あなたの声に痺れるんです。~公爵令嬢は護衛の声がよすぎて悶える~
うららかな陽気の午後。
王女主催のお茶会が終わり、私は王宮の庭園を楽しんでいた。様々な花がちょうど見頃を迎えていて本当に綺麗に咲き誇っている。
しばらく見入っていると、遠くから近づいてくる人影を見つけた。輝くような金色の髪。今一番会いたくない人物である。
どうしましょう。今すぐ逃げたいけれど、もうロックオンされた様子なので、逃げる訳にはいかなさそう。
「セレスティア! やっと会えた!」
悩んでいる内に彼は走り寄ってきて、あっという間に至近距離まで詰められてしまった。
あぁ、庭園を心行くまで楽しもうとせずに早く帰ればよかった。そうすれば会わなくて済んだのに。
「こんにちは、ライル様。見事な庭園ですね。王宮の庭師は本当に素晴らしい腕をお持ちですわ」
「ん? ああ、そうだろう。皆に楽しんでもらえるよう、ここは特に手をかけさせているからね」
「そうですのね。素晴らしいお心遣いですわ。それでは私はこれで失礼いたしますわ」
淑女の礼をし、おほほとその場を後にしようとする。これ以上会話をしたくないから。
「待つんだセレスティア!! まだ話は終わっていないよ。どうして僕と婚約してくれないのか理由を聞かせてもらえないか?」
あぁ、やっぱりその話になってしまった。きちんと公爵家から正式にお断りを入れているのに、どうして何回断っても諦めてくれないのだろう。
「理由は書面に記した通りです。私のような何の取り柄もない者などライル様の婚約者には相応しくありません」
「そんなことは無いと言っているだろう。君の気持ちが僕に向くまで待つつもりだったが、僕はもうすぐ十七歳になってしまう。もう待てないんだ。婚約を受け入れてくれない理由が他にあるのではないのか? どんな理由でも受け止める覚悟はあるんだ。正直に言ってくれ!」
顔を赤くして真剣な表情で詰め寄られる。この人のこんなに必死な姿は初めて見る。
もう誤魔化せないかしら……
でも、理由を正直に言うわけにはいかない。
「不敬にあたりますので、正直に申すことはできませんわ」
「不敬の罪には問わない。どんなに失礼な言葉でも受け入れよう。だから君の本音を聞かせてくれ!」
……もういいかしら。ここまで真っ直ぐぶつかってこられたら、誤魔化す方が失礼よね。
もう言っちゃってもいい気がする。はっきりとさせた方が、お互いのためになるだろう。
「わかりました。本音でお話しさせていただきます」
「そうか! よし、さぁ言うんだ!」
ライル様の目に光が宿った。私今から婚約を受け入れない理由を言うのだけれど……努力次第では克服できると思っていらっしゃるのかしら。そんなこと無理なのに。だって……
「ライル様の性格以外の全てがお断りしている理由になります」
「性格以外の全て……だと?」
「はい、そうです」
私がそう言うと、しばし静寂がおとずれた。
「……それはつまり、容姿や声などが好ましくないという意味か?」
「そうです」
「そうか……」
ああ、言ってしまった。傷つけたくは無かったけれど、言えと言われてしまったのだから仕方がない。
「そうか……全てか……ははっ、全て……」
ライル様は青い顔をして、ぶつぶつ呟きながらフラフラと歩いて消えていった。彼の護衛の方も複雑そうな表情をしながら黙って後を付いていった。
いえ、全てでは無くて性格以外ですよ。そう言いかけたが、言葉は飲み込んだ。引き留めてもしょうがない。
私は は━っと長いため息をついた。
罪悪感はあるけれど、ようやく正直に言えて、毎年のように届く婚約の申し入れから解放されるかと思うと、少し清々しい気持ちにもなった。
「──お嬢。王子に何てこと言うんですか」
ぞくぞくぞくーーっ。 耳元で囁かれたその声に、脳が痺れ体がぞわぞわとする。
なぜなら、声が良すぎるから。
「っっ影さんっ耳元で話すのはやめてっていつも言っているでしょうっ」
私は刺激を受けた右耳を手で覆いながら苦言を呈する。おそらく顔は真っ赤になっているだろう。
「すみません。でも王宮ではお嬢の近くで小さな声で話した方が良いでしょう」
「そうだけどもっ」
「それで、どうして王子にあんなこと言っちゃったんですか?」
「だって、正直に言えっていうから……」
「正直すぎるでしょ」
「不敬にならないって言ってたから大丈夫よ」
「……はぁー」
ため息をつかれてしまった。ため息すら良い声とかどうなっているのかしら、ほんと。
私はこの影さんの声に弱い。色気のある低い声、ゆったりとした穏やかな話し口調が、私の好みのど真ん中なのである。
耳に心地よすぎて痺れてとろける日々を送っている。
「お嬢、馬車が到着しております」
「そう、では帰りましょうか」
公爵家からの迎えの馬車へと二人で乗り込む。二人と言っても、影さんの姿は誰にも見えない。
影さんは姿を見えなくする隠形魔法を使って私のことを陰ながら守るお仕事をしているから。
我が公爵家当主である父はこの国の宰相をしており、国の内外に敵が多数存在する。襲撃や暗殺などは日常茶飯事。そのため我が家には隠密集団が存在する。
隠形魔法で姿を隠せる者達で構成されており、日々鍛練に勤しみながら私達を守ってくれている。
彼らは王家の方々の護衛や諜報活動なども行っており、この国のために日々暗躍している。
「どうしよう……なんで正直に言っちゃったんだろう……」
馬車に揺られていると、段々と不安な気持ちが押し寄せてきた。
できるだけ傷付けないようにと、言葉を選んだつもりだったけれど、余計に傷付けたかもしれない……せめてストレートに『タイプじゃ無いんです』と言えば良かった。
「言っちゃったものはしょうがないですね。もし何か嫌がらせしようとしてきても、俺が全部対処するので大丈夫ですよ。何なら今からさくっと王子殺ってきましょうか?」
「そんなのダメに決まっているでしょう」
「分かりました。それでは、殺るときはお嬢には言わずにこっそりとやりますね」
「……全然分かっていないじゃない。ライル王子は嫌がらせなんてする人じゃないから大丈夫よ」
「ははっ、そうですね」
この人はいつも、どこまでが本気なのか分からない発言をする。私のためならどんなことでもしてくれそうで、嬉しいけれど困ってしまう悩ましい日々だ。
この影さんは三年前から私の専属である。以来、危険から幾度となく私のことを守ってくれた。
いつも私のことを気遣ってくれる優しさと、穏やかな話し方。どんな小さな困り事にでもすぐに気がついてくれて、私を支えてくれて寄り添ってくれる。
たまにいじわるな所もあるけれど……
それでもやっぱりすごく優しくて。出会った日からどんどんと惹かれていった。そして顔も知らないこの人のことを、いつしか私は好きになっていた。
馬車が公爵邸へと到着し、邸内へ入り自室へと戻った。堅苦しいドレスからゆったりとしたワンピースへと着替え、ほっと一息ついた。
コンコンッ
「お嬢、入っても大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ」
返事をすると扉が開き、ガラガラとワゴンが入ってくる。
テーブルの横につくとポットが宙を浮き、影さんは慣れた手つきで紅茶を淹れてくれる。
影の仕事は護衛なのに、なぜかメイドがするような身の回りのこともしてくれるようになっていた。
紅茶が入ったティーカップがテーブルの上に二人分置かれたので、いつものように声を掛ける。
「ありがとう。あなたも座って」
「じゃ、遠慮なく」
ギシと音がなり目の前の椅子のクッションが少し窪んだ。
紅茶の入ったカップは影さんが持った瞬間に見えなくなる。身に着けた衣服や手に持った物は見えなくなるようだ。
影さんと手を繋いだら私の姿も消えるのかしら? そう思って試そうとしたことがあったけど、触れることを許してはくれなかった。
二人で紅茶を飲んでゆったりと寛ぐ。私はこの時間がとても好き。
「影さん、そろそろ一度くらい姿を見せてくれてもいいのではないかしら?」
「それはできませんね。影は存在しないものとして扱っていただかないと」
「むぅ」
「ははっ。かわいい顔してむくれても聞けないお願いですよ」
……かわいいって言われちゃった。嬉しいので今回は我慢しよう。
「それにしても、王子の何が気に入らないんですか? この国一番の美貌と言われているお方ですよ」
「だって、本当にタイプじゃないんだもの」
キラキラとした金髪碧眼も、話し方も高めの声も好みではない。スラッとした体躯なんかは論外である。
私の好みは物語に出てくる騎士のような、筋肉質で逞しくて私のことを守ってくれる人。
「それじゃお嬢のタイプってどんな人なんです?」
「内緒よ。あなたが姿を見せてくれたら教えても良いけど」
「ははっ、それじゃ一生知れないですね。残念だなぁ」
「むぅ」
実は見たこともないあなたの姿を、私の理想に当てて想像しているのは内緒だ。どうせあなたと結婚することはできないのだから、今だけは勝手な想像で楽しんでいることを許して欲しい。
私は貴族の娘として、相応しい家に嫁がないといけないのだから。
そんなことを改めて考えていたら、気分がどんどんと沈んでいく。
「気持ちをスッキリさせたいから、今から鍛練場で走ってこようかしら」
「今は新人をみっちりとしごいている時間なので無理ですね。夕方までかかると思うので今日は我慢してください」
「……そう。残念ね。明日使っていい時間を聞いておいてもらえるかしら」
「分かりました」
急な襲撃や暗殺者に対処できるように、私も体力と魔法をできるだけ磨く努力をしている。
今日は思いっきり走って嫌な気持ちを吹き飛ばしたかったのに残念だ。
* * * * * * *
夕食後に、父の書斎へと呼ばれた。用件は分かりきっているので、重い足取りで向かった。
「ティア、ライル王子に正直に言ってしまったようだね」
「申し訳ありません、お父様」
「いや、責めてはいないよ。今日王子が私の所へ来たんだ。だいぶショックを受けた様子だったが、ちゃんと受け入れたようだよ。もう君のことは諦めると言っていた」
「そうですか。それなら良かったです」
父はいつも穏やかで優しい。私に何かを無理強いしてきたことは今まで一度もない。そんな父が真剣な表情になり言葉を続けた。
「王子はもういいとして、ティア、君ももう十六歳だ。そろそろきちんと婚約者を決めなくてはいけない」
「……はい。分かっております」
「できるだけ君の意思を尊重するつもりだから、この釣書をよく見て考えておいてくれ」
父から大量の釣書を受けとった。この中から婚約の申し入れを受ける人を決めないといけない。
「分かりました。では、失礼いたします」
扉を閉め、父の書斎を後にする。来たときよりも重い足取りで自室へと向かった。
とぼとぼと長い廊下を歩いていたら、後ろから声をかけられた。
「お嬢、そろそろ真剣に婚約者を決めるんですね」
「ええ、もうお父様の優しさに甘えて逃げてばかりいたらダメよね。貴族の娘としてのお役目はきちんと果たさないと」
「そうですか……」
何だかいつもより弱々しい声が聞こえた。私の重苦しい気持ちを察してくれているみたいだ。
* * * * * * *
数日後、私は父に付き添って王宮へと来ていた。
用事を済ませ、まだ予定があるという父と別れて渡り廊下を歩いていると、前からライル王子が歩いてきた。どうしよう。すごく気まずいけれど、数日前の非礼を詫びよう。
「やあ、セレスティア」
「こんにちは、ライル様。この間は大変失礼いたしました」
「いや、いいんだ。君の気持ちがちゃんと分かってスッキリしたよ。もう君のことは完全に諦めたから安心してくれたまえ」
彼は少し寂しげに笑い、優しく仰ってくれた。
「ありがとうございます……あの、あの時は失礼なことを言ってしまいましたが、私個人の好みの問題であって、ライル様は本当に聡明で素晴らしい人だと思っておりますので」
「ふふっ、ありがとう。君の好みの男になれなくて本当に残念だよ。これからは良き友人として頼む。学園が始まっても今まで通り接してもらえるかな?」
「はい、よろしくお願いいたします」
彼とは、幼い頃から友人としては良い関係を築いてきた。頭がよく、身分問わず誰にでも気さくに接する人で、私は彼のことを心から尊敬している。
恋愛対象としては全く見られないけれど。
「そういえば、もうすぐトレイニール国からの客人が来るんだよ」
「来週のライル様の誕生祭に参加されるのですね」
「ああ、第一王子と王女が来てくれるそうだ」
「それは楽しみですね。ですが数年前から行方不明だという第二王子はまだ見つかっておられないのでしょうか」
「そのようだね。早く見つかると良いのだけれど。それじゃ、またね」
「はい、失礼いたします」
王子との関係がこじれなくて本当に良かった。新学期が始まったら、また毎日顔を合わせなくてはならないから。
少し気持ちが軽くなり、再び歩きだして王宮の出口へと向かった。
「──お嬢、王子と険悪にならなくて良かったですね」
ぞくぞくぞくーーっっ
「ふぇっっ、だっ……だからっ、耳元で話さないでと何回言えばっっ」
「あはは、すみません」
もう、本当に困った人。わざとやって私をからかっているのかもしれない。
……でも、こんなやり取りもそろそろ終わりにしないとダメだ。
「ねぇ影さん、後で大事な話があるの」
「今じゃダメなんですか?」
「……ええ」
「分かりました」
あぁ、もう泣きそうになってきた。
本当は言いたくない。でも、きちんとけじめはつけないといけないから。
* * * * * * *
「それで、話って何ですか?」
公爵邸の自室に戻り、着替えて一休みしてから、影さんと二人で話をすることになった。
「えっとね……影さん、あなたには私の専属護衛から外れて欲しいの」
「……理由をお聞きしても?」
影さんの声がいつもより低くなった。こんなに低い声は初めて聞くけれど、低音も素敵でドキッとしてしまう。
ときめいている場合ではないと、何とか気持ちを切り替える。
「それは言えないわ」
「では、お断りします」
「なっ……どうして?」
「嫌だからです。納得できる理由を仰っていただかないと承諾できません」
「……」
どうしよう。理由なんて言える訳がないのに。でも言わないと離れられないなんて、そんなのはあんまりだ。
……あ、ダメ。気を張っていたけれど我慢できなくなり、涙が溢れてきてしまった。こうなってはもう止められない。
「なっ、お嬢っなんで泣いて…………そんなに俺のこと嫌いだったんですか?」
「ぐすっ、ちがっ、そうじゃ無いっ……」
「じゃあ何で泣いているんですか?」
影さんは慌てた様子だ。いつものようにゆったりとした口調じゃ無くなっていた。
何でって、そんなの理由は一つしかないのに。
「あなたのことが好きだからよ」
「へっ?」
素直に告げると、影さんの声が裏返った。裏返った声まで素敵なんて、どうなっているのだろう。
「おかしいわよね。顔も知らない相手を好きだなんて。でもしょうがないじゃない。好きになってしまったのだから」
「……それが俺を専属から外したい理由ですか?」
「そうよ。私はそのうち貴族の家へと嫁がないといけないの。そして伴侶となる人を愛さないといけない。だからあなたが近くにいると困るのよ」
突き放すように言いきると、少しの沈黙の後、影さんは言葉を返した。
「そうですか……分かりました。ではすぐに代わりの者を手配しますね。失礼します」
そう言って、あっけなく彼は私の前からいなくなった。
これで良いんだ。悲しいのは今だけ。
私は好きな人とは結婚できないのだから、せめて容姿だけでも好みの人と結婚するとずっと前から決めている。
それは父も分かってくれていて、王子への非礼も何も言わずに見守ってくれていた。
止まらない涙を何度もハンカチで拭いながら、釣書を見ていく。ああ、ひょろひょろとして頼りなさそうな方ばかり。たくましい筋肉は最低条件なのに。
……あ、そうだ。王立騎士団の団長は侯爵家の方だったはず。後妻に立候補するというのはどうだろうか。
* * * * * * *
気持ちの整理がつかないまま、ライル王子の誕生祭の日を迎えた。
あの日以来、私の影は違う人に変わった。必要なこと以外は話さない無口な人だ。
メイドたちに身体の隅々まで磨かれ、いつもより時間をかけてお化粧を施される。背中まである長い髪は艶々サラサラに。サイドを編み込んで後ろで纏めて宝石の付いた髪飾りを添えられる。そして無数の小さな宝石が輝く華美なドレスを身に纏う。
夜に若者達が招待されるパーティーが開催されるので、それに出席する為だ。でもこんなに着飾る必要なんてないのに。今日はひっそりと過ごしたい。道中の馬車の中では憂鬱な気持ちでいっぱいになった。
父に騎士団長(37歳)の後妻になりたいと言ったら却下されてしまった。それなら、ライル王子の護衛(41歳)の後妻はと言ったら、それも却下されてしまった。
どうしてダメなんだろう……私の意思をできるだけ尊重してくれると言っていたのに。
ライル王子の誕生祭が過ぎてから、改めてきちんと考えると言っていたけれど。
王宮へ着くと、早々に貴族の子息達に囲まれてしまった。私はまだ婚約者の決まっていない公爵家の娘だから仕方のないことだけれど、そっとしておいてほしい。
「セレスティア嬢、本日もお美しいですね。輝く金色の御髪にパールブルーのドレスが素敵ですね」
「本当に。あなたの輝きにはいつも目を奪われてしまいます」
「今宵はあなたとゆっくりとお話がしたいのですが」
皆さん口々に褒めてくれて、誘いを入れてくれるけれど、困ってしまう。
ごめんなさい。そんな気分にはなれないし、皆さんタイプじゃないんです。
「ありがとう。今日はあまり気分が優れないので、またの機会にさせていただけるかしら」
申し訳なさそうに告げて、ささっとその場から立ち去った。そして壁際の大きな花瓶の隅に移動した。
はぁ……皆どうしてそんなに金髪が好きなのかな。
私は自分の容姿があまり好きではない。派手な金髪も水色の瞳も皆こぞって褒めてくれるけれど、本当は落ち着いた黒色や茶色が良かった。
できるだけ気配を消して壁際でひっそりと佇んでいると、誕生祭のパーティが始まった。
主役のライル王子が登場し、第一王子、王女、続けてトレイニール国からの貴賓が登場した。もうすぐ王位を継ぐという第一王子、王女、そしてなんと、行方不明だったはずの第二王子が登場した。
無事見つかったんだ。良かったなぁ。などと思いながら離れた所から見ていた。
第二王子は黒髪で背の高い人だった。遠目だから顔は分からないけれど、沢山の女性達に囲まれているから、きっと美男子なんだろうな。
そういえば、あの子も黒髪だったな……
ふと、昔のことが頭をよぎった。
昔、公爵家の庭で遊んでいたら、門の外から誰かが争っているような音が聞こえてきた。何だろうと様子を見に行くと、一人の男の子が暴漢に襲われていた。私は慌てて駆け寄り、自身の持つ魔力の全てを暴漢にぶつけ、何とか助けることができた。
魔力を使いきって倒れこんだ私に泣きながら駆け寄ってきた姿が脳裏に浮かぶ。深い紫色の瞳が綺麗な子だったけれど、元気にしているといいな。
……などと床の模様を見ながら昔に浸っていたら、周りからきゃあきゃあと甲高い女性達の声が聞こえてきた。
なんだろうと思い前を向くと、トレイニール国の第二王子らしき人がこちらに近づいてきていた。
艶やかな黒髪にキリッとした切れ長の瞳。そして逞しそうなお身体。細身だけれど、服の上からでも鍛えているのがわかる。
すごく素敵な方。見た目がここまでタイプな方には初めてお目にかかるなぁ……なんて考えていたら、私の目の前に来た。
深い紫色の瞳で私の顔を真っ直ぐに見ている。なんだか真剣な表情だけれど、じっと私を見たまま口を開こうとしない。
「あの……何かご用でしょうか?」
よく分からない状況なので、恐る恐る声をかけてみた。
「──セレスティア嬢」
目の前の男性から発せられたのは、低くて色気のある優しい声。
とろけるように甘いこの声を私はよく知っている。
「……影さん」
そう呼び掛けると、目の前の男性はにっこりと微笑んだ。どうしましょう。涙が次々と溢れてきて止まらなくなってしまった。
「わあっ、ちょっと泣かないでくださいよ、お嬢」
おろおろとした男性に手を引かれて、急ぎ足でパーティー会場から出る。そのまま貴賓室へと連れていってもらった。
「お嬢、大丈夫ですか?」
「うん、もう止まったから大丈夫よ……ねぇ、あなたの事を教えてもらえる?」
「はい、お嬢。俺は──」
* * * * * * *
トレイニール国 第二王子 クレイディル・トレイニア
生まれつき膨大な魔力を持っていたため、力を怖れた第一王子派の者達から日々命を狙われながら育ってきた。そして幾度となく死にかけた。
見かねた父の計らいにより、十歳の時に友好国であるキルシェレイク王国にて匿ってもらうこととなった。そして少数の護衛と共にソレイシアス公爵家へと向かう途中、暗殺者に襲われた。信頼していた護衛の中に裏切り者がいたのだ。
他の護衛達が食い止めている間に、俺は一人で公爵邸へと走って向かった。
必死に走り、目の前に公爵邸が見えてきた。だがあともう少しという所で暗殺者に追い付かれてしまう。
死に物狂いで抵抗したが、いくら魔力量が多いといえどまだ十歳、手練の大人に力で敵うはずもなく追い詰められていった。
もうダメだ……諦めた瞬間、目の前を電撃が通りすぎた。そして、暗殺者は電撃に倒れた。
助かったんだ。ホッとして電撃が来た方を向くと、俺と同じくらいの少女がいた。
襲われている俺を見て必死に走って来たのだろう。靴を片方履いておらず、金色の長い髪は乱れていた。
そして、ぐらりと前に倒れこんだ。
あっ、と思ったが、少女は見えない何かに支えられているようで、地面には倒れなかった。
俺は泣きながら少女に駆け寄った。
少女は俺の無事を確認すると、ホッとしたように笑い、すぐに気を失ってしまった。
これがセレスティア嬢との出会いだ。
俺は公爵家の離れにて匿われることとなっていた。彼女といつでも会えるんだと喜んだ。しかし、身を潜めて過ごす以上、隠密集団以外との接触は禁じられていた。
彼女が鍛練場で無邪気に走り回る姿も、魔力操作の訓練を一生懸命やっている姿も、俺は見つからないように遠目で眺めていることしかできなかった。
そんな俺を見かねた隠密集団のお頭が俺に言った。
「お嬢様の近くでいられる方法が一つだけありますよ。ただし、血反吐を吐くほどの努力が必要になりますが」
「本当ですか? 何でもします。だから教えてください!」
「いい覚悟ですね。お嬢様の近くでいられる方法、それはですね────」
こうして、俺が影になるための五年に渡る鍛練が始まった。本当に毎日のように血反吐を吐くことになるとは思わなかったが。
お頭は一言で言えば鬼だった。見た目は優しそうな爺ちゃんなのに。
彼女に近づくために地獄のしごきに必死に耐えた。魔力切れの心配なく、長時間でも魔力操作の訓練をすることができて、生まれ持った魔力量の多さの有り難みを初めて感じていた。
そして五年後。
「お嬢様、私は本日をもって引退するため、あなた様の影を交代することとなりました」
「そうなのね。影爺やさん、今までありがとう。次の方はどんな方かしら?」
お頭と彼女のやり取りを目の前にし、俺は感動していた。
間近にセレスティア嬢がいる。五年振りにやっと近づけて、声を聞けた喜びにうち震えた。
やっとだ。やっと彼女と会話ができる。
「初めまして、お嬢様。本日よりあなたをお守りすることとなりました。よろしくお願いします」
俺がそう言った瞬間、セレスティア嬢が硬直した。何だ? 俺、何かおかしなことを言ったか? 普通の挨拶をしただけだよな……
しばらくして、彼女は深呼吸を繰り返した後、やっと俺に話しかけてくれた。
「今日からよろしくね、影さん」
にっこりと微笑みかけられ、泣きそうになる。……ああ、必死に頑張ってよかった。今日からこの方を間近でお守りできるんだ。
俺は使命感に燃えた。自分が王子という立場だなんて、すっかりと忘れていた。
たまに様子を見に来てくれていた父の部下達は、そんな俺を見て少し呆れた様子だった。だが、俺が強くなっていくことは自分を守ることにもなるので、黙って見守ってくれていた。
お嬢と過ごす日々は幸せそのものだった。
とにかく喜んで欲しくて、美味しい紅茶の淹れ方を覚えたりお嬢の好きな花を部屋に飾ったりした。
たまに襲ってくる暗殺者も、五年間鍛えた俺の敵ではなく、全て簡単に排除していった。
お嬢はよく俺の姿を見たがった。本当は姿を現したい。だけどそれは許されないと、気持ちを必死にこらえて過ごした。
この国の第二王子はお嬢に気があるようで、幼い頃から度々婚約の打診をしてきているという。しかしその度に、彼女は断っていた。
どうしてだろう? 男の俺から見ても、あの王子は眉目秀麗で聡明さも兼ね備えていて、性格もいい。一つも欠点が見当たらない優良な相手だと思うのだけれど。
もしかして、彼女はすごく年上が好みだったりするのだろうか。何にせよ、俺はお嬢が幸せになるまで見届けるつもりでいる。彼女の幸せが俺の幸せだ。
それなのに、自分がお嬢の想い人になれるだなんて。そんなこと思ってもみなかった。
俺のことが好きだと言った。姿も見えない俺のことが。そして結婚相手を愛するためには、俺が側にいてはダメなんだと。
それってつまりは、俺がお嬢の相手になればいいのではないか。
俺はすぐさま当主様に話をつけに行った。お嬢の婚約者になりたいと。反対されても粘る覚悟だったが、あっさり受け入れられた。
当主様は、やっとかよというような、呆れた顔をしてた。俺を刺激する為に、彼女に大量の釣書を渡したそうだ。
本当は、俺に自分を守るだけの力が付いた後は、いつでも姿を現して良かったみたいだ。でも、俺はお嬢の影になることを目標にし、それを生き甲斐としていたので何も言わず見守っていたと言う。
何だそれ。早く言って欲しかった。
そうして俺は、トレイニール国からの貴賓が訪れている王城へと向かった。
もうすぐ王となる兄と数年ぶりに対面し、第二王子としての身分へ戻ることにした。
今の俺に必要なのは、彼女に相応しい身分なのだ。
俺はライル王子の誕生祭まで、王城の一室で過ごすことになった。お嬢の側を離れている間に、彼女が当主様に結婚の打診をしてきたという。二十歳程上の男ばかりだそうだ。
……あれ? やっぱり彼女は年上が好きなのか?
俺まだ十八歳なんだけど、若すぎるって断られたりしないよね。
一抹の不安を覚えた。
そして、ライル王子の誕生祭の当日を迎えた。
この日俺は、初めて公の場でトレイニール国第二王子としてセレスティア嬢の前に姿を現した。
彼女に求婚するために。
* * * * * * *
「お嬢、俺と婚約してもらえませんか?」
俺がそう言うと、お嬢は硬直した。
俺はしばし考える。………あぁ、もしかして嫌な予感が当たったのかな。
「俺、お嬢のタイプじゃ無かったりします? 見た目も年齢も」
もしそれで断られたら諦めるしかない。さすがに泣くと思うけど。
「ほえっ? えっ、あの、違うのよ。えっとね……」
彼女は恥ずかしそうにポツリポツリと言葉を紡ぐ。
「あのね……私のタイプは、その、黒や茶色の落ち着いた髪色でね、筋肉質な逞しい身体で、私を守ってくれるような人なの……歳はいくつでも気にならないの」
顔を真っ赤にしながら言った。
あれ? それってつまりは……
「俺って、お嬢の好みのど真ん中では」
「そうなのよ。声と性格だけじゃなくて、見た目までタイプなのよ。そんなことってあるのね……だから、その、婚約の申し入れもすごく嬉しいの」
そう言って涙目で微笑んだ。
……あぁ、何てことだ。嬉しすぎてもうダメだ。俺は姿を消すことにした。
「えっ? ちょっと、なんで消えるの?」
「今、顔を見られたくないので」
「なにそれ、ずるいわよ。私ばっかり見られてるじゃないの」
むぅと膨れた可愛い顔で、姿の見えない俺を睨んでくる。
そう言われてもなぁ。こっちはまだ見られ慣れてないんだからしょうがないよ。
「──セレスティア、これからもよろしくね」
俺はお嬢の耳元でそっと囁いた。
続編は婚約後のお話です。乙女ゲーム要素があります。
続編の続編はクレイディル視点のお話です。甘々です。