせると、


「こう暑くなってくると、冷たいドリンクやパフェ、フラッペなどがよく出るから、準備の方はよろしくね」


 そう言い残して、事務所室に引っ込んでしまった店長の後姿を見送りながら、


「確かに店長の言う通り、冷たい物がよく出るからね。こちらも頑張らないと」


 と、銀のお盆を持ち、いつも通りの笑顔のエリーさん。


「そろそろ昼時だから、これから忙しくなるわよ。さつきちゃんも頑張ってね」


「はい!」


 私まで、なんとなく嬉しくなって、返事をしてしまった。エリーさんと較べれば、私は背も低いし、口下手だし、不器用だけど、精一杯頑張ろう。そう自分に言い聞かせて、私はモップを取り出してくると、モップ掛けを始めた。そうだ──、洗い物もしておかないと。エリーさんの笑顔につられるように、私の身体はリズミカルに動いた。


          4


 洗い物を済ませて一息ついていると、


「さつきちゃん。お昼は何にする?」


 エリーさんに声を掛けられた。この店では、従業員は割安で店のメニューを食べる事が出来る。


「そうですねぇ。お給料も出たばかりですし、ここは奮発してロイヤルプレートでも……」


「じゃ、私もそれにする」


 ロイヤルプレートは一つのプレートに、ハンバーグとエビフライと付け合わせの野菜が乗っている一品だ。値段も高く、私のお給料ではなかなか食べることは出来ない。


 エリーさんと二人、テーブルで向かい合ってロイヤルプレートを囲んでいると、いつの間に来たのか、店長が、


「しっ!ハットさんよ」


 見ると、いつものように帽子を深く被ったハットさんが、いつものテーブルに腰を下ろすところだった。オーダーを取りに行った娘が戻って来て一言。


「ロイヤルプレート」


(私たちと同じじゃない!)


 あのハットさんが、私たちと同じ料理を注文するなんて──。なんか意外な気がした。それはエリーさんも同じらしく、知らん顔をしながらも、ちらちらとハットさんに、視線を送っている。やがて注文の品が運ばれてきた。


 ハットさんは当然のことながら、私たちに関心を示す気配も見せず、いつものようにナイフとフォークできれいに食べ終えると、支払いを済ませ、無言で店を出ていった。


「さつきちゃん」


 エリーさんがさりげないふりを装って、視線を送って寄こす。私はどこか集中できないままロイヤルプレートを食べ終えると、


「ごちそうさまでした」


 と、頭を下げると、いつものようにモップを片手に、フロアーのモップ掛けに取り掛かった。


          5


 昼時が過ぎ、お客さんの流れが一段落した頃、その人はやって来た。


「背が高~い」


「スタイルがいーい」


「モデルじゃないかしら」


 小豆色のコートを身にまとい、ハットさんと同じく一人でやって来たその人は、濃いサングラスのため表情はよくわからなかったが、エリーさんに負けないくらいの長身だった。それにモデルじゃないかと思えるくらい、スタイルがいい。


「ベジ子さんよ」


 と、店長。


「都内の有名女子大を卒業して、有名企業に勤めているんだけど、肉類は一切召し上がらない菜食主義者なの。才色兼備の菜食主義者ってところかしら」


 やはりその時も、店内の温度は確実に10度以上下がった。


 彼女──ベジ子さんが注文したサラダと温野菜の料理を運んで行って、しばらくすると、


「あっ、ハットさんだ」


 いつもの様に無言で店に入って来たハットさんが、いつものテーブルに腰を下ろすところだった。


 これまたいつもの様に、ハンバーグを口に運んでいたハットさんが、ひょいと顔を上げた。その拍子に、やはり隣のテーブルで顔を上げたベジ子さんと、視線が合った。


「──!」


 その瞬間、二人の間に不可視の火花が散ったのを見たのは、私だけではあるまい。私もエリーさんも、そして店長も、その場で立ちすくんだまま動きがとれずにいた──。


 やがて食事を済ませた二人は、それぞれ支度を済ませると、来た時と同じように無言で店を出ていった。


「あの二人、何かあるわね……」


 二人の後姿を見送りながら、店長が呟いた。私とエリーさんも顔を見合わせながら、同じことを考えていた。


「さつきちゃん」


「エリーさん」


「これからどうなるんでしょう」


「私にもわからない。でも、私たちは相手が誰であろうと、一生懸命やるだけよ。私たちの仕事は、料理だけじゃなくて、心も提供することだって以前言ったでしょ」


「そ、そうですね」


 エリーさんの言う通りだ──。


「はい。私頑張ります」


「そうね、頑張りましょ」


「笑顔も私たちの仕事のうちですものね」


 私は、エリーさんの顔を見上げながら答えた。


「それじゃ、私もモップ掛け終わらせてきます」


 そう言って私は、モップ片手にフロアに足を向けた。


「エリーさん」


 エリーさんと並んで洗い物をしながら、私はエリーさんに尋ねた。


「エリーさん。元々は看護師志望だったんでしょう?」


「ああ、それ昔の事よ」


「身体だけではなく、心の中まで入っていける看護師になりたかったけど……。色々あって現在はここで働いているわ。でも後悔はしていない。自分で選んだ道だもの」


「エリーさんらしいですね」


 そんな事を話しながら、洗い物を続けていると、いつの間に来たのか店長が、


「ちょっと二人とも。ベジ子さんよ」


 見るとちょうど店に入ってきたベジ子さんが、いつものテーブルに腰を下ろしたところだった。オーダーを取りに行った娘が戻ってきて一言。


「ナス三昧」


 と、告げた。


 やがて、ナスのソテーとフライと天ぷらが盛り合された『ナス三昧』が運ばれていくと、ベジ子さんはいつものように無言で料理を口に運び始めた。それを見ていた店長が、


「ナース志望の人は、ナス料理を注文するのね」


「ね、さつきちゃん。何だか寒くない?」


「はい、肩のあたりがなんかこう──」


 そうして二人で肩を抱えていると、店長が、


「才色兼備の菜食主義者。ナース志望だった人がナス料理」


 と、言わなくてもいい事を繰り返した。さらに、店に入って来た親子連れが、パフェとフラッペを注文した。


「さつきちゃん」


「エリーさん」


「もうこれ以上、何も言わない方が良さそうね」


「そうですね」


「これ以上何か喋ると、何かとんでもない事が起こりそう……」


「私もそう思います」


「今日一日無事に過ごすためにも……」


「ここは黙って仕事を続けましょう」


「そうですね」


「ねえ、さつきちゃん。私たち何も悪いことしていないよね」


「ええ、でも……、悪い予感がするのは、何故でしょう」


 そして、二人黙って洗い物を続けたのだった。


          6


 嫌な予感というのは当たるものだ。


 その日、食事を終えた女性客が、


「ねえ──」


 と、私の制服の袖を引っ張るので、


「何でしょう?」


 と、尋ねたところ、


「トイレの中にね。いるのよ。白いひらひらした布のようなものが……」


「えっ?」


「トイレに入ったらね、白い布切れの様な物が、ひらひらと空中を漂っていたの」


「えっ、それってまさか……」


 と、店長。


「五年程前にも見たのよね。トイレに白いひらひらした布切れの様な物が。お客様が怖がっちゃって、一時はずいぶん客足が落ちちゃったものなの。最近は出ないようだから、安心していたんだけど……。また出たとなると……」


 そこで店長、私とエリーさんに目配せした。(あなたたち見に行ってきて)の合図である。私とエリーさん、仕方なしに恐る恐る足を運びトイレの前へ」


「さつきちゃん、どうぞ」


「エリーさんこそ、どうぞ」


 しばらく押し問答の後、エリーさんがためらいながらドアを開けた。すると、細く開けられたドアの隙間から、白い布切れの様なものが飛び出してきて、二人の顔をかすめて奥のロッカー室の方へ飛んで行った。


「キャーッ」


「出たーっ」


 二人とも悲鳴を上げて、その場にへたり込んでしまった。腰が抜けたと言った方が正しいのかもしれない。


「さ、さ、さつきちゃん~。実はね、私こういうのダメなの。お化けとか幽霊とか。子供の頃は、夜一人でトイレに行けなかったくらいなの」


「エリーさん~」


 私もエリーさんと同じく、腰を抜かしその場にへたり込んだまま、エリーさんにペタリとくっついていた。


「お化けとか幽霊とかって、本当にいるんでしょうか?」


「さぁ、私たちの眼と頭がおかしくなったんじゃなければ、いるんじゃない?二人とも今、この眼で見たんだもの」


「エリーさん……」


「さつきちゃん……」


 知らない人が見たら、眼を丸くするだろう。



「今の何かの間違いですよね。眼の錯覚ですよね……」


「私もそう思いたいけど……」


 現実はそう甘くはなかった。


 二人は何を見たのだろうか──。


          7


「さつきちゃん」


「誰も居ないトイレの鏡で、自分の顔を見たことがある?」


「するとどうなるんです?」


「まるで自分の顔じゃないみたいなの。それでね、その自分の顔の後ろに、モヤモヤとした白い物が……」


「エリーさん! 止めてください!」


 いくら恐いものが苦手といっても、見てしまったものは仕方がない。トイレで幽霊に出くわしてしまってからというものの、私たちは一人でトイレに入ることが出来なかった。


 でも、仕事は休むわけにはいかない。


 その日も、トイレのドアを気にしながら、働いていると、


「キャー!!」


 悲鳴とともに、太った女性客が、トイレから飛び出してきて、その後からあの白い布切れを飛び出してきた。


「わっ!」


「何だ!?あれは……」


「逃げろ~」


 フロアは大騒ぎだ。


「エリーさん」


「さつきちゃん」


 顔を見合わす二人。


「フロアーには、お食事を愉しんでいるお客様が、大勢いらっしゃいます。そのお客様に、迷惑をかけるなんで──」


「私、堪忍袋の緒が切れました!」


 迫力のソプラノが出た。


 出口に向かって飛んでいく布切れに、手にしたモップを投げつける。モップは布切れの両脚の間に挟まったらしく、布切れの下から銀縁メガネを掛けた小太りの男がよろけ出てきた。


「逃がすものですか!」


 エリーさんが手にしたトレーで、男の頭を思い切り引っぱたいた。


「とどめよ!」


 そう叫んだ店長が、カウンターの上から男目掛けて飛び下りる。男は、店長の巨体の下敷きになり、コンクリートブロックの下敷きになったヒキガエルのような声を出して動かなくなった。


「私とエリーちゃん、それにさつきちゃんの見事な連携プレーよ。どう? 思い知った?」


 得意気にポンポンと手を叩く店長の横で、エリーさんが、


「というより、サルカニ合戦の猿と臼ね」


 と、呟いた。


          8


 男がパトカーに乗せられていくのを見ていると、肩を叩かれた。振り返ると、肩で息はしているものの、いつもの笑顔に戻ったエリーさんが立っていた。


「さつきちゃん、以前私があなたに言った言葉覚えている?」


「えーと、何でしたっけ?」


「『私があなたを好きなのは、毎日小さな努力を積み重ねていけるから』そう言ったのよ」


「そうでしたっけ……」


「その言葉の通り、あなたは変わっていないわ。そして──、できるなら──、これからも変わらないでいて欲しい」


「約束はできませんが、頑張ります」


 そう言った時、ドアが開いての人物が入って来た。


「ハットさんとベジ子さんよ」


 いつものように帽子とサングラスで顔を隠した、ハットさんとベジ子さんが、いつもと同じ足取りで店に入って来た。二人が何と同じハンバーグと野菜料理を注文すると、同じテーブルに腰を下ろして食べ始めた。


 今まで顔を合わせても、決して言葉を交わさなかった二人が、仲睦まじげに食事をする様子を、私たちは何か信じられないような物を見る眼つきで眺めていた。


          9


 数日後、


 いつものようにモップ片手にフロアーにいる私は、


「エリーさん」


 今日は私の方から尋ねてみた。


「何?」


「あの時、エリーさんが私に言った言葉ですよ。私のこと、毎日小さな努力を積み重ねていくことができるから好き──。そういってくれたじゃないですか」


「ええ、よく覚えているわね」


「私、その言葉が忘れられなくて、あれから何度も心の中で繰り返したんです。」


「さつきちゃんにそう言ってもらえると、何か嬉しいな」


「小さな努力でも積み重ねるってことは本当に大切だと思います。ありがとうございました」


「そう、これからも頑張りましょう」


「ええ、小さな努力、これからも積み重ねていけるように頑張ります」


 と、いつの間にか側に来ていた店長が、


「さつきちゃん、そのセリフ、さっきも言ったわよ」


「さつきちゃん!」


「エリーさん!」


二人同時に肩を抱え込んで、


「寒──!!」


「誰かエアコンのスイッチ切って!」


 誰かがそう叫び、私とエリーさんは顔を見合わせて、


 もう一度、


「寒っ―!!」


と、叫んだのだった。

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