マーキング
SIDE:兵卒 フィレン
見慣れない通常型戦闘機を見下ろすフィレンの胸には、言い知れない怒りが生じていた。
モニターに拡大したコクピットでは、彼が超えるべき男が血の泡に囲まれ俯いている。
何をやっている、あんたはこんな死に方をする男じゃないだろう。
操縦桿を握る指先に力が籠もった。
渇望していた「夜明け』のシートに座っているというのに、癇癪のような怒りの衝動しか感じない。
「夜明け』を諦めた訳ではない、しかし、その栄誉は現在の持ち主を正面から打ち倒して得るべきものだ。
所有者不在となった「夜明け』を与えられたとしても、喜びなど生じるはずがない。
そもそも、それでは彼の勝ち逃げではないか。
かつての敗北の意趣返しは、まだ算段も着いていないのに。
ついに彼に及ばなかったという悔しさと、思いも寄らない程の寂寥感に歯噛みする。
操縦桿に設置されたトリガーを無意識に指先でなぞる。
まだ彼の息があるうちに、介錯するべきではなかろうか。
超えるべき強大な戦士が、それ以外に成り果ててしまう前に、いっそ。
男女の情の差はあれど、即座にノッコと同じ結論に達する辺り、似た者母子であった。
「フィレン、飛び移れる距離まで機体を寄せて」
背後から指示の声が上がる。
眼帯とマントを外して身軽になったピーカ姫が、シートと機材の隙間から顔を出していた。
「姫様、あれではもう」
「フィレン、判断はあたしがする。
いいから早く」
「……御意」
正直な所、フィレンはすでにカーツの死を受け入れていた。
怒り、嘆こうとも覆せない、確実な死。
全ての宇宙の民にとって、バグセルカーに侵食されるとはそういう事だ。
姫の言葉は道理を知らない幼子の癇癪に過ぎないとフィレンは受け取っていた。
彼女がカーツに懐いていたのは間近で見て熟知している。
彼の死を目の当たりにするのは、突然の不幸を受け入れる為のひとつの儀式と言えよう。
フィレンは無言で「夜明け』を操り、通常型戦闘機と背中合わせになる形で機体を停止させる。
ハッチを開ければ、あちらのコクピットが真上に見える位置関係だ。
「よっ」
姫が後ろからコンソールへ手を伸ばし、キャノピーを解放した。
激しい気流と共にキャビンの空気が霧散していく。
ピーカ姫はシートの隙間から立ち上がると、長い髪を気流に躍らせながら真上を見上げた。
血の泡に囲まれて俯く一の戦士の姿に唇を噛むと、体に張り付く軽宇宙服のファスナーの指を掛ける。
一息に引き下ろすと薄っぺらい宇宙服の中で拘束されていた、若々しく生意気なバストが解放され無重量空間で激しく弾む。
ギョッとして振り返るフィレンを完全に無視したピーカは、いっそ豪快なほどの脱ぎっぷりで全裸になった。
脱いだ衣装をクルクルとまとめてシートの隙間に押し込むと、突然のプリンセスストリップに両目を見開き口をパクパクさせているフィレンの頭を掴まえた。
額を合わせ、骨伝導で命令を伝える。
「フィレンはこのまま待機、通常型戦闘機が動こうとしたらスラスターを壊して」
「りょ、了解!」
長い白銀の髪で僅かに先端が隠されただけの巨乳をガン見しながらも、フィレンは何とか頷く。
「じゃ、行ってくる!」
姫はフィレンのシートのバックレストを軽く蹴ると、頭上へ向けて遊泳を開始した。
思わず見上げるフィレンの視界で翠の大輪が花開く。
波紋にも似た円を意匠化したような複雑な紋様が姫の裸身を彩り、淡く翠の燐光を放っていた。
全身に宿るナノマシンをフル稼働させながら、姫は瀕死の戦士へと飛ぶ。
SIDE:ピーカ・タニス・トーン=テキン
ピーカには父親がいない。
母であるマルヤー女王は、どの戦士がピーカの父なのか把握しているが、公表していないのだ。
ただでさえ政治状況がややこしい事になっているトーン=テキンに、オークプリンセスの父というバランスブレイカーな要素まで持ち込まれたくないという女王の意向である。
父を知らないピーカにとって、常に揺るがず落ち着きを見せる側近筆頭戦士は己のものとしたい雄であると同時に、父性を感じる相手でもあった。
そんなカーツが死に瀕し力無く俯いている姿は、許せるものではなかった。
僅かな飛翔を経て、狙い通りに虎縞の戦闘機のコクピットに到達する。
俯いたカーツの両肩に両手を当てて体をくるりと回転させたピーカは、向かい合う姿勢で戦士の膝に乗った。
見上げたカーツの顔には、これまでピーカが見た事のない表情が浮かんでいる。
白目を剥き歯を食いしばった、紛れもない苦悶の表情。
「大丈夫、何とかするから」
ピーカとてバグセルカーの知識はある。
その感染が致命的であるとも理解している。
その上で、勝算もあった。
己の身に宿るナノマシンだ。
葉緑素ベースのナノマシンが肌に宿るオークは、種族的にナノマシンと親和性が高いナノマシン共生者の一面を持つ。
そして、オーククイーンに至っては体内のナノマシンを己の意志でコントロール可能なナノマシン使役者とも言える存在である。
普段は舞踏の賑やかし程度にしか出番のない能力だが、今この状況でなら別の使い方もできる。
ピーカの持つナノマシンを流し込み、カーツの中からバグセルカーのナノマシンを追い出すのだ。
そういう使い方ができるかどうかはピーカ自身にも判らないが、やってみない事には何事も判断がつかない。
何と言ってもオーククイーンは氏族の至宝、完全な箱入り娘だ。
外に出て能力を試す機会などなかったし、バグセルカーに接触しようなどという無謀なクイーンはピーカが初めてだろう。
そして度胸という点では、ピーカは歴代のオーククイーンの中でも最大の肝っ玉の持ち主だった。
とはいえ、流石に初めての接吻は少々緊張する。
「い、いくぞぉ……!」
事あるごとにカーツへモーションを掛けているピーカだが、実経験の方はといえば、これがまた全くない。
己に発破を掛けた姫は桜色の舌で唇をひと舐めすると、戦士の頬を両手で挟み顔を固定した。
「んっ!」
そのまま、歯のぶつかるような勢いで不器用に唇を合わせる。
頬を上気させた初めてのキスは、色気の欠片もない救命行為であった。
「んぅ……」
カーツの頬を手のひらでさすり、戦士の強力な咬筋を慰撫して緩めさせる。
押しつけた唇の向こうで、わずかに開いた歯の隙間にピーカは自らの舌を突っ込んだ。
「んっ、んふ……」
眉を寄せながら舌先を操り、カーツの舌を探り当てる。
肉厚の戦士の舌に己の細い舌を寄り添わせながら、唾液を送り込んだ。
ナノマシンをたっぷり含んだ自らの体液が今回の切り札だ。
朱に染まったピーカの白皙の美貌を彩る翠の輝きが、カーツの舌を経て、唇、頬へと浮かび上がっていく。
効果のほどは不明だが、ナノマシンの移動は上手く行っている。
「んっ、んむっ、んぅっ」
救命を目的としつつも、だらりとしたカーツの舌にピーカは夢中で自らの舌を絡めた。
戦士の喉がこくりと動き、翠の紋様が波紋のように全身へ広がっていく。
SIDE:戦士 カーツ
目を逸らす事もできずに最悪の情景を見せつけられる時間は唐突に終わりを告げた。
視界の中心、オーク戦士の上に乗った女王の頭上に翠色の小さな炎がぽつんと灯ると、草むらを焼く野火のような勢いで四方八方へと広がっていく。
オレンジ色の室内灯に照らされた淫靡な空間は翠に輝く炎で炙られると、消しゴムをかけた落書きのような安易さで消失した。
後に残るは淡く輝く熾火のような翠の光のみ。
幻影の女王もまた翠の炎に包まれるが、苦しむどころか炎を認識もしていない様子で背景の寝室同様にあっさりと消え失せてしまった。
俺の記憶を元にした幻に過ぎないと判っているのに、たった今まで俺以外の男と睦み合う様を見せられていたというのに、耐えがたいほどの喪失感が押し寄せる。
やがて視界は全て翠の輝きで埋め尽くされた。
見渡す限りで揺らめく翠の炎は、どこか風が吹き抜ける草原にも似た清涼感を備えており、恐怖は感じない。
この翠の炎が俺を侵食するバグセルカーを焼き払い、俺を救ってくれたと直感的に理解していた。
失われていた視覚以外の感覚が徐々に戻って来ると、唇に何かが吸いつき口内にまで侵入している事に気付く。
物慣れない感覚に驚き、身を捩ろうとするも、まだ我が身の制御は戻り切っていない。
わずかな身じろぎしかできない俺の体に、ふわりと柔らかなものが絡みつく。
拘束というには余りにも優しすぎる束縛に、俺の体から強張りが抜けた。
視界一杯の翠の光が徐々に光量を落とし、代わりに黄金の煌めきが目に映る。
姫様の金の瞳だ。
星もまばらで黒々とした銀河辺境域の宇宙空間を背景に、翠の紋様を浮かび上がらせた姫様の美貌が至近距離にある。
正確には密着していた、唇で。
つい先ほどまで目の前で濡れ場を演じていた愛しの人の愛娘に唇を奪われているという状況を、ようやく把握する。
更に言うならば、膝に向かい合う姿勢で乗られているので唇だけでなく胸も密着していた。
レジィの包帯代わりに軽宇宙服の上半身を引きちぎった為、露わになった俺の胸板に姫様の重量感溢れるバストが押し付けられていた。
何故か裸の姫様の生乳から伝わる柔らかさと熱は、常ならば驚きと不敬への焦燥を覚える所であろうが、バグセルカーの幻影で手痛い精神ダメージを受けていた俺には癒し以外の何物でもない。
思わずその細い腰に腕を回し、強く抱きしめてしまう。
姫様は一瞬見開いた瞳を日向の猫のように細めると、そっと唇を離した。
ぺろりと自らの唇を舐める姫の微笑みに、先ほどの幻影の女王の面影が重なる。
「おかえり、カーツ。
ちゃんと体は動く?」
「……大丈夫そうです。
何をやったんです?」
「あたしのナノマシンを分けてあげたの、口移しで!
ほら!」
姫が剥き出しになった俺の肩口を指差す。
オーク特有の緑肌の下で、姫のナノマシンの輝きと同じ翠の紋様が浮かび上がっていた。
波紋のような円の連なりで構成された姫の紋様と違い、俺の肌に浮かび上がる紋は半円の連なりのようにも揺らめく焔のようにも見える不規則な代物だ。
「オーククイーンのナノマシンでバグセルカーを追い出したんですか。
無茶な事を」
思わず減らず口めいた言葉を発してしまったが、実際の所は罪悪感が発した言葉であった。
無論、感謝はしているが、護るべき姫に危険を冒させてしまった事は腹を切らねばならない程の痛恨事と言っていい。
最も、今の俺の腹はバグセルカーの弾体摘出の為に、すでにかっさばかれているのだが。
「無茶でも何でも、上手く行ったからいいの。
バグセルカーなんかにカーツはあげない、あたしが唾を付けた、あたしの戦士なんだから」




