《余話》とある宇宙採掘夫
今回もリハビリがてらの余話です。
本編はもう少々お待ちを。
SIDE:宇宙採掘夫 ネッド
マイネティンと名付けられたB型恒星は、無数の小惑星を従えている。
そのひとつに小さな宇宙機が取り付いていた。
全長4メートル程の直立したドラム缶のような船体に簡易な推進機と作業用アームユニットで構成されるバックパックを背負わせた、採掘用の小型宇宙機だ。
ディグダッグと呼ばれる小さな宇宙機はバックパックから伸びる二本の作業アームを用いて採掘作業を行っている。
左右の作業アームは双方とも三本指を備えているが、その右側アームには手首部分に採掘用レーザー発振機が装備されていた。
低出力の採掘用レーザーが小惑星の表面を焼き切り、剥離した構造物を左のアームが掴まえては背負ったコンテナに放り込んでいる。
宇宙の採掘現場でよく見られる、ありふれた作業風景だ。
「ふぁー……」
採掘用宇宙機の操縦席では、小太りの若者が眠たそうに欠伸をしていた。
地球基準時で宇宙採掘夫暦一年の新人、ネッドである。
ハイスクール卒業後、働きもせず実家でゴロゴロ食っちゃ寝していた所、業を煮やした家族によって強制的にハイヤムマイナーズの採掘夫募集に放り込まれたという何ともパッとしない経歴の青年であった。
「ねっむぅ……」
宇宙生活者とは全く無縁の出自でありながら、ネッドは意外なほど宇宙採掘夫生活に馴染んでいた。
最初の頃は、ちゃちな作りのコクピットの気密が破れたらなどと戦々恐々としていたのに、今ではすっかり慣れきって支給品の軽宇宙服も雑に着崩している有様だ。
眠たげにしているのは昨晩遅くまで推しの星間配信者の配信を見入っていた為で、今現在もコクピットに持ち込んだ携帯汎用端末から件の星間配信者の歌声が流れていた。
順応性が高いというより、図太い神経の男であった。
眠気を誤魔化すためBGMに合わせて野太い声で一人リサイタルを行いつつ、掘り出した岩石片をコンテナに詰め込んでいく。
やがてコンテナが一杯になった事を告げる電子音がコンソールから響いた。
「ん、今日はここまでかな」
ネッドは作業アームを操ってコンテナの蓋を閉じると、操縦桿を倒した。
ドラム缶そのものの不細工な宇宙機を旋回させ、周囲に浮かばせていた満杯のコンテナ四個を作業アームで回収する。
付属のワイヤーで数珠つなぎに接続すれば、採掘用宇宙機はコンテナで作られた長い尻尾を生やしたような姿となった。
本日の成果をしっかり括り付けた所で、コンソール上に帰還ルートを呼び出す。
「えーと、方位よし、距離設定よし、行程の半分で反転して逆噴射っと……」
口に出しながら、日々行う帰還のシークエンスを確認していく。
大抵の事に大雑把なネッドであるが、流石にここを疎かにすると帰還できず宇宙の藻屑になってしまう。
かなり慣れてきたとはいえ、宇宙は並の地球系人類からすれば生存を許されない過酷な環境である事は変わらない。
締めるべき所は締めておかないと死んでしまう。
「よし、セット完了、帰還開始!」
航路を入力し終えたネッドが自動操縦装置を起動させると、採掘用宇宙機はスラスターを噴かせて加速を開始する。
前方から掛かる加速のGがシートに体を押しつけ、背中側を「下」とする上下の感覚が生じた。
「基地までは90分っと……それじゃ、お休みー」
椅子に座ったまま床に寝転がるような姿勢にもすっかり慣れたネッドは、自動操縦に全てを委ねて昼寝を開始した。
90分後。
『お兄ちゃん! 朝だよ! お兄ちゃん、起きて!』
コンソールに放り出された携帯端末から、可愛らしい声が繰り返し流れる。
シートの上で目を覚ましたネッドは、ひとつ伸びをすると端末を操作して音声を止めた。
「ふあぁ……起き抜けにリサちゃんの声を聞くのはやっぱりいいな。
買って良かったぜ、目覚ましボイス」
推し星間配信者のボイスに、ネッドはニンマリと相好を崩す。
直接外部を視認できる正面の円形覗き窓には、帰還先である採掘基地が映っていた。
星間企業ハイヤムマイナーズが運営する採掘基地は、このマイネティン星系に初めて建設された人類の橋頭堡であり、今のところ唯一の居住区域だ。
全長10キロほどの楕円形小惑星の中心から塔が伸びるような歪なデザインの基地は、開業以来半世紀の間に無節操な増築を繰り返された結果であった。
ネッドは通信機のスイッチを弾き、基地の制御室へ帰還報告を開始した。
「管制室、こちら210号機のネッド、帰還しました」
「お帰り、210号。
6番ゲートが空いている、そっちから入ってくれ」
「了解」
コントロールの指示に従い、操縦桿を倒して6番ゲートへ向かう。
その動きは鈍重な機体ながら迷いのないもので、ネッドの熟練を感じさせる。
スラスターの数も少ない採掘用宇宙機の操縦はオートマチック補正が行き届いており、そう難しくはない。
未経験だったネッドも二週間の操縦研修だけで基本を習得でき、一年近く乗った今ではちょっとした自信すら生じていた。
「Dクラスとはいえ、宇宙機のライセンスを取れたのは良かったなあ。
俺、他は地上用の小型二輪しか免許持ってないし」
10メートル以下の宇宙機の操縦を許可するDクラス宇宙機免許は、宇宙機のライセンスの中では最も格下ではあるが、多くの星間国家で通用する立派な国際資格だ。
これさえあれば、どこの宇宙港でも何かしらの仕事にありつけるだろう。
ネッドが操る採掘用宇宙機が6番ゲート前で停止する。
ゲートに設置された作業アームが、ネッド機が吊り下げてきた五個のコンテナを掴んで回収した。
宇宙採掘夫が掘り出してきた岩塊は、基地に設置された精錬機に掛けられて分解され、抽出された金属ごとにカテゴライズされる。
その中に希少なレアメタルが混ざっていれば金一封も出るらしいが、ネッドはそんな幸運にあずかった経験はまだない。
それでも、日々のノルマであるコンテナ五個を一杯にしておけば、給料はちゃんと出る。
ネッドにしてみれば、それで十分だ。
コンテナを納入したネッドは、6番ゲートを潜って機体を駐機場へ向かわせた。
空いているスペースに機体を滑り込ませると、パイプ状の固定ポートに機首を接続してエンジンをカット。
くつろぎモードで緩めていた軽宇宙服の胸元を留め直して、ヘルメットを被る。
私物の携帯端末をポケットに入れると、コクピットの天井にあるハッチを開けた。
一応与圧されておりキャビンの体裁を保っていたコクピット内の空気が真空中に拡散していく。
熟練の宇宙生活者ならば、この気流の流れを利用して虚空に飛び出す所だが、ネッドはそこまで慣れていない。
エアの流出による気流が消失するのを待って、コクピットを出た。
「今日のスペースは538番か」
機体を駐めた駐機スペースの番号をしっかり確認しておく。
ネッド達、ハイヤムマイナーズの宇宙採掘夫が利用している採掘用宇宙機は社からのレンタル品だ。
本来は専用機などではないのだが、機体ごとの固有の癖を覚えるのを面倒くさがった宇宙採掘夫達は、毎度同じ機体を借りるのが通例となっていた。
ネッドの場合は210号機である。
「よし、今日はこれでお終いっと。
お疲れ、210号!」
黄色く塗装されたドラム缶のような相棒の表面をこつんと叩き、ネッドは本日の業務を終了した。
基地内のロッカールームに付属した無重力シャワーブースで汗を流したネッドは、Tシャツにハーフパンツという気楽な格好に着替えて重力区画へ向かった。
マイネティン採掘基地は小惑星を基礎に無計画な建て増しを繰り返したような構造をしており、ほとんどの区画が無重力区画だ。
食堂やスポーツジムといった重力が必須な施設を集めたエリアのみドラム状の回転区画となっており、地球系人類になじみ深い1Gの重力が提供されている。
「よっとっと……」
重力区画に到着したネッドは全身に圧し掛かる自らの重みにふらつきながら、食堂へと歩を進めた。
食堂のカウンターで配布される食事は惑星上と同じく皿に盛り付けられている。
無重力生活の中では、そんな事でもちょっとした贅沢に感じられるのだ。
重力のありがたみを享受しつつ、ネッドは夕食のトレイを受け取った。
本日のメニューはカレーライス。
スプーンとお冷やのコップも用意し、手近な空席に滑り込んだ。
「やーっと飯だぁ」
ステンレスのスプーンを握り、大盛りカレーの攻略を開始する。
カレーといってもスパイス重視のトラディショナルなスタイルではなく、大ぶりの具がゴロゴロ入った家庭料理タイプだ。
やや甘口なのは万人向けの味付けだからか。
「今日はソーセージ山盛りだな」
普段に比べると具材が少々特徴的だが、大雑把なネッドはさして気にも留めない。
太平楽な表情でソーセージカレーを頬張るネッドを他所に、周囲の席のベテラン宇宙採掘夫の中には難しい顔をしている者も居る。
ぶつ切りで大量に放り込まれたソーセージ以外はわずかな玉ねぎしか具のないカレーに、物流の滞りを感じ取ったのだ。
食料プラントを持たないマイネティン採掘基地では、生鮮野菜を含む食料品の類は外部からの補給に頼っている。
外部から物資を運んでくる輸送船は、基地で採掘、精製された金属インゴットを積み込んで中央星系へ戻っていくのが定番コースだ。
レアメタルの類を満載した輸送船は海賊からして見れば宝船そのものであるため、中央星系へのルートは経済効果よりも安全係数を取った治安の良い航路を選択し、護衛部隊も同行するのがセオリーである。
しかし、新任の基地司令コスヤン=トロコフが赴任して以来、それらの安全策は軽視されていた。
トロコフ新司令が主導する大胆なコストカットの結果、輸送船は最短ルートながらも危険な航路の選択を余儀なくされ、それでいて護衛部隊すらキャンセルされていた。
これまで問題など起こっていないのだから、余計な経費を掛ける必要などない。
安全面のコストを削減したトロコフの言い分に、古株のスタッフ達は大きな不安を感じている。
実際、予定通りの運航を断念したり、危険ルートを回避して到着が大幅に遅れている船も多く出ており、生鮮食品の不足に繋がっていた。
「あ、おかわりください!」
一方、脳天気に二杯目のカレーをかきこむネッドには、周囲の先輩達の不安そうな顔など目に入っていなかった。
古参スタッフ達が所属基地の運営状態を憂いていても、はたまた新米のように全く気にしていなくても、襲撃者には関係がない。
翌日、マイネティン採掘基地は海賊の襲撃に曝されていた。
各種センサーによる警戒網をあっさりとかいくぐって飛来した四機の戦闘機が我が物顔で飛び回る。
大口径のレーザー砲が閃くと、基地の各所で爆発が生じた。
「ひぃぃ……」
視界の狭い円形覗き窓とちゃちな補助モニターごしに基地の損害を確認したネッドは引きつった声を漏らす。
見慣れた基地の構造物が無残に破壊されていく有様に、それこそ足元が崩れるような恐怖を味わっていた。
あの光の柱のようなレーザーがこちらに向けられたら、ちゃちな採掘用宇宙機など瞬時に蒸発してしまうだろう。
「ど、どうする、どうする……!」
実に間の悪い事に、海賊の襲撃は採掘作業を終えたネッドが帰還したタイミングにかち合っていた。
仕事帰りの採掘用宇宙機は推進剤タンクがエンプティ寸前、今更どこかへ逃げるだけの余力はない。
このマイネティン星系で地球系人類が生存可能な区画は採掘基地だけだ。
星系内のどこへ逃げ出そうとも酸素の補給ができなくて、いずれ死ぬしかない。
そしてジャンプドライブのない採掘用宇宙機では、星系外へ逃げ出す事も不可能。
通常推進で隣の星系を目指そうものなら、何百年掛かるか判ったものではない。
たどり着いた頃には、コクピットにニートのミイラが座っている事だろう。
「畜生、あの状態でも基地に戻らなきゃジリ貧か……!」
怠惰で軟弱なネッドでも、生き死にの瀬戸際を実感すれば流石に肝が据わる。
彼が知る由もないが同じく都会育ちでも、この状況を呼び込んでおきながら混乱するばかりの基地司令に比べれば数段マシであった。
飛び回る戦闘機達に恐怖と焦燥を覚えながらも、生き延びる道を模索する。
「いつもの駐機場じゃダメだ、あそこは吹きっさらしだから的になる。 鉱石集積の倉庫辺りに乗り付けて、基地の中に入らないと」
基地内に入ってしまえば、その後はできる限り奥深くまで逃げ込めばいい。
襲撃者の戦闘機は機体からすれば大きすぎるレーザー砲を撃ちまくっているが、所詮は戦闘機に積み込めるサイズの代物。
採掘基地の中枢である小惑星部分の岩盤までは撃ち抜けまい。
そもそも海賊の目的は物資の略奪であり、殺戮が趣味のサイコパスでもない限り邪魔さえしなければ殺されはしないはずだ。
基地の奥まで逃げ込み、略奪が済むまで隠れてやり過ごそう。
「よ、よしっ!」
彼なりに生き延びる算段をつけたネッドは、操縦桿を握りしめる。
その瞬間、四機の戦闘機の内ただひとつ他と形が違う平べったい機体がこちらに機首を向けたのを視認できたのは、ネッドの人生の内で最大の幸運であった。
「ひっ!?」
己の幸運を自覚しないまま、ネッドは咄嗟に操縦桿を倒した。
彼が知る由もないが銀河屈指のパイロットの放った一撃を、鈍重な採掘用宇宙機は無様に機首を振りつつなんとか回避する。
「こっ、このまま一気に逃げるっ!」
ペダルを踏みこみ、採掘用宇宙機のスラスターを全開にするネッド。
だが、まぐれは二度も続かない。
狙いを定め直したパルスレーザーの一連射が、採掘用宇宙機の一基しかないメインスラスターを射貫く。
推力を失った採掘用宇宙機は、被弾の衝撃のままにスピンを開始した。
「わぁぁっ!?」
回転の遠心力に振り回されるコクピットの中で、ネッドは悲鳴を上げながらも必死で作業アームを操作した。
作業アームには主推進機に比べれば格段に非力だが、微調整用に小型の姿勢制御スラスターが併設されている。
姿勢制御スラスターの噴射で回転の運動エネルギーを何とか打ち消し、機体の安定を取り戻す事に成功した。
「ぐぅ……」
ダウン寸前の三半規管が訴える不快感を噛み殺しながら、円形覗き窓から周囲を窺い加害者の姿を探す。
「あいつ、どこに行った?」
ネッド機を航行不能に追い込んだ虎縞のような塗装の平べったい戦闘機は、次の獲物に襲い掛かっていた。
奴のターゲットは、たっぷり中身の詰まった鉱石コンテナを引きずりながら帰還してくる同僚達の採掘用宇宙機だ。
悠然と飛翔しながらパルスレーザーを放ち、鈍重な動きで逃げ惑う採掘用宇宙機のスラスターを無慈悲に撃ち抜いていく。
通信チャンネルは悲鳴や怒号で埋め尽くされ、引っ切り無しに救難信号のコールが鳴り響いていた。
「畜生、好き放題しやがって……」
歯噛みするネッドだが、彼にできる事など何もない。
スピンこそ停止できたものの、彼の採掘用宇宙機が深刻な損傷を受けている事には変わりがないのだ。
そもそも、採掘用宇宙機で戦闘機と張り合えるはずもないし、そんな役割は宇宙採掘夫に求められていない。
荒事担当は別に居る。
ケチな司令官の方針で数が激減してしまったとはいえ、その役を担う用心棒は駐屯しているのだ。
我が物顔で飛び回る虎縞の戦闘機をパルスレーザーの閃光が襲った。
「警備隊の傭兵!」
飛来した青い通常型戦闘機の雄姿にネッドは歓声を上げる。
用心棒が賊の相手をしている今がチャンスだ。
「よし、さっさと基地に逃げ込まないと」
わずかな推進力しか生まない作業アームのスラスターを慎重に操り進路を基地へ向けた。
基地の目と鼻の先まで来ているというのに、普段より数段速度の出ないノロノロ運転状態だと気ばかり焦る。
不意に開きっぱなしの通信回線に広域通信が割り込んだ。
「あなた達、もう抵抗を止めなさい?
勝負は見えたでしょう?」
「え、女の子!?」
野郎どもの怒号に満ちていた回線には似つかわしくない高い声が混じり、驚いたネッドはサブモニターの隅に追いやっていた通信ウィンドウを拡大する。
「か、可愛っ……」
映し出された少女の姿に、ネッドの語彙は消失した。
透き通るような白皙の肌に白銀の長い髪、相反するかのような漆黒の軽宇宙服。
アイパッチにマントまで着けた海賊のパブリックイメージそのままのコスプレルックでありながら、輝くような美貌と組み合わされると浮世離れしながらも様になって見える。
そして特筆すべきは、その発育具合。
思春期に差し掛かったばかりと思しき幼さとは裏腹に、豊かに実ったバストがネッドの目を釘付けにした。
「あたしはトーン=テキンのピーカ。
大人しく貢物を捧げるなら、命は助けてあげてもいいわよ」
「こ、この子が海賊のリーダーなのか……?」
愛らしい声音で尊大に告げる少女にネッドは困惑する。
いかにも海賊でございという扮装だが、それだけに本物の海賊が暴れまわる場では冗談のようにしか思えない。
そう思った者はネッドだけではなかった。
「舐めるな小娘ぇっ!」
「おぅっ!?」
突如、広域通信に割り込んだバーコード禿の中年男に怒鳴りつけられ、海賊コスプレの少女はオットセイめいた驚きの声を上げて仰け反る。
怒れる中年男の顔は、あまり覚えの良くないネッドの頭にも何とか引っかかっていた。
「確か司令官の……なんだっけ、トロコフ? トコロフ?」
何度か全体朝礼の際に顔を見た記憶はあれども上役過ぎてネッドには縁の薄い上司が、通信モニターの中で唾を飛ばしながら喚き散らす。
「ふざけるなガキが! 大人を舐めるんじゃないっ!」
「うわ……」
バーコード禿の透けた地肌まで怒りで赤く染まった司令官の怒声に、ネッドは思わず身を竦めた。
長らく家に閉じこもっていた元ニートにとって、自分に向けられた訳ではなくとも他人の怒鳴り声など怯えと不快の元そのものだ。
だが、仮にも海賊のリーダーである少女の度胸はネッドとは段違いらしく、中年男の剣幕など通じない。
一瞬きょとんとした後に、少女は獲物を見つけた肉食獣めいた危険な微笑みを浮かべて宣言した。
「なるほど、覚悟があるのね。
それなら貴方の気概にあたしも最強の切り札で応えましょう。
カーツ、やっておしまい!」
言葉と同時に広域通信は切れ、採掘用宇宙機のちゃちな対物レーダーレンジに異様な速度で移動する光点が出現した。
「こいつが『最強の切り札』って奴か? 追加の戦闘機かよ、ただでさえ向こうの方が多いのに……」
用心棒の戦闘機は虎縞の海賊機に翻弄されているし、他にも派手に野太いレーザーを撃ちまくっている戦闘機が三機もいる。
司令官の失言でおかわりが追加されたようだが、元よりネッドの手に余りすぎる事態だ。
「こんなん、付き合ってられるかよ!」
ネッドにできる事はメインスラスターをやられた採掘用宇宙機が一秒でも早く基地に辿り着けるよう、姿勢制御スラスターを必死に操る事だけだった。
搬入港に隣接した倉庫ブロックに近づいた所で、ネッドは軽宇宙服のヘルメットを被る。
「よ、よし、ここまで来れば……」
本来なら停止の為に逆噴射を掛けなくてはならないが、大きく損傷した採掘用宇宙機にはそんな余力はない。
このまま倉庫ブロックに突っ込むしかない以上、呑気にシートに座っていては衝突時に潰れてしまう。
「緊急時だから、仕方ないよな」
ネッドは小さく言い訳を呟くと、頭上のハッチを開いた。
キャビンの空気が抜けるのに合わせてシートを蹴る。
「よっと!」
ハッチをくぐり抜けると同時に機体を蹴り、搬入港と繋がったシャッターが開きっぱなしの倉庫へ向けて無重力遊泳を開始する。
倉庫内に入ったネッドの背後で、採掘用宇宙機が岩壁に激突して停止した。
「これも海賊のせいって事に……ならないかな?」
壊れた採掘用宇宙機の損害賠償を請求されたら堪らないが、今は命の心配の方が先だ。
非常灯のみが点灯した暗い通路を遊泳し、少しでも安全そうな奥へと進む。
「あ、無事な船」
脇を見れば倉庫から搬入港へ伸びたベルトコンベアの先に箱型輸送船が停泊しており、ネッドはわずかに悩んだ。
「あの船に逃げ込んで……いや、基地の奥の方がマシか」
ろくな装甲もない輸送船よりは、岩壁の護りがある基地内部の方が安全に思える。
荒事に縁遠い人生を送ってきたネッドには、この状況で何が正しい行動かなど全く判らない。
ただ直観だけに従って輸送船に背を向け、奥へと急ぐ。
この場においてネッドの判断は最適解ではなかったが、それでも彼には悪運がついていた。
「ぐっ!?」
不意に三半規管を搾り上げられるような猛烈な眩暈に襲われ、ネッドは呻き声を上げる。
この感覚には覚えがあった。
「これ……ジャンプ酔いの……」
強制的な三次元座標の変更に伴うジャンプ酔い特有の不快感だ。
故郷からマイネティンへ移動する時に乗った貨客船で体験したジャンプとは比べ物にならない眩暈と悪寒に、吐き気がこみ上げる。
「まさか、船を固定したままジャンプしたのか」
光年単位の移動には必須のジャンプは、実際には船を転移させるのではなくジャンプドライブを中心とした球形の空間を丸ごと転移させるシステムだ。
そのため、施設の近くや港に停泊した状態での使用は厳禁であると、宇宙採掘夫の初心者講習でしつこい程に説明された記憶が蘇る。
新米のネッドですら知っている事を実行した無謀な船を信じられないとばかりに振り返ると、箱型輸送船はメインスラスターの噴射を開始していた。
停泊状態のまま動き出した輸送船に引きずられて固定アームが千切れ、元よりちゃちな作りだった搬入港と倉庫の残骸が崩壊していく。
「げっ!?」
衝撃で罅が入った周囲の岩壁が、そのまま薄紙のように引き裂かれていく様にネッドは顔を引きつらせた。
壁の厚みは数センチとなく、己がジャンプドライブの効果範囲ギリギリに居た事を察したのだ。
あと少し進んでいれば、ジャンプの境界線に引っかかって体が両断されていた事だろう。
九死に一生を得たネッドであるが、安堵するにはまだ早い。
バラバラに飛び散った岩壁の残骸の向こうに、オレンジの穏やかな光を放つ恒星が見えた。
ここ一年ですっかり見慣れたマイネティンの主星が放つB型恒星の苛烈な白光とは違う輝きに、何処とも知れぬ星系へ転移してしまったのだと実感して猛烈な心細さが沸き上がる。
何せ、この何処だか判らない星系で確実に酸素を補充できる場所は、無理やりジャンプを実行した輸送船しかないのだ。
「マジかよ、おい!?」
そして、その輸送船はスラスターを全開にすると、ネッドを放置して飛び去ろうとしている。
当然、輸送船側は偶発的にジャンプに相乗りしたネッドの事など気付いていない。
「ま、待って! おぉいっ!」
宇宙服の通信機付属のエマージェンシースイッチを入れながら、必死に叫ぶ。
叫ぶ度に貴重な酸素が消費されていくが、今のネッドには助けを求めて叫ぶ事しかできない。
折しも仕事帰りで余裕のない酸素残量はそろそろ限界に近付いており、徐々に息苦しさが迫ってくる。
「誰か助けてくれよぉっ!」
「いやー、あの状況で助かるとは思いませんでした……」
「酸素ギリギリだったそうですね、お体は大丈夫ですか?」
「あ、はい。 先生からは明日には退院していいって」
五日後、しっかりとした1Gの重力を感じる病院のベッドでネッドは半身を起こして座っていた。
ここは神聖シャノイマン王国の辺境惑星、ステーパレスⅣの衛星軌道上を周回する宇宙港内の総合病院。
危うく酸欠で死にかけていたネッドは、救助されるなり検査入院のためベッドに放り込まれていた。
彼を救助したのはジャンプに巻き込んだ輸送船ではなく、ステーパレスの天頂点にジャンプアウトしてきた通りすがりの船であった。
中央星域からは辺境と一緒くたにされがちであるが、ここステーパレス星系の第四惑星はきちんとテラフォーミングと入植の行われた地球型居住惑星であり、鉱山基地しか持たないマイネティンのような真の辺境星系とは一線を画している。
人類文明圏の端だが十分に文明的な生活を送れる星系で、辺境の資源星系と物資のやり取りを行うハブ星系として栄えていた。
ネッドをジャンプに巻き込んだ輸送船が目的地をこの星系にセットしていたのも、ステーパレス星系が田舎の首都ともいうべき交通要所だからだ。
交通量が多いためすぐさま救助が飛んできたのはありがたいが、お陰で面倒事も生じている。
不祥事に関する口止めだ。
「書類の方ですが、ご質問などございますか?」
ベッドの上のネッドと向き合うのは、パリッとしたスーツ姿の中年エージェント。
マイネティンの採掘基地を運営するハイヤムマイナーズから派遣されたという男の物腰は穏やかで紳士的であったが、彼から提示された書類の内容は若干違法の臭いを漂わせていた。
要約すると「契約期間の賃金を三倍に換算して支払うので、口外するな」という事である。
「あの、口外するなと言われましても、俺、何も知らないんですが……」
「マイネティンに関わる事、全般に関してですね。
ネッドさんの経歴に穴が開いてしまい申し訳ありませんが、今回のマイネティンでのお仕事自体を受けなかったという形でお願いいたします」
「は、はあ……」
元よりニートで碌な経歴などないネッドである、戸惑いつつもエージェントの言葉に頷いた。
救助から五日の時間が過ぎており、ネッドにもマイネティン採掘基地で起こった不祥事について噂と実体験を元にした推測を行う余裕ができている。
基地司令がセキュリティ部門の予算を着服した事による防衛力の低下が、海賊の襲撃を呼び込んだ。
それ自体腹立たしい事だが、ネッドを巻き込んだ無謀なジャンプを行った輸送船も件の基地司令が逃亡用に選んだ船だったらしい。
仮にも責任者が率先して逃げ出すとは。
長いニート生活で社会的責任などには縁遠いネッドですら呆れて物も言えない。
こんな人物が基地司令の重職に着いた事自体にスキャンダルの火種があるらしく、硬派で清廉な採掘企業というイメージ戦略を行っているハイヤムマイナーズとしては口止め料を払っても表沙汰にしたくない案件らしい。
その辺り、一市民に過ぎないネッドには関わりたくもない社会の暗部であった。
素直に口止め料を受け取り、この件について忘れてしまう事にする。
ネッドが誓約書にサインを記入すると、エージェントの男は丁寧に一礼して立ち去った。
「ふー……」
一人になった途端に気疲れを感じてベッドに背を預ける。
「どうしたもんかなあ……」
思わぬ大金が手に入ったが、仕事も無くなってしまった。
マイネティンの鉱山基地は当面閉鎖されるとの事だし、口止めと同時にハイヤムマイナーズの別の鉱山基地への就業もお断りされている。
「実家に帰っても……何があったか根掘り葉掘り聞かれるだろうなあ。
口止めされてるし、家には帰れないな」
病室の天井を見上げながら、今後の身の振り方を考える。
実家には戻れないが、この一年で小型宇宙機の免許は取得できた。
小型宇宙機を使う作業員はどこの宇宙港でも常に募集しているし、ハイヤムマイナーズ以外の採掘会社でまた宇宙採掘夫をやるのも悪くない。
だが、ネッドは別の選択肢が気に掛かっていた。
「傭兵……中古の戦闘機なら手が届きそうなんだよな……」
マインティンで海賊に立ち向かっていた青い通常型戦闘機の傭兵に触発された、という訳ではない。
彼の推しである星間配信者のリサが唐突に跋折羅者としての活動を開始すると発表したのだ。
「企業所属だから、上からの路線変更命令に逆らえなかったんだろうな、リサちゃん……。 お労しい」
路線変更を発表するリサは泣き笑いのような絶望的な表情を浮かべており、ネッドの保護欲をいたく刺激していた。
「よし、良さそうな中古の戦闘機を探してみよう。 俺がリサちゃんを護る!」
こうして、推しを胸に抱えた一人の若者が畑違いの傭兵稼業へと踏み出す事になる。
宇宙は荒事に満ちており職場には事欠かないが明日も生きて迎えられるかも定かではない、未経験歓迎のブラック商売だ。
彼はこの先どれほど生き延びられるだろうか。
「え、リサちゃん戦死しちゃったの!? 戦闘機の代金、入金したばかりなのに!」




